学生の時にコンピューターサイエンスの授業を取ったら面白くて、それがコンピューター関連の企業に就職した理由の一つです。
一時期は、日記やメモや忘備録、アドレス帳など、それまで紙と鉛筆で済ませていた事柄をすべてパソコンで行うということもしていました。
おそらくコンピューターが好きで、日常生活で行っている作業のどこまでをコンピューターでできるのか、ちょっと試してみたかったのだと思います。
けれども、鬱がひどくなり、働くことができなくなってからはコンピューターに向かうのが怖いです。
キーボードというインターフェースが怖いです。
自分の考えた文章がどこか自分の知らない場所に吸い込まれていってしまうような気がするのがとても怖いです。
メールが届くたびに動悸が激しくなり、恐怖感に襲われます。
コンピューターが怖い、というのは実はコンピューターの向こうにあるネットが怖いのだと何となく感じています。
ずっと通っているクリニックのスタッフの方から、それほどコンピューターの前に座ることすら怖いのならば、体調が悪い時にはコンピューターと触れ合わない方がいいのではないか、と言われたことで、自分が仕事ができない状態にもかかわらずどうしてコンピューターに一日中向かい合っているのだろうと思い立ち、コンピューターの前に座る時間を極力減らしました。
Twitter、Facebook などのソーシャルメディアも現在はほとんど使っていません。
日記は大学ノートに手書きで書いています。毎日というわけにはいきませんが。手書きは楽しいです。
文字を書くのはとても楽しいです。気持ちが落ち着く気がします。
メモも手帳に書くようにしました。
アドレス帳やスケジュールはスマホで管理する方が便利なのでそうしています。これは怖くありません。
他者との接触が無いからかな・・・ よくわかりません。
面白いと思うことが一つあります。
こうして振り返ってみて、コンピューターから極力離れようとしているのに、外出時 (頻繁に、ではありませんが) には結構ノートパソコンを持って出かけて、バスや電車の中、ファミレスなどで使っているということです。
どうしてなんだろう、と思うのですが、ノートパソコンを公共の場所で使う、その行為にのめりこむことで、周囲の他者への恐怖やコミュニケーションの恐怖から少しだけ逃れられるということが大きいのでは、と思うのです。
ネットに繋がないでノートパソコンを使う時には、文章を書くことや、プログラムを書くことに集中できます。
何より、恐怖感がほとんど無いことがとてもいいです。
ネットに繋いでいる時でも、不思議とメールやメッセージなどに怯える度合いはデスクトップパソコンに向かっている時よりは少ないような気がします。
外にいて、人混みなどに逃げられるからという意識があるからかもしれません。
実際は人混みに逃げ込んだとしてもネットは付きまとってくるのですけれど。気分の問題でしょうか。
で、家でもあえてデスクトップパソコンではなくノートパソコンを使おうかと考えています。
後、仕事があった時には家ではなく、ネットカフェとかファミレスとかで作業を行うとか。
これでノートパソコンも怖くなってしまったらそれはそれで困りますが。
私が使っているノートパソコンは、東芝の libretto U100 という小さなもので、軽くて持ち運びに便利なので気に入っています。
このマシンに OpenBSD という OS をインストールして使っています。
使うアプリケーションはエディターの Emacs とターミナルエミュレーター、ネットに繋いでいる時のブラウザーだけで、他のアプリケーションは極力インストールしないようにしています。
何だかいろいろとインストールして世界が広がっていくのが怖くて・・・
うーん。
このやり方が、少しでも生活や仕事への気分を高めることに繋がってくれればいいなと思います。
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