介護をしながら、自宅にいる生活をしているので、ほぼ一日中TVを見ることができる。時差のないオリンピックということで、真夜中でなく、日中から夜にかけての日常的な時間帯の中で、次々と組まれた競技プログラムをチャンネルザッピングしながら、興味のある競技を次々に見ていると、高いテンションでライブ映像と向き合うことになる。
ライブで日本選手の応援をしていると、たとえテレビ観戦であってもいくつかの競技を見続けていると、心地よい「応援疲れ」のようなものがあった。もちろん、日本選手のメダルラッシュということがあったからこそではあるが。
選手が戦っているその瞬間の時間を共有している、という気持ちが高揚感を生み出すのだろう。そんな2週間あまりの日々であった。
今週になって、いつもの番組編成に戻ると、なんだかちょっと拍子抜けしたような感覚がある。
あらためて、平日の日中のTV番組というのは、つまらないものが多いなあとも感じてしまう。
今朝の朝刊に、共同通信配信のコラム記事で、東京オリンピックに対する海外メディアの評価に関するものがあった。コロナ禍の困難な状況で、日本が大会を成功させたと、おおむね好意的に評価しているという。しかし、一方で、医療体制や財政負担など多大な大小を日本に強いるものだ、という見方もあった。政治不信や不安を増長したと評するものもあったという。増大した費用や、無観客での開催などにより、日本国民は、「参加できないパーティーのコストを支払っている」と記したメディアもあった。大喜利なら座布団一枚である。
競技中継の放送がなくなった脱力感でなく、この先は、政治不信や、財政負担などオリンピックの後始末によって、さらなる脱力感をおぼえることになるのかもしれない。
#東京オリンピック閉幕 #東京2020
【このカテゴリーの最新記事】