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2017年01月07日

ホントに久々の更新

数年ぶりの更新です。

仕事で忙しかったのと、別ブログでプライベート(主に恋バナ)のことを書きまくっておりましたら、
こちらまで更新の手が回らなくなり……。

ふと、こちらのブログのことを思い出し、今こうやって更新しています(笑)

いやあ、この数年間で色々あったんですよー。

人生で二度目の入院をしました!
一度目は小学生のとき、怪我で。
二度目は子宮筋腫ですよ!

いやー、なんか、胃のあたりがぽっこりしてるな〜、と思ってはいたんです。
運動してもなかなか引っ込まないし、何より固い。
ぶよぶよの贅肉ならともかく、固い。
いえ、力を込めたら固くなるのならわかるんです。
込めてないのに固いんですよ。

「??胃でも出っ張ってきてるのかなあ??」

と思っていたんですが。

ある日、もう、寝ていられないくらいに胃部に激痛が。
胃薬飲んでも全然良くならない。
痛みに耐えつつ、ベッドで横になっていたら、いつの間にか痛みもおさまって眠れたのですが。
これはオカシイ!
ということで病院に。

まさかまさかの子宮筋腫だったという。。。

子宮筋腫は、その名の通り、子宮にできる腫瘍です。
悪性ではなく良性。

私の子宮筋腫は、すくすく育ってしまったらしく、雪だるまのような形になって私の体に。
雪だるまの頭の部分がみぞおち近くまで育っていて、それが内臓を圧迫したか何かで激痛が生じたようです。
もう、開腹手術しないと取り出せない大きさになってました。
へそ上から切りましたよ、ええ。

現在、私のお腹には、へそを避けて縦にミミズ腫れのような手術痕があります。
手術前に、6ヶ月間だったかな?注射打って生理を止めて、出来るだけ筋腫を小さくしたんですが。
小さくした、というより、成長を止めた、と言ったほうがふさわしいかもしれない……。
1〜2センチぐらいは小さくなったように思うけど、元々の大きさが19センチとか特大でしたもん。

確かに、うつぶせになると苦しかった。
胸よりみぞおちのほうが出ているという、巨デブもここに極まれり、な、体型だった。
でも、生理痛もひどくなかったし、経血もフツーだったんですよ!
子宮筋腫が出来てるとか、想像もしてなかったですわ〜〜

手術して取った子宮筋腫、

合計19個、3.5キロ!

新生児か!!!

子宮全摘も覚悟していましたが、無事だったもようです。

ばかでかい子宮筋腫ができてるって知ったときは凹みましたけどね〜。

30代後半でまだ未婚。しかも彼氏ナシ。
子宮全摘になったら絶対に子供は産めなくなるし(まあ、それでなくても年齢的にももうキツいけども)、
お腹に大きな手術痕があるなんて、この先もし、奇跡的に彼氏が出来たらどん引きされるんじゃないかと。
(いや、その前に痩せろよ、って話ではあるんですがorz)

結婚も出産も諦める気持ちで手術に向かいました。

まあ、ひとりで生きていくのも悪くはないよ、きっと。

と。

結論として、子宮は無事だったけど、
手術痕も、案外男性は気にしないものなんだなーと思いましたけど、
もう、結婚も出産も諦めておりますw(おい!)


しょーもないオチですみません。


あと、白髪と薄毛がずっと気になってまして(分け目の地肌の見え方がひどい)
ひょっとして子宮筋腫のせいだったのか!?
と思っていたのですが、相変わらず分け目が薄いです。
白髪もひどいです(白髪は大学の頃から目立ってたけど)。
子宮筋腫は関係なかったようですorz


今、アラフォーのくせにいっちょまえに片思いしてまして。
イヤじゃないですか、薄毛の白髪で好きな人と会うの!
白髪も、いちおー美容院で染めたりしてるんですが、伸びると生え際がキラキラと輝き出すんです。
そんなとこ輝いてほしくないわ!
輝くならキューティクルがいいわい!!
で、慌てて自分で染めるんですけど。
上手くいかないのですよ、これがまた。
染めたいとこが染まってない上に、
仕事で帽子をかぶるんですが、汗かいて色が落ちてきて、帽子が汚れてしまったり。


薄毛に関しては、花蘭咲(からんさ)という育毛剤が気になったのでちょっと買ってみました。





市販の育毛剤(1000円ちょっとぐらいのやつ)も買って使ってみてるんですが、
効果はイマイチっぽいし、高いのはなかなか手が出せないし。

花蘭咲(からんさ)、初回限定65%OFFで2400円らしいので、ポチッとな。
送料500円かかるみたいですが。
2本まで1本2400円で買えるので、思わず2本購入しちゃったよ。。。

あ、購入してみようかな、という方、
定期お届けの「とくとく便」(黄緑色の「ずっとお得なとくとく便」から購入)と、
今回のみ注文(紫色の「ご購入はこちら」から購入)と2種類ありますのでご注意をー。


……ドラッグストアとかだとケチるのに、通販だとついポチッとしちゃうのはなぜなのでしょう。。。


よし、次は白髪によさげなものを!
posted by みあ at 22:46| 日常

2014年01月31日

ファンブログ、リニューアルしたんですね…

うぉう!?

ブログを放置していたら、いつの間にかファンブログがリニューアルされてーら!

なんか色々とビミョーに変更になってて、何がどうなっておりますやら…

ぼちぼち不定期に更新再開できたらな〜、と思ってます。
posted by みあ at 13:35| 日常

2012年09月12日

BUMP「firefly」感想

BUMP OF CHICKEN のライブから早4ヶ月が過ぎたのですね。
ライブの感想を書こうと意気込んだものの、上手く言葉に出来ずそのまま、バタバタしていたりなんだりで、気付けばブログまで放置していました。

スミマセン…。

映画とか日食とか、色々書くネタはあったのですが、いやはや。

というわけで(無理矢理な切り返し方ですね、ええ、スミマセン)、BUMPの新曲、「firefly」を聴きました!

firefly




ドラマの主題歌になっているらしいことは知っていたのですが、「観ようかな〜」と思いつつそのまま…。
結局、まだ観ていません。

思えば、BUMPでタイアップになった曲を、映画中とかゲーム中で聴いたことないなぁ。

「花の名」と「グッドラック」が使われた「ALWAYS三丁目の夕日」(の2と3)では、ラストで歌詞つきで流してくれるほどの待遇らしいし、「カルマ」が使われたゲーム「テイルズ オブ ジ アビス」をプレイした知人はそれで「カルマいい曲!」とBUMPを知ったみたいだし、やっぱり作品中で聴くとより感慨深くなるのかな〜。

ワンピースの映画に使われた「sailing day」はともかく、ドラえもんの映画に使われた「友達の唄」はのび太とリルルをイメージしてるっぽいので、「のび太と鉄人兵団」を知ってたほうがよさげな感じはしますが。

