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2014年12月25日

パニック障害再々発しないために心がけてること

これは私の場合ですが、パニック障害の再々発を防ぐために、休みの日、出かける予定がなくても、必ず外に出るようにしています。

5分でも10分でもいいから、とにかく外に出る。

高熱とかで寝込んだ時とかは別ですけどね。

未だに無気力になる時はよくあります。
何もしたくない、どこも行きたくない。
けど、それでもとりあえず外に出る。
用がなくてもいいんです。
人がいるところに必ず足を運ぶ。
コンビニでもカフェでもスーパーでも。ただ歩いてるだけでもいい。
夕方になっても必ず外出するようにしています。

これは、私が過去に一人じゃ外に出られなくなったから、というのもありますが、大丈夫と思っててもやっぱり不安になるんですよね。

一日外に出なかったらまた再発するんじゃないかって。

そんなことはないとわかってはいても、自分を安心させる為に外に出るようにしています。

けれど、これが割と効果的で、少しでも外に出て、誰かと言葉をかわすだけでも、少し気分が腫れます。
私はよくドトールとかお気に入りのカフェにいくので、店員さんとの注文のやり取り程度ですが、自分以外の人と言葉をかわしています。

ドトールとかカフェでコーヒー飲みながら、気は進まないけど好きな本を読んでみる、それも気が進まなければ携帯をいじる。
それすらも気が進まない時は、ただ黙ってコーヒーを飲む。
けれど、周囲の喧騒があるので、一人じゃないという安心感があります。
知らない人でも、そこにいるだけで、一人だと感じる、一人取り残された感がなんとなくですが減ります。

また、外にちゃんと出られるという安心感を自分に残すことができます。

何をするでもなく、とりあえず外に出て、適当に時間を潰して帰る。

部屋に戻った時は、無気力状態は続いていても、出る前よりは少しだけ気持ちが軽くなります。

だから私は、とりあえず外に出る、を習慣づけてます。

少し軽くなって、でも無気力で、そんな時は以前も書きましたが、リラクセーションCDをただ流して横になりす。

いつの間にか眠ってしまうことも多いですが、目が覚めた時、聴く前よりは気持ちが軽くなっています。

リラクセーションCDも結構買ったので、その時のフィーリングで適当に選びます。

一番聴くのは以前書いたモーツァルトですが、これもよく聴きます。

resize_image.jpg

アイソトニック・サウンド Rain〜雨

雨音を1/fゆらぎで聴くリラクゼーションCDです。
雨の中歩くのは好きではないですが、雨音を聴くのは落ち着くので好きです。

雨が降っているという感じではなくて、ゆったりした音楽の中に混ざっている雨音、という感じで、個人的には雨音だけを集めたCDだと思っていたので、少し残念な感じはありますが、それでもただ耳を傾けていると気づくと落ち着きを取り戻していて眠ってしまうのですよね。

以前、友達に「どうしても不安なときは、なんでもいいから音楽を聴いて、音楽にだけ耳を傾けてるといい」と言われたことがありますが、こういうことだったのかな、と今はなんとなく分かる気がします。

ただ耳を傾けるだけ。
それだけでもいいんです。

少しでも不安な気持ちや落ち着かない気持ち、言い知れない無気力が少しでもおさまりますように。

posted by leicasblog at 17:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 予防

