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2019年02月11日
十把一絡げズ 第63回 「鎌倉時代」
こんにちは、酒保です。
今回は鎌倉時代について書いていきます。
鎌倉時代は平安時代のあと、室町時代の前に当たる、鎌倉(今の神奈川県)に政治の中心があった時代です。
鎌倉時代にもいろいろなことがありました。
まずもって、一番大事なことは武家政治の土台ができたことでしょう。
鎌倉幕府の成立によって、武家が政治を行うということがおかしなことではなくなります。
これがなければ、以降の室町幕府、江戸幕府もなかったでしょう。以降の政治は、鎌倉幕府の政治を手本としていますからね。
次に、元寇という対外戦争が起こったことも重要です。
この戦い、勝利したからよかったものの、負けて入れば日本終了、中国(モンゴル)の一部となる未来もあり得た大変なものでした。
結局、この戦いが鎌倉幕府衰退の一因となってしまいましたが、勝利をもたらした北条時宗は文句なしの偉人でしょう。
そして、教科書には書かれていませんが、地味に大事なことは、武家政治となってからも天皇を頂点とする形を崩さなかったこともあげられると私は思います。
天皇が権威を、将軍が権力をと分けて考えることで、将軍は天皇を利用して政治をやりやすくしていたことは事実でしょうが、天皇家を滅ぼして日本の王となることも可能だったでしょう。
実際、中国やヨーロッパではそういう事例に欠きません。
しかし、それをせずに天皇家を残したことで、世界で最も古くから続いている天皇家の血統が絶えることがありませんでした。
実をいうと、私にとって鎌倉時代最も重要なことは最後に話をした国体の保持だったりします。
鎌倉時代に天皇家が滅ぼされなかったおかげで、天皇が政治権力を時の権力者に委任し、政治の実権を握るという古代からやってきた日本の形が崩れなかったのですから。
途中より鎌倉時代の話ではなくなってしまいましたが、皆さんも日本にしかない王と民の形をぜひ調べてみてください。きっと日本のすごいところを再発見できると思います。
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十把一絡げズ 第62回 「源義経」
こんにちは、酒保です。
今回は源頼朝の弟、源義経がテーマです。
義経が歴史の表舞台に出てくるのは、頼朝が挙兵した後です。
頼朝の挙兵を聞きつけて、兄の助けになろうとはせ参じたわけですね。
そして、頼朝と対面した後、平氏との戦いに参加していきます。
有名な戦いとしては、「一の谷の合戦」や「屋島の戦い」、「壇ノ浦の戦い」があります。
一の谷の合戦では、「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」と呼ばれる急斜面を駆け降りる奇襲戦法で平氏を打ち破り、大きく名をあげました。
しかし、その後、頼朝から命じられた京都での治安維持の間に、義経は後白河法皇から検非違使(けびいし)・左衛門少尉を叙任されてしまいます。
義経は朝廷に認められて源氏の名を上げられたと思ったかもしれませんが、これにより、頼朝が激怒。
勝手に朝廷から官職を受け取り朝廷により政治権力を削られることや、弟が勝手に官職を受け取って頼朝の顔に泥を塗ったことなど頼朝にとって不都合なことばかりでした。
結局、何度か和解のチャンスはありましたが、それらを生かせず、頼朝は義経が裏切ったと思い込み、義経は頼朝の期待を裏切り続け、最終的に奥州(現在の岩手県)にて討たれます。
義経も頼朝を裏切ろうと考えていたわけではないでしょうが、結局政争の具となってしまった形でしょうか。
この悲劇性と当時義経の人気が非常に高かったことなどから、様々な物語となって語り継がれています。
それどころか、実は生き延びてチンギス=ハンとしてモンゴル帝国を作ったという説すらあります。
判官びいきという言葉の元にもなった源義経は、実に日本人が好む物語性をもった人生を歩んでいきました。
正直、下手な小説よりも読みごたえがあるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
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2019年02月10日
十把一絡げズ 第61回 「源頼朝」
こんにちは、酒保です。
今回は源頼朝をテーマにしていきます。
源頼朝は最初の武家政権を確立した人物です。
征夷大将軍になって幕府を開くことで武家政治を行う、という形は頼朝から始まりました。
