私も、昼ごはんを過ぎたところで何気なく見たことがきっかけでいくつかの番組を時々見るようになった。
最初は、毎日自ら経験していることなのに、さらにわざわざ介護の実例をみるなんて・・・と抵抗があったが、苦しいのは自分だけじゃないんだ、と励まされたり、ヒントをもらったりすることも何度かあった。
昨日のNHKETVの介護番組では、認知症の家族と暮らす、というテーマで、認知症のお母さんが、娘さんが食事をちゃんと食べさせているのに、「どうして食事を食べさせてくれないの?」と言い張り、いさかいになるという再現シーンを放送していた。さらに、娘さんに対して「あなたはどなたですか?」と聞くようになるシーンまであった。
うちはまだそこまではいっていないけれど、最近は、たまに私の名前を忘れるようになってきたし、食事を食べたことはすぐ忘れるようになってきたから、わかるなあと思いながら見ていた。
ところが、今日は、いつものように朝食後1時間ほどで、腹が減ったと言い始めたので、「ちゃんと朝ご飯食べましたよ、まだ1時間しかたってませんよ」、といつものようにたしなめたら、「いや、食事が少なかった。お前、今日はいつもの半分しか食事を出さなかった」と言い始めた。思わず再現ドラマの娘さんのようにイライラしながら、そんなことはない、と毎日携帯で撮影してある食事の写真を見せても、いや、お前が間違えて半分だけだった、の一点張り。何度説明しても、お前が間違っていると言い張り続けたのであきらめて父のそばを離れた。
介護あるある、の代表的な例として皆さんが口をそろえて言うのは、食事を食べたのに、食べてない、食べさせてもらってない、と言い続けること。私もしょっちゅう経験して、イライラすることも多い。
そして、寝てる時に見た夢と現実の区別がつかなかったり、昔の記憶が蘇って今のこととして主張し続けることもある。私の父は、地方政治家だったこともあって、とにかく人の葬式にまめに行っていた。
そのせいか、今日は俺の友達の葬式があって行かんならん、と主張し続けることがたびたびある。一昨日もこれを言い始めて、何度説明してもすぐに同じ主張を繰り返し続け、なんとこの日は1時間ほどもオートリピートのような言い合いを繰り返すことになった。
最近は、こうした父の間違った記憶の思い込みを言い続けることが、確かに増えてきている。
こういうことは、自宅介護者でなければなかなか実感できないけれど、神経を逆なでされ、本当に心を痛めることだ。
介護の毎日はこういうことが、何度も連続して積み重なり、介護者の心身を疲弊させる。
昨日のETVの番組では、介護福祉士の方が、前向きな気持ちに置き換えながら対処しましょうというようなことを言っていた。
確かにその通りで、みんなそう思って自分を励まそうとするのだけれど、やはり言うは易し行うは難し、である。介護者は、いかに自分の心が折れないように自分の気持ちをメンテナンスするかが、大切なことであり、しかし難しいことでもある。
#認知症の家族と暮らす
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