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2022年12月01日
渡辺美里
「オタクのお前には、あまりにも似つかわしくない」と言われるかもしれませんが、一時期、私は、渡辺美里の歌をよく聴いておりました。
テレビで流れていた彼女のヒット曲(1986年「My Revolution」や「Teenage Walk」)を聴いていて、続けて二曲ほど「いいなあ」と思えたので、思い切って、アルバム(1986年「Lovin' you」)にも手を出してみたのです。そしたら、私の勘は当たっていて、そこそこにハマってしまったのでした。名曲とは、聴く人のタイプや人種を超えて、誰の心にでも響くものなのであります。(同じようなパターンで、のちに、私は、平松愛理の歌にもハマりました)
当時(1985年ごろ)は、私も大学に進学して、田舎から大都会の札幌へと引っ越しすると言う、メンタル的にも不安定で、不安や期待などが強く入り混じっていた時期でもありました。そのせいか、今になって、あらためて、渡辺美里の歌を聴き返してみますと、当時のワクワクした希望に溢れた気持ちが蘇ってくるのであります。
そんな訳で、当時は、私は、貸レコード屋から、渡辺美里のレコードを片っ端から借りまくっていました。「Lovin' you」以前のアルバム「eyes」(1985年)も聴きました。アルバムに収録されていなかったシングル(1985年「I'm Free」など)もきちんと借りてきました。そうやって、けっこう熱心なファンだったのでした。もっとも、さすがに、コンサートを観に行くほどではありませんでしたが。
特に好きだった曲は、「きみに会えて」(「eyes」収録)、「そばにいるよ」「君はクロール」(「Lovin' you」の「HERE」収録)、「A Happy Ending」(「Lovin' you」の「THERE」収録)、「HERE COMES THE SUN〜ビートルズに会えなかった〜」(1987年「BREATH」収録)、「Tokyo Calling」(1988年「ribbon」収録)、「ムーンライト ダンス」(1989年「Flower bed」収録)と言ったあたりです。あんまり意識していませんでしたが、私も意外と小室哲哉の曲が気に入っていたみたいです。
札幌に住み始めたばかりの頃の私は、こんな感じで、渡辺美里や松任谷由実、あとは、伊藤かずえとか安田成美などを好んで聴いておりました。それが、都会の生活に慣れてきますと、次第に、劇場で映画を観るようになり、それと並行するように、映画のサントラばかりを聴き集めるような音楽生活スタイルへと変わっていったのです。
テレビで流れていた彼女のヒット曲(1986年「My Revolution」や「Teenage Walk」)を聴いていて、続けて二曲ほど「いいなあ」と思えたので、思い切って、アルバム(1986年「Lovin' you」)にも手を出してみたのです。そしたら、私の勘は当たっていて、そこそこにハマってしまったのでした。名曲とは、聴く人のタイプや人種を超えて、誰の心にでも響くものなのであります。(同じようなパターンで、のちに、私は、平松愛理の歌にもハマりました)
当時(1985年ごろ)は、私も大学に進学して、田舎から大都会の札幌へと引っ越しすると言う、メンタル的にも不安定で、不安や期待などが強く入り混じっていた時期でもありました。そのせいか、今になって、あらためて、渡辺美里の歌を聴き返してみますと、当時のワクワクした希望に溢れた気持ちが蘇ってくるのであります。
そんな訳で、当時は、私は、貸レコード屋から、渡辺美里のレコードを片っ端から借りまくっていました。「Lovin' you」以前のアルバム「eyes」(1985年)も聴きました。アルバムに収録されていなかったシングル(1985年「I'm Free」など)もきちんと借りてきました。そうやって、けっこう熱心なファンだったのでした。もっとも、さすがに、コンサートを観に行くほどではありませんでしたが。