「ゼロ」は限定盤についてたDVDでファイナルファンタジーの映像を使用してのPVを観ました。が、PVはPVであって、ゲーム中に流れるのを聴いたわけじゃないしなあ。
うーむ。
ま、いいや。

脱線してしまいました。
まだそこまで聞き込んでいないのですが「firefly」を感想を取り急ぎ。

最初に聴いたときは、印象に残るメロディだとは思わなかったのですが、何度か聴くと耳に残ります。
そりゃ、何度か聴けば耳に残るのは当たり前だろうとのつっこみは、受け付けません(笑)。

「firefly」というタイトルだと知ったとき、「firefly」って何だったっけな〜、鬼火とか火の玉じゃないだろうしな〜、ドラゴンフライはトンボだしな〜、とちょっとひっかかっていたのですが、曲を聴いて「あ、ホタルか!」とスッキリしました。

個人的な勝手なイメージでは、なんか「希望」みたいだな〜と思いました。

有名なギリシア神話で、「パンドラの箱(壺という説もあり)」というのがあります。
人間に災厄を与える目的で神々に作られたパンドラという女性は、地上に降り立つときに、神々から「これを絶対に開けてはいけない」と箱(壺)を渡されます。
地上に降り立ったパンドラは、エピメテウス(後悔する者、という意味らしいです)の妻となったのですが、神々から与えられた箱が気になって気になって仕方ありません。
パンドラは作られたときに神々から色々なものを与えられたのですが、その中に「好奇心」も含まれていたのでしょう、好奇心に負けて箱を開けてしまいます。
もちろん、神は、パンドラがその箱を開けると知っていて、わざわざ「絶対に開けてはいけない」と念を押して箱を渡したのです。

箱の中にはあらゆる災厄が入っていて、箱を開けたためにそれらが飛び出し、今まで災厄がなかった世界は災いで満ち、人間は苦しむことになったそーです。
ところが、箱の奥には「希望」が残っていて、そのために人間は希望を失わずに生きていける、という話が有名な気がします。

ただこのパンドラの箱、色々な説があるようで、どれが正しいのかさっぱり分かりません。
私が昔読んだギリシア神話だと、パンドラが箱を閉めた後、
「わたしもここから出してください」
という声がして開けてみたら、自分は希望だと名乗るてんとう虫だかが飛び去ったという話になってました。

まあ、確かに、箱には災厄が封印されてたんだから、「希望」を箱に封印したままなのに人間には希望が残された、って変な気がするし。
そもそも、「希望」って災厄なの?っていう疑問も出るし。
(なので、箱に封印されていたのは「予知能力」という説もあるそうです。未来を知ってしまったら、人間は絶望するしかなくなる。でも、その予知能力が封印されたままなので、人間は未来を知ることなく希望を持って生きていくことが出来る、という説)

希望は箱に残ったままなのか、外に出てしまったのか、そこからしてはっきりしないので読むギリシア神話の本によって違ったりして、ワケがわからず混乱した子供時代。
ただとにかく、人間に希望が残されたのは確かっぽいですが。

と、またまた脱線してしまいましたが、希望の姿がてんとう虫じゃなくてホタルでもしっくりくるな〜、と「firefly」を聴いて個人的に思ったのです。

BUMPが歌う「夢」って、イデア的というか、「触れられないもの」「手にはいらないもの」「届かないもの」として歌われていることが多い気がします。

「ハルジオン」もそうだし、「sailing day」も「プラネタリウム」も。

それでいて、その「夢」が自分に生きる意味を与えていて、自分を自分たらしめていて、たとえ色々なものを忘れても、その「夢」だけは忘れないというか、忘れられないというか。

なんというか、BUMPの歌う「夢」は「夢」であって、いわゆる「将来の夢」や「目標」とは意味合いが違う気がします。

結局、「firefly」の中では、主人公はホタルのような欲望であり、夢であり、金色であり、憧れであり、「決して消えない光」を捕まえられないばかりか、必死で付いていったのにいつの間にか見失ってしまってるわけですが、それを追いかけ続けてひたすら生き続けていたら、生きていくうちに出来た傷が同じ色の光を放っていた、というオチになっています。
追いかけ続けるうちに、その追いかけていたものが自分自身も内包されるようになった。それでも今まで追いかけ続けたもののオリジナルは今でも自身の外を飛び続けていて、自分はそれを追いかけている。
(私の解釈がおかしかったらスミマセン)

歌詞の中で分からないのが、

「諦めた事 黄金の覚悟」


という部分。

黄金の覚悟を諦めたのか、諦めたことが黄金の覚悟なのか、よく分からないです。
それとも、その両方なのでしょうか。
あるいは、全く違う意味なんでしょうか。

驚いたのは、「色んな場面を忘れていく」ことや「笑って泣くこともあまりなくなった今」や、「報われないまま」なことや「感じなくなって」しまったことも否定していないこと(と私は捉えましたです)。
「決して消えない光」がある限り自分は生き続けられるし、生き続けているならそれでもう十分、ということなのでしょうか。というか、生き続けるしか選択肢がないし、それ以外を選ぶ気もない、という気もしますが。

聞き込んでまとまったら、またブログに載せるかもしれません。

しっかし、ますます藤原さんが悟りを開きそうに思えてきたのは私だけでしょうか…。
このままいくと40歳あたりで不惑、70歳で従心、80歳あたりで悟りを開いて輪廻から解脱するも、「いや、自分、人間が好きなんで」と如来の仲間になるお誘いを断り、自分からわざわざ輪廻の中に戻るという、誰も真似出来ないドM根性を見せてくれるんじゃなかろーかという妄想が膨らみますが、藤原さんも人間だしな、歌と実際の人生は違うしな、うん。と、とりあえず防御壁を築いておきます(私の心の中に)。

firefly



posted by みあ at 00:45| BUMP

2012年05月14日

ゴールデンウィーク5月2日

というわけで、ゴールデンウィーク2日目。

「混んでる所には行きたくない!なるたけ人を避けようゴールデンウィーク計画」なるものを密かに企てる。

天気は曇り。雨が降りそうな、降らなさそうな。
よし、富山の水めぐりに行ってみよー!

