2011年10月24日
モニカとデヴィッド 〜あるダウン症カップルの結婚〜
なんとなく内容が想像できたのであるが、実際には想像以下で、なんだかとっても「どうでもよい」作品であった。
「ダウン症である」という事に意味を持たせたいのであれば、ダウン症に関連する社会問題や本人達の苦悩がクローズアップされてこそ意味がある。
しかしこの二人の親はどうやらめったやたら金持ちのようで、マイアミの高級住宅地に結婚後も親と同居してこれといって不自由の無い生活を送っている。
「私達がいなくなった後の事が心配です。」
とか泣きながら親が訴えていたが、いやいや十分金あるんだからいい施設に入って平均よりずっと良い暮らしができるじゃんか。
としか思わない。
本人達の苦悩と言っても誰でも持ってる程度のレベルしか出てこない。
ダウン症である事の社会問題を端的に言えば教育や就業、意識など、社会の受け入れ態勢が十分で無い事であるが、金さえあれば教育も受けられるし、就業も切実ではないし、意識的な差別があっても貧乏人よりはるかに良い生活を送れる。
ダウン症に無知な人が見れば「彼らも私達とあまり変わらない感情があるんだね。」って事がわかるっていうような作りなのかもしれないが、そんなのって失礼な話で、ダウン症の人達が結婚する事自体はなんら特別な事じゃない。
そんな例はいくらでもあるし、「少ない」とするならそれを阻害している社会問題にこそ焦点をあてるべき。
今回のこの人達は幸運にもそういう問題の中にはいない人達だ。
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