暖かいポカポカ日和になりました
目がゴロゴロします
花粉は大丈夫な私でも目が少しかゆいです
今日は3月11日
あれから10年・・・
稽古場では10年前の東日本大震災が起きたとき、みんなどこにいたか?
という話をしておりました
・音福スタッフの山口先生
音福の店内にいて、壁に立てかけてある三味線が倒れないように必死で押さえていた
(たぶん私も家にいたら、高いところにあるモノが落ちてこないよう押さえるだろう)
・端唄の生徒のHさん
自宅にいて大鍋で調理をしていた(火の元は大丈夫)
津波が来ている映像をテレビで見た
義理の妹さんが宮城なので大急ぎで避難するように伝えた
その後連絡が取れなくなった
義理のお母さんは高台の施設にいて無事だったが、家は流されてしまったそう
皆、別々に避難しており、妹さんたちの無事が確認出来たのは一週間くらいたってからだった
・先生
風呂に入ろうとして、裸だった(笑ってはいけない)
お風呂のバスタブの湯が揺れてちゃっぽんちゃっぽん外にこぼれていた
階段を降りようとするも、手すりも無いし大変だった(お風呂場は二階にあるそう)
・私
つくば市の美容室にいて、最後、髪を乾かそうとしているところだった
ガラスの容器が次々に床に落ちて割れ、店にいた人はみな外に避難
停電し、私は外の電源で乾かしてもらった
パーマのロットを捲いたまま家に帰った人もいた
けっこう余震があり、看板、電線、電信柱はひどく揺れ、
大通りの車はみなその場に立ち止まり、ゆさゆさ揺れていた
駅に行ったら西武デパートの天井が落ちているのが見え、デッキの橋の端っこが崩れていた
電車はストップし、駅の構内には入れず、つくば三井ビルのロビーに避難し一夜を明かした
ここは幸い電気と水は来ていたが、電話はどこにも通じない
三井ビルの人が備蓄の非常用食料を、避難者に配布してくれた
深夜、公衆電話からようやく身内に連絡が出来た
翌朝、取手行きの臨時バスが出るという話を聞き、並んで乗った
道中、瓦屋根の崩れた家、倒れた塀などを見ながら帰った
動き出した常磐線は超激混みだった
「次いつ来るか分からないので乗って下さい」という駅員のアナウンス
柏まで帰って来たら、東武野田線は無事に動いており有り難かった
家路までの徒歩は別状は無くホッとしたのを覚えている
本日の稽古
伊予櫛
全体的にやわらかく、静かめに弾くこと
一の糸の0はどーん、と打たない
03のチャン、は通常の3の坪より少し(05mmくらい上を押さえて)低い音にする
ちょっと狂わせて、クセを出したり味を出したりする繊細な技が盛り込まれています
こぶしの花がほころび始めていました
道路の草木にも花がちらほら
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新しい曲頂きました
「今度は毛色の変わったものやるよ」ということで
琉球節(りきゅうぶしと読みます)です
とてもクセのある音階です
いわゆる沖縄音楽の旋律ではありません
その昔、本土の人達が想像して作った音階で、弾きにくい並び方の音が多い
ちょっと間違えると後が混乱してしまいます
次回までにじっくり練習していくことになりました
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2021年03月11日
琉球節
posted by konomezuki at 18:55
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