スローライフ の 森
ファッション & 小物
若かりし頃は
特に 中学校 位までは
腕力も
そんなに 負けは しないし
( 小さい 系 なのですが 170センチ ナイ )
ところが
高校に上がって
少し 広い 地域の 仲間になると
あ〜 こりゃ ダメだな
おおきいのが いっぱいいる
中略
社会人に なって
五がつ 病を やってしまったり
いろいろ あったとですが
このあたりから
キリストに 捕まえられていたかな
あなたが選んだのではない 私が選んだのだ
悩みばかりのなかから
クリスチャンの 友人に出会い
求道し
一番の 救いは
他人のことは よく見えるけど
自分の ことがわかってなかった
教会で
人の目のチリを とってあげよう という前に
自分の 目の中の 梁に 気が付きなさい
それを とれば もっと よく見えるようになって
人の目の チリも とれるでしょう
この御言葉が
これは 自分に 言われてることだな
と 気が付いたこと
ここから
わらしべ 長者的な 祈りの生活が
スタートし
目の梁を とり続けると
今度は 違った 御言葉が
見えるようになり
信仰を持ってから
( 洗礼を受けてから ことしで 21年? )
確か 洗礼を 受けたのは 1997年だったと思いますが
結婚に関しては
信仰を 持ってから 5年間祈り
しかし
内のは わたしよりも 先に 信仰を
持っていましたので
・・・
若いころは
強力自己中心型
だんだん 砕かれて
イマハ
いまわさ〜
もーしわけないに なってますが
津波の時には 率先避難
信仰の時には 率先バック・トゥー・ザ・バイブル
兎に角
最近反省してますが
まだまだな わたしで
聖書は いっています
人は 理屈を探した
人の心は 奥が深いんだよ
天国に行くまえに 十分清くなりたいですよ
あ〜
この表現は
時に 人によっては
誤解が 発生しやすく
私は まだ 長く生きるつもりで います
死にそうに なってるわけではなく
天の御国の存在を 信じているのです
主は 天の御国で 私たちの住むところを
備えてくださっていて
もし住むところがなければ
主が 備えてくださるのです
そして
住む ところが できたら
むかえに 来てくださるのです
迎えに 来てくださる前に
眠りについた 多くの兄姉がいますが
クリスチャンは 死んだ者が
み使いの様に よみがえって 出て来て
それから
生き残ってる 私たちが
彼らと一緒に
一瞬のうちに
天に吸い上げられていく
テサロニケ1 4章16〜
主は 、号令と、 御使いのかしらの声と、
神のラッパの響きのうちに、
ご自身天から下ってこられます。
それから
キリストにある 死者が、まず初めによみがえり、
次に 、 生き残っている私たちが、
たちまち彼らと いっしょに
雲の中に一挙に引き上げられ、
空中で 主と会うのです。
このようにして、
私たちは、
いつまでも主とともに いることになります。
こういうわけですから、
このことばをもって
互いに 慰めあいなさい。
そういったわけで
私たち クリスチャンは
聖霊を 汚さず 聖霊を否定したりして いない の ならば
眠りに ついたものも
生き残っているものも
同じ便で 天国に 行きます。
その時に
私が 願うのは
生き残り 組の中に いたいのですよ
しかし
どちらにしても
クリスチャンは
このよの 終わり来世のスタートにあたり
ウルトラマン や スーパーマン より
すごいのです
空を 飛んで 天国に いくんですから。
UFO や ワープでは いかれないのです
天国への道は 主イエス・キリスト。
キリスト・イエス が 天国への道なのです。
外に 道は ありません。
兎に角 慎み ぶかく 行きたいこの頃です。
ではでは。
え?
ほかの人は どうなる?
あ
天国は あのですね
神は 目に見えないです
その一人子が 肉体をもって やってきたのが
主イエス・キリスト
なので
その神の一人子の名を信じ受け入れると
神の子供とされる 権利が 与えられます
さらに
主は 十字架で私たちの罪を贖ってくださったので
そのことを 信じると
罪赦され
平安な生活を送れるようになります
しかし
この世のは
サタンとか 悪霊と言う 目に見えない
生物が 邪魔していて
地とそれに満ちていもの
世界とその中に住むものは
主のものである
とあるのに
一生懸命 主より 偉くなろうとして
邪魔してくるのです
なので
じゃまされてて
気が付かなかった 人たちは
地上に 残されてしまう
それと
携挙は 信仰なので
テサロニケ人への手紙
シッカリ 読みましょう。
兎に角
怖いことが 起きるんではと
小学生でも 将来を思いやむ時代です
間違ってませんよ
どうしますか
日曜日は いのちの洗濯も。
メニュウ ページ。