まず、杉沢の沢スギへ。

カーナビがないので、ネットで調べた地図と、友人の携帯GPSを頼りに移動、移動。
基本、8号線をまっすぐまっすぐ。

着いた場所は、田んぼの中でございました…。
いや、ホントに。

海も見えるほど近い田んぼの中に、杉沢の沢スギの森(林か?)はありました。
沢スギは天然記念物らしい。

入館料は無料。
全然人いないと思ったのに、さりげにいる!
芝生の広場では、バーベキューらしきものをしている人たちが。

森の中は、こんな感じ。
水辺があって、スギやシダ植物が茂ってます。




ううむ、「もののけ姫」っぽいと言えば聞こえは良い。
シシガミ様がのっそりと歩いてくるかもしれない。コダマがカタカタ鳴るかもしれない。

が、あえて写真は撮らなかったけど、森の端から見えるのどかな田んぼ。遠くに見える民家が、なんつーか…。
昔通った小学校を思い出しました。

小学校に、小さな森もどきがあって、桑やシダが生えてて、その中を駆け回ったり、木によじ登ってカイコのエサに桑の葉をちぎったり、桑の実を取って食べたり、地面に生えてるヘビイチゴ摘んで食べたりしてました。イチゴの味とは全然違ったけどね。
木の茂みの奥に空間があって、そこを秘密基地(?)に例えてみたり、学校で飼育していたウサギをちょっと散歩させようとグラウンドに持っていったら、すげえ勢いで駆け出して、森もどきに走り込んで、とても人間が通れない茂みに入り込んで穴掘ったり。捕まえようと手を伸ばしたら、思いっきり土ぶっかけられた…(笑)。
男子なんかは、アリを食べてたりしてたなぁ…。

地元の小学校なんてどこもそんなもんだと思っていたら、「その小学校はワイルドすぎる」と言われました。

まあ、今はそんな面影もどこにもなく、ちょっと走っただけで息が切れます。
木登り?無理無理!

しかし、海が近いのに、冷たい湧水が溢れているという、なんだかよく分からない異空間でした。


沢スギを満喫し、近くの海岸で海深く沈んでいる海底林に思いを馳せたあと、車に乗ってお次は「清水の里」へ。

天候はとっても怪しげだけど、オリエンテーリングもどきの地図も用意したぜ!
魚の駅に車を停めて、てくてく歩く。

海底地下道…夜は絶対通りたくないなぁ。ゴールデンウィーク中はそこそこ暑かったのに、海底地下道は冷気が漂ってました。

しかし、友人とともにあっちこっちと迷いに迷う。
地図が分かりにくいのか、それとも私たちが地図を読めないのか。
生地の共同洗い場、見逃すとこでした。
まさか、あんな家と家の合間にあるとは!

月見嶋の清水で、アヒル発見。



アヒルの尻尾はかわいいね。

火の宮がどれか分からず、「これか?」「これかも!」とそれらしい建物?を友人と見たあと、車に戻る。
もはやクタクタのヘロヘロ。
昨夜の蛍川散策もあってか、足が痛い。
魚の駅にあった水場で足を冷やす。おお、気持ちいい。

天気も悪くなり、雨がぽつぽつ。
日も沈みかけているので(といっても、雨雲のせいで太陽は全然見えてなかったけど)、夕食予定のレストランへ。

ほたるいかミュージアムのレストランで白えびピザを食べるのだ!

友人と2人で白えびピザを分け、友人は「ほたるいか御膳」を(食器?が、ぱかっと開くタイプで、なかなか楽しげだった)、生モノとほたるいか内臓のプチュプチュ感があまり好きではない私は、「富山豚のラグーとエゴマのトマトソース」のオムライスを食べました。
ほたるいか、食べられないほど嫌いじゃないけど、高いお金出して食べたいほど好きでもないのです…。

白えびピザとオムライス、おいしかったです。
友人から、ほたるいかの唐揚げをひとつもらい、お返しにオムライスをおすそ分け(というほどの量でもないが)。

満足して帰宅。

しかし、ホントに食べてばっかだな…。しかも炭水化物ばっか…。


ようやく本題、BUMPライブのゴールデンウィーク3日目へ続く
posted by みあ at 23:55| 日常

2012年05月10日

ゴールデンウィーク5月1日

ゴールデンウィーク5月1日

ブログを書くのは、かなり久々のような気がいたします。

書くネタは数々あれど、文章にまとまらず気づけばゴールデンウィークから日が経っておりました…。

5月1日に友人を迎え、5月3日のBUMPのライブに行き、5月4日にいとこを迎え、5月6日に見送りましたです。

というわけで、ゴールデンウィークの記録をば。

まず、5月1日。

友人を空港まで迎えに行く。
それから、回転寿司のきときと寿司に行く予定が、「お腹がすいたー!」とのことで、富山ブラックラーメンを食べに行くことに。

「めん八」に道に迷いつつ行ったものの、時間帯が中途半端だったため、仕込み中で営業しておらず。
仕方ないので「大喜」に。

富山ブラックをご存知ない方のために説明しますと、いつ頃から有名になったのかさっぱりなのですが、富山のB級グルメのひとつとして、富山ブラックというのがあるのです。

ラーメンなのですが、醤油ベースで、スープが黒い。ので、ブラックラーメンと呼ばれているのです。
富山はラーメン屋さんが割合多いのですが、このブラックラーメンを出しているお店が色々あるのですね。
お店によって味は違います。

で、この富山ブラックの元祖が、「大喜」。
(注:同じ大喜でも、大喜 根塚店は、また別モノです。個人的には、根塚店のほうがまだ食べやすい…)

元々、肉体労働者など汗をかきまくる人たちの塩分補給や、白ご飯のおかずとして作られたラーメンだそうで、はっきり申し上げますと、「とてもじゃないが食べれたもんじゃない」。

だって、塩辛いんですよ!スープなんかほぼ醤油ですよ!メンマなんか食べられたもんじゃないですよ!白ご飯とセットじゃないと、とてもじゃないけど無理ですよ!
麪の太さや硬さは好みなのに!チャーシューも好みなのに!
(太麺で硬めでないと、スープがすぐに染みて、しょっぱくなるからかもですが。同じく、チャーシューも硬い。でも、しょっぱいスープがそこまで染みてないので、美味しく食べられる)

富山の人たちが皆、この大喜のブラックラーメンを「おいしい」と食べてると思われていると心外だ…。
味覚おかしいんじゃないかと思われていそうだ…。

あんな味の濃いラーメン、日常的に食べてるわけじゃないですよ〜!
好きな人は好きだと思うけど、なんと言いますか、美味とは違うと言うか…。

まあ、去年食べて懲りてたはずの友人が

「食べたときは『もう食べるもんか』と思ったけど、なんかまた食べたくなった」

と言っていたので、みょーな中毒性?はあるのかもしれないです。クセになるというか。

真夏、汗をかきまくった後は、なかなか美味しいかもな、と思います。
それでも私はメンマは味が濃すぎてアカンですが…。

ちなみに、生卵を注文した友人でしたが、スープが濃すぎて、ラーメンの中に入れても全く味は変わらなかったようでした。
すき焼きみたいに、ラーメンの麪を溶き卵に入れて食べるのはオススメかもです。


次に、空いている時間を狙って、回転寿司の「きときと寿司」へ。

しょっぱい富山ブラックのせいで、体が塩分を緩和したがっているのがよく分かる…。

ちなみに、魚が美味しい富山に住んでいる割に、私は生モノがダメです。
刺身もネタが生魚な寿司もアウトです。
全く食べられないわけではないのですが、美味しいと思わないので、お金を出してまで食べたいと思わない。
ちなみに、生モノは野菜や果実以外あんまり好きじゃないので、いつぞや騒ぎになったユッケもダメです。
そういやあ、子供の頃は平気だった生卵もダメになってきたなぁ…。半熟は大好きなんだけど。