特に好きだった曲は、「きみに会えて」(「eyes」収録)、「そばにいるよ」「君はクロール」(「Lovin' you」の「HERE」収録)、「A Happy Ending」(「Lovin' you」の「THERE」収録)、「HERE COMES THE SUN〜ビートルズに会えなかった〜」(1987年「BREATH」収録)、「Tokyo Calling」(1988年「ribbon」収録)、「ムーンライト ダンス」(1989年「Flower bed」収録)と言ったあたりです。あんまり意識していませんでしたが、私も意外と小室哲哉の曲が気に入っていたみたいです。
札幌に住み始めたばかりの頃の私は、こんな感じで、渡辺美里や松任谷由実、あとは、伊藤かずえとか安田成美などを好んで聴いておりました。それが、都会の生活に慣れてきますと、次第に、劇場で映画を観るようになり、それと並行するように、映画のサントラばかりを聴き集めるような音楽生活スタイルへと変わっていったのです。
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2022年11月04日
巨大怪人の倒し方
(「平成・令和生まれに捧げる特撮学」追加データ)
第二次怪獣ブーム(1971〜1974年)の頃の変身ヒーロー(等身大ヒーロー)ものには、必ずと言っていいほど、巨人タイプの敵キャラが登場した。それは、時には、悪の組織の首領であったり、大幹部であったり、あるいは、イベント回の目玉の敵役だったりもした。
やはり、等身大のヒーローものの場合は、巨大な敵キャラと言うのは、それだけでインパクトがあるし、見た目だけで十分に手強そうにも感じられるからなのであろう。仮面ライダー・シリーズでも、「仮面ライダーX」(1974年)では大幹部のキングダーク(身長26メートル)、「仮面ライダーストロンガー」(1975年)でも最後の敵として岩石大首領(身長不明)と、二度も巨大ラスボスが登場している。
この巨大怪人と言うシチュエーションであるが、その歴史はなかなか古く、元祖ヒーローである「月光仮面」(1958年)の時点で、早くもマンモスコング(身長15メートル)と言う巨大怪獣が出てきた。言うまでもなく、これはキングコングのパクリだったのだが、本来が「悪い人間」と戦う設定だった月光仮面が、こんな巨大な怪物へと、バイクに乗って立ち向かう姿は、いささかシュールなのでもあった。
その後も、「ナショナルキッド」(1961年)には怪獣ギャプラ(身長不明)が、「ジャングルプリンス」(1970年/制作は1965年ごろ)にはアリの魔神(身長不明)と言った巨大キャラが登場して、等身大のヒーローと対峙するのだが、これが、やがて、「ウルトラQ」(1966年)を経由して、「ウルトラマン」(1966年)を筆頭とする巨大ヒーローものへと、バトルの構図そのものが変わってゆく訳である。
さて、第二次怪獣ブームの頃の巨大怪人の倒し方には、なんとなくパターンがあった。それが、一言で紹介すると、「等身大ヒーローは、巨大怪人の体内へと潜り込んで、これを撃退する」と言うものなのである。
およその巨大怪人の正体は、大型ロボットであった。だから、そのような戦い方が可能だし、巨大ロボットの中に潜む操縦者さえ倒せば、この巨大ロボット自体も撃破できる、と言う理屈なのである。
前述した「仮面ライダー」の巨大キャラ、キングダークと岩石大首領も、この方法で倒された。「電人ザボーガー」(1974年)のジャンボメカ(身長120メートル)も然りである。「キカイダー01」(1973年)のジャイアントデビル(完全体の身長不明)は頭部だけの状態のうちに破壊されたが、完成していたら、やはり同種の方法で倒されていたのかもしれない。(原作マンガでは、ほぼ内部から壊されたとも言えそうな最期だった)同じ石ノ森章太郎マンガ繋がりだと、マンガ版の「サイボーグ009」のブラックゴースト団の総統(魔神像)も、ヒーロー(サイボーグ009)に体内へ侵入された後で倒されている。
「超人バロム・1」(1972年)の巨大化する敵ボス・ドルゲ(最大身長20メートル)は、生き物(?)なので、さすがに、体内に潜り込まれて退治されるような事はなかったが、しかし、「快傑ライオン丸」(1973年)では、大魔王ゴースン(身長24メートル)は、人間が変身した巨大怪人でありながらも、最後は、体の中に無理やり飛び込んだヒーロー(ライオン丸)によって、心臓を貫かれて、破滅していた。それまでのストーリーでは、さんざん、ゴースンの弱点は象牙であるかのようなフラグが立てられていたにも関わらず!
