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2019年01月29日

十把一絡げズ 第52回 「寝殿造」

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こんにちは、酒保です。
今回は寝殿造がテーマです。

寝殿造とは、平安時代から中世にかけての建築様式です。
その特徴は、内部が柱だけで壁がほとんどないということです。
中と外を分けるのは蔀(しとみ)という上に開くタイプの扉などが使われ、昼間は解放され、夜は閉じていました。そのため、中も外もほとんど壁がない開放的な空間を作ることができます。

さらに、外に関しても、庭に大きな池があったり、木々があったりと整えられていて、平安時代の貴族はそういった風景を肴に酒やお茶を飲んでいたのだろう、と想像が掻き立てられます。

そういった開放的な空間だったため、プライベートルームというのはあまりありません。
個人の空間は、屏風などを使って仕切っていました。正直、現代の人間からすると全く仕切られた個人の空間という感じはしませんね。

この時代から使われたものはたくさんありますが、畳もその1つです。
畳は何枚もむしろ(藁やイグサを編んで作った敷物)を積み重ねる、という意味の言葉ですが、平安時代の畳はまさにそのようなものでした。
もともとが敷物であり、平安時代のベッドであることから、畳の上は土足厳禁なわけですね。

このような寝殿造で作られた有名な建物は10円玉に描かれた平等院鳳凰堂や世界遺産にもなっている中尊寺金色堂が挙げられます。
今でもみられるものですので、機会があればぜひご覧になってみてください。


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2019年01月28日

十把一絡げズ 第51回 「国風文化」

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こんにちは、酒保です。
今回は国風文化です。

国風文化は、10世紀から11世紀に発展した文化で、様々なものが日本風に変化していった文化でもあります。
以前は、遣唐使を通じて唐からはいってきたものをまねする形で日本の彫刻や絵画が発展していきました。
しかし、唐の勢力が衰えると、菅原道真は「危険な航海をしてまで唐から学ぶものはもうない」と考え、遣唐使を廃止します。
その結果、それまで流入していた唐の文化を日本人の感性で発展させていくことになるのです。

これは、歴史上何度も繰り返されることになります。
今回は、唐の文化を日本風に変えましたが、安土桃山時代にはポルトガルなどからはいってきた文化を、明治時代や大正時代にはヨーロッパやアメリカからはいってきた文化をどんどん日本風に変えていっています。
そして、それは現代でも同じです。
食べ物や電化製品など、様々な分野で新しいものを取り入れつつ日本風に変化させています。

新しいものを取り入れ、自国の中で昇華させていく姿勢は、1000年以上前から変わらない日本の特徴です。
ガラケー(ガラパゴス携帯)や軽自動車に代表される日本の風土に合わせて作られたものは、必ずしも世界的に受け入れられるわけではありませんが、日本国内では強く受け入れられています。
独自の文化とは、古い和風のものだけではなく、「これがよい」「しかし、これはダメ」と取捨選択をしながら新しいものに変化させていく、日本人の感性そのものなのではないかと私は思っています。



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2019年01月27日

十把一絡げズ 第50回 「最澄と空海」

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こんにちは、酒保です。
ついに第50回となりました十把一絡げズ。今回は最澄と空海をテーマにやっていきましょう。

最澄と空海は、どちらも遣唐使とともに唐にわたり、最新の仏教を学んできた僧です。
当時、最澄はエリート僧として、空海は無名の僧としての参加となりました。
そうして学んだ仏教が、現在まで続く日本仏教のもととなっているのです。

さて、最澄の天台宗は比叡山延暦寺に開かれました
鎌倉仏教で活躍する法然、栄西、親鸞、道元、日蓮といったそうそうたる顔ぶれが天台宗にはそろっています。
こういったことから、比叡山は日本仏教の母山とも呼ばれているようです。

空海の真言宗は高野山金剛峰寺に開かれました
当時、最澄が学んだ仏教よりも空海が学んだ仏教のほうが必要とされたようで、最澄は空海にも教えを乞うたと言われています。

空海は「弘法も筆の誤り」で有名な弘法大師です。
京の都の大内裏、応天門の応の字を間違えたことからこのことわざが生まれたそうです。
また、高野山の奥には空海が入定(瞑想をして生きたまま仏になること)した御廟があり、そこには1200年間、1日2回の食事が運ばれています。
これは、空海がまだ生きているとされていることから続けられているそうですが、その長い期間続けてきた伝統を考えると歴史の重みを感じることができます。

さて、最澄と空海では対照的なところがあります。
最澄は本人よりも彼の開いた天台宗が大きく成長しました。一方で、空海は本人がとてもすごかったため、彼を超える後継者がなかなか育たなかったようです。
エピソードもそのように、最澄は天台宗としての話、空海は本人の話が多くみられました。

中学教科書ではまとめて扱われている二人ですが、詳しく見ていくといろいろと違いがみられます。
こういった教科書外の知識こそ、歴史を学ぶ一番の面白さかもしれませんね。


