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BS世界のドキュメンタリーにて視聴

イギリスは世界3位の監視社会と言われているらしい。

町の至る所に防犯用監視カメラが存在し、政府は膨大な個人情報をデータベース化している。

そのデータベースの情報が漏洩し、デヴィッドのところにも「娘の個人情報が漏洩した。」と知らせが来た。

それを期にデヴィッドは個人情報について調査をはじめ、政府だけでなくネットプロバイダやクレジットカード会社等あらゆる民間企業に個人情報開示請求を行い、その把握されていた個人情報の膨大さに唖然とする。

そこで一つの実験として行方不明となり、探偵に頼んで自分自身を探してもらうよう依頼する。
期限は30日。

それまで逃げ切れるかというエンターテイメント色のあるドキュメンタリー。

こういうのを実験型ドキュメンタリーと名付けよう。

ありとあらゆる未知なるハイテク技術で個人情報を辿り、デヴィッドを追い詰めていくのを期待したのだが、割と良く知られたローテクな探偵の行方不明調査ばかりが目立つ。

途中釣りメールを出してうっかりデヴィッドが開いてしまうという件があるのだが、結局それも「GPS機能のあるPCで開いているわけじゃないから細かくは特定できない。」という、なんだかお粗末な結果に。

結局実際の居所に近付くのは「母親に会いに行くはずだ。」とか、そういう勘的な発想が元になっていたり、デヴィッド自身が「結局一番安全なのは森でキャンプだけど、それじゃあ本末転倒なので」とか言ってあえて町にいたり、終始エキサイティングじゃない。