実は、この「巨大怪人の体内に入って倒す」と言うパターンは、第二次怪獣ブームから始まったものでもなかった。特撮ヒーローもので、最初に、この手法が用いられたのは、恐らく、「悪魔くん」(1966年)のペロリゴン(身長50メートル、もしくは80メートル)であろう。ペロリゴンも怪獣型妖怪だったのだが、食いしん坊で、ヒーロー(悪魔メフィスト)まで食べてしまったばかりに、最後は、内側から体に穴を開けられて、滅びてしまうのだ。同じ東映作品である「仮面の忍者 赤影」(1967年)でも、甲賀幻妖斎の動かす巨大ロボット・金目像(身長45メートル)は、ヒーロー(赤影)の内部浸入を許したばかりに破壊されていた。「キャプテンウルトラ」(1967年)の、星獣バンデラー(身長40メートル)やバンデル巨人(身長30メートル)の退治法も、実質上、この「内部からの攻撃」の変形であった。
そして、東映作品では、この「巨大な敵を内部から倒す」と言う戦略がエスカレートするあまり、アニメ映画「グレートマジンガー対ゲッターロボ」(1975年)では、ついに巨大ロボット(グレートマジンガーとゲッターロボ)までもが超巨大怪獣ギルギルガン(身長70メートル)の体内に飛び込んで、その巨体をぶっ潰す事となるのだ。
これら東映作品に対して、円谷プロの特撮ものでは、「快獣ブースカ」(1967年)の怪獣イモラ(身長30メートル)にせよ、「緊急指令10-4・10-10」(1972年)の地底怪獣アルフォン(体長70メートル)にせよ、さすがに、動物である怪獣の体内に潜って、やっつけるような手荒なマネはしていなかった。ただし、「戦え!マイティジャック」(1968年)のビッグQ(身長55メートル)の場合はロボットだったから、やはり、しっかりと内部から爆破しているのだ。
なぜ、巨大な敵の倒し方は、このように、いつも、内側に入って攻撃する形になってしまうのであろうか。
思えば、我々日本人は、幼き頃、童話を聞かされていた時期から、「大きな敵は、中から倒せ」と言う戦法を知っていた。すなわち、「一寸法師」だ。豆粒のような一寸法師は、鬼(等身大)に飲み込まれ、その中に入って、これを撃退した。実は、この「敵を内側からやっつける」と言うアイディアは、私たちにとっては、ずっと古くから心に染み付いていたものなのであった。そう言えば、日本人の大好きな中国の物語「西遊記」でも、孫悟空は、よく、悪い妖怪の体の中に入って暴れて、その妖怪を降参させる、と言う戦術を用いていた。
この特撮ヒーローもので頻繁に目にした「巨大な敵の倒し方」は、そもそもが、もっと、いにしえの時代から引き継がれていた伝統だった訳だ。
第二次怪獣ブームは終焉したが、その後も多くの等身大ヒーローものは作られ続けた。それらの新しい作品の中でも、たびたび、巨大な敵は登場したのだが、さすがに、「敵の内側に入って倒す」のはマンネリと考えられるようになったみたいである。近年では、このような巨大怪人の倒し方は、まるで見かけなくなったのでもあった。
第二次怪獣ブーム(1971〜1974年)の頃の変身ヒーロー(等身大ヒーロー)ものには、必ずと言っていいほど、巨人タイプの敵キャラが登場した。それは、時には、悪の組織の首領であったり、大幹部であったり、あるいは、イベント回の目玉の敵役だったりもした。