2014年12月24日

パニック障害、自分の現状を理解すること

これはパニック障害だけでなく他の心療系にもとても大事なことだったと今ならわかります。

自分が心療系の発作を引き起こしている事実、それは病気なんだと認識すること。

人によっては受け入れがたいことでもあると思います。

私も抵抗がありました。
それは偏見とかではなく、自分は強いと思っていたから。

親に、気の持ちようだと言われたことがあると以前お話しました。

それは少なからず私もそう思っていました。

心の病気なんだか、気の持ちようでなんとかなる。
私は大丈夫、と。
言い聞かせました。

けれどよくなるどころか悪化していきました。

そして、パニック障害の本を読み、ネットで調べ、根本から自分を受け入れることが出来ていなかったことを知りました。

理解していたつもりでも偏見があったのかもしれません。

強ければ発症しない。
自分が弱いからだ、と。

けれど、強い人ほど心療系の病気になりやすいのも事実なのです。

それは頑張り過ぎて無理をしてしまうから。

本当は悲鳴をあげているのにまだ大丈夫と、知らず鞭を打って無理をしてしまう。

結果ボロボロになり倒れてやっと負荷をかけていたことに気づくのです。

そうすると、休もう、ではなく、自分はこんなものだったのか、と卑下してしまう。

その感情が負の連鎖となって自分に襲いかかってくる。

それにより様々な心療系の病気を発症させてしまう。

パニック障害もその中の一つ。

休むのは決してサボることでないと思っています。

元気になるために必要な時間だと思います。

倒れてしまっても、自分を責めなくていい。
そこまで頑張った自分を褒めてあげていいと思う。
労ってあげて、ゆっくり心も体も休めて、元気になった時、また動き出せばいい。

そして、次はここまでいこう!と気持ちを新たに進めばいい。

休む時間が他の人より長いだけ。

その治すお手伝いをしてくれるのが薬なのです。

頑張り過ぎて、倒れたということは、心がけがをしてしまったということです。

熱がある、とか分かりやすい症状がないから誤解してるだけで、心が風邪をひいてしまった状態がうつ病やパニック障害などの心療系の病気だと思います。

風邪って病気ですよね?
風邪をひいて偏見を持つ人ってあまりいないと思います。

心療系も風邪なのです。
心の風邪。

だから早く治すために心の風邪薬が必要なのです。

ただ、心療系の症状というのは繊細に細かく枝分かれしており、症状の数だけ休ませる方法があり、症状の数だけ治療法も異なります。

休ませ方を間違えてしまうと悪化することになるので、だからこそ、自分の症状、現状をしっかり把握する必要があります。

薬も治療法も、似た症状でも真逆の方法になることが多々あるからです。

きちんと診てもらって、自分の症状を把握し、症状に合った方法を取ることが早期快復の近道です。

その中で、私のパニック障害は薬物療法が何よりも効く方法だったのです。

それでも、薬を飲んでても、感情のコントロールがうまくいかなくて不安になることも、怖くなることも多々あります。

泣きたくなる時も。
私はよく泣き出していました。

けれど、泣くというのは心のデトックスでもある。

大泣きした後は疲れてもいるけど、泣く前よりすっきりしてると感じたことないですか?

私はよくあります。

また、涙って嬉しくても出るものですよね。

状況は違えど、同じ「泣く」行為なのですかは、「泣く」ことは決して悪いことじゃないです。

心がストレス発散する一つの方法でもあるのだから。

だから、私は泣きたくなったら我慢せず、思い切り泣くことにしてます。

人が一生に流す涙の量は決まってる、とよく言われてますよね。

だからたくさん泣いた後は笑顔が待ってると私は信じてます。

2014年12月22日

パニック障害になって良かったこと、学んだこと

良かったこと、というと「え?」と思う人もいると思います。
勿論、2度経験して、治ったからこそ言えることです。

それは、「友だち、仲間、家族の大切さ」を再確認することができたことです。

私は恵まれていたとも思います。
辛い時に支えてくれる友人や仲間が誰かしらいました。

家族も私は理解してもらうことができました。

支えてくれて、見守っていてくれる人がいたからパニック障害の発作が起きて苦しかった時もひとりじゃなかった。
その時は気づきませんでした。

発作が起きた時はただただ不安で、何が不安かも分からなくて…余計不安になって、苦しくて…
怖くて友人に電話をかけては泣き喚いて…
その後に迷惑かけてごめん、と後悔する。
ひとりじゃ抑えきれない自分が許せなくて、罪悪感でいっぱいで…

