すでに障子戸4枚は完了したので、今日は、欄間の障子。午後は美術館に出掛けたいと思っていたが、昼までに2枚の作業が終わったので、結局出掛けるのをあきらめて残りの2枚もやってしまうことにする。
古い障子紙と糊を洗い流し、桟を拭きながら、その美しさに思わず見惚れてしまった。
私が物心ついた時からこの障子があったので、少なくとも50年以上たっていることは間違いないが、父の話によれば、この家が建った時からの障子だというから、ざっと100年ものである。細い木組みの欄間障子は、今も狂いもなく健在である。もちろん、木組みの一部に多少のゆるみはある。しかし、全体としては、4枚とも全く問題がない。乾かしながら、その美しさと作りの確かさ、100年前の職人の技に、あらためて感心する。
日本の家は、木と紙で出来ている、と書いたのはどこの外人だったか思い出せないが、和紙と木を、匠の技によって優れた道具や建築に活かしていった日本人の手仕事の素晴らしさは、本当に驚嘆に値する。
柳宗悦が書いた「手仕事の日本」は、民藝という言葉の生みの親である柳が、日本中の日常使う道具の持つ本質的な美しさと素晴らしさを書いた名著だが、障子などのシンプルな木組みというのも、日本人の当たり前の暮らしの中に生き続けてきた手仕事の傑作である。そう言いながら、実は、障子戸も今ではどんどん少なくなっている。生活が西洋化しマンション中心の都市部では和室も減ってきているし、田舎の家でもどんどん西洋型の建売ばかりに変わっている。
寒くて何かと不便な100年古民家に暮らす私としては、東京のマンションのほうが、生活するにははるかに便利で楽だ。しかし、父を介護しながら暮らしてきた7年の間に、生まれ育ったこの日本文化が詰まった歴史ある家を、私が元気な間は何とかメンテナンスしていこうという気持ちが強くなってきている。この土地にはほとんど接点のない東京生まれの息子に、この家に暮らすことを求めるのはもはや無理だろう。しかし、私の生きている間だけは、なんとか最低限の掃除をしたりメンテナンスしたりしてもたせていきたい、と障子を貼りながらあらためて思った。
作業が終わり、すべての障子が新しくなった父の部屋はとても明るくなった。
障子というのは美しいなあ、と一息つきながら、貼り終わった障子をじっくりと眺めた。
#百年古民家 #障子
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