自信、自負、自尊というような「誇り」とか「プライド」を意味する言葉であるが、自分なりの確固たる信念に基づき、自己の尊厳と深く強く関わるような思いを含んだ言葉でもあるという。
新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長が、「今の状況で(五輪を)やるというのは普通はない」と衆院の委員会で強く語ったのは6月の初めだった。感染症対策のための分科会会長がオリンピックについて言及するのは、越権行為だなどという批判も飛びかい、尾身氏への風当たりは強くなっている。
(画像は、産経新聞より)
そうした中で、さらに専門家として、しかるべきところにきちんと提言を出す、ということも語っている。
舛添元都知事は、責任逃れのアリバイ作りだというようなことを発言されたようだが、責任逃れと言うよりは、今ここで自分として言うべきことは言っておかねば、という専門家としての強い責任感ではないかと思う。
いわば、政府に盾突くような発言となるわけだから、責任逃れということではすまないだろう。私は、そこに尾身氏の「矜持」を感じる。
感染の専門家としては、本当は、今すぐ開催を中止すべきだと言いたいところなのだろう。
しかし、自分がオリンピックについてそこまで発言するのは、まさに立場が違う。そこを色々考えた末に、ああした表現になったのではないか。
このタイミングでの開催中止は、確かに極めて難しいかもしれない。しかし、国民の6割以上が開催に疑問を投げかけ、世界のメディアからも、開催すべきなのか?という意見も出てきている中で、今月が本当に最後の判断タイミングだろう。
尾身氏の立場を超えた発言には、当然賛否があるかもしれないが、その言葉には、感染の広がりを誰よりも懸念する専門家の強い思いがある。批判だけで片付けずに、もう一度しっかりと受け止めてきちんと議論すべきことではないかと思う。
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