2016年02月19日
表現しようとしないで表現そのものになるということ
ダンスのレッスンを受けていた頃、本質的なことをたくさん教えてくれる先生との出会いがありました。レッスンに参加できなくなってもう久しいのですが、最近この先生の言葉がフラッシュバックのように頻繁に想い浮かびます。そして当時よりも理解が深まってきているような感じです。
とはいえ、頭で理解しているだけで、体現できていることはほんのわずか。理解したつもりになっているだけかもしれません。でも、ささいな瞬間に「ああ、こういう意味だったのか」と腑に落ちる瞬間が確実に増えました。
最近はこの言葉が頭の中をぐるぐる回り続けていました。
いやあ、名言だなあ。
奥が深いなあ。
頭で考えずに身体に任せろ
先生が日頃伝えていたのは、
頭で考えずに身体に任せろということ。
この記事でも自由意志と脳の司令について少し触れたように、自由意志で身体を動かそうと思ったとき、既に身体は動かす準備しているという研究結果が出ています。脳は身体を動かす司令塔ではなく行為を認知して情報を整理しているに過ぎない。感情や意識は後付け、常に身体が先なのだそうです。これを研究したのはカリフォルニア工科大学教授の下條信輔氏で、「感情は自分のものではない」という見解を出されています。
下條さんはある物を持っています。
それを使うと、何と、遠隔で脳の局部に刺激を与えることができます。
さて、被験者に「右の指を動かしてみて下さい」と言ったとします。
そのとき、被験者が右の指を動かす直前に遠隔から右の指を動かす刺激を与えて、指を動かしたとします。その直後に被験者が自分の指令が原因で指を動かしたとします。
どちらが自由意志の行為ですか?」と聞かれて、それに答えられなかったら・・・
(出典: もりけん語録集)
つまり、一旦振りを覚えたら身体は音に反応して先に動き出しているので、そこに感情を表現する余裕は無い。何かを「しよう」とした時点で身体は先に動いている。だから何も考えずに身体に任せるのが正解、ということですね。
バレエのレッスンでわかったこと
「何も考えない」ことがいかに大切か、バレエのレッスンに出るようになってよーくわかりました。何も考えないことが一番難しい。
フロアでターンの練習をするとき、同じ動きを数回繰り返します。その数回の中で自分でも納得の出来る動きが出来たと思えるのは大抵が初っ端のもの。後は崩れていく一方です。最初にやるときは先生に言われた通りに動くことを意識しているので何も考えません。身体はそれに素直に反応してくれます。
でもどうしても自分の動きを分析してしまうのです。
うまくできたときは「なんで出来たんだろう」。
できなかったときは「どこを直せばいいんだろう」。
そして次のラウンドでは「もっとうまく回ってやろう」と欲をかく。
こうして頭で考えたことを体現しようとして、うまくできた試しがありません。
崩れてグダグダな動きをしていると先生がアドバイスをくださる。その言葉に素直に従うと身体も素直に反応してくれる。するとすんなり成功することが多いです。これは初っ端にやるときと同じ。自分でなんとかしようと思っていないのです。言われた通りに動くことだけ意識しているとき、方法を考えずにイメージしているときは自分でも驚くくらいのパフォーマンスを発揮できているのです。
音を感じて音に反応する
ストリートダンスを教わっていた別の先生はいつもこう言っていました。
音を感じて、音に反応して身体は動く。
だから音を聞く前に振りが先行するなんてありえない。
オンビートで身体が動くのもおかしなことだ。
ビートの音より先に動く「早取り」が大嫌いな先生でした。早取り防止のためによく言っていたのは「遅取りになるくらいで丁度いい」という言葉。「踊ろう」と意図したときには実際は身体の方が先に動いてるんですから、早取りの人は音を聞いてから動くと丁度いいわけですね。
表現しようとしない。上手に踊ろうとしない。わかってもらおうとしない。人の目を意識せず身体に任せる。音に合わそうとせずビートを感じて身体に任せる、ビートに身を任せる。これが自然に無意識にできるようになれたら、そのときは表現になりきっている状態、音になりきっている状態なのかもしれません。
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