なのにデヴィッドは一生懸命追い詰められている感を演出し、ちょっと空回り気味。

最終的には妊娠している妻の検査に立会いに病院に行ったところを事前に病院に嘘の電話を入れて検査日を掴んでいた探偵に見つかってジ・エンド。

逃亡18日目の事だった。

まあ確かに個人情報が関係してはいるけど、ずいぶんローテクな探索方法じゃないか。

個人情報が危ないのは誰しも感じてる事で、このハイテクな世の中で一体どんな未知の危険性があるのかが普通の関心事だと思う。

残念ながらこの作品ではそういった未知の危険性はほとんど取り上げられていない。

探偵がその気になれば普通の人の住んでいる所位簡単に突き止められる事は誰だってわかってるっちゅうの。


BS世界のドキュメンタリーにて視聴

チュニジア、エジプトから発した一連の革命で日本でもその名を広く知られるようになった「カダフィ大佐」。

独特のカリスマ性と強烈な交渉力を持つ彼の半生を追う。

話を細かくすると非常に複雑になってしまうので、作品で語られるカダフィ大佐とリビアが歩んで来た道をざっとまとめる。

69年27歳の若さでクーデターにより政権奪取。

石油利権をコントロールする事で欧米の干渉をもコントロールし、軍事力を高めていく。

次第に欧米との緊張が高まっていき、テロ→報復→報復という負の連鎖が始まっていく。

最終的にアメリカとフランスそれぞれの航空機が乗客もろとも爆破されるところまで行き着き、国連による経済制裁が始まる。

カダフィは中東の過激派の支援を長く行なっていたため沢山の情報を持っており、核兵器の開発も進めていた。

その情報の提供や容疑者の引渡し、核開発の放棄、そしてなんといっても石油利権などを交渉の材料とし、欧米の譲歩を引き出し始める。

そんじょそこらの独裁者と訳が違うのはアメリカ、フランス、イギリスという超大国相手にそれぞれ独自で交渉し、条件を変え、3国が協調しないように仕向けていた事だ。

石油利権に引きずられる形で3国はカダフィのペースに乗せられ、カダフィの地位は向上。

経済制裁はやがて解かれ、各国がリビアに媚を売り始め、終いには国連の議長国にまで上り詰める。

そんなカダフィも自国の統制に関してはスキがあり、一連の革命によって存亡の危機にさらされているという話。

作品ではだいぶはしょられていた印象だが、それでも自国の利益の為にそれぞれが色々勝手な事しているという実情は垣間見られる。

特筆すべきはリビアの国民やテロによる被害者など、民衆が軽んじられた上での「自国の利益」である事。

また、作品中一切登場しない日本であるが、登場しないって所に意味があるように思う。

9条がどうとか外交がどうとか日本の消極性はいつも批判されているが、ことこの件に関してはその消極性が功を奏している面があるのではないか。

列強は強欲に関わった結果テロに会い、国民に対して不義理な選択を強いられていく。

もちろん日本もビジネスレベルで色々関わってるんだろうが、結果的には被害に会う事なくうまくやったという見方もできるのではないか。

これらの問題は一概に何かを言う事はできないが、「民衆への支援」がもっとも「正義」に近い対応なのではないか。

列強と対等に対峙してきたカダフィも、民衆の力で追い詰められつつある。

革命成功にインターネットが一役買った事は有名だが、情報、物資、受け入れ等、民衆への支援でできる事は多い。

列強としては相手が独裁者であった方がメリットを渡せばメリットで返してくれるから本当は何かと都合が良いのだ。

何か問題が起き、その対応を迫られた時、列強の巧妙な利権争いに巻き込まれる事なく、「民衆支援!」の一点を主張する事がより平和で安定した世界に向かう一番の方法ではなかろうか。


BS世界のドキュメンタリーにて視聴。

2002年に起こった自爆テロの犯人は18歳のパレスチナ人女性で、被害者の一人は17歳のイスラエル人女性だった。
二人は背格好も年齢も似ていた事もあり、世界中で大きく報道された。

女性だからなんだってのはあるが、作品の本質はそれとは関係ないところにある。

被害者女性の母親は刑務所でテロ未遂犯に面会し、話を聞く。

自分が被害者の母親である事を告げ、テロへの反省を促そうとするが、反論にあってしまう。

結局パレスチナVSイスラエルの言い合いになってしまうのだが、そのやりとりには溜息しか出ない。

どちらの言い分が正しいかという第3者的なジャッジなど全く無意味と思えるほど両者の意見の根底には憎しみが存在しており、一市民の言い合いが、そのままパレスチナの現状を映しているようである。

結局母親は苦しみ抜いた末に、解決への一歩として犯人の母親と会って話をする事に決める。

すったもんだあってテレビ会談が実現する。

しかし被害者側はテロへの反省を相変わらず促し、加害者側は原因がイスラエルにある事を主張する。

結局お互いが被害者であり加害者であるという複雑な状況であるので、「平和」を口にしても「お前が言うな!」になってしまい、話は平行線を辿り、決裂する。

この作品は決してイスラエルがどうとか、パレスチナがどうとかそういう政治的な話には突っ込まない。
それをやるタイプの作品もあるが、複雑すぎて「よくわからない。」だったり偏ってしまって「そうとも限らない。」などの中途半端に終わってしまう場合も多い。

しかしこの作品は当事者間、それも市民レベルの言い合いが作品の核という実に生々しい作りでぐいぐい引き込まれ、
「パレスチナ問題って複雑なんだな。」
という事を感覚的に理解ができる素晴らしい作品。

報復の繰り返しの歴史が当事者間での平和的解決を限りなく不可能にしている印象がある。
第三者による仲裁しか手は無いのかもしれない。

その際にはあまり頼りにならないが宗教的にも利害関係的にも比較的中立の立場と取れるであろう日本が一役買ってもいいのでないかとは思う。

言い合いをテキストに起こしたサイトがあったので、興味のある人は是非。
http://ayu217.at.webry.info/200906/article_27.html


BS世界のドキュメンタリーにて視聴

焼畑農業による森林破壊は今尚深刻な問題であり、様々な解決策が様々な場所で提案されているが、一向に解決へと向かわない。

その解決策の一つとして、「アレイクロッピング」という、木を植えてその間で作物を育てるという方法を提唱している学者に密着。

現地の農家や環境保護団体、国連関係者など、様々なところで関心を得ながらも資金集めに難航し、なかなか思うように浸透させられないという話。

焼畑農業は森林に火を付け、灰にし、それを栄養分として作物を育てる方法だ。

森林を焼いちゃう時点でもうダメだろって感じで、作品でも害以外の何者でもないというような印象を持つが、実はそうとも言えないらしい。

里山的に人が管理をする森林においては生態系の維持の為のリセット(不必要に増えた動植物を殺す)だったり、天然の栄養を循環させたりと、それなりにメリットはあるようだ。