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2019年01月26日

十把一絡げズ 第49回 「摂関政治」

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こんにちは、酒保です。
今回は藤原氏が行った摂関政治についてやっていきましょう。

摂関政治とは、一族の有力者が、天皇が幼い時には摂政、成人したのちには関白という職に就き、天皇のそばで政治を動かす政治体制です。

摂政といえば、聖徳太子も務めていた役職ですね。
摂政とは、天皇が女性の時や幼い時に天皇に代わって政治を行う役職です。
現在でも天皇が女性のときや幼い時は、摂政は置くことができると皇室典範にも記載されています。
その場合、天皇が行っている国事行為を、天皇に代わって執り行う役職ということになりますね。

一方で関白というのは成人した天皇の補佐を行う役職です。
こちらは天皇に政治能力があるので、天皇の補佐だけです。最終的な決断は天皇が行います。
摂政と違い、こちらは現行制度にはなく、関白という役職は現在ありません。

平成の天皇陛下がご高齢を理由に譲位なさるという話が出たときにも、関白を置くようにして仕事を代行させる、という話も出ていました。しかし、現行制度では無理ということですね。
さらに、代行する仕事も国事行為のみで天皇は政治判断をしない、というのが日本国憲法下における天皇制ですので、関白をおいてもあまり意味がないのかもしれません。
正直、関白が担っていた役割は現在の内閣が果たしているのではないか、とも私は思います。

それぞれの役職がわかると、いかに天皇のそばで働く役職かが理解できると思います。
藤原氏は、何代にもわたってこの2つの役職を独占し続けたことで強い力を得ていたのですね。



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2019年01月25日

十把一絡げズ 第48回 「藤原道長」

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こんにちは、酒保です。
第48回の今回は藤原道長がテーマです。

藤原氏は9世紀の中ごろから、ほかの貴族を退けて勢力を強めました。
その方法は自分の四人の娘を後宮に入内させて後宮を制圧し、その後娘を天皇の后とすることで、天皇の外積になって権勢をふるう、というものでした。

漫画にも描かれている和歌は、「小右記」という藤原実資が書いた書に記録されたもので、そこに書かれている道長はドヤ顔が想像できるほどに調子に乗っています。
もっとも、道長の代の勢力は、ドヤ顔をするに値するほどだったとも思います。
だてにこのような和歌を残していない、ということでしょう。

結局、藤原氏は本来の封戸(上級貴族に一定数支給されていた戸)・禄のほかに、荘園の寄進などもあり、藤原摂関家の経済力は強大なものになり、天皇の親戚としての政治的地位も合わせれば、圧倒的な権勢を誇ります。
しかし、1025年には道長の子の能信が所有する荘園の雑人が藤原家の権威をかさに朝廷の支社に乱暴をはたらく事件が起きます。

最終的には、藤原家は天皇家と争って権勢を落としていくことを考えると、このころには天皇家と仲たがいをする兆しも見えていたのかもしれませんね。



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2019年01月24日

十把一絡げズ 第47回 「荘園」

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こんにちは、酒保です。
今回は荘園についてです。

荘園とは公的支配を受けない一定規模以上の私有地や経営地のことを指します。
日本でいうと、墾田永年私財法以降、貴族や寺社が国司や郡司らの協力により開墾して手に入れた広大な私有地のことを指します。

中学校の歴史においてはこれ以上覚える必要はありませんが、これだけでは面白くないのでもう少し見ていきましょう。

荘園の中でも初期荘園は、税が課せられていました。
そのため、人的・経済的負担は大きく、10世紀には衰退していきました。

そんな中で出てきたのが免田寄人型荘園です。
これは、荘園領主が中央の役人と関係を築き、税を納めることを免除された荘園です。
しかし、税の免除は荘園ごとに認可されていたので、あまり広がりを見せることはありませんでした。

過渡期として雑役免型荘園を挟みつつ、平安時代には寄進地形荘園が誕生しました。
これは、力のある貴族や寺社に田畑を寄進することで、税を免除してもらったり、検地を断ることができたりしました。「〇〇様の田畑だから」といって免除してもらっていたわけです。

しかし、これらにより、荘園の管理体制は崩壊。土地と人民の私的支配は進み、鎌倉時代になり、荘園管理が幕府へ移行。承久の乱により、さらに大きく荘園体制は変化します。
そして、ある程度リセットしつつ、鎌倉、室町の土地支配制度は進められていくこととなるのです。


中学校ではほとんど触れずに終わるようなことも、それについて詳しく研究している人がいます。
もちろん、そういった人からすればこのブログに書いてあることなど触りに過ぎないでしょう。
みなさんも、ほかの人にとって興味がないことでも、積極的に調べていくことで、様々な面白い再発見があるかもしれません。ぜひ、「なぜだろう」「どういう意味だろう」と興味を持って歴史に触れてみてください。



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2019年01月22日

十把一絡げズ 第46回 「平安時代」

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こんにちは、酒保です。
今回は平安時代、貴族の政治最後の時代です。