生ハムやスモークサーモンは何とか食べられるし、むしろ「食べたいな〜」と思うときもありますが、生ハムもスモークサーモンも、生じゃないよね…。
これなら食べられる!と思った刺身があったのですが、生魚じゃなくてシメサバだったと知ったときは、ホントに生モノがダメなんだな自分、と思いましたです。

まあ、そんなこんなで、生はダメですが、魚がダメというわけではないので、炙ってあったり揚げたものなどはOK。

ということで、白えびの天ぷらと、炙りサーモンの寿司と、水分が摂りたかったのでサラダなどを注文。

ブラックラーメンを食べていたので、注文はほどほどですみました。
お腹すいてるときに行ったら、食べまくってしまうので注意です。

白えびの天ぷらはおいしかった!
上品なかっぱえびせんみたいで(笑)


夜は、昼間行けなかった「めん八」へ。婦中店です。

…お腹がいっぱいだったせいもあるのだと思う。
…大喜ブラックを食べたために、味覚がちょっとアレになっていた可能性もあると思う。

おいしいと聞いていた「めん八」のラーメン、なんか物足りない…。
まずくはないけど、格別美味しいとも思わないというか。
うーん、婦中と小杉だと、また味が違ったりするのかな?

まあ、大喜ブラック食べた後や、満腹のときに行っちゃアカンですね。

機会があったら、お腹が空いてるときに、もう一度トライしたいと思います。

満腹で苦しかったので、お店を出てから、近くの蛍川周辺を徘徊。
おお、これが宮本輝の小説、「蛍川」の蛍川か〜。
新興住宅地で、なかなかステキな感じになっていました。
ひたすらてくてく歩く。
そこそこ腹ごなし出来たあたりで、帰宅。

ちなみに、ゴールデンウィーク中、あまりにも色々(しかも炭水化物系中心)食べ過ぎたので、
↓こんなものを購入してみました。



今話題のレスベラトロールも配合されているのが良い感じです。

そう言えば、レスベラトロールと宿便て、何か関係あるのかなあ?
友人が、レスベラトロールのサプリメント(上のやつではないです、レスベラトロールがメインのやつ)を飲み始めたら、しばらく便が臭ったそーな。
しばらくの間だけだったらしいので、「レスベラトロール飲んで、腸に溜まってた宿便が出てきたのかね〜??」と話していたのですが、ネットで調べてもぱっと見た感じ、特にそんなことは書かれてないんですよね。

詳しく調べたら、どこかに書かれてたりするのだろーか…。

5月2日に続く
posted by みあ at 22:56| 日常

2012年04月28日

日食のために遮光板(日食観測用)を買った

2012年5月21日に日食が日本でも見られる!

月が完全に太陽に重なって、月からはみ出た太陽の部分が金色の環になって見える金環日食は、大阪、名古屋、静岡、東京などで見られるそうです。
詳しくは、コチラを→http://naojcamp.mtk.nao.ac.jp/phenomena/20120521/about.html

私が住んでいる北陸地方は、思いっきりその地帯から外れておりまして、残念ながら部分日食しか見られません。

それでも日食!
数十年に一度の天体ショー!

ということで、ホームセンターで遮光板が売っていたので買ってきました。
「日食近くなると売り切れる可能性あるし、早めに買っておいたほうがいいよ」
と友人に言われたのもあります。

↓私が買ったのは、多分、コレ↓

遮光板




見事に晴れる日が多くない北陸の人間としましては、
「日食?どーせ曇りか雨でしょ、そんなのに1,000円近い太陽観察用サングラスとか買っても、ねえ?」
というナナメに構えたココロから、安いのでいいや、と上記のを買ったのですが…。

望遠鏡や双眼鏡で、太陽を見てはいけないです。
子供の頃によく言われていたのですが、なんでダメなのかよく分かっていませんでした。
だって、「太陽はいいもの」的なイメージがあったから。
眩しいのぐらい、我慢すればいいだけじゃないかと思っていたんです。

今なら分かる。
太陽の光は、決して人間にとっていいものばかりじゃないんだということが、今なら分かる…。

太陽光には、目には見えないけども、紫外線や青色光、赤外線などなどが含まれていて、それをモロに浴びると、早急に目を老化・劣化させる原因になります。
普段、フツーに生活していても、どんどん老化・劣化しているというのに!

ましてや、レンズ越しに、一点集中で太陽光を目に浴びようものなら、目が焼き付きます。
黒目がジュッ、かどうかは知りませんが、仮に黒目を通っても、その奥にある網膜がきっと焼き付きます。
網膜は、見たものを、信号にして脳に送り込むところだそうです。
その信号を脳が受け取って始めて、人間は見たものを映像として捉えることができます。
ここがダメになってしまうと、正常にものを見ることができなくなってしまうのです。

ただでさえ、パソコンだ携帯だで酷使して、疲労困憊で衰えかかっている網膜に、一点集中で、キョーレツな太陽光なんぞを浴びさせようものなら…、ひええええ。失明してもおかしかないわ。
ていうか、視力はまず落ちそうだし。

昔は、日食は直に見ないで、ススをつけた下敷きで観察、とあったけど、どうやらそれも危険と判断されたようです。フツーのサングラスもダメ。色付き下敷きとか、フィルムとか、もってのほか。
紫外線カットのサングラス?うう〜ん、どうなんだろう…。太陽光をモロに見て、有害なのは紫外線だけではないので、やっぱりやめましょう。
サングラスかけて瞳孔開いた状態で見続けて、赤外線吸収して、目が温泉卵状態とかになると怖いし…。

ちゃんとした太陽観測用の遮光板や日食観測用サングラス、日食観測用オペラグラスで見るように、とのこと。

手にしたときは、遮光板が厚くて、部屋の中では何も見えなくて、商品の注意書きにも、太陽の日差しが弱いときは遮光板を通して太陽が見えない場合があります、とあったので、「大丈夫なのか?」と実際、晴れた日に太陽をこの遮光板を通して見てみました。

おお!見える!
赤い太陽が、ちょびっと。
輪郭は確かに見える。
でも、ちっさ!(笑)

私が購入した遮光板は、警告欄によると、連続使用は2〜3分が限度とのこと。
うん、1分も正直、見ていたくないかも(笑)。
日食当日は、ちょっと見て、目を休ませて、ちょっと見て、目を休ませて…になると思います。
ずっと見ていたら、目がチカチカしそう。太陽の姿が文字通り目に焼き付きそう。

Amazonのレビューを見ていたら、同じ会社のものでも、こっちのがオススメみたいです。

地学・天文 太陽グラス




こちらは、どうやら太陽が緑色に見えるようですが、赤色に見える私が買ったものよりも遮光度が高い(光にもいろいろ種類があって、有害光を遮断してくれる可能性が高い)…のかな??

