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2019年03月05日
十把一絡げズ 第72回 「承久の乱戦後処理」
こんにちは、酒保です。
今回は承久の乱による社会への影響がテーマです。
承久の乱の影響は大きく分けて下記の3つです。
・上皇らを追放した。
・京都に六波羅探題をおき、朝廷を監視した。
・上皇に味方した公家や西国の武士の土地を没収して、新たに東国の御家人をその土地の地頭に任命した。
→これにより、幕府の支配が西国まで及ぶこととなった。
中学校の歴史ではこの3点を覚えておけばOKです。
それ以外では、これにより朝廷が鎌倉幕府にはばかって細かいことまで指示をうけることとなりました。
その指示は皇位継承にまで及び、後醍醐天皇が不満を持った文保の和談につながります。
文保の和談は後深草天皇の子孫(持明院統)と亀山天皇の子孫(大覚寺統)の両血統の天皇が交互に皇位を継いでいくという合意です。
実際は合意していなかったという説もありますが、鎌倉幕府にはそれを強要する力を持っていたことは確かでしょう。
結局、承久の乱の影響はかなり大きく、社会の構造は大きく変わりました。
教科書では割と簡単に書かれていますが、その影響はしっかり覚えておく必要があるでしょう。
戦いがあった時には、「原因」「結果」「影響」の3点をしっかり抑えておくのが歴史の勉強の鉄則です。また、1つの戦いの終わりはほかの戦いの始まりだったりしますので、そのつながりを見つけていくことは有意義なものとなるでしょう。
歴史の勉強の参考として見てください。
2019年03月01日
十把一絡げズ 第71回 「承久の乱」
こんにちは、酒保です。
今回は承久の乱がテーマです。
承久の乱は、源氏の将軍が絶えたことを好機と見た後鳥羽上皇が、順徳上皇と土御門上皇とともに幕府に対して挙兵したことで始まった戦いです。
有名なのは、このときに北条政子がぶった演説ですね。
「武士たちは、以前は3年の都の警備を終えたとき、費用を使い果たしてとぼとぼと歩いて帰ってきたではないか。頼朝公はそれを哀れに思い、3年を半年に縮め、生活が成り立つようにされたのだ。
この情け深い御心を忘れて、京都に味方するのか。それとも鎌倉にとどまって、将軍家に奉公するのか。
今はっきりと申してみよ。」
この演説を聞いた御家人は感動し、鎌倉幕府の見方をしたといわれています。
以前にもお話しした通り、鎌倉時代の御家人は割とドライな関係を結んでいました。
実際、この時も政子が演説をする前までは、勝ちそうなほうに味方しようと思っていた人もいたそうです。
結局、鎌倉幕府に味方した大量の御家人たちにより、後鳥羽上皇たちは敗北しました。
演説による戦意高揚や鼓舞には意味があると思いますが、これほど勝利に影響を及ぼしたものは思いつきません。
正直、北条政子はあまり好きではないですし、教科書でも重要視されていませんが、そのあとも武家政治が続いた理由の一つではあったかもしれません。
政子がいなければ、歴史は大きく変わっていたかもしれませんね。
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2019年02月28日
十把一絡げズ 第70回 「執権政治」
こんにちは、酒保です。
今回は執権政治についてです。
執権とは鎌倉将軍の補佐を行う役職です。
しかし、3代目将軍源実朝が暗殺されて源氏の将軍が途絶えたあとは、執権が政治の実権を握っていきます。
朝廷や摂関家から鎌倉殿を迎え、それをお飾りにして執権が政治を行っていくような形です。
この執権政治は鎌倉幕府滅亡まで続きます。
初代執権である北条時政。
御成敗式目を作った北条泰時。
元寇への対応を行った北条時宗。
最後の執権北条高時。
有名どころではこのくらいでしょうか。中学校で覚えるのは時政、泰時、時宗の3人です。
この執権政治、北条氏による独裁と思われがちですが、末期を除いてその意思決定には合議制が採用されていました。
合議制というのは、複数の人の会議によって意思決定がされる形式です。鎌倉幕府では、有力御家人による合議制だったといわれています。
結局元寇の後から得宗専制と呼ばれる執権の独断政治が始まります。
そのため、執権政治=独裁という考えも、まったく間違っているわけではないですが、初期の鎌倉幕府においては御家人の意見を聞いて政治を行うこともあったことは覚えておきたいですね。
また、少し話はずれますが、独裁政治と専制政治の違いは、教科書では取り扱われていない内容です。
違いのキーワードは身分です。専制政治は身分が高い人が独断政治を行うこと、独裁政治は身分が高くない人が独裁政治を行うことを指します。
つまり、エリザベス1世などの王様がやるのが専制政治、ヒトラーなどの一般人がやるのが独裁政治、という感じです。
教科書では特に説明もなく「専制政治」と「独裁政治」が入り乱れて使われていますが、しっかり違いを覚えることで教科書の内容をよく理解することができます。
