今夜は、寝台特急WESTEXPRESS銀河の試運転乗車レポート。この番組の常連ゲストである鉄道マニアの徳永ゆうきと伊藤壮吾が、旅を楽しむといううらやましい企画であった。
私は、寝台列車にはかなりなじみがある。今を去ること半世紀近く前、大学時代、東京から北陸の実家の行き帰りには寝台列車をよく利用した。当時は、寝台急行の「能登」と寝台列車の「北陸」が、北陸への夜行列車であった。能登は、急行なので、寝台車もあるが、普通の4人掛けの席も接続されていて、大学生の頃は、「学生は、普通席に乗るもんだ」という父の言葉に従い、固くてせまい4人掛けの席で時々帰郷した。当然、とても眠れるものじゃないが、それでも若さのおかげで、数時間眠っただけで実家や自分の家に帰りつき、そのまま家に帰って布団に倒れこんでむさぼるように眠ったりしていた。
昔は、北陸新幹線などないから、特急で6時間くらいかけて帰るか、夜行列車しかなかったので、サラリーマンになってからも、仕事を終えて帰郷しようとすると寝台列車しかなく、普通席であれば予約なしで乗れたので、時々利用していた。
(画像は、トレたび サイトより)
夜行列車で忘れられないのは、母が危篤という知らせを受けて夜行列車に飛び乗って帰った時のことだ。朝6時頃に古里の駅に着いた時に、改札を出たとたんに私の名前を呼ぶアナウンスが聞こえた。窓口で伝言を確認してほしいというものだった。昔は、駅でのそんな呼び出しにも例外的に対応してくれたようだ。その放送を聴いた瞬間に、あ、母が逝った・・・となぜか感じた。すぐにタクシーで病院に向かったけれど、到着した時に、母は既に息絶えていた。ちょうど私が駅に着いた頃に亡くなったようだった。
故郷の駅に着く時には、眠っていると金沢まで行ってしまうので、寝過ごさないように注意が必要だった。上野に着く時には、終着駅なので、わりに安心して乗っていられた。
夜行列車の社内放送は、23時前くらいに終了する。次は朝の5時過ぎくらいから、終着駅近くのいくつかの駅から始まる。「チャララララララ、チャララララ〜」独特の機械式チャイムの音を懐かしく思い出す。
上野駅に着く時には、たしか高崎あたりから少しづつ夜が明けていき、B寝台の4つのベッドの中で、もぞもぞと動き出す人の気配が感じられ、やがて着替えを終えて、各々のベッドのカーテンが開けられ、通路側にあった腰掛に座り、明るくなっていく窓外の景色を眺めながら備え付けの灰皿を使ってタバコを吸う人が多かった。(私も当時はその一人だった。起き抜けは、タバコがとても吸いたくなる)朝の寝台車の通路は、ものすごくタバコ臭かったことを思い出す。
新幹線が開通し、能登も北陸も、今では無くなってしまった。しかし、夜行列車は、寝ている間に目的地に着くので、とても効率的な乗り物でもある。そして、どこか抒情的な乗り物でもある。非日常的な移動空間。夜の中を疾走するあの独特の揺れと音が懐かしい。
#夜行列車の旅 #寝台列車 #寝台特急WEST EXPRESS銀河
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