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1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年1月 27日(日)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。

そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。

今日は昨日に引き続き「インド洋における熱水活動と熱水噴出孔生物群集の発見 」の紹介です。

インド洋における熱水活動と熱水噴出孔生物群集の発見(6)

平成12年 12月14日
海洋科学技術センター  

2.背景(2/4)
現在、熱水噴出孔生物群集の研究において最も大きな疑問の一つは、熱水噴出孔生物群集がどこから、どのような経路を辿って世界中に分布していったかということです。

この疑問に対し、世界各地の熱水噴出孔生物群集に生息する生物の類縁性や地球を覆うプレート運動の地史的データなどから、熱水噴出孔生物群集の伝播経路に関する仮説が提唱されています。
それは、「大西洋の熱水噴出孔生物群集に生息する生物は、太平洋から南東インド洋海嶺、南西インド洋海嶺および南部大西洋中央海嶺経由で伝播したのであろう。」というものです。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆小さい頃から都心に行く時のターミナル駅は高田馬場駅であった。
当時は馬場と言えば、堀部安兵衛の助太刀で知られた土地である事のイメージが強く、本来の馬場があった事のイメージは薄い。

馬場があった場所は、馬場の駅の下を走る道路(早稲田通り)を、山手線内側方向に少し歩き、交差する明治通りを越えて5〜6分程歩いた左側。

現在はこの早稲田通りと1本裏手の早稲田通りに平行して東西に走る茶屋町通りに挟まれた細長い地域で、東西655m、南北55mの大きさだったそうです。

以前はこの地に堀部安兵衛の碑が建っていたそうですが、現在は近くの水稲荷神社に移設されています。
又、この裏手に当る北側を東西に神田川が流れ、面影橋、道灌の山吹の里としても知られ、唯一の都電が走っており、のんびりと江戸の史跡を訪ねるのには格好の都心のオアシスでもあります。
又、この一体は早稲田大学の杜ともなっています。













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