やはり、等身大のヒーローものの場合は、巨大な敵キャラと言うのは、それだけでインパクトがあるし、見た目だけで十分に手強そうにも感じられるからなのであろう。仮面ライダー・シリーズでも、「仮面ライダーX」(1974年)では大幹部のキングダーク(身長26メートル)、「仮面ライダーストロンガー」(1975年)でも最後の敵として岩石大首領(身長不明)と、二度も巨大ラスボスが登場している。
この巨大怪人と言うシチュエーションであるが、その歴史はなかなか古く、元祖ヒーローである「月光仮面」(1958年)の時点で、早くもマンモスコング(身長15メートル)と言う巨大怪獣が出てきた。言うまでもなく、これはキングコングのパクリだったのだが、本来が「悪い人間」と戦う設定だった月光仮面が、こんな巨大な怪物へと、バイクに乗って立ち向かう姿は、いささかシュールなのでもあった。
その後も、「ナショナルキッド」(1961年)には怪獣ギャプラ(身長不明)が、「ジャングルプリンス」(1970年/制作は1965年ごろ)にはアリの魔神(身長不明)と言った巨大キャラが登場して、等身大のヒーローと対峙するのだが、これが、やがて、「ウルトラQ」(1966年)を経由して、「ウルトラマン」(1966年)を筆頭とする巨大ヒーローものへと、バトルの構図そのものが変わってゆく訳である。
さて、第二次怪獣ブームの頃の巨大怪人の倒し方には、なんとなくパターンがあった。それが、一言で紹介すると、「等身大ヒーローは、巨大怪人の体内へと潜り込んで、これを撃退する」と言うものなのである。
およその巨大怪人の正体は、大型ロボットであった。だから、そのような戦い方が可能だし、巨大ロボットの中に潜む操縦者さえ倒せば、この巨大ロボット自体も撃破できる、と言う理屈なのである。
前述した「仮面ライダー」の巨大キャラ、キングダークと岩石大首領も、この方法で倒された。「電人ザボーガー」(1974年)のジャンボメカ(身長120メートル)も然りである。「キカイダー01」(1973年)のジャイアントデビル(完全体の身長不明)は頭部だけの状態のうちに破壊されたが、完成していたら、やはり同種の方法で倒されていたのかもしれない。(原作マンガでは、ほぼ内部から壊されたとも言えそうな最期だった)同じ石ノ森章太郎マンガ繋がりだと、マンガ版の「サイボーグ009」のブラックゴースト団の総統(魔神像)も、ヒーロー(サイボーグ009)に体内へ侵入された後で倒されている。
「超人バロム・1」(1972年)の巨大化する敵ボス・ドルゲ(最大身長20メートル)は、生き物(?)なので、さすがに、体内に潜り込まれて退治されるような事はなかったが、しかし、「快傑ライオン丸」(1973年)では、大魔王ゴースン(身長24メートル)は、人間が変身した巨大怪人でありながらも、最後は、体の中に無理やり飛び込んだヒーロー(ライオン丸)によって、心臓を貫かれて、破滅していた。それまでのストーリーでは、さんざん、ゴースンの弱点は象牙であるかのようなフラグが立てられていたにも関わらず!
