そこには2つのパターンがあると思っています。
1つは社会の慣習といった外から入ってくる当たり前という考え方があります。
小さなころの教育から始まり、TVやスマホから入ってくる
流行という名前のトレンドまで含めて
こうすることが一般的に良いことだとされているものです。
もう1つは、そんな外からの影響も含めて
自分でそれを当たり前だと受け止めることから生まれる
内発的な意識から生まれる常識があります。
自分を変えたいと思ったときに
前者である外側からの常識に対して疑問を持つことは大切なことである一方で
もう1つの内なる常識と向き合うことが出来るのか、というところが
壁を乗り越える秘訣でもあると感じています。
内なる常識はこれまでの自分の行動や習慣の積み重ねによって
生まれてきたものであり、今の自分の視点で常識を見つめ直すだけでは
それを意識に上げるには難しいところがあります。
そこで自分の価値観がどこにあるのか、とスポットライトを当てるときには
そこに自分以外の視点から見られることによって浮かび上がってくるものがあります。
価値観という定義には抽象的なものであって
絶対的なものではないからこそ
自分と第三者の当てる視点の違いからどこに差があるのか、を見極める行為に意味があります。
あなたの理想の未来を実際に生きている相応しい方がいるのであれば
そんなメンターとの差を取っていくことから、学びを得ることが近道になるでしょう。
行動や習慣を観察することはもちろんですが
それを支えている思考の原点がどこにあるのか、というところを意識することで
とくに思考の差を取ることが大切になってきます。
自分とメンターの間では、当たり前という基準が違っているところに
気が付かされることがたくさん出てくることになるでしょう!
自分が理想に向かって進んでいくのに
これくらいが当たり前という基準が、メンターとは違っていることを知ることで
今の自分にとって大きなインパクトを受けることもあると思います。
人と比べて競争する必要はありませんが、そこで衝撃を受けてから
その結果を自分がどう受け止めるのか、によって
自分が理想に向けて進んでいくのに、どのようにありたいのか、という姿勢も
変わりはじめていくことになります!
着実にその差がどこにあるのか、を取り続けていくことで
一歩でも自分を変えるための指標を見つけ出すことが
現状の自分を変えていくための第一歩にも繋がります!
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