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2016年07月10日
第288回 外濠
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年八月四日、東京区裁判所で大杉の巡査殴打事件の初公判が行なわれた。
『日録・大杉栄伝』によれば、野枝や荒畑ら同志三十余名が押しかけたが、傍聴席には付き添い(尾行)の刑事たちが詰めて席につけなかったので、ひと悶着が起きた。
法廷はスパイで満員だ、猛者連は承知せず、怒叫(※叫怒の誤記か?)する、遂に裁判は一時中止になつて、全部を法廷から出し、改めて公判を開いた、今度は吾々同志で大部分を、占てしまふことが出来た。
(武田伝二郎「大杉君と僕」/『自由と祖国』1925年9月号 ※「伝二郎」は「伝次郎」の誤植と思われる。武田伝次郎)
『日録・大杉栄伝』によれば、そのために五時開廷、山崎今朝弥、布施辰治らが弁護に立った。
大杉は「尾行巡査は私を犯罪人扱いにし、隣近所まで迷惑をかけた。安藤巡査の態度が余りに図々しいので、藤山家から出ろと大声で言うと、命令は受けないと返事するので殴った」などと述べた。
『東京朝日新聞』はこう報じている。
傍聴者中には例の伊藤野枝外(ほか)三十余名の友人等あり……
大杉は『尾行巡査が他家(よそ)の室内にまで付纏(まと)ふので困る』とか
『本気に殴つたのでない好(い)い加減に殴つた』……と空嘯(そらうそぶ)き
検事の問ひに向つては嘲弄的口吻(こうふん)を放ち『君と語るのは不愉快だ、主義に就(つい)ては語る必要なし』と怒号し
検事が獄中来訪の事より説いて『是吾人を陥穴(おとしあな)に入れんとするものなり』と結び……
……午後六時十分閉廷
(『東京朝日新聞』1919年8月5日)
八月五日、和田久太郎が東京監獄から出獄し、大杉の家に帰って来た。
八月六日、野枝は獄中の大杉に宛てて手紙を書いた。
あなたが留守になつてから、家の中は本当に気がぬけたやうになりました。
はじめ二三日は何んだか寂しくて仕方がありませんでしたけれど、それから用に追はれ出すようになつてからは、寂しいも何んにもありません。
夢中で一日が過ぎてしまひます。
それでも夕方帰つて、家の中は一杯に取り散らかされたままに誰もゐない、何んだか森(しん)としてゐるなんていふ時には、妙に寂しい気がします。
家主との厄介な事さへなければ、保釈などになつて帰つて来てまた改めて出直すなんて事になるよりは、此のまま早く済まして頂いた方が、私にはずつといいやうに思はれます。
しかし、家の方はどうしても一ぺんあなたに出て頂かなくちや本当に困りますね。
何しろ私はちつとも落ちつけないんで困るんです。
早く保釈の事、何んとかきまらないでせうかねえ。
家主さんも困るでせうが、私も本当に困つてしまふ。
此頃、大抵ぬけ弁天で電車を降りて行きますけれど、どうかすると外濠をまはります。
四ッ谷見附から牛込見附までの間は、私には懐かしいやうな恨めしいやうな、妙な一種の気持に襲はれて変なところです。
あの頃のいろんな記憶のよみ返つて来る事が、何んだか私には一つの重苦しい感じになります。
内的にも、外的にもあの頃の生活は一番複雑で負担の多い生活だつたと思ひます。
あの頃のやうに可哀さうな自分を見出す事は他ではありません。
あの頃のやうに悩んだ事はありません。
けれど又、あの頃のやうに幸福に酔ふ事も、恐らくあの時を除いてはないでせう。
時はどうしてこんなに早くたつて行くのでせう?