これは社会科に限った話ではありませんが、わからない言葉が出てきたらきちんと調べるようにしましょう。それが、理解を深め、その教科の成績を上げる1つの方法だと私は思います。
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2019年02月27日
十把一絡げズ 第69回 「武士の暮らし」
こんにちは、酒保です。
今回は鎌倉時代の武士の暮らしということでやっていきます。
鎌倉時代の武士は、農作物なども作っていました。
武芸一辺倒というわけではないのですね。
しかし、だからと言って農民と同じ生活をしていたわけではありません。
将軍から声がかかれば奉公しなくてはいけないので、武芸の訓練にも励んでいました。
そのため、武家の屋敷には弓矢の的や馬小屋などがあり、訓練をする環境が整えられています。
教科書などでもつかわれている絵図を見ると、その他にも塀や堀で囲われていること、鷹を飼っていたこと、門番などがいたことなどがうかがえます。
それ以外の仕事としては、将軍から任じられた地頭や守護としての仕事などもありました。
結構忙しい感じだったのですね。歴史を学ぶ上で、もっとも面白いのは戦いや事件などの「大きな出来事」だと思います。
しかし、こういった普段の生活というのも、調べてみると面白いものがたくさんあります。
最近ではトイレの歴史についての漫画が紹介されていましたが、他にもお酒やお菓子、ゲームなど、細かく分類したうえでの歴史なんかも面白いものがあります。
みなさんも、自分の好きなものの歴史を調べてみると、新しい楽しさを発見できるかもしれませんよ。
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2019年02月25日
十把一絡げズ 第68回 「封建制度」
こんにちは、酒保です。
今回は封建制度について話していきましょう。
封建制度とは、土地を仲立ちとした主従関係のことです。
先日のテーマである御恩と奉公がまさにその関係ですね。
この封建制度はヨーロッパや中国など広くで見られます。
ヨーロッパでは、国王と諸侯、諸侯と騎士の間が土地を仲立ちとして結ばれています。
土地を仲立ちとした主従関係というのは割と国際的にみても一般的な考え方だったといえるでしょう。
しかし、日本において若干他とちがうところがあるとすれば、結ばれているのは天皇(王)と貴族(諸侯)ではなく、将軍と御家人だった、という点です。
そのため、鎌倉時代の歴史をひも解く有力な資料である、吾妻鏡という書物の中では、貴族の立場から守護・地頭の設置を反対されたということが書かれています。
国際的に一般的なことでも、やはりそれぞれを取り上げてみればそれぞれの国で別々の事情が見え隠れしています。
それは現代でも同じことです。
地理や公民はそういったところに焦点を当てた科目ですので、どこが同じなのか、どこが違うのかをしっかり見据えて、学習をしていきましょう。
2019年02月24日
十把一絡げズ 第67回 「御恩と奉公」
こんにちは、酒保です。
今回は御恩と奉公をテーマにしていきましょう。
御恩とは、鎌倉将軍が御家人に土地を与えたり、先祖から伝わる土地の所有を認めること。
奉公とは、御家人が将軍に忠誠を誓って戦うこと。
ここで大切なのは、御恩とは「褒美」ではあるけれど、「お金」或いは「宝」ではないということです。
あくまで「土地」を媒介とした褒美なんですね。ここを間違えるとテストでもを食らいますよ。
なぜ土地を媒介とするのか、というと土地があればすべてがそろうからです。
ここでいう土地は、土地と人民がセットとなっていますので、そこからは毎年収入があります。
そして、そこには税を徴収するための仕事(地頭)やそこを納めるための軍事力(守護)が必要となるため、役職もあります。
また、先祖代々の土地を認めてもらうことで、よそ者に取られて不本意な統治を受けることもなくなるわけで、土地をもらうことには大きな利があったと見れるでしょう。
ただ、昔学習したことをうろ覚えで書いているところもあります。
今回のテーマとしては、前半のみで中学の歴史としては完全となります。それ以降の話は今回裏付けが取れなかったので、半分字数稼ぎです。
とはいえ、こういった歴史の「なぜ」「どうして」を考えることには大きな意味があります。
「なぜ」「どうして」と思うことを自分で調査することが、歴史に限らずすべての学習を面白くする唯一の方法です。
皆さんも、ぜひ不思議に思ったことに仮説を立てて、調べてみるという勉強を試してみてください。
2019年02月23日
十把一絡げズ 第66回 「御家人」
こんにちは、酒保です。
今回は御家人がテーマです。
何かと忠義にあふれるイメージを持たれる御家人ですが、鎌倉時代の将軍と御家人の関係は意外とドライでした。
将軍と御家人は、戦う代わりに褒美として土地をもらう、土地をくれないならば言うことは聞かない、という程度のつながりです。
