中庭は、北陸の長細い町家の真ん中にあって、家に風を通すための庭だから、小さなものだが、大昔に祖父が庭師に入ってもらって石や木を入れてかなりしっかり作ったものだと思う。その後父がほったらかしにして庭師を入れることを何十年もやっていなかったために荒れ放題になって、ヒバも松も大暴れしてしまい、正直収拾がつかなくなっている。当時の庭師が誰だったのかも、もはやわからない。大きく太くなったヒバは、毎年大量の落ち葉で雨樋いを詰まらせ、屋根に当たりそうなくらい大きくなっている。
私が実家に戻った時、中庭は、雑草が伸び放題でジャングルのようになっていた。ヒバの枝を少し切ってもらうために、植木屋さんに入ってもらったが、「ヒバも松もここまでになると、本当は切り倒してしまって、石や灯篭を楽しむためだけの庭にしたほうが良いと思います、という意見をもらったほどである。私も、その意見にはかなり心が動いたが、まだ踏み切ってはいない。
中庭の木を整理するのは先送りにして、まずは、他人も通る裏庭の木を少しだけ整理しようというのは、父の介護用に借りていたアパートから3年前に実家に戻ってきた頃から考えていた。
裏庭には、柘植とおぼしき木が植わっていたが、これも長年剪定されていなかったので、枝は暴れ放題になり、細い歩道にはみだし、単なる迷惑な木になり果てていた。父がまだ元気だった頃に、柘植を切りたいと言ってみたが、なんだか未練があるようだったのでその時は遠慮していた。今回、その木をかなり切ってみたら、本当にすっきりした。もっと早くやればよかったと実感。通りかかったご近所の方も、「思い切ってお切りになりましたね。でもすっきりしましたね」と仰っていた。きっと、見苦しいと感じておられたのだろう。
家内は、植物が好きで、庭木のことや灯篭などについて、色々意見を言ってくれる。以前は、なかなかお金もかかるし、すぐにはできないなあと思っていたが、こうして老境にいたると、庭も少しでも整理しておかないとえらいことになるということが身に沁みてくる。
日本の家と庭は、次の世代が継承してメンテしてくれることが前提で作られるものだった。しかし、家族構造が変化し、私もそうだが、実家を離れて都会で仕事をして家、そこに家庭を構えると、その前提は崩れてしまう。私の子供たちは、都会生まれの都会育ちで、この町とは縁もゆかりもない。この古い家は、私の代で終わりかな、と思っているので、私が元気な間に、少しでも軽くしていこうと思って片づけているが、まだ蔵の中のガラクタも手つかずのままだ。中庭には、大きな灯篭などががいくつかある。それが未来に継承されない場合には、少しでも取り除いておいたりしないと、子供たちがそれをやれば相当の負担になってしまう。少し壊れたものや、ヒバに押され始めて傾いたものなどは、今のうちに取り除くなどの手当が必要かもしれないと考えているが、一方で私が生まれた時から見ている庭の灯篭を取り除くことにはためらいもある。
介護にとどまらず、なにかと悩ましい日々である。
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