私達の前にも、もうあの時とはまるで別の世界が開けて来ましたね。
私達の喜びも、悩みも、かなしみも、総べてのものが、まるで違つた色彩をもつて来ましたね。
でも、私達の生活がとにかく人間の生活の本当の深味へ一歩々々踏みこんで来たと云ふ事は、何処までも事実ですわね。
私達はこれでほんの一寸でも立ち止まつてはならないのですね。
私達の生涯が、どんなに長からうと短かかろうと、その最後まで両足を揃えて立ち止まつてはならないのですね。
先達て、荒畑(寒村)さんの体が少々心配になる日がありましたので、山崎(今朝弥)さんへ様子を聞きに行きました。
山崎さんの話に、大杉はどんな場合でも、ちやんと初めから終(しま)ひまで思慮をつくして事をする。
たとへ他で何んと云つても無茶らしい事をするけれど、彼れにはちやんと損得勘定がしてある。
だから、何をしても他から少しも心配する事はない。
きつと損した以上の得をとらなければおかない。
しかし、荒畑は用心深いやうでゐてカツとのぼせて後で馬鹿らしいと思ふやうな目に遭うから困ると云つてゐました。
こんな事は常に自分達でも話し、他人からも云はれますけれど、此頃のやうな際には殊に強く響きます。
此頃の荒畑さんが熱を持ち出した事と云つたらありませんよ。
私達に対しても少しもこだはりのない態度を見せてゐます。
これも、一つにはあなたが留守になつた事が大きな原因だと云はなければなりますまい。
本当に私は嬉しく見てゐます。
あなたもさぞ本望だらうとお察し致します。
これで山川(均)さんが出て下されば申し分なしですね。
あなたの留守も充分に効果が上るわけです。
世の中の事と云ふものは本当にうまくしたものですね。
荒畑さんが変つたと云ふので和田さんなんか驚いてゐますよ。
(【大正八年八月六日・東京監獄内大杉栄宛】・「消息 伊藤」・『大杉栄全集 第四巻』/「書簡 大杉栄宛 一九一九年八月六日」・『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p83~84)
「抜弁天」は東京監獄(市谷富久町)の裏手にあった。
「あの頃のいろんな記憶」とは、小石川区竹早町の自宅から四谷区南伊賀町の山田嘉吉のもとに講読を受けに通っていたころの思い出である。
『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題によれば、『青服』を出版していた荒畑寒村と山川均は前年十月に入獄し、この年の二月に出獄、六月より毎月二回、服部浜次の日比谷洋服店楼上で労働組合研究会を開催していた。
ここに友愛会、印刷工組合信友会、新聞印刷工組合革新会、交通労働などの労働者たちが多く集まっていた。
※ぬけ弁天
※外濠通り
★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)
★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第287回 柿色
文●ツルシカズヒコ
野枝が大杉に面会したのは一九一九(大正八)年七月二十二日だったが、彼女は七月十九日か七月二十日にも警視庁に来て吉田一(はじめ)に面会している(「或る男の堕落」)。
吉田は電気料不払いのために切られた電線を接続して電気を窃盗、七月十九日に警視庁(刑事課)に召喚され、七月二十一日から東京監獄の未決監に収監された(『日録・大杉栄伝』)。
そのころのことを野枝はこう書いている。
Yは吉田、Oは大杉。
それは大正八年の夏のことで、労働運動の盛んに起つて来た年の夏で、警視庁は躍起となつて、此の機運に乗じて運動を起さうとする社会主義者の検挙に腐心したのです。
