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「失われた町で」

BS世界のドキュメンタリーにて視聴

(シリーズ 四川大地震)

四川大地震で最も被害が大きかった北川県では、再建が放棄された為に、住人達はどのように生きていくかを決断しなくてはならなかった。

別々の行き方を選択した3組の家族にフォーカスを当てた作品。

なんかこんなような作品を前にも見た気がするが、やはりあまり印象に残らない作品。

背景の説明が無いまま個人にフォーカスされても中国にあまり理解が無いこちらとしては何を思えばいいのか良く分からない。

(一つ前の記事から読んで下さい。)

■ある従軍看護婦のエピソード

献身的な看病、働きぶりから、次第に中国軍人とも打ち解け、一人の軍人から好意を持たれるまでになる。

戦地に再び赴く前に告白を受け、交際に発展しそうになるが、規則で恋愛は禁じられている。

結局上司バレしてしまい二人は引き離され、彼の行方は分からなくなってしまう。

それから2年の月日が流れた。

内戦は終結し、比較的穏やかな日々を送っていたが、朝鮮戦争が始まった。

そんなある日、彼が突然姿を現した。

「明日朝鮮に行かなければならない。最後に一目だけでも。」と、彼は危険を冒してやってきたのだ。

その行為に感激し、写真か何かを渡そうと探そうとした時、またも上司に見つかってしまう。

そして「あなたの事が嫌いですと手紙を書け!命令だ!」と激しく脅され泣く泣く手紙を書く。

涙ながらに「これは本心ではありません。。」と手紙を手渡し、彼は朝鮮に旅立つ。

そしてその後一切の消息が絶たれてしまった。

朝鮮戦争での戦没者の名簿にも、生還者の名簿にも、彼の名は無い。

題して「嫌いと書いたラブレター」

キャッチコピー「セカチューの2倍泣ける。」

予告編はもちろん「背景○○様、私はあなたの事が嫌いです。」というナレーションから始まる。


■あるパイロット養成教官と訓練兵のエピソード

中国には空軍が無く、その為日本の空爆になす術が無かったという。

そしてその空爆によって友人を殺された男はパイロットになる事を誓う。

しかし、そのパイロット養成所の教官は友人を空爆で殺した日本軍の男。

それは男にとって屈辱でしかなかった。

しかし男は中国に空軍を作る為、自分がパイロットになる為にはそれしかないと屈辱に耐え、学ぶ事を決意する。

一方教官は言葉も通じず、自らに敵意を持つ相手に必死で教える。

操縦桿を支えるという事が通じない。難しい。

部品をかき集めて作った練習機に訓練兵と共に乗り、体で教えていく。

うまく伝える事ができ、そしてそれを訓練兵が体現し、地上に戻った時、教官は親指を立てた。

「よくやった。お前は立派なパイロットだ。」

言葉でなく、心が通じた瞬間だった。

結局その間に内戦は終結。

訓練兵が実戦で飛ぶ事はなかったが、中国建国を祝う式典で大空を舞う機会が与えられた。

それを見送る教官は感無量であり、訓練兵は誇らしく大空を舞うのであった。

題して「ゼロ戦に乗った中国兵」

予告編はもちろん「お前達があいつを殺したんだ!」と泣き叫ぶ訓練兵のシーンから。


BSアーカイブスにて視聴

満州に移住していた多くの日本人は終戦後ほどなくして帰国したが、一部は中国に留まり様々な分野の仕事に従事した。

それは国民党と内戦を繰り広げていた共産党の「留用」という方針により半ば強制的であったりもした。(要請に対して自らの判断で残った人達も当然いる。)

その留用がいかなるものであったか、そしてそれが日中関係においてどのような意味を持っていったのか、日中国交正常化30周年を記念して2002年に作られた作品。

留用の範囲はかなり広く、医師や看護婦などの医療面、炭鉱などの一次産業労働力として、空軍設立におけるパイロット養成教官として一部隊まるごと、鉄道建設における技術者達と、日本の技術、力をくまなく吸収しようという貪欲なものであった。