もちろん、現代人が自分の会社に帰属意識を持ったり、簡単には転職しなかったりするのと同様に、御家人も不満があればすぐに反旗を翻す、というほど忠義がなかったわけではありません。
しかし、武士のイメージとして持っている、「どんな不利益があっても、主君の為にすべてをささげる」というような忠義者ではないのは確かでした。
そもそも、「やあやあ我こそは〜」という名乗りも、多くの褒美がもらえる「先縣」や「一番槍」の功績を認めてもらいやすくする目的があったともいわれている。
鎌倉時代末期の元寇でも、「元軍に名乗りをあげている間に攻撃されているあほ」という評価も聞こえますが、あれは味方に武功を認めてもらうために、名前を覚えてもらうためにやっていたのかもしれないし、実際にそれによって恩賞をもらうための証人となってもらった例もあるようです。
そして、結局恩賞を与えることができなくなったところで鎌倉幕府は滅亡するわけなので、忠義にあつい鎌倉武士のイメージはあまり正確ではないのだろうと私は思います。
もちろん、そういった人もいたと思いますが、一致団結してことに当たるより、一所懸命に自分の領地を守るのが御家人である、という方が私のイメージに近いです。
調べてみると別の側面や、別の受け取り方が出てくることはよくあります。皆さんも、今回の話で御家人について興味を持ってもらえると嬉しいです。
2019年02月22日
十把一絡げズ 第65回 「征夷大将軍」
こんにちは、酒保です。
結局インフルエンザということで、しばらく動けませんでしたが、ようやく復活できました。
再出発の今回は征夷大将軍がテーマです。
実は太字語句としてはもっと早く、藤原氏より先に出てくる征夷大将軍。
私の見落としのせいで、鎌倉時代での紹介となりました。
さて、皆さんは征夷大将軍といわれて誰を想像するでしょうか。
坂上田村麻呂?源頼朝?足利家のだれか?それとも戦国の雄、徳川家康でしょうか?
歴史上様々な人が任命され、日本を動かしてきました。しかし、歴史上初の征夷大将軍は、大友弟麻呂(おおとものおとまろ)という人です。
全く聞き覚えのない人が出てきましたね。歴史の教科書では、ある程度大きなことをした人は取り上げますが、初めてその役職に就いた人や初めて行われたタイミングをあまり取り上げない傾向があります。
征夷大将軍のほかにも、初代天皇なんかもスルーされている一人ですね。初代天皇を聞いて生徒が「卑弥呼」「推古天皇」「聖徳太子」などと答えることも慣れてきました。
閑話休題、征夷大将軍とはもともと征夷、東北地方にいる蝦夷征伐を指揮する立場でした。
しかし、源頼朝以降その意味は変わっていきます。
・ただ単に、「大将軍」という点に目をつけて、武士の棟梁であることを強調して使われている説。
・地方を統治する権力も征夷大将軍にはあったことから、政治の実権を握るために就任した説。
いくつかの説がありますが、頼朝以降の征夷大将軍には、蝦夷討伐という意味合いはほとんどありません。
しかし、名前を変えずに本質を変えて現状に対応する、ということは日本人の得意技。
いつものことと思いながら、征夷大将軍という語句や就任した人たちのことを覚えていきましょう。
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2019年02月15日
2019年02月14日
十把一絡げズ 第64回 「鎌倉幕府」
こんにちは、酒保です。
今回は鎌倉幕府がテーマです。
この鎌倉幕府は、源頼朝が征夷大将軍に任命されたことで開かれた幕府です。
しかし、1185年には国ごとに守護を、荘園や公領ごとに地頭をおくことを朝廷から認められました。
これをもって、鎌倉時代が始まったという考え方もあります。
征夷大将軍に任命されてから開かれた幕府は、その後の幕府にも踏襲される「侍所」「政所」「問注所」が置かれました。
立法府を将軍と考えると、現在でも同じような分けられ方をしているようにも見えますね。まあ、将軍の権力が強すぎて、三権分立が図られているわけではないのですが。
中学歴史において、もっとも覚えてもらいたい役職が「執権」と「六波羅探題」です。
執権は将軍の補佐、のちに政治の実権を握る役職。
六波羅探題は朝廷が反乱を起こさないように監視する役職です。
どちらも鎌倉幕府特有の役職なので、しっかり覚えておきましょう。
武家政治の基礎となった鎌倉幕府のしくみは、室町時代に移っても同じような形で使われ続けます。
おそらく、それだけ鎌倉幕府のしくみが、当時の武士たちにとって理にかなったものだったのでしょう。
江戸幕府においてはまた違う形のしくみがとられていますが、戦国時代を経ることで武士を取り巻く環境も大きく変わっていますので、それが統治機構のあり方にも影響を与えているのだと思います。
なんにせよ、テストなどでは特有の役職や統治機構の組織図から幕府の名前をこたえるものが多いですので、覚えていない人はぜひ復習をしてみてください。
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