そしてYと同時に、Oも次から次へと、様々な罪名で取調べを受けてゐる時でした。
(「或る男の堕落」/『女性改造』1923年11月号・第2巻第11号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)
吉田の収監を同志たちは「いい機会が来た」と喜んだという。
増長しすぎていた彼にとって良い薬になるからだ。
読み書きができない吉田である。
獄中から葉書一枚書くこともできない、手紙をもらっても読むことができない。
野枝も同情したが、しかし、吉田はあくまで図々しく我がままだった。
吉田に面会し面倒を見たのは村木だった。
吉田は印刷した振り仮名があればなんとか読めるようだったので、村木は苦心して振り仮名つきの本を探して差し入れた。
しかし、振り仮名つきの本は耳学問のある吉田には物足りない。
彼は怒った。
さりとて、吉田好みの運動関係の本は初歩のものでも、振り仮名がついていないものがほとんどだった。
あるとき、村木は肩の凝らない本として、講談調の『西郷隆盛』を差し入れた。
喜んで読んでくれるかと思ったが、吉田は怒った。
「講談本なんぞを入れてもらうと、看守どもが馬鹿にする」というわけである。
獄中の同志に書物を差し入れるという作業は、実は厄介で骨の折れることなのである。
少しでも身になるように、無駄をしないように、当人の精神状態も考慮しなければならない。
しかし、そんなことにはまったく無頓着な吉田は、未決監にいる間は我がままを通した。
一審判決が出ると、吉田は既決監に下って豊多摩監獄に送られた。
吉田はそこで六ヶ月の刑期を送ったが、刑期中の仲間への消息は絶えた。
振り仮名の本を読むことも許されず、手紙も書けなかったからだ。
七月二十三日、大杉は尾行巡査殴打事件の傷害罪で起訴され、東京監獄の未決監に収監された。
野枝は獄中の大杉に手紙を書いた。
宛て先は「東京市牛込区市谷富久町 東京監獄内」、発信地は「東京市本郷区駒込曙町一三番地 労働運動社」である。
御気分いかがですか?
警視庁での二晩は随分お辛らかつた事と思ひます。
あの警部の室(へや)で会つた時の最初の顔がまだ目についてゐて仕方がありません。
ずゐぶん疲れた顔をしてゐましたね。
どうせ仕方のない事だと思つてゐても、あんな様子を見ますと何んだか情けなくなつてしまひます。
けれど、とんだ余興がはいつたりして、思ひの外自由に話が出来たり、永々と休めたのは本当に嬉しうございました。
獄中記は今月中に出来るさうです。
今日一寸(ちよつと)よつて表紙の色と、林(倭衛)さんの絵の工合を見て来ました。
表紙は思つたよりはいい色が出ました。
しかし、さめた色は商品として困ると云ふやうな話でした。
さう云はれて見るとそのやうな気もしますから、また真新しい柿色で我慢をしますかね。
着物と羽織を入れます。
あんなつむじまがりを云はないで裁判所に出る時は、チヤンとしたなりをして出るようにして下さい。
あんまりみつともないのは厭やですから。
これは私のたつた一つのお願ひです。
でなければ、私が一生懸命縫つたのが何にもなりませんわ。
それではあんまり可哀さうぢやありませんか。
本当にくれ/″\も体をわるくしないようにして下さい。
お願ひ致します。
今度の事件は、知識階級の間だけでなく、一般にも本当に問題にされてゐます。
本当につまらない事でしたけれど、結果から考へれば決してつまらない事ではありません。
私はあなたとの生活には、まだ/\もつと悲惨な、もつと苦しい辛い生活だつて喜んで享受するつもりだつたのです。