しかし驚くべきは当の留用された日本人達の対応である。

つい先日まで親族友人を殺した敵国の人であった日本人に対して、当初は当然風当たりが強かった。

それでも、いや、それが故か、日本人達は必死に働く。

ある者は爆撃で皆が避難する中それでも残り手術を続け、ある者は未知の病の発見に尽力しやがてこれを発見し大勢を救う。

そしてある者は「日本が犯した罪の償いの為」と事故の相次ぐ炭鉱奥深くに挑み、ある者は破壊された戦闘機をかき集めて練習用飛行機を作る。

そんな彼、彼女等の姿に次第に中国人達の態度も変わり、やがては友情で固く結ばれるまでに至る。

内戦後は朝鮮戦争、そして日中間の対立と、実に8年もの間政治的な問題に振り回されながら帰国はおろか本国への連絡すらできない状態が続いた。

いざ帰国の際も、外務省からスパイが紛れ込んでいるのではないか、洗脳されたものが多いのではないかと一悶着あり、やっとの帰国を果たした後もいらぬ詮索や偏見による就職差別など受ける事になる。

この辺りはシベリア帰りの人々が受けた苦労と似ている。

その後も一部の人達は中国人との友情を崩さず交流を続け、日中友好の架け橋となった。

そして国交正常化の一翼を担い、今も留学生受け入れや技術交流、教育などなど友好に尽力しているという話であった。

この作品から読み取れる視点はいくつかある。

一つは戦争が持つ悲劇の一つの形。
終戦後も敵国で苦労を強いられ、帰国後も受け入れられないというやるせない実情。

一つはそれでも己が力で道を切り開き、友情や愛を育み、「良い経験だった。」と言い切る事ができる日本人の強さ。

特に昨日までの敵国からの要請に必死で応えるという愚直さ、いかなる状況でも目の前の仕事に真面目に取り組むという誠実さには一言二言申し上げたい事もあるがまあ今回は何も言うまいと思えるほど敬意を持った。

自分にはちっともない特性なので自分の事のように誇らしく思う事はできないのがなんだが。

一つは人は分かり合える可能性があるという事。
敵であっても、いや、敵であるからこそ顔を突き合わせる事で何かが変わるかもしれない。

政府や一部の人達に惑わされる事なく、人々の直接的な交流が真の国家間の友好に繋がるという事であり、それは個人レベルで関与可能なのであるという事。

そしてもう一つは人にはそれぞれ歴史があるという事。特にこのような異常な状況下ではそこらの陳腐な感動系ドラマよりはるかに感動的な個人史で溢れている。

インタビューに答えた一人一人の話はそれぞれ映画一本作れる程に濃厚なストーリーであったので、次の投稿でいくつか紹介する。


NHK ベストテレビにて視聴

「地方の時代」映像祭2010のグランプリ、更にモンテカルロ・テレビジョン・フェスティバル最高賞受賞に輝いた作品。

特に後者の方は民放史上日本発という事で、どんだけ凄い事なのか良く分からないがまあ多分相当凄いんでしょう。

で、肝心の内容ですが、まあそれだけの評価を得るだけの事はあってしっかり心に残る素敵な作品でしたよ。

「ここは下請けの下請けの下請けのそのまた下請け、4次下請けの町工場」という平泉成のナレーションにあるように、トヨタの部品の接着などを請け負っている工場が閉鎖するまでを追う。

