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2015年05月30日

仙石線、震災から4年2ヶ月を経て、完全復旧!あの日の明暗を分けたドラマとは?

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仙石線

宮城県石巻市と仙台市を結ぶJR仙石(せんせき)線が今日、30日、東日本大震災から4年2カ月ぶりに全線復旧します。津波で線路が流出した東松島市の野蒜(のびる)駅付近では震災発生直後、上下2本の列車に計約150人が乗り合わせていました。上下線で、大きく運命が別れてしまったその顛末は、2011年3月11日午後2時46分。石巻行き下り列車(4両編成)は地震が起きた時、野蒜駅から約600メートル進んだ小高い丘で緊急停止しました。運転士は輸送指令室の指示で、指定避難場所だった野蒜小学校に向かうため乗客約100人を車外に誘導し始めました。

しかし、その時、たまたま列車に乗り合わせた元消防団員で土地勘があった阿部義美さんが周囲を見て、こんなことを運転士さんに伝えました。「移動中に津波が来るかもしれない。高台のここが一番安全だ」。そこで、運転士さんは再度指令室の指示を仰ごうとしたが無線がつながりません。でも、阿部さんの意見を受け入れて、全員で車両に残ることを決めました。

すると、ゴーッという地鳴りが響くと、約50メートル前まで黒い津波が押し寄せ民家が流されていったのです。夕方になると、阿部さんは紙袋から土産物を取り出して乗客に回した。「私も弁当があるから」「こっちにもある」。乗客たちは少しずつはしをつけ、隣に回しました。

乗客たちは翌朝、3キロ離れた市民センターに避難しました。

一方、野蒜駅ですれ違った仙台に向かう上り列車はどうなったのか?乗客約50人は野蒜小に避難し、被災したのです。乗客の一人、東松島市野蒜の中村さんによると、津波はあっという間に体育館をのみ込んだのだそうです。体育館では13人が亡くなり、JRによると、少なくとも乗客1人が犠牲になったということです。

ほんの小さな判断の差が、あの日各地で、大きな違いを生み出しましたが、ここでもそれが生じていました。

このように、大きく明暗を分けた二本の列車があってから、4年2ヶ月。ついに仙石線が完全復旧します。地元の人たちの万感の思いを乗せて、新たに安全なルートに設定された仙石線は、今日再び走り始めます。

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