まだこれからだつて予期しています。
あなたがそちらで不自由な月日を送るのに、私達がべん/\と手を束(つか)ねて怠けながら、あなたの帰へりを待つと云ふ事は出来ません。
めい/\に出来るだけの仕事をして待ちます。
(【大正八年七月二十五日・東京監獄内大杉栄宛】・「消息 伊藤」・『大杉栄全集 第四巻』/「書簡 大杉栄宛 一九一九年七月二十五日」・『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p81~82)
「とんだ余興」というのは、例の愛国者の一件のことである。
『獄中記』は八月一日に春陽堂から出版された。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、『新小説』一月号、二月号、四月号に掲載した「獄中記」「続獄中記」と書簡「獄中消息」を併せて単行本にしたのである。
『新小説』に連載した「獄中記」「続獄中記」は評判がよく、このころから大杉の原稿が売れるようになったという。
単行本『獄中記』の表紙を柿色にしたのは、当時の囚人服が柿色だったからと思われる。
大杉は獄中から野枝に返信を書いた。
はじめての手紙だ。
まだ、どうも、本当に落ちつかない。
いくら馴れているからと云つても、さうすぐにアトホオムとか行かない。
監獄は僕のエレメントぢやないんだからね。
先づ南京虫との妥協が何んとかつかなければ駄目だ。
次ぎには蚊と蚤だ。
来た三晩ばかりは一睡もしなかつた。
警視庁での二晩と合せて五晩だ。
しかし、いくら何んだつて、さう/\不眠が続くものぢやない。
何が来ようと、どんなにかゆくとも痛くとも、とにかく眠るようになる。
今では睡眠時間の半分は寝る。
どんなに汗が出てもふかずに黙つてゐる僕の習慣ね、あれが此のかゆいのや痛いのにも大ぶ応用されて来た。
手を出したくて堪らんのを、ぢつとして辛棒してゐる。
斯う云ふ難行苦行の真似も、ちよつと面白いものだ。
蚊帳の中に蚊が一匹はいつても、泣つ面をして騒ぐ男がだ、手くびに二十数ケ所、腕に十数ケ所、首のまはりに二十幾ケ所と云ふ最初の晩の南京虫の手創(てきず)を負ふたまま、其の上にもやって来る無数の敵を、斯ふして無抵抗主義的に心よく迎へてゐるんだ。
大便が二日か三日に一度しか出ない。
監獄に入るといつも、最初の間はさうだ。
そして、それが、一日に一度と規則正しくきまるやうになると、もう〆たものだ。
其の時には、何にもかも、すつかり監獄生活にアダプトして了ふのだ。
(【伊藤野枝宛・大正八年八月一日】・「獄中消息 市ヶ谷から(四)」/『大杉栄全集 第四巻』/大杉栄研究会編『大杉栄書簡集』・海燕書房)
※中野刑務所 ※中野刑務所2
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)
★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)
★大杉栄研究会編『大杉栄書簡集』(海燕書房・1974年)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第286回 警視庁(三)
文●ツルシカズヒコ
「だからさーー」
大杉は少しでも呑気に刑事部屋にいられるのを楽しむように、意地の悪い微笑を含みながら、ゆっくりと話し出した。
「つまり、君の言う主義というのは、四、五年前に僕のところで話したのと違ったわけじゃないんだろう。ね、君の主義は人民がみんな君を安んじて国を想いめいめいに国家や政府に世話を焼かせたり迷惑をかけたりしないようにならなくちゃならん、ということなんだろう?」