けれど、発作が起きた時、ただ黙って聞いてくれた友人がいたということ。
とても幸せなことだったんだなと今では思います。

吐き出せる相手が、話を聞いてくれる相手がいたのだから。

発作が起きた時は、世界に自分ひとりのような気がしてしまって、真っ暗闇の中でひとりぼっちのような気がして…

でも、ちゃんと誰かはいたのですよね。
すぐ傍で目に見える位置にいるわけではないけれど、支えてくれる存在が確かにそこにはありました。

それは治ってから気づくことができたことでもあります。

パニック障害になっていなければ、変わらない日常を過ごしていたとも思います。
夜中に電話して友人に迷惑をかけることもなく…
けど、発作の時も、治ってからも変わらずそこに友人がいること、家族がいてくれることがとても幸せなことであることにも改めて気づかせてもらいました。

人との繋がりがとても大切であることは分かっているつもりでいました。
けれど、ここまで強く実感出来たことはなかったと思います。

多くのものはいらない。
私は、もう既に大切なものを持っているんだと気づかせてくれました。

弟の死を聞いた時も友人が駆けつけてくれました。
仕事を休んで一緒に実家に帰ってくれました。
その友人がいてくれたから私はなんとか進むことが出来ました。


そしてもう1つ。
「変わらない日常」
これもとても大切なことだと気づかされました。

パニック障害の時は、ある意味「非日常」でもありました。
その中で、「変わらず過ごせる日常」がどれだけ大切なものか知りました。

あんな生活いいな、こんな風になってみたい、という思うことはたくさんあります。
けれど、パニック障害になって、治ってから、自分がどれだけ恵まれているか知ることができました。

パニック障害を経て、以前より人に優しくなれたきもします。

人との絆、仲間というのは本当に大切なものだと改めて教えてくれたのはパニック障害でした。


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2014年12月21日

パニック障害再発のその後

パニック障害を再発してから、改めてパニック障害を知り、調べ、治ってから、再発しない方法を探すようになりました。
最初治った時、私は完治したと思っていました。
けれど、再発して、パニック障害を改めて調べて、パニック障害は再発するものだということを知りました。

それから、なるべく再発しないようにとストレスを溜めないようにしようとしたり、不安に押しつぶされないようにしようとしたり、そういったことに気をつけるようになりました。

まず、不安になった時は心を落ち着けるようにリラックスさせる方法を探しました。
アロマも試しましたし、日常生活の改善や食生活…
色々試したものの、日常生活の改善はなかなかに困難を極め…
食生活もそううまくはいきません。

未だに続いているのはアロマと、リラクゼーション音楽を聴くということです。

とりあえず不安になった時は、心を落ち着かせる効果の高いリラクゼーション音楽を聴いて横になることにしています。
ピアノの音が好きならこちらをおすすめします。

ショパン

ヒーリング・ショパン


私は割とモーツァルトの音楽と弦楽器の音が一番落ち着くので、私がよく聴くのはこちらですね。

モーツァルト

ヒーリング・モーツァルト

ヒーリング音楽のいいところは、1枚持っているといつでも好きな時に聴けることです。
不眠症になったりもしましたが、その都度、ヒーリング系のCDをよく聴いています。
posted by leicasblog at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 予防