実は、この「巨大怪人の体内に入って倒す」と言うパターンは、第二次怪獣ブームから始まったものでもなかった。特撮ヒーローもので、最初に、この手法が用いられたのは、恐らく、「悪魔くん」(1966年)のペロリゴン(身長50メートル、もしくは80メートル)であろう。ペロリゴンも怪獣型妖怪だったのだが、食いしん坊で、ヒーロー(悪魔メフィスト)まで食べてしまったばかりに、最後は、内側から体に穴を開けられて、滅びてしまうのだ。同じ東映作品である「仮面の忍者 赤影」(1967年)でも、甲賀幻妖斎の動かす巨大ロボット・金目像(身長45メートル)は、ヒーロー(赤影)の内部浸入を許したばかりに破壊されていた。「キャプテンウルトラ」(1967年)の、星獣バンデラー(身長40メートル)やバンデル巨人(身長30メートル)の退治法も、実質上、この「内部からの攻撃」の変形であった。
そして、東映作品では、この「巨大な敵を内部から倒す」と言う戦略がエスカレートするあまり、アニメ映画「グレートマジンガー対ゲッターロボ」(1975年)では、ついに巨大ロボット(グレートマジンガーとゲッターロボ)までもが超巨大怪獣ギルギルガン(身長70メートル)の体内に飛び込んで、その巨体をぶっ潰す事となるのだ。
これら東映作品に対して、円谷プロの特撮ものでは、「快獣ブースカ」(1967年)の怪獣イモラ(身長30メートル)にせよ、「緊急指令10-4・10-10」(1972年)の地底怪獣アルフォン(体長70メートル)にせよ、さすがに、動物である怪獣の体内に潜って、やっつけるような手荒なマネはしていなかった。ただし、「戦え!マイティジャック」(1968年)のビッグQ(身長55メートル)の場合はロボットだったから、やはり、しっかりと内部から爆破しているのだ。
なぜ、巨大な敵の倒し方は、このように、いつも、内側に入って攻撃する形になってしまうのであろうか。
思えば、我々日本人は、幼き頃、童話を聞かされていた時期から、「大きな敵は、中から倒せ」と言う戦法を知っていた。すなわち、「一寸法師」だ。豆粒のような一寸法師は、鬼(等身大)に飲み込まれ、その中に入って、これを撃退した。実は、この「敵を内側からやっつける」と言うアイディアは、私たちにとっては、ずっと古くから心に染み付いていたものなのであった。そう言えば、日本人の大好きな中国の物語「西遊記」でも、孫悟空は、よく、悪い妖怪の体の中に入って暴れて、その妖怪を降参させる、と言う戦術を用いていた。
この特撮ヒーローもので頻繁に目にした「巨大な敵の倒し方」は、そもそもが、もっと、いにしえの時代から引き継がれていた伝統だった訳だ。
第二次怪獣ブームは終焉したが、その後も多くの等身大ヒーローものは作られ続けた。それらの新しい作品の中でも、たびたび、巨大な敵は登場したのだが、さすがに、「敵の内側に入って倒す」のはマンネリと考えられるようになったみたいである。近年では、このような巨大怪人の倒し方は、まるで見かけなくなったのでもあった。
2022年11月01日
「ザ・ディープ」
昔、「ザ・ディープ」(1977年)と言う洋画がありまして、私は、この映画に対して、ちょっとエッチな印象を持っていました。
いえ、実際に、一部のマニアの間では、この映画のヒロイン役の女優(ジャクリーン・ビセット)の遊泳シーンが色っぽい、と評判だったりするのですが、でも、私がゾクゾクしたのは、そこではありませんでした。
実は、この映画、日本の少年マンガ誌の中で、コミカライズされていたのであります。で、私は、たまたま、それを読んだのですが、そのマンガの中では、やはりヒロインが賊の一味にと襲われて、丸裸にされてしまうシーンがあったのです。
当時、まだ小学生だった私は、本編そっちのけで、そのエロいシーンばかりが頭に焼き付いてしまったのでした。
で、当然ながら、原作の映画でも、そのようなシーンがあるのだろうと、ついつい期待してしまう訳です。
のちに、私は、テレビ放送された「ザ・ディープ」を見る機会に恵まれました。ところが、肝心のシーンでは、ヒロインは服を全て剥ぎ取られるのでもなく、もっとソフトな表現で済まされていたのでした。
つまり、マンガの方は、かなり誇張して描かれていただけだったのであります。
