2023年12月、東京都池袋区。
池袋駅に近いビルの7階に構えたオフィスで花岡征士郎は慌ただしく働く。
金銭に絡む問題を始め、離婚や不動産に関するトラブルなど依頼の種類は幅広い。
花岡は13年末から1年間、司法修習生として学び、14年に東京都内で弁護士になった。
都内の事務所勤務を経て、15年、池袋に自分の事務所を立ち上げた。
民事裁判を中心にした仕事をしている。
事務所の名前は「東京イージス法律事務所」。
人々の困難に寄り添える様ギリシャ神話の女神アテナを支えた盾に準えた。
花岡が何時も心掛けているのは応対の丁寧さだ。
当たり前の様な事だが、これまで居丈高な弁護士も見てきた裏返しでもある。
「依頼者も弁護士も仕事の上では対等な筈」。
事務所のホームページには基本料金も明示。
同期にはこれまで以上の「エリート」がいた。
一流大卒は当然の事、父親が一流企業の顧問弁護士など眩い様な環境で育った人はざらにいた。
幼少の頃から日本だけだなく世界を視野に入れて勉強してきたと言う同期には圧倒的な教養の差も感じた。
自分では如何にもできない家庭環境の差を痛感させられた。
「花形と言われる外資系企業の顧問弁護士などは、こういう奴らがきっと取っていく。
なら俺は如何生きていけばいいのか」。
花岡は悩んだ。
そんな時、池袋の雑踏がヒントになった。
自分が多くの人に支えられた様に、市井の人々が困った時に何か役に立てる事があるのではないか。
そう思った時に迷いは吹っ切れたと言う。
事務所を開いて8年余り。
顧客を選ばず、依頼者と正面から向き合ってきた。
大学院時代に交流のあった弁護士も仲間に加わり、個人だけでなく企業からの依頼も増えてきた。
少年時代、喧嘩をしたり、授業をサボったりと普通ではない道を歩んできた花岡。
然し、ドロップアウトしなかったのは、此処と言う時に、良い人と巡り合い、叶えたい目標や夢ができたからだと言う。
「打ち込める事を追い掛けた時期が自分にとって青春だった。そんな夢に又何時か出合えたら」。
思いを胸に秘め、夢を叶えた場所で今を精一杯生きる。
愛媛新聞 不良少年から弁護士へから
「打ち込める事を追い掛けた時期が青春だった。そんな夢に又何時か出合いたい」俺もそう思う。
琉球大医学部の学士入学試験は英語の面接試験もあったらしい。
英語は TOEIC で800点以上取っていたから自信があったらしい。
2年生に入学して間もなく日立製作所勤務時代に付き合っていた彼女と学生結婚した。
そして6年生に卒業と同時に医師国家試験も受かって無事医師になった。
そんな男が息子である事を誇りに思う。
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