問題なのは頻度である。

焼かれた森が再生するまでには時間がかかる。その時間をじっくり待てる頻度で行なう分には上記メリットの方が上回る。

しかし去年や一昨年焼いたばかりなのにもう別のところを焼くという事を繰り返すと、森の再生よりも焼かれるスピードの方が速く、森が失われてしまう。

欧米や日本などの先進国が農作物を輸入しまくるので、焼畑のサイクルは早まり続け、結果森林が減少している。

本来ふるさとである自分達の森を焼くなんてしなくて済むならしたくないだろうが、他に方法がなく仕方なくやっていると農民達は申し訳無さそうに言う。

他に方法が無いのは、農作物の販売価格が安いからだ。
他の方法ではコストがかかりすぎて採算が合わない。

またFTPの話にもなっちゃうが、こういう問題に無配慮でFTPを進めたら、ますます事態が深刻化してしまう。

単純な解決策は、消費側である欧米や日本が、高い価格で買い、その資金で持続可能な農法による農業を行なってもらい、ついでに森林維持をしてもら事である。

現実的になかなかそういう方向にならないので、焼畑並にローコストな持続可能農法として「アレイクロッピング」が提唱されている。

最適な種の木を選び、植え、剪定によって日光と栄養素を調整して育てるというもの。
作品では細かい利点と問題点には触れていないが、そうそう簡単にいくものでも無さそうだ。

それでも現地農民は反応しており、チャレンジしてくれている。

調べてみると南米だけでなく、東南アジアやアフリカでも実験が行なわれているらしい。

その土地土地で適した種や方法が異なり、今は「実験段階」と言うのが正しいようだ。

資金集めに難航する根本的理由はそこにあるように思う。

つまり結果が実証されていないものに金は出せないという発想。

それでもその前向きな実験にもっと関心と資金が注がれるべきではないかと思うのだ。

「農民がやりたいと言ってくれてるのに、種を買う資金が無いんです。」と訴える学者。
もどかしいったらありゃしない。

すくなくとも消費側の欧米、日本が実験規模位の資金援助(投資だってよい)をすべきなんじゃないだろうかね。

恐らくこの作品はそれが主張でその為に「焼畑=悪、アレイクロッピング=救世主」というわかりやすい作りに偏らせているのだと思う。

輸入された食品を買う際は少しこういう事にも思いを馳せた方がいい。

問題とそれに対する取り組みを知る事で世論が形成され、まず「この商品は○○農法で作られてます。」とかそういうラベリングが普及する。

そしてそれらを選択する事で、消費者が積極的に問題に関与する事になる。

まあフェアトレード商品ですらちっとも身近に無い日本ではなかなか遠い道のりですが。

ちなみに先に紹介した「僕の居場所はどこ?」に登場する子供達はこういう焼畑農家の子達も多い。

BS世界のドキュメンタリーにて視聴

94年に起こったルワンダの大虐殺にはフランスも関与していたと現大統領は告発している。
その主張に沿う形でいかようにしてフランスが関与し、虐殺が引き起こされたかに迫るという話。

なハズなんだが。。

作品では大統領のコメント等を中心に、フランスの武器提供や軍事指導があった事を指摘。

更には08年にフランスで大統領側近が当時のテロ容疑で逮捕された事に対するルワンダの国を挙げての抗議を取り上げ、虐殺終焉の際には殺人犯であるフツ達を国外に逃がし、ツチへの反攻を準備したとまで言う。