さて、そうなると、このマンガの存在の方が気になってきます。もちろん、今となっては、私は、このマンガの詳しいデータも覚えていませんし、外国映画のコミカライズなんて、コミックス化している可能性も低いでしょう。
しかし、インターネットで探してみると、その情報が見事に見つかったのでした。
執筆者は桜多吾作氏で、掲載された雑誌は「月刊少年チャンピオン 1977年8月号」。
これで、まさしく間違いありません。
さらに、もっとよく調べたら、なんと、このマンガを、わざわざ、雑誌からスキャンして(当然、単行本化はされていない)、その一部をネットにアップしている人もいたのでした。そのアップされた画像には、例のヌードの場面も、バッチリ含まれておりました。
全く、このネット時代というのは、本当に、いろいろな過去との再見ができるものなのです。
2022年10月29日
「過ぎてきた河」
私が高校生の時(約40年前)に耳にして、ずっと気になっていた歌がありました。
女性シンガーが歌う歌謡曲で、流れる川をモチーフにした、どこかノスタルジックな雰囲気の歌なのです。しかし、私は、この曲の題名も、誰の歌なのかも、全く知りませんでした。たまたま、耳にした曲だったからです。
どこで聞いたのかだけは、はっきりと覚えているのです。それは、兄の運転していた車の中でした。兄が、運転中のBGMにして流していた曲らしいのです。
だから、この歌のことが気になった私は、まずは、兄が持っていた録音済みカセットテープに探りを入れました。車のカーステレオから流れてきたと言う事は、当然、兄の所有していたカセットの中に入っていた曲だった可能性が高かったからです。
ところが、兄のテープを一通りチェックしたにも関わらず、ついに、問題の曲は見つからなかったのでした。
という事は、どうも、兄はカセットを聞いていたのではなく、その時はカーラジオを聞いていて、ほんの偶然のタイミングで、この曲が流れた、と言う可能性が強くなったきたのです。
これでは、ヒントが無さすぎて、とても探しようがありません。こうして、この謎の曲の探求は、いったん、頓挫してしまったのでした。
でも、非常に特徴的な歌だったので、そのサビの部分の歌詞だけは、よく覚えていたのです。それだけが、この歌の唯一の手掛かりとなったのでした。
それから、だいぶ時が経ちます。私もパソコンを利用するようになりましたが、インターネットというのは便利なもので、歌謡曲の歌詞検索なんて事もできるのであります。
そこで、私は、さっそく、この謎の川の曲の歌詞を調べてみたのです。
しかし、何も引っかかりませんでした。この歌の歌詞と一致する曲は見当たらず、相変わらず、この歌は謎のままだったのです。これが、およそ15年ほど前の話です。
それから、再び時間が過ぎ、5年ほど前に、私は、あらためて、この謎の曲の歌詞を、最新の歌詞検索サービスで探してみました。
すると、今度こそは、見事に見つかったのでした。やはり、10年待った事で、歌詞検索サービスの中身も、より充実したらしいのです。全くもって、諦めずに、再挑戦した甲斐がありました。
このようにして、ついに探し当てた曲というのが、こちらです。
「過ぎてきた河」歌・大橋純子
大橋純子と言えば、「シルエット・ロマンス」(1981年)が有名です。
なんて事ない。私が求めていた曲とは、この「シルエット・ロマンス」のシングル盤レコードのB面だったのです。しかも、この「過ぎてきた河」という曲は、テレビドラマ(1981年「嫁がず、出もどり、小姑」)の主題歌にも使われていたようなのでした。
なるほど。当時、カーラジオから流れるラジオ番組でリクエストされていたとしても、おかしくない歌なのです。
では、なぜ、15年前の歌詞検索サービスではヒットしなかったのかと言いますと、実は、この曲、最初にレコードで発売された後、長いこと、アルバム収録はされてきませんでした。で、ようやく、この曲も収録された大橋純子のアルバムと言うのが、2010年にリリースされた「Tea For Tears」(CDバージョン)だったのです。
