2015年09月02日
「誰でも130歳まで生きられる」と95歳のヨギが言ってます
この方、95歳なんですって!信じられます?!
この方はトルコに住むケイジム・ガーバズ(Kazim Gürbüz)さん。御歳95歳のヨギ。ケイジムさんいわく、誰でも130歳まで生きられる。そう信じればいいだけだ、そうです。
毎日行うヨガ、太陽礼拝、そして滋養たっぷりの特別食。これが健康的で若々しい身体を長年キープしてこれた秘訣。ケイジムさんが生活にこの3点を取り入れたのは41歳のとき。骨折して下半身麻痺となり、今後は歩けなくなると宣告されたのがきっかけです。ヨガと入念なストレッチを続ける中で様々な実験を重ねていくうちに、宣告を受けたにもかかわらず、半年後には歩けるようになっていました。これは一見奇跡のようだけれど、実のところは精神的な力によるものだとケイジムさんは信じています。そしてこう言っています。
あたかも具現化したようにイメージすることで脳は筋肉や神経回路を再生する。
彼のやっていることに難しいことは何ひとつありません。毎日ヨガをやって、少し泳ぐだけ。食事は菜食。インゲン、オリーブ、ペッパー、スープ、ハーブティー、スプーン一杯のはちみつを取り入れた食事を毎日続けています。
みんな130歳まで生きられる。私たちは全員そのパワーが備わっている。自分たちの身体に気を配り大切にすればみんな長生きできるよ。
【参考:METRO】
ケイジムさんの言い分をまとめると、シンプルな食事と適度な運動、そしてポジティブシンキングが長生きの秘訣、ということになりますかね。思い込みが成果をもたらすプラシーボ効果もあることだし、「130歳まで生きられる」と信じ込めば本当に長生きできるかもしれません。恐らくポイントは、自分の信念を無意識の領域までしっかり浸透させることではないかと推測します。
ところで、ケイジムさんは自分の意思で自分の体をコントロールしている口ぶりです。しかし脳科学の学者は「自由意志は潜在意識の奴隷にすぎない」と言っています。ケイジムさんの行動は「自由意志」に基づいているのでしょうか。
自由意志と脳の指令
意識を測定するために「好きなときにボタンを押す」実験がありました。自分のタイミングでボタンを押すのだから、これぞ「自由意志」。
とすると、ボタンを押す行為は、
2. 脳が信号を送る
3. 腕が動く
ところがそうではなかったのです。
被験者の脳波をモニターしていると、まず運動を司る領域が動き始め、それから一秒後に「動かそう」する意識が生まれた。つまり、「動かそう」と思ったときには身体は既に動かす準備をしているのです。
ということで、実験から導き出されたのはこのようなプロセスになります。
2. 無意識の神経活動が運動を促す
3. 行為を生み出す
4. 脳が行為を認知して意識や感覚を生み出す
【参考:進化しすぎた脳 池谷裕二(著)】
では、無意識で神経が活動を開始するトリガーは一体何なのか?
私はそれが知りたい。
体のほうは生きたがっている
こちらの例え話は「身体様は偉い」ことがよくわかります。
『人間はバランスを崩すことを本能レベルで避けたがる。生命の危機を感じるからだ。
甲野先生は「世を儚んで、これから自殺しようとする人も転びそうになれば、思わず倒れまいとしてバランスを取る」といったたとえ話をよくされた。
確かに死を願うならば、地面に心置きなく頭をぶつけてもよさそうなものだ。たとえ頭では死を望んでいても、体のほうは生きたがっている。
生きたがるとは、具体的には「倒れたくない」ということだ。つまり体は必死に安定を保ち続けようとする。観念にまどろんでいられない緊急事態に遭遇したとき、私たちは一瞬、体に戻る。』
【参考:体の知性を取り戻す 尹雄大(著)】
備考
つまり、自分の体を感じることによって、私たちは事実を知ることができる。
本人は気づいてないんですよ。でも、実際には体に変化が出ている。そういうことを踏まえて考えると、意識がなにかを感じるのは、事実が意識に届くというよりも、自分の皮膚とか体に現れた症状を意識が観察しているという可能性が高いんですよね。「おや、いま鳥肌立ってるぞ、これはまずいのかもしれない」というふうに。
【出典:ほぼ日 「脳の気持ちになって考えてみてください」】
「動け」と念じただけて物が動く、いわゆる「念力」を認めない人がいます。一方、「動かそう」と念じて自分の身体が動く、いわゆる「意志」を認める人は珍しくありません。「精神が物体に作用する」という意味ではどちらも同じ構図。物理学の大前提「エネルギー保存の法則」が成立していません
— 池谷裕二 (@yuji_ikegaya) 2015, 3月 1
私のツイートの意図は「意志は実在するか」です。まず「念力で物体が動く」のはエネルギー保存則に反します。そんなオカルト的現象を是認する勇気は私にはありません。一方、身体の動きは紛れもなく脳の物理化学的な神経指令です。では、その神経を活性化させるものは何でしょう。真剣に考えてください
— 池谷裕二 (@yuji_ikegaya) 2015, 3月 2
その原因として、もし「意志」という心の作用を持ち出せば、それは「精神が物質に影響を与える」ことを認めたことになります。「意志という見えざる力が神経の膜イオン電流を発生させる」というこの構図は、「念力が物質に作用する」という主張にほかなりません。これは心脳問題を軽視した逃避です。
— 池谷裕二 (@yuji_ikegaya) 2015, 3月 2
というわけで、昨日のツイートは「だから意志の存在は認めにくい」という背理法でした。わかりにくくてすみません。
PS「意志は神経活動そのものだ」という反論はありえますが、それもまた問題逃避です。「自分の意志として実感されるあの感覚の発生源は何か」という疑問が放置されるからです
— 池谷裕二 (@yuji_ikegaya) 2015, 3月 2
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