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2021年02月07日

麒麟伝説

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回が終わった。いつも見たり見なかったりという中途半端な視聴状況になる私も、今回の最終回はしっかり拝見した。
210207きりん.jpg

今日の段階では、見ていない人がいらっしゃると申し訳ないので詳細には書かないけれど、本能寺の変のあとのことにも少し触れるというアプローチは、新鮮な手法ではあるけれど、やはりドラマの盛り上がりという点では、多少間延びした感があるかもしれない。しかし、それは、業火の中で自決を選んだ信長の壮絶な死で終わるというこれまでの本能寺の変のドラマのイメージが、我々の心の中にできているからではないだろうか。
こうしたステレオタイプが出来上がったお芝居というのを演出するのは、なかなか大変だなあと最終回を見ながらあらためて感じた。
とはいえ、脚本の池端氏の構成力は、さすがであった。ドラマ全体を光秀の視点ですすめるというのは、確かにこれまであまり行われていなかったかもしれない。光秀の運命を大きく動かす重要な役回りに松永久秀を位置づけ、そのキャスティングも、曲者俳優の吉田鋼太郎を配したことなどもうまく計算されていたなあと思う。まあこれ以上書くと歴史に弱い私としては、ぼろが出るのでこの程度にしておきたい。
実は、ドラマを見ながら今日印象的に感じたことは、ステレオタイプについてである。

日本人の心象風景の中で、光秀は主君を裏切った悪者で、裏切者だからこそ三日天下で終わってしまったんだというような定型イメージは、大なり小なりできあがっているのではないか?こうしたステレオタイプ=定型的な固定観念というのは、様々なところにあるように思う。定型的なものの見方にあてはめたうえで物ごとを判断したり対応したりしようとするのは、日本人にとって、わりと当たり前のことになっているのではないだろうか?
例えば、コロナウィルスに対する対処のし方においても、いつのまにか「こういう時はこうすべきだよね」とか、他の人がしている行動パターンからあまりはずれないようにしようとする定型的な行動特性というのが、いつのまにか共有されていく。我々が、世界の中でも群を抜いてルールを守ってそうした行動を自然に取ることができるというのは、固定的なやり方を比較的受け入れやすいという国民性が影響しているかもしれない。

麒麟がくる、というドラマのキーワードは、世の中を平和にしてくれる麒麟がいつかやってくる、という伝説であった。光秀は、麒麟になろうとしたのかもしれないが、それは夢に終わった。
麒麟伝説のように、コロナVがおさまった平らかな世の中は、きっとやってくるに違いない。そう信じている。

#麒麟がくる #ステレオタイプ
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