だがフランス側やフツ側の主張は一切取り上げず、細かい政治的背景を大胆に端折った作りなので、あくまで「ツチ側の意見」という見方で見た方が良さそうである。

ざっとルワンダ虐殺への事情をまとめてみる。

元々ツチとフツの違いはほとんどなかった所にベルギー支配下で王族が支配層をツチ、被支配層をフツとした。

ツチの身体的特徴として定義されたのは「比較的白人に近い」であり、ベルギーによる黒人蔑視が露骨に反映されている。

そしてそれがエスカレートし、最終的には身分証にツチかフツかを示すようにまでなり、区別が更に強調される。

その後フツのストレスがアフリカの独立機運に押されルワンダは独立し、フツが政権を取る。

すると今度はフツによるツチ排斥が始まり、血が流れていく。

多くのツチが国外へ難民となり、打倒フツ組織が作られる。

そしてどういう経緯かよくわからないがツチとアメリカが接近して行き、支援を受けるようになる。

するとアメリカのそういった行動に反応したのがフランスで、現フツ政権が倒されツチによる英語圏化を懸念し、フツに肩入れするようになる。

ツチはアメリカの支援で力をつけ、紛争へと発展し、遂にはルワンダ大統領と隣の国の大統領(こちらもフツ)が乗った飛行機を爆破し、二人の大統領暗殺に成功する。

フツは紛争になってからツチ排斥のために民兵を作るなど着々と準備を進めていたので、この暗殺事件をきっかけに一気にフツの猛攻がはじまる。

そしてこの猛攻が「ルワンダ大虐殺」である。

しかしそれでも結局ツチが勝ち、そのリーダーがそのまま大統領に就任して今に至るという、フランスの懸念どおりツチは強かったという話でもある。

大統領暗殺の際には同乗のフランス人も殺されており、フランスはそれを根拠にその事件に関与した現大統領側近を逮捕したのである。

当時の政権とそれを支持していたフランスにとってはテロ以外の何物でもない。

こう見ていくと、「皆悪者」って感じなのだが、結局被害者は実際に殺し合いをさせられた民衆なんだよね。

実はこの作品、肝心のフランス関与の話は作品中の分量としてはさして多いものではなく、多くは殺害された医師の息子が父親の死の真相と遺骨を求めて現地に赴く話で占められている。

息子は遂に父殺害の現場を突き止め、証言も得て、遺骨を掘り返すに至る。

証言をするのも掘り返す作業をするのも貧しいフツの民。

それに向かって明らかに「比較的白人に近い」中年太りのいい服着ていい車乗ってる息子が「お前達が父を殺したんだ!」と罵る。

言い返せず黙々と遺骨を集めるフツの民。

孫を抱きながら泣く息子。

はっきり言って逆の意味で気分悪い。

作品としては全く意図してないんだろうが、普通の民が何故大虐殺に至ったのかを体感的に理解できるシーンでもあった。

大虐殺のもう一つの視点としては欧米帝国主義とそれに擦り寄る一部支配層によって、区別される必要も憎しみあう必要も無かった民衆が戦争に巻き込まれ、最終的には兵器として利用されて大虐殺に至ったという見方もできる。

大した知識や思慮もなく「戦争反対!」「平和が一番!」「皆平等!」とか言うのは好きでは無いが、惑わされたり巻き込まれたりしないよう民衆としてはその一点で繋がり、防衛するための思想共有という意味では大きな意味あるんじゃないかと思ったりして。

とりあえず、ピース!!


<BS世界のドキュメンタリー>にて視聴

チョコの原料となるカカオ生産において児童労働が問題になっているって話。

この話は世界規模で行われている搾取の象徴的な一例で、そんなに真新しさはなかったのだが、より具体例を知れたので観た価値はあったかなと。

全体的には児童労働で作られたカカオでチョコ作って先進国の消費者に売ろうとするという実にユニークな内容で、偽善臭さがない。

結果としてはいとも簡単に販売ができてしまう。

そしてその商品に「この商品は児童労働で作られました。」ってラベルを貼って売ろうとするが、誰も買わない。
「児童労働は良くない。」と思っているから。

しかし実際にはほとんどのチョコレートに児童労働で作られたカカオが使われている。

児童労働を排して作られた商品も存在する。
その代表格として「フェアトレード」が有名であるが、

作品ではそのフェアトレードの商品にまでメスを入れ、現地の取材を通して隠蔽された児童労働が存在し、そこで産まれたカカオがフェアトレード商品の原料にも入り込んでいる可能性を証明した。