これで納得です。確かに、15年前の歌詞検索サービスには引っ掛からなかったはずなのです。つまり、15年前では、この歌の十分なデータがネット上にも無かったのでしょう。それが、2010年にアルバムで発売された事で、5年前でしたら、歌詞検索サービスの方にも、きちんとデータが収納されたのかもしれません。
いやはや、昔の謎の歌探しと言うのも、奥が深いものなのです。
さて、私には、もう一曲、どうしても曲名が知りたい歌謡曲がある事は、このブログでも、だいぶ以前にお話しましたが、こちらの方も、ぜひ、いつかは、見つかってほしいものです。
女性シンガーが歌う歌謡曲で、流れる川をモチーフにした、どこかノスタルジックな雰囲気の歌なのです。しかし、私は、この曲の題名も、誰の歌なのかも、全く知りませんでした。たまたま、耳にした曲だったからです。
どこで聞いたのかだけは、はっきりと覚えているのです。それは、兄の運転していた車の中でした。兄が、運転中のBGMにして流していた曲らしいのです。
だから、この歌のことが気になった私は、まずは、兄が持っていた録音済みカセットテープに探りを入れました。車のカーステレオから流れてきたと言う事は、当然、兄の所有していたカセットの中に入っていた曲だった可能性が高かったからです。
ところが、兄のテープを一通りチェックしたにも関わらず、ついに、問題の曲は見つからなかったのでした。
という事は、どうも、兄はカセットを聞いていたのではなく、その時はカーラジオを聞いていて、ほんの偶然のタイミングで、この曲が流れた、と言う可能性が強くなったきたのです。
これでは、ヒントが無さすぎて、とても探しようがありません。こうして、この謎の曲の探求は、いったん、頓挫してしまったのでした。
でも、非常に特徴的な歌だったので、そのサビの部分の歌詞だけは、よく覚えていたのです。それだけが、この歌の唯一の手掛かりとなったのでした。
それから、だいぶ時が経ちます。私もパソコンを利用するようになりましたが、インターネットというのは便利なもので、歌謡曲の歌詞検索なんて事もできるのであります。
そこで、私は、さっそく、この謎の川の曲の歌詞を調べてみたのです。
しかし、何も引っかかりませんでした。この歌の歌詞と一致する曲は見当たらず、相変わらず、この歌は謎のままだったのです。これが、およそ15年ほど前の話です。
それから、再び時間が過ぎ、5年ほど前に、私は、あらためて、この謎の曲の歌詞を、最新の歌詞検索サービスで探してみました。
すると、今度こそは、見事に見つかったのでした。やはり、10年待った事で、歌詞検索サービスの中身も、より充実したらしいのです。全くもって、諦めずに、再挑戦した甲斐がありました。
このようにして、ついに探し当てた曲というのが、こちらです。
「過ぎてきた河」歌・大橋純子
大橋純子と言えば、「シルエット・ロマンス」(1981年)が有名です。
なんて事ない。私が求めていた曲とは、この「シルエット・ロマンス」のシングル盤レコードのB面だったのです。しかも、この「過ぎてきた河」という曲は、テレビドラマ(1981年「嫁がず、出もどり、小姑」)の主題歌にも使われていたようなのでした。
なるほど。当時、カーラジオから流れるラジオ番組でリクエストされていたとしても、おかしくない歌なのです。
では、なぜ、15年前の歌詞検索サービスではヒットしなかったのかと言いますと、実は、この曲、最初にレコードで発売された後、長いこと、アルバム収録はされてきませんでした。で、ようやく、この曲も収録された大橋純子のアルバムと言うのが、2010年にリリースされた「Tea For Tears」(CDバージョン)だったのです。
これで納得です。確かに、15年前の歌詞検索サービスには引っ掛からなかったはずなのです。つまり、15年前では、この歌の十分なデータがネット上にも無かったのでしょう。それが、2010年にアルバムで発売された事で、5年前でしたら、歌詞検索サービスの方にも、きちんとデータが収納されたのかもしれません。
いやはや、昔の謎の歌探しと言うのも、奥が深いものなのです。
さて、私には、もう一曲、どうしても曲名が知りたい歌謡曲がある事は、このブログでも、だいぶ以前にお話しましたが、こちらの方も、ぜひ、いつかは、見つかってほしいものです。
2022年10月25日
「少年画報」の18大付録とは?