平安時代は桓武天皇が平安京に都を移した794年から、鎌倉幕府が成立する1185年(あるいは1192年)までの間を指します。
現在の京都に置かれた平安京で政治が行われていたことから、「平安」時代と呼ばれます。

しかし、平安時代は若干特殊な時代です。
藤原氏が摂関政治で天下を握り、白河上皇が院政を行い、平清盛が武家政権を打ち立てる。
約390年間の間に様々な政治が行われていきました。

また、桓武天皇は軍団と兵士を廃止して、健児(こんでい)と呼ばれる少数精鋭の志願兵を採用しました。
これにより、地方は無政府状態になり、のちの武士団形成へと流れていきます。
平安時代は華やかな貴族の政治・文化に隠れて、武士が力を持っていく時代でもあったのです。

こういったところから、平安時代は古代から中世への過渡期ともみられています。
教科書でもそういった扱いをしているため、平安時代の間で章が分かれてしまっています。
このあたりの時代をまとめなおすときは、ぜひそういった流れを頭に入れて、平安時代の重要性について理解していってもらいたいと思います。


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2019年01月21日

十把一絡げズ 第45回 「平安京」

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こんにちは、酒保です。
第45回の今回は平安京についてやっていきたいと思います。

平安京は、現在の京都府に置かれた都です。
794年に遷都されたことから、「なくよ(794)ウグイス平安京」という語呂合わせでも有名ですね。

この都は、桓武天皇が長岡京から遷都されてきました。
(そう、中学校の歴史では教えませんが、都は「平城京」「平安京」だけではないのです。)
唐の首都、長安城に倣って作られた都市で、平城京と同じく条坊制の都市です。覚えていますか?碁盤の目のやつです。

この平安京以降、都は移ることなくいまだに天皇の玉座である高御座は京都御所の紫宸殿に置かれています。
しかし、この後鎌倉時代以降、政治の中心は武士に移り、政治の実権を握ることはほぼありませんでした。
そのような都ですが、現在も京都に面影を見ることができます。

「そうだ、京都に行こう」というわけではありませんが、歴史に興味がある皆さんや修学旅行で京都に行く皆さんはぜひその面影を探してみてください。
ただ京都に行くよりも、よほど楽しい散策となると思います。




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2019年01月19日

十把一絡げズ 第44回 「税と戸籍」

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こんにちは、酒保です。
今回は税と戸籍についてやっていきたいと思います。

漫画の中で話に出ている村は、阿波国田上郡や周防国久珂郡がモデルです。
阿波国田上郡なら、902年のデータとして、男59人に対して女376人という戸籍が残されています。
周防国久珂郡も同様に、908年のデータで、男86人に対して女243人というものがあります。
これは一例ですが、このような戸籍の形骸化は様々なところで進んでいたようです。

また、権力者と手を結び、調や庸の免除を獲得する農民も現れ、律令政府の税制は崩壊しました。
その後、十世紀前半にはそれまでの律令原則を放棄し、国司に全面的な統治をまかせるようになっていきます。

今も昔も税金からは逃れたいものです。
しかし、税がなければ国は立ち行かないので、払わないわけにはいかない。
消費増税の話題も大きい昨今では、できれば他の人が多く払ってくれればよいのに、という思いに駆られることも少なくありません。
そこで、発想を転換させて、「護衛艦いずもやかがを作るお金を出したのは俺だ」「この道路のお金を出したのは俺だ」などと、日本の運営にかかわっていく自覚を高めることで、少しでも納税をよいものととらえるのはいかがでしょうか。
給料明細を見るたびに引かれるお金に無情を感じるよりも、いささか気分がよいかもしれませんよ。





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十把一絡げズ 第43回 「墾田永年私財法」

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こんにちは、酒保です。
今回は墾田永年私財法についてです。

墾田永年私財法は天平15年に出された法令です。
その中では「今より以後は、任に私財と為し、三世一身を論ずること無く、咸悉くに永年取る莫れ。」と書かれています。
これは、「今後は開墾した者が思いのままに私有地として、三世代までとか死ぬまでとかいうことなく、すべて永久に国のものとしてはならない。」という意味です。

これにより、土地を開墾する力のある貴族や寺社は、どんどん私有地を広げ、これがのちの荘園となっていきます。
公地公民はここにくずれ、大化の改新(改新の詔)より100年程度で土地制度は大きく変革することとなりました。今後は、荘園=経済力として貴族が力を持ち始めます。
そして、藤原氏の台頭となっていくわけですね。


中学歴史では、以上のような形で教えられ、三世一身法には触れません
三世一身法とは、開墾したら孫の代までは所有してよい、という法令です。
口分田の不足に対して、

班田収授法:死ぬまで

三世一身法:孫まで

墾田永年私財法:永遠に所有

という形で法令は変化していきました。班田収授法からいきなり墾田永年私財法になるよりも、三世一身法を挟んで覚えたほうが、だんだんと政府が妥協していった経過が見て取れて、よく覚えられると思うのですが、いかがでしょうか。
ぜひ、今後の教科書で三世一身法が復活してほしいと考えている酒保でした。




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