本を読む.
カント『人倫の形而上学の基礎づけ』.
「自殺はいけない」という義務は形而上学としてはカントの主張するように成立すると思う.
その根拠はカントによれば, 生命を促進しようという感覚, である.
一方, 死を考えるまで追い詰められたある個人は, 理性による正常な判断が行えない状態に陥る場合がある.
その際, 上記義務の根拠である生命を促進しようという感覚はその個人に対してはおそらく働かない.
したがって「自殺はいけない」という義務が有効に機能しない可能性がある.
このように論じて, 自分は何をどうしたいのだろうか.
自分は楽になりたいのである.
「自殺はいけない」という義務は, 少なくとも現在の自分にとっては非常な重荷である.
たとえ病理的な状況であっても, 「自殺はいけない」という言明が義務とならない可能性があり得るということを論じられただけでも, 自分にとっては救いなのだ.
それから数学をやる.
教科書の練習問題を考える.
$\mathrm{J}$ を小圏, $\mathrm{C}$ を圏とし, 対角関手 (diagonal functor) $\Delta : \mathrm{C} \rightarrow \mathrm{C}^{\mathrm{J}}$ が左随伴 (= 余極限関手 $\mathrm{colim}$) と右随伴 (= 極限関手 $\lim$) を持つとする.
\begin{equation*}
\begin{xy}
\xymatrix@=36pt {
\mathrm{C} \ar[r]|{\Delta}^{~}="D1"_{~}="D2"
& \mathrm{C}^\mathrm{J} \ar@/_1.2pc/[l]_{\mathrm{colim}}^{~}="C" \ar@/^1.2pc/[l]^{\lim}_{~}="L"
\ar@{~} "C";"D1" |{\bot}
\ar@{~} "D2";"L" |{\bot}
}
\end{xy}
\end{equation*} このとき, 随伴 $\mathrm{colim}\dashv\Delta$ に伴う単位 (unit), 余単位 (counit), および随伴 $\Delta\dashv\lim$ に伴う単位, 余単位は何か, というもの.
直観的にはちょっと考えてわかるが, きちんと解答を書きたい.
しかし TeX で引っ掛かって, 途中までしかできなかった.
ひとまず区切りを付ける.
午後からアルコール依存症の自助グループに行く.
今日は大勢の仲間が参加した.
いつものことだが, 他の仲間の話を聴くと背中を押される.
帰宅して食事.
塩鮭とご飯.
片付けをして布団に入る.
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image