ただ決してフェアトレードを批判したいのではなく、フェアトレードですら排斥しきれない厳しい現実を告発したという事だ。

明るいタッチのこの作品は実際に売られた子供達を助けたりしながら、締めとしてもう少しチョコレートに払う代金を増やす事で児童労働が減らせるという前向きな提言をして終わる。

児童労働の問題は複雑である。

昔から農家において子供が労働力となるのはどの世界でも当たり前である。

それをなんでもかんでも「子供の未来を奪っているからダメ!」と言うのはそれはそれで問題である。
それが伝統であり、文化であり、それ故に幸せという事もあるだろうからだ。

問題となるものだけ「児童労働」としてそれなりの定義はされているものの、現実的に線を引くのは難しい話だ。

とは言え作品で紹介された例は明らかなものからギリギリなものまで「まあ問題だよね。」と感じられるものに限定されていた。

そのおかげで一応知っていたハズなのにチョコを買う気が随分とそがれ、ほとんど買わなくなった。なんだか随分単純な精神構造してるなと自分でも驚く。

チョコに限らず多くのものになんらかの問題はあるハズなので、そういう作品ばっか観てたら痩せられるかもしれない。

いや、そうなったらそうなったで自給自足してでも色々食っちゃうかもしれない。

チョコを食う我が子に
「そのチョコはお前と同じくらいの子が毎日一日中働いてとった豆でできてんだぞ。それなのに彼らはチョコ買えるだけの金すらもらえず生まれてから一度もチョコ食った事ないんだぞ。」
とかいらんこと言ってしまった。ちっ。

キング・コーン



BS世界のドキュメンタリーにて視聴。

「私達の体はコーンで出来ている」というショッキングな出だし。

おバカ二人が自分の体は何でできてるんだろうと、専門研究所に調査を依頼。
なんと体内組織を構成する物質の原料の内、最も多かったのが「コーン」という結果に。

そこで二人は農場を借り、コーンを育てながら実態に迫ろうとする訳だが、コーンを育てるってのはまあギャグみたいなもんで、あんまり意味は無い。

肝心の内容は軽いノリの割りにはヘビーであった。

国策により、品種改良と遺伝子組み換えによって安価で大量に作れるようになったコーンは、生産者ですら
「食料を作っている意識は無い。ただのクズだ。」
と言い切る。(ちなみに普段我々が口にするあのおいしいとうもろこしとは全く別物と考えてよし。)

それらのクズコーンは家畜の飼料に、ありとあらゆる食品に使われる甘味料に、油にと加工され、最終的に我々の体に吸収され、体組織を作っているって話。

しかもそのクズを世界中に売りつけている。

FTAのメリットは分かるけど、食料品の関税撤廃は慎重にやらないと本当よくないですよ。

アメリカは補助金じゃぶじゃぶいれてこういうものを作っている。

食品の品質、特に栄養面や安全面は加工されたり飼料にされたりすると消費者にはほとんど分かりえない。
そこにさらに補助金でダンピングされたらまともな農業が勝てる訳無い。

現在でも充分すぎる程に日本に入ってきているのに、無節操に入り始めたらと思うとぞっとする。

食料品に限った事じゃないけど、グローバルな消費社会においては自らが手にする物はどういう経緯で作られるのかにもっと関心を持つべきだね。

こういう前向きなドキュメンタリーをポジティブドキュメンタリーと呼ぶ事にしよう。

貧困と犯罪にあえぐスラムから子供達を救うため、とある音楽家が音楽教育を通じて児童保護、コミュニティー開発、自立、スラムからの脱出を試みる。

これが大きな成果を挙げ続け、早35年。楽器と学ぶ機会を無償で提供し、彼らに光を与える。

成長すれば楽団を編成し、海外公演も行う。

このプログラムから多くの音楽家が生まれ各国の楽団員となっている。

更にこのプログラムのスタッフとして戻ってくる者もあり、音楽による夢と希望が単なる感情面での充足だけでなく、現実的な経済的自立支援として機能している点に恐れ入った。