工場といっても、経営者は56歳のおばちゃんで、従業員はこれまた主婦2人。

3人でおしゃべりをしながら「いわゆる内職」的な作業を一日中行なうという非常にシンプルな工場。

10年前に夫の会社の倉庫の一角を借りてスタートし、辛い時も笑い飛ばしながらやってきたが、先のトヨタショックの影響で半年仕事がなくなるという事態に陥った。

その後エコカーブームで仕事が復活するものの、おばちゃんは独自に自動車業界を分析し、「これ以上振り回されたくない。」と、工場を閉める事を決意する。

というのはあくまでプロローグで、作品自体はそれから先の工場の明るく楽しい様子や、おばちゃんの私生活でのパワフルかつ愛嬌に溢れた人柄を追い続けていく。

そして「終わる実感が無いね。」といつものように作業を行い、回収のトラックを迎える。

運転手と笑いながら挨拶を交わし、3人でトラックを見送る。

「やっぱりさみしいね。」と明るくしゃべりながらも涙を流すおばちゃん達。

それまで笑顔のシーン連続だった故にこのおばちゃんの苦労が詰まった涙にもらい泣きしてしまう。

エピローグはやわらかいBGMに乗せて名古屋の町の空撮から始まる。

ナレーションでトヨタショックによりこの東海3県でこの年1000件の企業が廃業した事を告げ、工場のある建物にズーム。

それに合わせ
「しかし、この4畳半の小さな工場の廃業は、そんな統計にも現れない小さな、小さな出来事。」
と。

泣きました。

「下請けの下請けの・・・。」という冒頭にうまく呼応し、静かに静かに何かを告発した作品だった。

作品とは直接関係無いが、この作品を観たのはNHKの特集番組だった。

コメンテーター達のこの作品への感想と解説がなかな見事で、よりこの作品の魅力を感じる手助けになった。

特に「トヨタにとってあまり嬉しくないこの作品をお膝元のテレビ局が作った事にもこの作品の存在意義がある。」というコメントにはなるほどと思わされ、だからこそ声高でない作品になり、それが却って抑制の効いた非常に絶妙なバランスの作品になったのだろうと知った。

映画なども解説のおかげで「なるほど、そういう解釈もあるか。」などと思う事はあるが、ドキュメンタリーについてはその背景にある社会問題なども重要なファクターであるからして、解説が付く事によって作品の存在意義をより掴む事ができたりするんだなと関心した。

大企業は社会から様々な恩恵を受けている。

それは「お前も悪よのう、越後屋。」的な事を一切無視したとしても、「国の経済上重要だから。」という最もらしい理由で裏づけされる。

倒産しそうになったら税金が投入される事だってある。

結局中枢にいる人達は色々非難される事はあろうが、生活に大きな支障をきたさない。
それどころかしっかり資産を維持していたりする。

ちょっと何かがあった時のバッファとして存在し、振り回され吹き飛ばされるのはこのおばちゃん達のような下請け企業、立場の弱い人達だ。

一体誰の為に存在しているのかよくわからないモノに依存した社会について改めて考え直す必要がある。


BS世界のドキュメンタリーにて視聴。

<シリーズ オバマの課題>

9.11以降イスラム教徒への差別、偏見が増すアメリカ、ニューヨークにおいてアラビア語を教える学校ができるまでを描いた作品。

第二外国語としてそれぞれの学校では様々な言語が教えられている中、アラビア語を教える学校ができるのは自然な事なのに、それが大反発を食らって頓挫するという話。

日本ではあまり実感が無いが、現在イスラム圏への差別というのは国際的に大問題なのだなと改めて思う。

これはもう完全に反対側が悪くって、テロリストですら本来は耳を貸すべきところを、テロリストの母語と同じ言語だから、同じ宗教だからという理由だけで排斥するのはどう考えても間違い。

作品もそういった主旨であったように思う。

この問題については比較的冷静であろう第三者的日本人であれば誰しもそういう結論に至るだろうが、朝鮮、中国をはじめアジア諸国の人々に対して多かれ少なかれ同じような偏見あったりしないか?と敢えて言っておきたい。

そんな感じで他人事と思わず自らに置き換えて観てみればそれなりに反省すべき点はあるだろうね。

北ベトナムを勝利に導いたのは北から南に伸びる強大な補給線。

あまりに効果的かつ壊滅が困難であった為に、アメリカが枯葉剤という悪魔の作戦に手を出すハメになったこのホーチミン・ルート。
その詳細を追った実態調査系の作品。

太平洋戦争中、日本軍は補給にことごとく失敗し多くの敗戦を生んだわけだが、ベトナムはいかにしてこの勝利への道を作ったか、興味をそそられるテーマである。

基本的に補給部隊はどんな悪路だろうが突き進む。

ただそれだけでなく、道が発見され、空爆されて破壊されたても翌日には復旧させ、何百キロにも及ぶパイプラインを重機も無く作り上げる。

あみだくじのように道を作り、一部が破壊されても別のルートが行けるようにしたり、まさかそんなとこまで迂回してないだろって位隣国奥深くまで進入してみたり、挙句の果てには敵の撃墜をかわす為、おとり作戦で決死のミスリードをしたりする。

