そのポスターは、福引きのガラガラ抽選器、いわゆるガラポンを乳房に見立てたイラストに仕立てて、【「まさか、私が」と 毎年9万人が言う】というコピーが添えられている。
(まいどなニュースより)
「あっ!」と思うところはあるだろう。いわゆるインパクトのある表現かもしれない。
(もし私の古巣の会社が作っていたものなら、OBとしては、悲しく、申し訳ないという気持ちになる。)
公共広告を作る、というのは、広告の発信者が公的な組織であることが多く、商品広告以上に、社会的責任を伴うメッセージとなる場合もある。広告の中でも特にデリケートな部分に関わることもあるかもしれない。
広告を提案するというプロセスでは、多くの人が関わる。制作者以外にも、営業からマーケティングの人間まで多くのスタッフが一緒になってアイデアを練る。それだけに、クリエイターが思いついたアイデアを、この案は、世の中に送り出した時に何か問題はないか?ということは、制作者だけでなく、営業担当をはじめ、関係者みんなが気にすべき点である。
コンペに勝たなければ、という強い思いは当然あるわけで、よりインパクトのあるアイデアを探し求めて、アイデアを考える事も多い。しかし、ただ目立てばよいというものではなく、広告を作る人間は、そんなに安易で単純なことだけで、広告のアイデアを考えるわけでは、決してない。それは声を大にして言いたい。
この案も、よし、これで行こう、と決めた瞬間には、関係者が議論をしたうえで決めたはずであろう。しかし、そのジャッジにはやはり甘さがあった。
まだ病気になっていない人に呼びかけるメッセージだから、と思ったのだろうか。しかし、病院などにこのポスターが掲出されれば、既に病気になって闘病している人や、その家族もこれを目にすることになる。今回、このポスターが論議となったのも、がんになった家族のいる方たちなどが、これは患者や家族の気持ちを理解していない、といってクレームを発したことがきっかけのようである。そうした方の一人が「これは、想像を怠った創造である」とおっしゃったそうだ。
コンペのアイデアを思いついて提案決定するのは、たいてい〆切ギリギリになることも多い。夜中に思いついて、疲れのたまった関係者みんなで、「これ、いいじゃないか!」と少し興奮しながら決めるような場合もあるかもしれない。しかし、夜に書いたラブレターは読み返せ、というように、そこでもう一度冷静になって自ら問いかける必要がある。
このメッセージは、誰かを傷つけたりはしていないか?と。
広告は、社会的責任を伴うメッセージであることを、決して忘れてはいけない。
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