でも、やっぱりこちらもじっと見続けるのはやめておいたほうがよさげです。
まあ、太陽をじっと見続けようと思うこと自体、傲慢なのかもしれないですね。
どんなものを使うにせよ、何分も凝視、というのは避けたほうが良いみたいです。
眩しいと感じなくても、有害光は目に届いていたりしますので。
というか、私は怖いので1分もきっと見続けられない…。
続きを読む...
posted by みあ at 13:30| 日常

2012年04月25日

ドラマ「三毛猫ホームズの推理」感想

嵐の相葉君主演で「三毛猫ホームズの推理」がドラマ化されると知って、「なんでいまさら三毛猫ホームズ??」と思いつつ、懐かしかったので観てみることにした。

三毛猫ホームズシリーズにはまっていたのは、小〜中学校の頃。

小学5年の春(正確には、小学4年の終業式間近)に怪我で入院してしまった私が、暇で何か本でも読もうと思って病院の売店で購入したのがきっかけ。

「ホームズ」という名前からして子供でも読めそう(いえね、ホームズ、ルパン、江戸川乱歩は学校の図書館にずらりとあったので、子供向けなんだと思っていたのです。そんなことは全然なかったのだと気付いたのは高校生になってからでした…。図書館にあったあれらの本は、子供向けにしていただけなのね…)、「三毛猫」というあたりが猫好きの私のココロをくすぐったのでした。

読んでみると、色々分からない大人向けな箇所はあったものの、主人公の片山と妹の晴美と、後輩の石津と三毛猫ホームズのドタバタっぷりが楽しくて、シリーズを集めて読むようになりました。

ただ、私が始めに読んだのは「推理」じゃなかったんですよね。
「騎士道」だったか、「恐怖館」だったか、「幽霊クラブ」だったか「怪談」だったか…。
しばらくして「推理」を読んで、そのドロドロっぷりに「う〜ん、これはあまり子供向けじゃないものだったのか」と思った記憶があります。

まあ、そんなこんなで懐かしい「三毛猫ホームズ」、ドラマはどんなんなんだろう、とちょっと楽しみにしていました。とはいえ、キャストとかの前知識は相葉君が片山、という以外何もない状態で観たのですが。

主人公の片山は、原作では身長が高くてひょろっとした童顔。優しそうで頼りなさげなんだけど、いざというときに頼りになって、よくその時その時のヒロインに好かれるけども、なんだかんだと振られたり去られたりと肝心なとこ女運のない刑事。
相葉君がその役に合っているかと言われると、正直微妙だけど、刑事っぽくない刑事ってことでまあ、アリと言えばアリかな、と。
晴美とホームズの尻に敷かれるところもなんとなく想像出来るので、演技・演出次第では相葉版・片山刑事もアリじゃないかと思って観たのです。

観たのです、が…。

なんか、色々と、これは…。
どうしてこうなったんだ…。

まず、原作にはなかった兄の存在にぽかん。
片山は妹と2人で、それなりに慎ましく暮らしてた記憶があるんだけど…アレ?
住んでいる家も、さりげに豪華。実はお金持ちだったっけ??お父さんの遺産、結構あったんだったっけ??

次に、妹の晴美にぽかん。
私の記憶では、おてんば系で、好奇心が強くて色々な事件に首をつっこむタイプではあるけども、こんな奇抜(?)な服装でギャーギャーがなるような人ではなかったような…。
片山を尻に敷いてはいたけど、しっかり者で、むしろにっこりと微笑んで、丁寧な言葉遣いで相手を追い詰めていくような、なんだろう、ヒステリーとはまた別の女としての怖さがどっかにあった気がする。家事もしっかりしてたような気が…。
石津の扱い方、そこは小悪魔な感じっぽかったけど(笑)。

そして石津。
なぜだなぜだ、なんでこうなった。
私の記憶している石津は、でかい図体で、頼りになるんだかならないんだかよく分からず、頭はあんまりよろしくないけど、でもって時々馬鹿やるけど、なんか憎めないキャラクターだった気がするんだけど…。
石津がボケで、片山がツッコミ。時々片山がボケた時は、石津がドヤ顔でツッコミのイメージ。石津も片山もボケた時は、晴美もしくはホームズがツッコミに回るイメージだったんだけど。

…石津よ、アンタ、いつからそんなすらりとしたイケメンに?
そしていつからそんなに片山に対して性格悪い感じに??

あ、晴美に対する態度は「おお、石津だな〜」でしたが、しかし当の晴美があんななので、石津が純朴そうというよりは、マゾにしか見えない…。
いや、原作の石津もマゾ入っていたけど、そのマゾさ加減に磨きがかかっているというか…。

片山も、色々なところで「このひと、頭、大丈夫かしら…?」な人に。
辞表出すまでもなく、クビになりそうな…。
というか、ほぼ仕事していない(?)兄と妹と同居して、刑事で、それでいながら家事もやってるって、どんだけ虐げられてるんだ、片山よ。

一番のあんぐり大賞は三毛猫ホームズ。
え??マツコ・デラックスになるの??
美猫のホームズが…!なんてこったい!
ホームズが猫のまま色々とヒントを片山達に与えて、片山達もホームズをあてにしてるあたりが「お猫様に振り回される人間の図」って感じで面白かったんだけど…。
で、晴美とホームズの女コンビで片山と石津(原作の石津は猫が怖い)を尻に敷く感じが読んでて面白かったんだけど、晴美とホームズの絡みがあんまりない…。

キャラクターのワイワイっぷりと、テンポのよい掛け合いが好きで読んでいたのですが、それが全部すっぽ抜けたドラマになっていた感じでした。
原作のいいとこがほとんど残っていない…。

しかし、ここまで色々とツッコミどころがあると、ツッコミのために観てしまうというか、「今度はどんなアホなことが待っているんだろう」と大変ナナメに構えた見方で気になってしまうというか。
個人的には残念でしたが、ここまで人物設定を変えたのなら、オリジナルでとことん突き抜けるとこまで突き抜けて欲しい気もします。
どうせなら、原作と違っても全然構わないから、面白くして欲しい。

片山がホームズを撫でていたらいつの間にか巨大化!は、「ああ、来るぞ来るぞ(笑)」な感じで面白かったです。
マツコ・デラックスが体を丸めて、猫マッサージ(喉鳴らしながら前足をグーパーする、母猫のおっぱいを押していた子猫の頃の名残)とか、額こすりつけとかやってくれないかなあ。
「ココはアタシの縄張りニャー」「アンタはアタシのもんだニャー」みたいな…。
……それじゃ呪いか……。