これは世界中の貧困を救うヒントになり得る事では無いだろうか。

一般的には学校の建設や職業訓練などに目を向けられがちだが、音楽を含めた芸術活動というのは大抵どの地域にも伝統的に根ざしているものであり、その土地の子供達にとってなじみ易く、アイデンティティーの確立にも繋がる気がする。

実際にこの楽団の演奏はいわゆるクラッシクなオーケストラのイメージよりももっと力強く陽気で、とても南米のイメージにぴたりであった。

あまりキレイでない部屋にひしめき合うように人が集まり、笑顔と熱気に満ちた大合奏となる。

踊りだしたくなるようなその演奏は「一緒にやりたい!」と思わせるような魅力と敷居の低さがあった。

チャリティー好きのミュージシャンは一度ベネズエラに修行に行くといい。

本物の音楽の力がそこにある。


BS世界のドキュメンタリーにて視聴。

アメリカの地下には広範囲に渡って天然ガスが存在し、それを採掘する為に関連企業とその息のかかった政治家達が法律まで変えてどんどこ事業を開始してしまった。

結果周辺の環境が大きく破壊され、とりわけ水が汚染された。
その汚染具合ったら目を疑いたくなるようなレベルで、なんと水道水にライターで火がつくのだ。

製作者は自分の住んでいる土地がこの先この事業に取り込まれる予定である事をしり、実態を実に丁寧におっていく。

汚染された現場だけでなく、環境省、企業、政治家と、関係ありそうなところを全部回って全体像を分かりやすく伝えてくれる名作。

超先進国であるハズのアメリカにおいてこんな事がこんな規模でまた行われている事に愕然としつつ、経済利益を無節操に求めるのはもう本当いい加減やめましょうよといういつもの思いを強くする。

BS世界のドキュメンタリーにて視聴

カナダには世界でもトップクラスの量が埋蔵されているタールサンドが森林地帯の地下にある。

タールサンドから石油を取り出すのは従来より割高なコストがかかるのだが、従来の油田が枯渇し始めた為、一気に開発が進んでいる。

アメリカを始め、各国が注目を集める中、環境破壊の視点から開発における問題を告発する。

森林伐採、有害物質の流出、精製時に発生するガスによる大気汚染、それらが大規模に行われ、原住民の生活、文化、周辺住民の健康を害している実態がしつこく紹介される。

若干偏った内容に感じた為観終わった後に簡単に調査したところ、環境破壊を問題視する情報は多く手に入るものの、それに反論する有力な情報は手に入らなかった。

経済的な視点で語られる情報はhttp://www.altanet.or.jp/OilsandsPotential.pdfのようなものがあり、一切環境問題については触れられていない。
ここまで環境を無視されるとまあさすがに「環境の事もっと考えろよ。」と言いたくはなる。

という事で、タールサンドによる環境破壊は否めない様子。

資本主義消費社会における副作用は相も変わらず続いているようである。

ただ、原発事故の後なので、もう少し悩みこんでしまう。

タールサンドにおける推進派と反対派の構図は原発問題の構図と似ている。

推進派は悪影響は少ないと主張し、反対派はありとあらゆるデメリットを挙げる。

タールサンドに関しては既述のように反対派に分があるようで、あとはそれだけの犠牲を払ってでも石油が必要かどうかが次の問題になってくる。

少なくとも石油を使わない方向性に向かうべきという事になるんだろうと思うが、そうすると当然火力発電も止めていかなければならない。

止まってる火力動かしてでも原発止めろという人は是非一度見た方がいい。

それにしてもまあ、なんにしたって副作用的問題はあるもんなんだね。

太陽光や風力、地熱だって思慮浅くどどーっと突っ込んだら同じような事になったりしないかね。
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