2014年12月20日

弟の突然死

死にたいと思っている人に知っていてもらいたい。

人が亡くなることの意味と残された家族や仲間、友人の悲しみを。

パニック障害再発のブログで書いていますが、再発する1年前、私は弟を交通事故で亡くしています。

誰よりも私を応援してくれて、誰よりも私の味方でいてくれた弟。

存在が突然失われる事実。
母から電話連絡を受けた時、何を言われているのか分からなかった。

10月1日朝5時頃。
今でも覚えています。

朝方鳴った電話。
電話の向こうで泣いている母。

聞かされた弟の死。

目の前が真っ暗になりました。
言われている言葉の意味が分からないのです。

頭では理解してたのかもしれません。
けど、心が追いつかない。

母との電話を切って、私は実家からもう一人上京してきた、下の階に住んでいた友達に電話しました。

すぐに上がってきてくれて泣きじゃくる私をただ抱きしめてくれました。

仕事を休んで一緒に実家に帰ってもくれました。

その時も私は友人に支えられました。

弟は10月1日、入社式だった。
入社式に来ない弟を心配して友人が連絡をくれてました。

私は友人に弟が事故で亡くなったことを伝えました。

弟の友人はすぐに周りの友人に連絡を取り、その日の内に相当の人数の友人を集めてくれました。

弟と一緒に入社式を迎える予定だった子は入社を辞めてしまいました。

私たち家族は事実を受け入れるのに時間がかかりました。

弟を可愛がってくれた祖母もその一年後亡くなりました。

数年経った今でも家族の深い悲しみとして残っています。

私はそれから毎年10月1日が近づくと必ず情緒不安定になります。
弟が亡くなってしばらくは朝5時を過ぎないと眠れませんでした。
また何か起きるんじゃないか…
連絡がくるんじゃないかと不安でした。

パニック障害が再発した時、軽いうつ病も併発していたのですが、私はそれでも死のうとは思わなかった。

うつ病が悪化しなかったのは、家族が突然亡くなる悲しみと苦しみと癒ない傷を知っているからです。

パニック障害やうつ病が重症にならなかったのも、命の重さ、何にも変えることの出来ない命を知っているからだと思います。

パニック障害や鬱病、精神的な病気は言葉では言い表せないほど辛いです。

経験した本人にしか分かりません。

けれど、死ぬことはしないでください。
残されたものがどれほど苦しむか…あなたがいなくなってしまったら、家族や友人は…

暗闇の中にいる間は気づけないかもしれません。
けれどあなたがいなくなったら悲しむ人がいることを忘れないでください。

無理はしなくてもいいです。
けれど、「死」だけは選ばないでください。
「生きていて欲しい」から。

「あなた」に「生きていて欲しい」のです。

2014年12月19日

パニック障害の再発

パニック障害が一応の快復となって4年後。

再びパニック障害になりました。

それまではなんの問題もなく日常を過ごしていましたし、もう大丈夫だろうという思いもあり、パニック障害であったことを忘れかけていました。

再発した要因は、おそらくその時、付き合っていた彼氏。
弟を亡くして間もなかった私は情緒不安定になっていて、励ましてくれた仲間に恋をしました。

けれど、その時、その仲間は、好きな人がいたらしく(これは後で知りましたが)、それでも告白してくれた私と付き合うことにしたということでした。(これも後で知りました)

相手の心が本当の意味で自分のところにない、そんな不安が心のどこかにあったのだと思います。
勘みたないものですが…

更に弟という存在を亡くした1年後という時でもあり情緒不安定になっていた時期でもありました。
支えとして彼氏に依存してしまっていたのも事実です。

1年程その不安と情緒不安定さが積み重なり、そこで出た別れ話もあり、爆発したのだと思います。
また外に出られなくなりました。
ひとりでいるのが怖くて、彼氏に来てもらったりということが増え始めた時でした。

恋が依存に変わっていたせいもあると思います。
そして想いがそばにないという言い知れない不安。
そして決定的な流れ。

けれど、上京した時にはもう心療内科に行っていなかった私はいい病院を知らず…
同じようにパニック障害になったことがあるという仲間の紹介や、クチコミなどで評判だった心療内科などを何件か回りました。