「そうです、そうです。その通りです。人民がみんな忠君愛国を重んずる立派な人間であれば、国は安穏に治まり、人民は幸福に暮らすことができるようになります」
「そうなればだ、こんな警察なんてものもいらないね。監獄なんてものもいらないようになるね。そうだろう、悪いことをする奴さえいなければ」
「そうです、そうです」
「だからつまり、君の言う忠君愛国主義というのは、突き詰めれば、人民がみんなで国家や政府の御厄介にならずにすむような世の中にしなければならんという理想になるんだね」
「その通りです」
「そうだとすれば、僕の主義もやはり人民がお互いに相談し合って国家や政府の御厄介にならんように自分たちだけでなんでも治めていこうというのだから、君の主義と僕の主義はまったく同じことになるじゃないか。賛成も不賛成もあるか、まったく同じだ」
大杉は笑いをこらえながら、巧みにもっともらしく、この気狂いと自分とを結びつけてしまった。
このアイロニーはこの愛国者を侮辱したものであり、野枝と村木以外の人たちを煙たがらせるものだったが、野枝は思わず吹き出してしまった。
村木も声を出して笑った。
大杉はこの意地悪な言葉の反響を促すかのように、テーブルの上に両肘を立ててプカリプカリと煙草を吸っていた。
Y警部と刑事たちは、大杉のこの馬鹿馬鹿しいアイロニーを、苦笑いで誤魔化すしかなかった。
みんなが気狂いじみた愛国者の反応を興味深く待ちかまえていると、
「まったくだ! まったくだ!」
彼が叫ぶように言った。
「私とあなたは今は主義が違う。しかし、最後に行きつくところは同じだ。人間は各自が違う、だから出発点は違う。しかし、行くべきところはひとつでなければならんはずだ。けれども、世間の奴はなかなかわからん。さすがは大杉さん、あなたは違う、偉い。あなたはもう私の主義をすっかりのみこんでいる、理解している」
野枝はこの気狂いじみた男の馬鹿さ加減を、次第に笑うに笑えなくなってきた。
「これで、あなたの情熱を持って我々の主義を宣伝して下されば、こんな力強いことはない。ねえ、みなさん、世間には人間がウジャウジャいる、うんといる。けれどもだ、この大杉さんのような立派な力強い熱を持っている人がはたして幾人あるか? 私はよく知っている、めったにいない」
彼は激しく唾を飛ばしながら、一向手応えのない大杉の方に向かって盛んにしゃべりたて、顔を真っ赤にしていた。
「そこで大杉さん、ひとつここに署名をして下さい。あんたのような人を味方にしたのは、私の大いなる誇りです。手柄です。百万の味方を得たと同じです。なにとぞ、ひとつここに書いて下さい」
男は大きな帳面を取り上げて、野枝の肩のあたりでその頁を繰って、最後の空きスペースを見つけると、ドシリとその帳面をテーブルの上に置いて大杉の前につきつけた。
大杉はあいかわらず微笑しながら、前の方の頁を繰って、名士たちの署名を読み始めた。
そこには、各方面の名士の名前が、いろいろな書体で、いろいろな墨色で、大きく小さく、それぞれの特徴を見せて並んでいた。
『此の男の何処にこれ等の名士達を引きつける魅力がひそんでゐるのだらう?』
私はつく/″\と此の男をふり返つて見ました。
どう見ても品のない豆粒のやうな汗がおびたゞしく滲んでゐる顔には別に人を動かすやうな何物もひそんでゐさうには思はれませんし、その厚ぼつたいフロックを着た不格好な姿にも何んの不思議もかくされてゐさうにありません。
たゞ此の男の持つてゐる異常なものと云つたらーーその向ふ見ずな熱狂だけでせう。
『気ちがひだ!』
じみてる位の話ぢやない本物の気狂ひなのだ!