猫は可愛かったです。大変可愛かったです。

今後、どうなっていくのか、ある意味、大変興味が出てきたドラマでした。
なんだかんだ言いつつ、気が向いたら観そうな感じ。

(ところで、2話の最後あたり、片山がホームズを抱き上げながら笑っているところ、目が笑ってなくてイっちゃった人みたいですげえ怖かったのですが、あれは演出なのか演技出来ていなかっただけなのかが気になる…。実際、片山は幻覚見てるわけだし)


三毛猫ホームズの推理 (角川文庫 (5680))




三毛猫ホームズの騎士道 (角川文庫)


posted by みあ at 01:06|

2012年04月17日

「はてしない物語」感想・その2

というわけで、「はてしない物語」の続きです。前回の記事はコチラ

子供の頃読んだときは、ファンタージエンに入った後のバスチアンがどうなるのかハラハラしながら読んでいました。

というのも、バスチアン、どんどん増長していくのですよ。

幼ごころの君から与えられた「アウリン」。
本の表紙にもなっている、明暗2匹の、世界を支える蛇をモチーフにしたメダルです。裏には「汝の欲することをなせ」との文字が(ただ、これは欲望のままに、という意味ではないのでしょう)。
こいつが曲者で、バスチアンの願い事を叶えてくれるのですが、願い事を叶えるたびにバスチアンの現実界での記憶を奪っていくのです。
当のバスチアンは、記憶をなくしたことにも気付かず(なくしているのだから、そもそも思い出しようもなく)、さらにファンタージエンが気に入って、現実の世界に帰りたくないと思い始めたりします。

今になって改めて読み返すと、ネットゲームもなかった時代から、ミヒャエル・エンデはネット廃人のことを予見していたのか!?と思ってしまうほど(笑)。

バスチアンの状態は、いわゆるチート設定というのでしょうか、ファンタージエンにおいては最強です。

美男子になりたい!と思えば美男子になれるし(そしてチビデブだった現実の自分を忘れる)、
強くなりたい!と思えば力持ちになれるし(そしてひ弱だった現実の自分を忘れる)、
勇者になりたい!と思えば、勇敢な英雄になれるし(そして臆病だった自分を忘れる)、
何よりシカンダと名付けた剣は、手にしただけで敵を倒し、切れないものは何もないという凄い剣です。ただひとつ、「使用してよいのは剣が自ら鞘から抜き出たときだけ」という制約がありますが。

そりゃ、帰りたくなくなりますわな。
さらに、現実世界の記憶をどんどんなくしているので、ますます帰りたくなくなってきます。

アトレーユと幸いの竜フッフールがバスチアンを心配して、色々助言するのですが、バスチアンにとっては、段々とその助言や忠告がウザくなってきます。
なんだよ、子供扱いすんなよ、と。
いやいや、お前、子供じゃん、とつっこみたくなりますが、バスチアンは現実世界での自分を忘れてしまってるのです。

ただ、まあ、なんというか、バスチアンの気持ちも分からなくもない…かも。
子供の頃読んだとき、アトレーユが何考えているのか分からなくて不気味でしたもん(笑)。
アトレーユはクールすぎるのですね。バスチアンから見るといっつも険しい表情をしていて、表情が全く読めない(笑)。よほど苦労したのか、アトレーユは10歳の少年には思えません(笑)。
でもって、アトレーユが険しい表情をしているのは、おそらくバスチアンことを考えているときなんだと思うのですが、バスチアンには分かりません。
バスチアンは、アトレーユと親友だからこそ平等でありたかったのだと思うし、だからこそ、自分を認めてもらいたかったのでしょう。

ところが、そんなこんななバスチアンとアトレーユの感情が裏目に出て、バスチアンは現実世界の記憶を失い、どんどん増長し、やがてサイーデという女魔術師にそそのかされて、ファンタージエンの王様になろうとします。
ちなみに、幼ごころの君は、バスチアンがファンタージエンに来た時のみ登場し、その後は一切登場しません。バスチアンにアウリンを渡した後は、蒸発してしまわれます。
どうしてなのかはよく分かりません。
バスチアンの物語だからなのか。あるいは、分身となるアウリンを人間であるバスチアンに預けてしまったため、バスチアンがアウリンを持っている間(これはつまり、ファンタージエンにいる間)は会うことが出来ないのか。

バスチアンが王様になるのは、アトレーユによって阻止されますが、その時にバスチアンはアトレーユを傷つけてしまいます。しかも、シカンダを無理やり鞘から抜き出して。
重傷を負ったアトレーユはフッフールに助けられますが、バスチアンは復讐とばかりにアトレーユを追います。
そこで「元帝王の都」にたどり着き、ファンタージエンの王となった者、もしくは願いを叶えて現実世界の記憶が全くなくなってしまった者は、ファンタージエンから帰れなくなることを知ります。

…この、元帝王の都に住んでる人たちの描写がまた子供心に怖かった…。
言葉も忘れてしまっているため、話すことも出来ず、自分が誰かも分からず、年もとらずに、四角形のタイヤの乳母車を一生懸命押していたり、アルファベットのついたサイコロを転がして、出た目のアルファベットを書き出して、言葉にならない言葉をつくっていたり(途方もない数を振っていたら、偶然言葉になることはあるらしいけど、いやいやいやいや)。
人間であることを忘れてしまった、人間であることをやめてしまった、廃人達の都でした。

バスチアンは現実世界に戻ることを決心しますが、でも、残された記憶はもうあとわずか。

もうね、バスチアンがファンタージエンに入ってからの後半は、色々と痛々しくて沈んだ気持ちで読んでいました。どうなるのかハラハラしているんだけど、ページをめくる手は重くなってきます(笑)。

でも読み返すと、この物語はバスチアンの成長の物語で、バスチアンの辿る道は、成長の道なんだなあと思いました。

ファンタージエンに入ったバスチアンがまず知ったのは、生と死。
生きる喜びと躍動感、それから逃れられない死の悲しみ。
やがてバスチアンは「他人」を求めるようになります。
「他人」と出会うことにより、「他人に認められたい」という欲求が出てきます。
なかなか認められないと「なんで認めてくれないんだよー!」と反抗期に(笑)。
認められたら認められたで、「俺すげえ」と増長していきます(笑)。
そこで、一気に価値観の崩壊。挫折を味わいます。何の価値もない自分。
とはいえ、廃人になるわけにはいきません。
孤独にさすらい続けたあと、「なんでもいいから仲間が欲しい」と思うようになります。
やがて、ある事件をきっかけに、「なんでもいいからじゃ嫌だ。あるがままの、かけがえのない自分を愛してくれる人が欲しい」と思うようになります。
その望みが叶えられると、「自分も誰かを愛したい」と思うようになります。
でも、誰を?
この時にはもう、バスチアンは自分の名前以外はすっかり忘れてしまっているので、誰を愛したいのか分かりません。
で、その「誰を」を見つけるために、採掘抗で忘れられた夢をひたすら掘り続けることになるのです。

ある種、自立の物語でもあるんだろうなあ。
バスチアンの父親は、母親が亡くなって以来、心ここにあらず状態。
バスチアンの欲しいものは何でも買ってくれたりしましたが、バスチアンが本当に欲しかったのは、そんなものではなくて。
子供にとって両親は絶対の存在。
そして本来であれば、理由なく自分を守ってくれるはずの存在なわけです。
それが崩れるとき、子供は自己を成長させなければいけなくなるのでしょう。不条理で不合理な現実に対応できるように。
そして、どんなつまらない現実にも光を見つけ出して、モノトーンの世界を色とりどりの世界に染め上げていくのです。道に転がった石ころひとつで、輝く世界を創造するのです。
それを担うのが、それぞれの心に宿っている「幼ごころの君」なのかな?