どの病院も合わなくて、もらった薬も合わず、悪化して…
夜、急に泣き喚いたり、不安が膨らみ、過呼吸になり、友人に電話して泣き喚くという日々が続きました。

心がなんとか平静でいられる時には病院の情報集めや、何か身近な方法で直すことができないか調べたりもしました。

そしてやっと合う病院を見つけ、同じようにコンスタンをもらうことにしました。
ソラナックスとかもほかの病院で処方してもらっていたのですが、私には合いませんでした。

今回は症状が以前より酷かった為、初めて薬を飲んだ時よりは量が増えていました。

どうしてまたパニック障害になってしまったんだろう…
治ったんじゃなかったのか…
そんな思いがずっと渦巻いていました。

また、親も理解してくれませんでした。
実家にいた時は、理解してくれる友人がそばにいた為、なんとか日常を過ごせたんだと思います。

その友人もその時はそばにはいなく、実家に帰っていましたので…
親に理解してもらえないのが一番辛かったです。

お前の心が弱いからだ
気の持ちようでなんとかなる

よくそう言われました。
自分の中にもそんな思いがあり、余計に悪化し始めました。

薬を飲んで落ち着いた時、今度は本屋に寄って、どうすればいいだろう、とまた直す方法を探しはじめました。

いくつか目星をつけ、パニック障害に関する本を何冊か購入しました。
そして平静でいられる時はその本を読んで、家族に理解してもらうには…という項目も読み…

パニック障害を受け入れることと、パニック障害は他のどのうつ病よりも薬による処方がよく効くということを知りました。
そして実家に帰った時、パニック障害に関係する本を、わざと見える位置に置き忘れていきました。

私が戻ったあと、それを読んでくれたらしい両親は、心療内科に通うことの意味、薬を飲み続けることの意味、パニック障害について知ってくれたそうです。

その後から、弱い、とか気の持ち用といった言葉は出てこなくなりました。

むしろ病院にちゃんと行っているか、状態はどうか、といったことを気にしてくれるようになりました。

それもあって、今回も3ヶ月ほど薬を飲み続け、自然と薬の量が減っていき、5ヶ月ほどしたころには薬を飲まなくても日常を過ごせるようになり、いきなり騒ぎ出すこともなくなりました。

問題の彼氏と別れたあとから一気によくなったというのもあります。
依存していた自分も知り、別れを受け入れ、しばらくは食事も喉を通らくなりましたが…
事情を知っている別の友人が私を積極的に外に連れ出し、話を聞いてくれたりしたのも大きいと思います。

お陰で症状もなくなり、今では問題のない日常を過ごしています。


パニック障害とうまくつきあうルール

パニック障害からの快復 こうすれば不安や恐怖は改善できる

2014年12月18日

人ごみは避け、どこかに行く時は誰かと一緒

心療内科に行って、薬をもらってから、1日3回、それと不安が膨らみ、情緒不安定になった時に飲むというのを毎日やっていました。

それでもやっぱり1人で外に出ることはできなくて…どこに出かけたいと思った時は友人に一緒に行ってもらいました。
親は昼間は仕事しているので、その時、その友人は、丁度バイトがシフト制で、平日の昼間が割と空いているということも多く、家族がうつ病になっているのもあり、理解してくれて連絡すれば一緒に出かけてくれました。

薬を飲んでいても、人ごみ…スーパー程度の人ごみでも頭痛が酷くなることがしばしばあったので、その時はもらった頭痛薬を飲むようにしていました。

そんな感じで1人で出かけることはできなく、誰かと一緒じゃなければ外に出ることはできなくなっていた日々が続いていました。


薬を飲み始めて2ヶ月くらいして、東京の体験学習に行くことが出来るようになりました。
勿論、電車に乗るのはできなくなっていたので、車で行きました。

東京に住んでいる従姉妹の家に泊まらせてもらうことにして、車も従姉妹の家の近くに止めさせてもらいました。
電車では出かけられないけど、車ではなんとか出かけられたのがまだ軽いゆえの救いでもありました。

移動が1人というだけで、同じ体験学習に行く友人がいたので、その友人とは現地で合流しました。
次の日は、別の友人がイベントで東京に来ているとのことだったので、1日だけ我慢すれば次の日は1人じゃないという安心感もあり、なんとか外に出ることが出来るようになりました。