私はさうひとりで決めてしまひました。
(「悪戯」/『ニコニコ』1920年2月号・第104号/「アナキストの悪戯」の表題で『悪戯』/「アナキストの悪戯」の表題で『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/「悪戯」の表題で『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p139)
「さあ、なにとぞ書いて下さい。あなたのような人の賛成を得るということは、非常にいいことです。なにとぞ、なにとぞ」
彼は刑事のひとりが出した硯箱を受け取って、筆を手に持ち大杉に突きつけた。
「書くよ、書くよ。まあ、待ちたまえ」
大杉は持っていた煙草をくわえると、筆を持った。
大杉はしきりに紙を見つめながら、この人の悪い悪戯をいかにも楽しそうに、そして早くすませるのが惜しいように、筆を宙にまさぐりながら、薄笑いをしていた。
野枝はそれをちょっと度のすぎた悪戯のように感じた。
野枝は大杉の悪戯に気づかない、この真っ正直な愛国者が可哀相になった。
しかし、また、立派な一流の名士に交じってノトオリアスな大杉の名前が書かれるのは、なんとも言えない痛快なことだとも野枝は思った。
大杉が紙の上に丸い線を描きだした。
そこに何か面白い肩書きを入れるためだと、野枝はピンときた。
「今度は君、肩書きを入れてもいいのかね?」
刑事連と何かおしゃべりしていた愛国者に、村木が聞いた。
「いや、それは勘弁して下さい! それは困ります。名前だけでよろしいのです。名前だけで、名前だけで」
愛国者は振り向きざまに、そのテーブルに上半身をかがめて大きな帳面を不格好に両手で覆いながら、慌ててそう言った。
その慌てた様子に、みんなが声を出して笑った。
ことに大杉はそれまでこらえていた分までも、一挙にほとばしり出たかのごとくに、笑い続けた。
みんなも散々笑ったが、この愛国者だけは大真面目だった。
彼はその帳面がまだ無事なことを知ると、例の寄付金を書いた鳥の子紙で帳面の大部分を覆って、大杉の名前だけを書く余白を残し、「名前だけ」とねだった。
「だって君ーー」
ようやくおさまってきた笑いを抑えるようにしながら、大杉が言った。
「君はたった今、唱えている主義なんかどうでもいい、行きつく先が一緒ならそれでいいと言ったばかりじゃないか。まあ、そこを退(の)けたまえ」
「いや、それはわかってますよ、わかってますけれど……」
「わかってれば、いいさ。まあいいから、そこを退けてみたまえ」
「肩書きなんかなくてもいいんです。あなたは有名な人だから、名前だけでいいんです。え、勘弁して下さい。ちょっとここへ名前だけ、ね、そうして下さい」
愛国者は再び懸命になって、鳥の子紙を帳面の上に押しつけた。
これまでの熱狂はどこかにいってしまい、今にも泣き出しそうな顔が大杉の前に突き出された。
「大丈夫だよ、無政府主義者なんて書きやしないから。しかし、ただ名前だけじゃ面白くないから、ここに『警視庁留置場にて』と書こうかと思ってるんだよ。それならいいだろう? ね、面白いじゃないか」
「ああ、そうですか、なるほどそれは面白いですね。いや、ありがとう、ぜひそう書いて下さい。非常に面白い」
愛国者は救われたというふうに、体を真っ直ぐにして、覆った紙をとり退けながら、元気にハンケチを出して汗をぬぐった。
「ハハハハハ」
現金に元気を取り戻した彼の無邪気さを、みんなが笑った。
そして笑いながら一服吸った大杉が、たっぷりと筆に墨をふくませて帳面に向かおうとすると、今度はただならぬ顔をしたY警部が愛国者を押しのけてテーブルに進み寄って来た。
「いや、それはいけません。そんなことを書いては困ります」
Y警部は吊り上がった眉をいっそう吊り上げて、ニコリともせずに、本当にただごとではないというような厳格な顔をして、大杉の筆を止めさせた。
「アハハハハ」
今度は声を出して笑ったのは、大杉と村木と野枝の三人だけだった。
「いや、ありがとうありがとう」
愛国者は署名が無事にすんだことを、いかにもうれしそうに帳面を抱え上げた。
「じゃあ、ちょっとその帳面を借りて行きますが、さしつかえありませんね」
Y警部が愛国者から帳面を受け取って、部屋を出て行った。
厳(いか)めしいY警部が出て行くと、室内がまたくつろいだ雰囲気になった。
刑事連は愛国者をまたからかったり冷やかしたりしながら、お茶を入れたりしてくれた。
大杉が翌日に未決監に送られてもいいように、必要なものを差し入れて、食事を取り寄せる手続きなどもして、野枝と村木は引き上げた。
野枝たちは結局、Y警部の部屋に二時間くらいいた。
愛国者はその日やはり帳面や寄付金のことを調べられるために、そこに来合わせたのだった。
★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)
★大杉栄・伊藤野枝らの共著『悪戯』(アルス・1921年3月1日)
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index