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2016年07月30日
第310回 不景気
文●ツルシカズヒコ
大杉一家が鎌倉に引っ越した一九二〇(大正九)年四月三十日は、『労働運動』第一次第五号が発行された日でもあった。
三月の株価暴落による不景気の到来、それによる労働運動の新たな展開について、大杉が書いている。
とうたう不景気が来た。
戦争中から、今に来るぞ、今に来るぞ、そして其時には険悪な労働運動が起こるぞ、と警戒されてゐた不景気がとうたう来た。
(「労働運動の転機」/『労働運動』1920年4月30日・第1次第5号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第二巻』/日本図書センター『大杉栄全集 第6巻』)
大杉は前年(一九一九年)来の日本の労働運動の勃興の背景を、ロシアやドイツの革命とその他欧米諸国における急激な民主主義の刺激、あるいは物価騰貴による生活不安、そして一般経済界の好景気に乗じたものと分析している。
しかし、と大杉は言う。
日本の識者が急激に労働問題にやかましくなったのは、前々年、一九一八年夏に起こった米騒動からである。
米騒動は日本の権力階級にとって非常な脅威、恐怖だった。
この脅威、恐怖がなかったら、権力階級は労働者階級の生活の不安には目もくれず、民主思想にも耳を貸さなかっただろう。
前年来の労働運動の勃興は、この権力階級の狼狽に乗じたものである。
しかし、その労働運動の勃興も好景気だから可能だったのだ。
労働者に背かれては、好景気でも資本家は暴利を貪ることができないからだ。
なるほど、賃金は多少増し、労働時間も多少減り、そして労働運動界の首領どもがその運動の勝利を誇ったが、それはただ上っ面のことにすぎなかった。
しかし、労働運動は行き詰まったのではなく、第一段階から第二段階に移る過渡期になったのだ。
弱腰だった政府や資本家がだんだんと強腰になってきた。
議会解散以来、労働者の普通選挙運動がとみに衰えたのは、さまざま要因があるだろうが、政治的運動に対する労働者の疑惑が主因であることは疑いない。
労働者は今、考え込んでいる。
その矢先に不景気が来たのだ。
好景気下の労働運動と不景気下の労働運動とは、よほど違う。
不景気は労働者にとって、まず失業を意味する。
失業問題は労働問題の一大難関である。
労働者は真剣になるざるを得ない。
その真剣がどう現われるか、過去の経験がどう生かされるか、それは今後の事実に見るほかない。
★『大杉栄全集 第二巻』(大杉栄全集刊行会・1926年5月18日)
★『大杉栄全集 第6巻』(日本図書センター・1995年1月25日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index