この3週間ほど、父が、「腹が減った、食事を食べていない」ということを言うのが増えた。もちろん、食事は、3食きちんと食べているにもかかわらず、である。
週2回のデイサービスにおいても、食事を終えた後から、「食べてない、腹が減った」ということを繰り返すらしい。
家にいる時も同様である。いや、私はずっと一緒にいるので、デイサービスのスタッフの皆さんより、もっと頻繁にそれを聞くことになる。
昨夜は、午前2時過ぎから「腹が減った、何か食べたい」というのを繰り返していた。
可哀想だけれど、適切な量の食事は食べているので、それ以上のものを、まして真夜中に食べさせることは、私はしない。とはいえ、昨夜は、2時半から3時半まで、約1時間にわたって私の名前を呼びながら、この言葉を叫び続けていた。聴いている方も、本当に神経が疲れてくる。
この症状については、介護をしている皆さん共通のお悩みのようで、何か食べさせる方も多いようだ。しかし、私は、そうやって求めに応じて食べ物を与えてしまうと、過食症のようにもなってしまうかもしれないし、真夜中に追加で食べ物をたべさせることは、良いことだとは思えないのでできるだけ食べさせないようにしている。
とはいえ、夜中に何度も何度も繰り返し名前を呼ばれ、「腹が減った」:という声を聴き続けていると、本当に神経にこたえる。介護と向き合うことの苦しさというのは、知らない人から見ると、たかがそんなことで、と思われるようなことも多いが、こういう些細なことが、実はものすごくこたえるのだ。
真綿で首を絞める、という言い回しがあるが、ちょっとそれに似ている。その行為事態はたいしたことがないように思えるのに、繰り返されるとじわじわと心に響いてくるのだ。
同様の気持ちにある方のために書いておくが、私は、かなり堪えたので、心療内科の医師に相談をして、軽いうつ病の治療薬を処方して頂いて飲むほどになった。弱い薬のようで、それほど効き目は感じないが、私の苦悩を医師が客観的に共有してもらっているということが、とても心理的に大きいと思っている。
自宅介護は、世話をする人の心身を、想像以上にさいなむものだ。まして同居家族がいない状態で一人で向き合っているとなおさらだ。体も心もじわじわと痛んでくる。そのことは恥ずべきことではなく、むしろしっかりとそれを理解して自らも周囲も、その対処方法を考え共有することが必要だと思う。そうでないと、介護する人が自らの命を絶つことですら起こりかねない。
実際、数年前、父が今より体が動いた時には、勝手に家の中を動き回って物を壊したり、トイレの前で間に合わずに、衣服と廊下を汚したりするなどが頻発した時には、私は本当に消耗した。もう耐え切れず死にたい、と痛切に思ったことがあった。しかし、もし私が死んで父が残ったら、家族が代わりをやれるのか?と自問し、そんなことをさせるわけにはいかない、と思いとどまった。
私と同じような気持ちを持ちながら自宅介護を続けている人は、この瞬間もきっと大勢いらっしゃるに違いない。皆さん、どうぞ、気を確かにもって、難局に立ち向かいましょう。貴方の努力や取り組みは、決して無駄ではありません!そして、あなたはひとりではありません!
#認知症
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