薬は3ヶ月ほど飲み続け、とりあえずは1人で出かけられるようには復活し、そのあとはやりたいことがあったので、上京して、勿論最初の頃は薬を飲み続けていました。

都内だと、電車が止まっても何かしらの手段で乗り換えが出来、電車に閉じ込められる心配がないという安心感があったからだと思います。

また、一緒に出かけてくれた友人も、上京して働くという目的があったため、一緒に上京し、隣同士の部屋に住むことになりました。

ひとりじゃないという安心感もあり、その後、薬を飲む頻度は自然と減り、一応の快復となりました。

一応というのは、その時は勿論完治した!と思っていたのですが、その4年後再発することになったからです。







2014年12月17日

初めてパニック障害になったのは21歳の時

きっかけはささいなことでした。
専門学校を卒業して、派遣で仕事をしていた時。
派遣されて間もない時期だったのですが、強風で電車が止まってしまったのです。

実家を通っているのは常磐線だけで、その常磐線は風に物凄く弱く、強風でよく止まります。

就業後、電車に乗った時、強風で電車が運転見合わせになりました。
風が物凄く強かったので、親に迎えに来てもらうのにも車も危なそうだし…ということで、通常15分で最寄駅まで行けるところを、この日は会社最寄り駅の電車の中に閉じ込められることになりました。

扉は一部空いていたのですが、外に出ても風が強いし、12月も下旬の冬で寒いし、田舎なのでどこにもいけないしで電車の中にいるしかなく…

電車が動いたのは約2時間後。
動き出したものの、徐行運転等で最寄り駅についたのは更に1時間後…

駅について、車で家に帰りつた頃にはぐったりして疲れてしまいました。

その次の日から異変が起こり始めました。
最初は外に出る時、気持ちわるいな…くらいだったのですが…
冬だし、寒いから外に出たくないだけだろ、とその日は仕事に行きました。
けれど、同じ症状がまた次の日も続くことに。

起きて、仕事へ行く支度をしても、吐き気が酷く、なかなか外に出ることが出来なくて休むことにしました。
その後も、数日休んではなんとか仕事に行き…
1週間の中で2日くらいしか外に出られなくなりました。

そして年末年始。
車で外に出る分にはなんの問題もなく、年末年始は無事過ごしました。
けれど、年明け、電車に乗って仕事に行かないといけないとなると外に出るのが怖くなっている自分に気づきました。

年明け早々仕事を休み、そのあとも仕事に行くことができなくなり、契約は解除することになりました。

仕事を辞めてから、今度は外に出られなくなりました。
1人では出ることができなくて…誰かいれば外に出ることが出来るのですが、1人では出ることができなかったのです。

何かおかしいなと思いつつも原因がわからなくて…
そんな時、私が1人で外に出られないからと外に出るときは一緒に出かけてくれた友人に、心療内科に行ってみることを勧められました。

友人の家族は、友人以外みんなその心療内科に通っているとのことで…
最初は抵抗もあったものの、友人が一緒に行ってくれるとのことだったので、初じめて診療内科に行くことになりました。

心療内科がある病院自体は、元々内科と産婦人科があって、子供の頃から通っていた病院だったので、病院に行くこと自体はそこまで抵抗はありませんでした。

なんでも、内科の先生の息子さんが心療内科を開いたとのことで…

友人と一緒に心療内科に行き、話を聞いてもらい、判断された症状が…

「パニック障害」

でした。

電車に2時間以上閉じ込められたことにより、同じことがいつ起こるかと不安になり、その不安が大きくなって情緒不安定になるといった状態でした。

その時もらった薬は、コンスタンと頭痛薬。
人ごみに入るのもその頃から頭痛や吐き気がするようになっていたので…

ただ、私はまだ軽い方だから、と、コンスタンは半錠で出してもらうことになったのです。

これが初めてパニック障害と出会った時でした。







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