源頼朝は平治の乱において、ほかの源氏が処刑される中で伊豆への流刑となります。
しかし、伊豆の監視担当は北条時政などです。北条といえば、頼朝の奥さんの実家です。監視は全く意味がないですね。
結局、20年ほど伊豆で機を待ち、挙兵します。
そして、勝ったり負けたり紆余曲折はありますが、最終的に壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼします。
鎌倉幕府を開いたのはこのころですね。
その後義経追討や奥州藤原氏を滅ぼし、享年53歳でこの世を去ります。
その死は不明瞭なところが多く、吾妻鏡という書物の中にも書かれていません。
頼朝のすごいところは、その後の武家政治の土台を作ったところです。
その政治は、武家諸法度などの法のもととなり、江戸時代まで参考にされました。
しかし、ハイスペックな弟や頭の上がらない奥さんに囲まれ、大変そうな人生でもあります。
中学歴史の中では触れない偉人1人1人の人生も、調べてみるとそれまでのイメージから大きく変わるかもしれません。
こういったことを知ることも、歴史に触れる醍醐味ですね。
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2019年02月07日
十把一絡げズ 第60回 「平清盛」
こんにちは、酒保です。
今回は平清盛がテーマです。
平清盛は武士として初めて朝廷の最高の役職である太政大臣になり、政治の実権を握りました。
権力の握り方は、娘を天皇の后にして、一族も高いくらいや役職を占めるなど、若干藤原氏をほうふつとさせますが、行った政策はかなり重要です。
その中でも最も重要なことが、瀬戸内海の航路や摂津(今の兵庫県)の港を整備し、中国の宋と盛んに貿易を行ったことです。
これにより、宋銭が大量に輸入され、宋銭をもとにした貨幣経済が部分的に導入されました。これにより、経済は活発化し、清盛の軍資金にもなりました。
また、この貿易は平家滅亡後も続きました。そのため、鎌倉時代にも宋との国交はないものの貿易は行われ、商人や僧が行き来するなど、大陸との交流が活発になりました。
とはいえ、平清盛はやはり調子に乗ります。
「平家にあらずんば人にあらず」とはまで言われた権力は、貴族や寺社、諸国の武士たちの反発を招き、結局反乱を起こされることとなります。
平治の乱で、清盛が見逃して伊豆に流した源頼朝が中心となった挙兵です。
このころになると清盛は病でこの世を去っていますが、結局滅亡の種を積みきれなかった清盛の失策となるのでしょうか。
こういった歴史のつながりは、探してみると至る所にありますが、そういった関係性を見ていくことも歴史を学ぶときの面白さなのかもしれませんね。
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2019年02月05日
十把一絡げズ 第58回 「保元の乱、平治の乱」
こんにちは、酒保です。
今回は「保元の乱」と「平治の乱」を行いたいと思います。
先に起きたのは保元の乱。
保元の乱は、院政に関する争いです。
院政下では上皇が政治の実権を握ります。しかし、保元の乱では崇徳上皇と後白河天皇の戦いとなりました。
その原因は、崇徳上皇の父であった鳥羽上皇による冷遇と権力争いに敗れたことだといわれています。
そこに、院政で落ち目であった藤原氏が摂関政治の復活を目指して絡んでいきます。
結局、後白河天皇が戦いに勝利し、崇徳上皇は讃岐へ流されることとなりました。
これにより、後白河天皇の世の中になっていったのです。
しかし、これでめでたしとはなりませんでした。
後白河天皇は上皇となり、院政を敷きます。しかし、その中での権力争いとして、藤原通憲(みちのり)と平家、藤原信頼(のぶより)と源氏がそれぞれ結びつき、争います。結局、通憲は自殺に追い込んだものの、武力に勝る平家が信頼らを滅ぼし、源氏を倒しました。
これにより、源義朝は死に、その子どもである源頼朝を伊豆に流しました。
この二つの乱を通じて、武力によって様々な争いが解決できるということが示され、武士の立場、特に平清盛の地位と権力は急速に高まっていきました。
これら二つの争いは、当時の権力者が二つに分かれ、政治の実権をかけて戦ったものです。
後に行われる応仁の乱や関ケ原の戦いと同じよう構造となっているということですね。
正直、世界中で争いの原因などこんなことばかりなので、戦いになった原因よりも、これらの戦いによってその後の社会がどのように変化したかをしっかり覚えていきましょう。