こういうど根性戦術はざっくり傍観してしまうと「いやあベトナム人って凄いね。」って思ってしまうのだが、日本軍もそういえばとか思い出してしまうと、やや複雑な気持ちになる。

無茶な作戦や作業でも、成功して客観的に見れば「凄い」の一言であるが、実際は末端の兵士や作業員がボカスカ家畜以下に扱われながら働かされていたり、複雑な思いを抱えて決死の特攻したりとかやっぱり多大な犠牲もあったんだろうなと思わざる得ない。

どのような環境でどのような思いでその任務、作業にあたっていたか、末端の兵士達の話がもっと聞けると良かったのにと思うが、まあそれは欲張りすぎって事で、十分勉強になりました。

ちなみに隣国のラオスの農民は全然関係ないのにそこにベトナム軍が勝手に補給路を作った為にドカバカと空爆を食らうハメになり、もう完全にとばっちりじゃないかとため息が出てしまう。

やっぱり正しい戦争なんてのは無いんだよ。



北ベトナム軍に制圧された南ベトナムから多くの難民が生まれる。

その一部はボートに乗り込み海を渡った。

当然すんなり行くわけもなく、沢山の人が海の上で死んだ。

生き残り達が詳細を語り、現地に赴くという話。

ベトナム戦争で一般的にイメージされるのは「アメリカ対ベトナム」であるが、当然「北対南」の「紛争」という一面もある訳で、同じベトナム人同士が殺し合い、「ベトナム戦争で負けたベトナム人」もいた事は普段あまりクローズアップされない。

この作品ではその「同じベトナム人に追われて難民となった人達」を描いたところに非常に価値がある。

戦争の悲劇は様々な角度から語られてしかるべきだ。

作品では遭難して沢山の命を落としつつアメリカ領内にまで到達したにも関わらず政治的問題でなかなか入国許可が出ず、そのままボート内で死ぬ人も多かったと生き残り達は語り、当時ボートを監視した米軍兵士にも会い、憤りをぶつける。

ボートでの凄惨な実情や悲劇を聞けば同情せざる得ないが、背景、状況を考えれば一兵士が「見殺しにした!」と責められるのはちょっと酷かなと思うし、十字架を背負って今尚苦しむその元兵士もまた同情すべき対象である。

元々「ボートピープル」はその他様々な種類の難民を指す言葉であり、作品でスポットを当てたのはそのごく一部である。(その辺はwikipediaにざっと書いてあるので参照されたし。)

つまりこの作品は「ベトナム戦争で負けたベトナム人」というテーマと、いわゆる「ボートピープルの悲劇」という二つのテーマが存在する。

あまりに複雑で十把一からげにはできないが、最低限目の前の人命に対し全て検証している時間は無い訳で、一旦は引き受け、後に精査という対応が必要な事をこの作品は教えてくれる。

「僕の居場所はどこ?」で語られた中南米からの不法入国者だって難民って言えば難民だ。

少なくとも先進国にはその責任があるだろう。

日本においてもベトナムからのボートピープルは辿りついており、難民全般に対して「一時的な滞在は認める。」という対応になってるそうです。(外務省)

ちなみwikipediaのボートピープルの項目の最後に「チュニジアからのボートピープル」とあるが、最新のジャスミン革命で生まれた難民であり、そのドキュメンタリーも作られている。そちらについても後日書きたいと思う。

ソンミ村 虐殺の真実



BS世界のドキュメンタリーにて視聴

<シリーズ ベトナム戦争>

戦争において虐殺はつき物と言っても良いくらいだが、根本的にどういった理由でこうも暴走していくのか、一つの事例を丁寧に追う事で普遍的な仕組みそのものも浮かび上がってくる。

前後編使って丁寧に検証し、よくもまあここまで詳細に調べたなと関心する程一人一人の詳細な行動や発言まで明らかにする。

物質的に戦闘力に劣る勢力は次第にゲリラ化し、非戦闘員との境目があいまいになっていく。

ゲリラは民間人として暮らし、いや、民間人そのものが兵士でもあるという状況が生まれ、対抗勢力は常に闇から、仲間と思っていた民間人から攻撃され続ける恐怖に晒され続ける。