…思えば、児童ファンタジーってそういうのが多いなあ。

何やらあまりまとまっておらずスミマセン。

そんなこんなな解釈を抜きにしても、私は面白かったです。
グラオーグラマーンに乗って駆けるシーンとか、フッフールが空を舞うシーンとか。

ちなみに、「望みとは何か、よいとはどういうことか、わかっておられるのですかっ!」というグラオーグラマーンの言葉の意味が、分かりません。私の経験値が足りないのでしょうか…。

ミヒャエル・エンデは、「ネバーエンディングストーリー」の1が作られた時、ラストに憤慨したそうですが(1の映画は、バスチアンがファンタージエンを救って終わりになっています。で、そのラストで幸いの竜でいじめっ子に仕返ししてるのですね。これでは自分の表したかったことと正反対だ、とエンデは怒ったそうな。他にも色々あったみたいだけど。)、子供は案外、大人が思うよりも色々と感覚的に分かっているような気がします。
まあ、原作読んだ後だと、エンデが怒るのも分からなくはないけど。
自分がエンデの立場だったら、やっぱり怒ると思う。
でも、あのラストは、物語を読み終えた後の充実感と開放感、それから物語の世界を疑似体験したことによるバスチアンの成長なのだと私は捉えていたのですが…。それ以降は幸いの竜の力を直に借りなくても、幸いの竜やアトレーユを思い出しては、それを力にしていじめっ子に立ち向かっていくのだと思っていましたですよ。
子供が夢中になったのは、いじめっ子への復讐ではなくて、
「現実世界で幸いの竜に乗れるバスチアン、羨ましすぎる!」
だと思います(笑)。
幸いの竜に乗って大空を飛び回ることに比べたら、いじめっ子どもへの復讐なんて、正直どーでもいいというか、重要じゃないというか。


あ、私がファンタージエンに行きたいかと言いますと、答えは「NO」です。
仮に行けても帰ってこられないわ、私はきっと(笑)。

はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)



posted by みあ at 01:30|

2012年04月14日

「はてしない物語」感想・その1

はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)




「はてしない物語」です。

ミヒャエル・エンデ作。

1985年に日本で公開された映画、「ネバーエンディングストーリー」の原作。
ネバーエンディングストーリーのテーマは、今でも使われてたりするような気が…する。わかんないけど。

子供の頃、この「ネバーエンディングストーリー」が土曜ロードショーか何かのテレビで放送されて、た大抵の子は観てたっけなあ。
まだインターネットもない時代でした。テレビゲームも全然リアルじゃなかったし。
もちろん、「ネバーエンディングストーリー」も今の映像技術から比べると、合成感丸出しのひでえ映像だったりしますが、人間の妄想にはフィルターといいますか、補正がかかるのです。

ええ、私の頭の中では、白い幸いの龍が稲妻のように空から舞い降りたり、大気のように軽やかに嬉しそうに舞っていましたとも。

岩波少年文庫として、文庫本でも出ているようですが、私はこの豪華装丁のほうをオススメします。高いけど。

だって、本の中に出てくる「はてしない物語」と同じなんですよ!
赤絹の表紙、表紙に描かれた明暗の二匹の蛇、でもって中身は赤と緑の2色刷り。
初めてこの本を手に取ったのは小学4年だか5年だったと思いますが、ここまで凝った本に出会ったのはこれが初めてでした。というか、それ以後もこんな本には出会えていないかもしれない。
頑張ったな〜、岩波書店!
出版した時が、バブル真っ最中だったのかもしれないけど、それでも拍手したい。
こんな本にして出してもらえるなら、これは作者冥利に尽きるというものでしょう。
(実際、作者のエンデはとても感激したとかいう話どっかで読んだような…。ネットでだけど)

きっと、映画の「ネバーエンディングストーリー」に夢中になったんでしょう、滅多に本なんか読まないようなクラスメイトの男子が貸して欲しいと言ってきて、貸してあげたら食い入るように読んでいたのを思い出します。

私も続きが読みたかったので、その子が読み終わる前に返してもらったのですが…。
ビミョーにそれが未だに心残りで。
私はいつでも読めたんだから、その子が読み終わるまで待っていたらよかったなー、と。
まあ、今思うと、かなりぶ厚くて、小学生が読むには難しげな感じがするので、その子が最後まで読めたかは分からないですが。
でも、その子が休み時間になっても外界の音をシャットアウトして本を読んでいたあの光景が忘れられないのですよ。読書よりスポーツ!な子だったのに。
その様子はまさしくバスチアンだったし、私だったし、何より彼はあの時、ファンタージエンに足を踏み入れていたのになあ、と。

私は映画を先に観たので、小説を読んで、映画はただの序章に過ぎなかったのだと知って唖然としました。

「はてしない物語」は、前半と後半に大きく分かれていて、主人公であるバスチアンがファンタージエンに来る前と来た後です。

ファンタージエンに謎の「虚無」が広がり、次々と世界が呑まれていきます。
さらに、ファンタージエンの女王、「幼こころの君」は重い病気にかかっていて、瀕死。
この「幼ごころの君」は、彼女がいなくてはファンタージエンそのものが成り立たない、という大切な存在で、その女王の病がどうやったら治るのかを旅をして探る、という役目を与えられたのが、アトレーユ。

ネタバレしてしまうと、アトレーユはバスチアンをファンタージエンに連れてくるための、大変悪い言い方をすると、エサみたいなものです。
バスチアンと同じくらいの年で、全然違っていて、それでいてどこか共通する部分があって、だからこそバスチアンがアトレーユに共感するに違いないと幼ごころの君は感じたのでしょう。

多分、読んでいるのがバスチアンではなかったら、別の者に白羽の矢が立ったのではないかと思います。
勇士ヒンレックだったり、岩食い男だったり、ジンのイルアンだったかもしれないです。
あるいは、バスチアンの読んだ「はてしない物語」には出てこない人物だったかも。

アトレーユの冒険にすっかり引き込まれたバスチアンは、見事に幼ごころの君の思惑通り(ひでえ書き方してますが、私、幼ごころの君が1番好きです・笑)、幼ごころの君に出会い、新しい名前を授けます。