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2019年02月04日
十把一絡げズ 第57回 「院政」
こんにちは、酒保です。
今回は白河天皇が行った院政について取り扱っていきたいと思います。
院政とは、位を譲った天皇が上皇となったのちも政治の実権を握り続けることです。
これを行った白河天皇は、藤原氏を外戚としてもたない天皇です。白河天皇の父である後三条天皇は170年ぶりに藤原氏を外戚に持たない天皇でした。そのため、藤原氏に遠慮することなく、様々な改革を行うことができました。
白河天皇もその流れをくんだ天皇です。
藤原氏を外戚に持たないことで、藤原氏の摂関政治とは対立をしていくことになります。
後三条天皇も白河天皇もだいぶ圧力をかけられたようです。
しかし、藤原氏の摂関政治への回帰を阻止するため、白河天皇はたった4歳の息子に位を譲り、その後は上皇として政治の実権を握りました。
その後、摂関政治は衰退し、院政がしばらく続くこととなります。
院政下では、後継者をあらかじめ天皇として即位させてしまうことから、それが強力な跡継ぎの使命となり、跡継ぎ不明のまま争いになる、という状況になりにくいという側面もあったようです。
なんにせよ、政治の実権は失っても、院政自体は江戸時代まで残り、明治時代の皇室典範によって天皇の譲位が禁止されるまで続きました。
そして、平成31年をもって、明治時代以降初めての譲位がなされる予定となっています。
譲位後の天皇陛下の呼び名であったり、立場であったり、今回の譲位を国民が認めるにあたって様々なことが話し合われていたことを覚えているでしょうか。
天皇制について国民がしっかり理解し、話し合うことができる場ができていた近年はとてもよい状況だったと思います。みなさんも、天皇陛下がどのようなことを行っているのか、なぜ天皇陛下が尊ばれているのか、譲位が行われる4月30日に向けて、調べてみてはいかがでしょうか。
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2019年02月02日
十把一絡げズ 第56回 「源氏と平氏」
こんにちは、酒保です。
今回は源氏と平氏についてがテーマです。
平安時代の後期、10世紀には地方の政治が国司中心と移り変わっていたころであり、それ以前やその変化によって社会は混迷を深めていました。
そんな中で各農村は自分の身は自分で守るという必要に駆られ、農村の有力者は一族や従者を武装化させていきました。彼らは、馬に乗り、弓矢を使って武士として争いを繰り返し、国司に対抗することもありました。
こういった武士が、互いに連合しながら武士団を形成していったのが、平安後期の出来事です。
そんな中でも、特に力を伸ばしていった武士団が、源氏と平氏をかしらとする武士団です。
彼らは、京都で貴族の護衛や警察の仕事を行って、実績を積み上げていきました。
そして、これら2つの武士団が、さらに勢力を伸ばすきっかけとなったのが、10世紀の中ごろに関東で起こった「平将門の乱」と西国で起こった「藤原純友の乱」です。
これらを抑えたことにより、源氏と平氏は押しも押されぬ大勢力へと成長していきました。
そうして、社会の混乱と争いを背景として、武士が成立していったのです。
この後の、12世紀には平清盛が頭角を現し、武士としては初めて太政大臣になります。
結局、争いが絶えないことで、軍事力を背景とした武士たちが物理的、政治的に力をつけていくことは時代の必然だったのでしょう。
武士による世の中になったことは、歴史上重要な出来事だったと思いますが、その背景として争いの絶えない時代であったことを考えると、少し複雑な気持ちになります。
中国や韓国、北朝鮮とGDP比での軍事費が多い国に囲まれた現代日本も、この時代の貴族たちのようにならないよう、気を付けなくてはいけませんね。
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2019年02月01日
十把一絡げズ 第55回 「浄土の教え」
こんにちは、酒保です。
今回は浄土の教えがテーマです。
国風文化で様々な文学作品が世に出される一方で、10世紀は疫病などにより人々の不安が高まった時代でもありました。
そんな中で、念仏を唱え阿弥陀仏にすがれば、死後には極楽浄土に生まれ変わることができる、という浄土の教えを説く僧が現れました。
そもそも、浄土の考え方は7世紀前半には日本に伝わり、阿弥陀仏の像が盛んに作られていました。
これが社会不安などを背景として、強く受け入れられます。
