昨日の朝、父が目を覚ました時に、開口一番、「選挙どうしようかのう?出るほうがいいかどうするかなあ・・・」とつぶやいた。
父が、X期目の選挙に出馬するかどうかを迷っていたのは、今から35年くらいも前のことである。このところ地元の市長選やら、東京都議選などのニュースが連日報道されているから、突然選挙に関する記憶のスイッチが入ったのかもしれない。
(画像は、私が少し前に書いた父のスケッチ)
「あんたが、首長をやっていたのは、もう30年以上も前のことだよ。」そう語りかけて、出馬をやめた時のことや、要介護の老人である今の状況を静かに丹念に説明したら、少し落ち着いたが、30分ほどしてからまた、「やっぱり選挙に出るべきかなあ」とつぶやいた。
あれから何十年も経ったにもかかわらず、やはり父の心の中には、決断に際して逡巡があったのではないか?ということを、30数年経った今、認知症の記憶スイッチによって、あらためて感じた。本当に不思議なものだ。
人の心の中に潜む「迷いの記憶」や「後悔の記憶」は、実は、普通の記憶よりも強くて深いものなのかもしれない。
あまりに悲しすぎる記憶や辛すぎる記憶には、自己防衛本能によって記憶にフタをするというメカニズムがあるような説を聞いたことがある。
父も、一度決めたことだからと、いったん記憶にフタをしたのではないか。実際、その後の30数年、その件について父から何か感想を聞いたことはほとんどなかったと思う。
そして、今、突然30数年前の逡巡の記憶が蘇ってきたのだろうか。
今日は、ゴルフコンペの話題だった。「明日はコンペだったのう?」と私に問うた。
「いや、残念ながらゴルフの予定は、ないよ・・・」「いや、あるはずだ・・・」と父。
さて、次の父の記憶スイッチは、どんなものになるだろうか?
「実はお前には、異母兄弟がいる・・・・」そんな物騒な話題は、どうかご勘弁願いたい(笑)。
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