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北ベトナム軍に制圧された南ベトナムから多くの難民が生まれる。

その一部はボートに乗り込み海を渡った。

当然すんなり行くわけもなく、沢山の人が海の上で死んだ。

生き残り達が詳細を語り、現地に赴くという話。

ベトナム戦争で一般的にイメージされるのは「アメリカ対ベトナム」であるが、当然「北対南」の「紛争」という一面もある訳で、同じベトナム人同士が殺し合い、「ベトナム戦争で負けたベトナム人」もいた事は普段あまりクローズアップされない。

この作品ではその「同じベトナム人に追われて難民となった人達」を描いたところに非常に価値がある。

戦争の悲劇は様々な角度から語られてしかるべきだ。

作品では遭難して沢山の命を落としつつアメリカ領内にまで到達したにも関わらず政治的問題でなかなか入国許可が出ず、そのままボート内で死ぬ人も多かったと生き残り達は語り、当時ボートを監視した米軍兵士にも会い、憤りをぶつける。

ボートでの凄惨な実情や悲劇を聞けば同情せざる得ないが、背景、状況を考えれば一兵士が「見殺しにした!」と責められるのはちょっと酷かなと思うし、十字架を背負って今尚苦しむその元兵士もまた同情すべき対象である。

元々「ボートピープル」はその他様々な種類の難民を指す言葉であり、作品でスポットを当てたのはそのごく一部である。(その辺はwikipediaにざっと書いてあるので参照されたし。)

つまりこの作品は「ベトナム戦争で負けたベトナム人」というテーマと、いわゆる「ボートピープルの悲劇」という二つのテーマが存在する。

あまりに複雑で十把一からげにはできないが、最低限目の前の人命に対し全て検証している時間は無い訳で、一旦は引き受け、後に精査という対応が必要な事をこの作品は教えてくれる。

「僕の居場所はどこ?」で語られた中南米からの不法入国者だって難民って言えば難民だ。

少なくとも先進国にはその責任があるだろう。

日本においてもベトナムからのボートピープルは辿りついており、難民全般に対して「一時的な滞在は認める。」という対応になってるそうです。(外務省)

ちなみwikipediaのボートピープルの項目の最後に「チュニジアからのボートピープル」とあるが、最新のジャスミン革命で生まれた難民であり、そのドキュメンタリーも作られている。そちらについても後日書きたいと思う。

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