特に平安時代後期には、「末法」と呼ばれる「どんなに修行をしても悟りを開けなくなる時代」が到来したため、これが災害や戦乱が頻発する現状と合わさり、世界の終わりを感じさせて、社会不安が増大したのでしょう。
現世での救済が望めないことから、死後の救済を望み、それが極楽浄土へのあこがれにつながったのだと思います。
この後、鎌倉時代に入ってこういった信仰はだんだんと別の形に変化していきます。
しかし、その根底にあるのは救済されたいという生きることがつらい人々の切なる願いです。
そういった感情の受け皿となる機能は、現代の宗派、宗教でも同じなのかもしれませんね
2019年01月31日
十把一絡げズ 第54回 「平安時代の作品」
こんにちは、酒保です。
今回は、平安時代に書かれた文学作品について触れていきましょう。
かな文字が誕生した国風文化で、とくに有名な作品は源氏物語と枕草子でしょう。
これらは、国語の教科書にも古典として載っているほどです。
源氏物語というのは、紫式部が書いた小説です。
早くに母を亡くした光源氏が様々な女性と恋をしながら、母とよく似た紫の上という少女を引き取って育てつつ、浮世を流す、といった内容です。簡単に言ってしまうとマザコン、ロリコンの浮気性というかなりひどい男になりますが、こういった古典文学に触れる時に気を付けなくてはいけないのは、当時の世の中の常識を知っておくことです。
この小説はのちの世にまで大きな影響を与え、様々な人が読んだというのだから、彼は受け入れられるキャラクターだったと想像することもできます。現代では、平安の貴族社会を表した資料ともみられ、貴重かつ重要な文芸作品になっているようです。
一方の枕草子は、清少納言が書いた随筆です。
「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて紫だちたる雲のほそくたなびきたる」の歌いだしで有名ですね。
随筆というのは、そのときの感情や気分、考えたことをつらつらと書き述べたものです。
そのため、枕草子は小説のように起承転結もなく、論文のように結論もありません。
ただ、「春は夜明けがよい。だんだんとあたりが白くなっていき、山の上のほうが明るくなり、紫色に染まった雲がたなびいている様子がよい」と自分の好きな風景を語っているだけです。
他にも、「すさまじきもの」「心ときめきするもの」など、様々なテーマで自分の思うことを書き連ねています。
どちらの作品もその後の日本文学に与えた影響は大きく、今回取り上げなかった土佐日記や古今和歌集と合わせて、覚えてもらいたい4作品となっています。
興味を持った方は、ぜひ現代語訳でも読んでみてもらえると、周囲に自慢もできますし、教養が深まった気分にさせてくれると思いますよ。
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2019年01月30日
十把一絡げズ 第53回 「かな文字」
こんにちは、酒保です。
今回はかな文字についてやっていきましょう。
かな文字は現在のひらがなやカタカナです。
もともと、日本語を表記するために漢字の音を借用して用いられた万葉仮名というものがありました。
これは、万葉集でもつかわれているものです。
しかし、そこからさらに一歩進み、漢字を崩したり、一部のみを使用することでさらに書きやすい文字を作り出したのが、当時の日本人でした。
これにより、日本人は当時の話ことばそのままで文章を書くことができるようになります。
自分の母国語をそのまま文字としてあらわすことの利点は、複雑かつ繊細な考えや感情を自由に表せるようになることです。
現代にたとえて言うならば、英語で手紙を書くことと日本語で手紙を書くことを比較して考えてもらうとよくわかるのではないでしょうか。
お互いに英語は異文化の言葉です。伝えたい気持ちに適する言葉が見つからなかったり、誤解のもととなってしまったりする恐れがあります。
それに対して、お互いの母国語である日本語で書いた手紙はそのリスクがはるかに少ないと納得できるのではないでしょうか。
私は、このかな文字の登場によって、中国文化からの完全な脱却を果たしたと考えています。
古墳時代の雄略天皇は、朝貢をやめ、中国から与えられていた暦や法を独自に作っていくことを決断しました。
これにより、日本が中国の一部とならずに済んだという考えもあります。
そして、その集大成として、中国から与えられていた文字を、日本独自のものに昇華させたかな文字は、日本が中国とは全く関係ない新しい文化を作っていく歴史の始まりにあたるのではないでしょうか。
そのように考え、かな文字の登場は日本の歴史上重要なポイントだったと、私は信じています。