やがて全ての人が敵に見え、殺す対象になってしまう。

そして虐殺が起こり、終わってみれば殺されたほとんどの人は非戦闘員であった。

正常な思考回路であれば一目瞭然の子供でさえ、危険な兵士に見ていたという事のようだ。

これは現代の戦争でも本質的に同じ事が起こり得るのだろう。

単に「虐殺がありました。」という認識はあまり意味の無い事なのかもしれない。

より実態に迫っていて始めて問題の本質に近づけるのだなと感じた。

最近の映画「ハート・ロッカー」でも戦闘員と非戦闘員の曖昧さが描写されていたが、「正義」や「報復」は、「人が殺しあう」という現実とそれが生み出す複雑な状況を慎重に考慮した上で決断していかなくてはならないのであろう。

そして慎重に考慮するならば、こうも世界中に「正義の戦争」が多数存在する事は無いだろう。


BS世界のドキュメンタリーにて視聴。

<シリーズ ベトナム戦争>

ベトナム戦争に従軍した日米の戦場カメラマン達を追う。

彼等がそこで目にした物は想像を絶する世界。

一人は疲れ果てて隠居し、一人は自分の使命として資料をまとめあげていく。

結局皆今も当時を引きずりながら生きていた。

ジャーナリストにとって戦場は客観視すべきものであったかもしれない。

事実決して彼らは誰が悪いとかどうとかそういう事は一切言わない。

しかし戦場の何かが彼らの心をそこに留め、生涯に渡って付き合わざる得ないのだったのだろうか。

それは、戦場全てにおける何かなのか、ベトナム戦争における特別な何かだったのか、その辺は一切語られない。

感じろという作品なのかもしれない。

これと言って強烈な映像とかは無いのだがとにかく「戦争って嫌ですね。。」とおもーい気持ちになる。

予防接種 大論争


アメリカでは予防接種を子供に受けさせない親が増えてきているという話。

予防接種のせいで自閉症など様々な障害、病気になったとする噂、研究がインターネットを通じて広く流布され、それを信じた人達が予防接種に反対している。

ジムキャリーなどの有名人達も反対運動に加わっているのには驚いた。

反対派の主な主張は予防接種後に何らかの症状が出たと訴える人を取り上げて、
「何らかの因果関係があるハズ」「もっと調べるべき」「製薬会社が薬を売りたいだけだ。」
というようなものが主になっており、

推進派は「調べた結果因果関係が認められない。」と言う。

反対派のほぼ唯一の科学的根拠らしい論文も後に多くの学会で否定されたという。

という事で番組の作りとしては予防接種推進側に若干寄った作りになっている。

疫学的、統計学的、科学的には予防接種は有効なのに、根拠の薄い情報に振り回されているのが問題というような印象を受ける。

個人的な意見だが、確かに自閉症を予防接種のせいにするのはバカげていると思うが、インフルエンザなどの一部の予防接種に関しては有効性に疑問がある。

ワクチンのせいで次から次へと変異し、毎年のように新しいインフルエンザが増えている可能性があるからだ。

まともに受けていたらどんどん受けなくてはならない予防接種の数が増えてしまう。

「人間本来の免疫力を強くする事が重要で、予防接種はむしろ免疫力を低下させてしまう。」という反対活動家の一部の意見は一理あると思う。

もう一点見逃せないのは、推進派の中にワクチン開発で大儲けした人間がいる事である。

当然反対派はこの点も攻撃するのだが、社会的にどうするかという問題において個人が大儲けするシステムが存在すると、どうしても歪みが生まれてしまう気がする。

極端な金銭的メリットを与えなくても研究に熱心でいられる真面目な研究者は沢山いると思うよ。

予防接種全肯定も全否定も問題で、最低限必要なものをしっかり精査しながら行っていく必要があるんじゃなかろうか。

子供に受けさせる事が多い予防接種。

今は比較的情報が得やすい時代なので親としてはちゃんと情報取ってしっかり考え、流されずに厳選して受けさせるべきという事でどうでしょうか。

まあ言うが易しなんだけど。
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