幼ごころの君の病を治し、ファンタージエンを救うのは、幼ごころの君に名前を差し上げることだったからです。

でも、ファンタージエンの生き物が名付けるのではダメで、名付けるのは人間でないと意味がない。
ファンタージエンは幼ごころの君が創った世界なので、自分で自分の名前をつけることは出来ない、ということなのでしょーか。よく分からないけど。

バスチアンが幼ごころの君を一目見た瞬間に名前が浮かんだとか、とても分かる気がする。
正しい名前を付けた時、その瞬間に一気に物語が生まれるのも、分かる気がする。
物語を書く時、登場人物の名前がしっくりこないと物語が動き出さない。
逆に、その人物の性格や運命などから、「コイツの名前はコレだ!」というのがあったりする。

とまあ、そんなこんなで名前の重要さにビビった私は、猫1匹の名前もつけられないほどチキンな人間になりました。

私以外の家族は別にそんなこと思っていなかったと思いますが(母親は「名前を付けるなんて怖くてできない」って言ってたなあ。ちなみに、子供は全員父親が名前をつけております)、でも、家族の誰も猫に名前をつけたがらず、捨て猫か迷い猫がそのまま家に居着いたとき、猫につけた名前は「チビ」。
でかくなっても「チビ」。いいの、だって、人間よりはチビなんだもの。
我が家の猫は代々「チビ」でした。
一時期、捨て猫、迷い猫が多くなって、3匹猫がいたときがありましたが、そのときは「チビ(呼び方は「ちーちゃん」)」「チビチビ」。三匹目はチビチビチビにはならず、「三匹目(これではあんまりなので、さんすけ、と呼んでました。メスなのに)」。
まあ、その呼び方そのものが名前なんじゃないかというつっこみはさておきます…。

「幼ごころの君」ですが、ドイツ語の原書では「Die Kindliche Kaiserin」だそうです。
ネット翻訳すると、「無邪気な女王」。ううううん?
英語訳では、「The Childlike Empress」らしいです。
やっぱり、「無邪気な女王」「純真な女王」か…。

で、日本語での「幼ごころの君」という翻訳をエンデは大層気に入ったとかいう話を、やっぱりネットで見たような気がするのですが。
エンデのイメージにドンピシャな訳だったとか。
ただ、ううむ、ホントかどうかは定かではありません。

でも確かに、この「幼ごころの君」という翻訳は見事だと思うんです。
というか、ぴったりしすぎて、むしろこれが名前でいいじゃん、と思ってしまうほどに(笑)。
バスチアンは、幼ごころの君に「月の子(モンデンキント)」という名前をつけるわけですが、読んでる私としては、「いやいや、幼ごころの君以外にしっくりくる名前ないでしょ」と思ってしまうのです。

外見は幼い美少女だけども、ファンタージエンの始まりの時からいて、年を取らず、ファンタージエンのものは良いものも悪いものも、美も醜も何もかも分け隔てなくあらしめ、彼女がいなくてはファンタージエンは存在しえず、創造の源、望みを統べたもう金の瞳の君。

「幼ごころの君」で、もういいじゃないですか。
人間の心の中に必ず存在していて、世界の全てをそのままに受け止め、世界に輝きと色を与え、生きていく力を与えるもの。
それ以上の名前、思いつかない。

子供の頃に読んでも、「幼ごころの君」はやっぱり「幼ごころの君」で、大人になって読み返しても、それ以上にふさわしい名前は思いつきませんでした。
ごめんなさい、私には「幼ごころの君」に名前を差し上げることが出来ません(笑)。

訳が良すぎるのも問題ですね(笑)
とはいえ、他の箇所は、昔だからか、読んでいてスムーズじゃないところもあったりするのだけど。
(これは原書の問題かもだけど、やたら「ぐるり」が出てくる・笑)


そんなこんなで、まだ語り尽くせず、次回に続く
posted by みあ at 02:14|

ベーグルクッション購入

メイクヒップスベーグルクッション グリーンティー



見た時から気になっていたベーグルクッションを購入。

開いて使えば骨盤ひきしめクッションや車の背もたれクッションに。
閉じて使えば足枕やテレビ用枕に。

おおっ、これぞぐうたら者の私にふさわしい!

座布団の上に座ってパソコンしてると腰やお尻が痛くなるし、
寝転がって本とかテレビ見てると首が痛くなるのよね〜。かといって、ふつーの枕だと高さが足りないし。これはよい感じの高さだぞ。

しかも!足枕になるとか、なんて至れり尽くせりのクッションなんだ!

…ということで思わず購入。



感想。

これは商品そのものに関してではないのだけど、匂う。臭う、のがふさわしいかも。
包装しているビニールの匂いだろうか?
我慢できなくはないけど、嗅いでいたい匂いではないので、しばらくタオルでくるんで使ってました。
そのおかげか、今では匂わなくなりました。
手っ取り早くファブリー○でもかければよかったかなあ。
私が購入したものだけが匂いがきつかったのか、他の物もそうなのかは謎。

あ、商品の説明に、
「袋から取り出す際に臭いが気になる場合は、日陰で風に十分さらしてからご使用ください。」
とありました。匂いがに気になったら、日陰干ししてください、ということですね。

お尻に敷いてクッションとして使うと、すぐにぺちゃんこになりそうだったので、クッションとしては一度しか使っていません(笑)。

むしろ、テレビ枕とか、本を読む時用の枕として使ってます。
個人的には、枕としての使い心地はいいです。

とうとう、寝具枕の上にのせて、夜寝る用のサブ枕としても使い始めました。

本来、枕にするときは、クッションを二つ折りにして(ゴム?とボタン?がついていて、開かないように固定することが出来ます)、低い部分を手前にして頭をのせて使うのですが、私は夜寝るときは開いた状態で使用しています。

枕には向かない形ではあるのですが、横向きで寝た時と仰向けで寝た時とでは、求める枕の高さが違っているので、ベーグルクッションの中心に頭を置いたり、端っこに頭を置いたりと、寝方によって置く位置を変えています。

暑くなってくると暑苦しくなりそうですが、今のところは問題なし。

今寝ているベッドが古いせいかあんまりよろしくなく、枕が合わなくなるとなかなか快適に眠れないのですが、このベーグルクッションだと色々な高さを試せるので今のところ重宝しています。

まあ、ちゃんとしたベッド買って、枕も合ったものに変えるのが一番いいのだとは思いますが…。下手すると肩こるしなあ。

まあ、そんなこんなで、ぐうたら者の私にはぴったり(?)のクッション(というか枕)でした。

↓腰痛を和らげたいとか、骨盤を整えたいという方には、こちらのがオススメかもです↓

コジット 美整クッション


posted by みあ at 02:11| 日常
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みあ
日々の中で感じたことを、個人的な偏見を交えて語りたいと思います。 本とか、音楽とか、映画とか、いろいろ。
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