2011年07月27日
エルサレム ふたりの少女〜自爆テロ 母達の対話〜
BS世界のドキュメンタリーにて視聴。
2002年に起こった自爆テロの犯人は18歳のパレスチナ人女性で、被害者の一人は17歳のイスラエル人女性だった。
二人は背格好も年齢も似ていた事もあり、世界中で大きく報道された。
女性だからなんだってのはあるが、作品の本質はそれとは関係ないところにある。
被害者女性の母親は刑務所でテロ未遂犯に面会し、話を聞く。
自分が被害者の母親である事を告げ、テロへの反省を促そうとするが、反論にあってしまう。
結局パレスチナVSイスラエルの言い合いになってしまうのだが、そのやりとりには溜息しか出ない。
どちらの言い分が正しいかという第3者的なジャッジなど全く無意味と思えるほど両者の意見の根底には憎しみが存在しており、一市民の言い合いが、そのままパレスチナの現状を映しているようである。
結局母親は苦しみ抜いた末に、解決への一歩として犯人の母親と会って話をする事に決める。
すったもんだあってテレビ会談が実現する。
しかし被害者側はテロへの反省を相変わらず促し、加害者側は原因がイスラエルにある事を主張する。
結局お互いが被害者であり加害者であるという複雑な状況であるので、「平和」を口にしても「お前が言うな!」になってしまい、話は平行線を辿り、決裂する。
この作品は決してイスラエルがどうとか、パレスチナがどうとかそういう政治的な話には突っ込まない。
それをやるタイプの作品もあるが、複雑すぎて「よくわからない。」だったり偏ってしまって「そうとも限らない。」などの中途半端に終わってしまう場合も多い。
しかしこの作品は当事者間、それも市民レベルの言い合いが作品の核という実に生々しい作りでぐいぐい引き込まれ、
「パレスチナ問題って複雑なんだな。」
という事を感覚的に理解ができる素晴らしい作品。
報復の繰り返しの歴史が当事者間での平和的解決を限りなく不可能にしている印象がある。
第三者による仲裁しか手は無いのかもしれない。
その際にはあまり頼りにならないが宗教的にも利害関係的にも比較的中立の立場と取れるであろう日本が一役買ってもいいのでないかとは思う。
言い合いをテキストに起こしたサイトがあったので、興味のある人は是非。
http://ayu217.at.webry.info/200906/article_27.html
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