このブログでも、以前、紹介した事があるのですが、かなり昔の少年雑誌「少年画報」(少年画報社)の昭和42年新年号が、ヤフオクにて、売りに出されていた事がありました。私は、この本が、ずっと前から、気になって、気になって、仕方がなかったのでした。
と言いますのも、実は、我が家には、かつて、この「昭和42年新年号」より一つ前の「昭和41年12月号」の「少年画報」があったからです。私が買ったものではありません。多分、兄が買ったものです。それが、ずっと家に置かれたままで、やがて、私も、目にして、読む事になったのです。
この「昭和41年12月号」には、次号の付録の予告として、次のようなページがありました。
怪獣大好き人間にとっては、ヨダレが出そうな内容だと思いませんか?
怪獣のオモチャが、5個も6個もついています。しかも、「走る」とか「火をはく」とか、どれも、きちんと動くらしいのです。(1匹だけ元ネタ不明の「クモ怪獣ワシャリ」も、妙に気になります)
そんな訳で、この付録の広告を初めて見た時の子供時代の私は、ずっと、この本(「少年画報 昭和42年新年号」)が欲しい欲しい、と思っていたのでした。ただし、前述しましたように、この本は兄が子供だった頃に発売されたものだったので、すでに、私の世代では、買いたくても、普通の本屋では売っていなかったのです。
という事で、私は、この本の付録を気にかけて、半世紀もモヤモヤし続けていたのでした。
それが、冒頭で書きましたように、最近、ひょっこりと、この問題の雑誌が、なんと、付録も完備した状態で、ヤフオクに出品されているのを発見したのでありました。ただし、希少本なので、この本のオークションは、見る見るうちに、競り値が上がっていきます。たちまち、私のパッションでは手の届かないような値段になってしまい、またしても、私は、この本と付録を諦めざるを得なくなってしまったのでした。
しかし、世の中とは、分からないものです。
それから、さらに数年ほど経ち、電子書籍を読み漁るようになった私は、たまたまながら、電子書籍サイトの eBookJapan にて、掟破りの「少年画報」の過去の号も売りに出されているのを見つけたのでした。
そして、そうやって復刊された号の一つに、「昭和42年新年号」もあったのです。嬉しい事に、ついに、私は50年以上も恋い焦がれた雑誌を、ようやく、安価で手に入れる事ができたのでした。
もちろん、eBookJapan で売られていたのは、画像データのみの電子書籍ですから、付録まで付いていた訳ではありません。しかし、雑誌の付録と言うのは、その組み立て方が、たいがい、本誌の中に掲載されているものなのです。だから、この「少年画報」にしても、本誌さえ読めたら、付録の大まかな内容も確認できたのでした。
こうして、私は、長年の謎だった、「少年画報 昭和42年新年号」の18大付録の動く怪獣たちの実体を知る事ができたのでありました。全く、人間、長く生きていれば、いろんな望みが叶うみたいなのです。
(なお、eBookJapan での雑誌「少年画報」の販売は、すでに終了しております)
2022年10月20日
戦闘員のいない悪の組織
(「平成・令和生まれに捧げる特撮学」追加データ)
悪の組織の下っぱの構成員たちを「戦闘員」と言う呼称で呼ぶようになったのは、「仮面ライダー」(1971年〜)以降の習わしじゃないかと思われる。
では、「仮面ライダー」以前には、悪の組織には下っぱ組織員がいなかったのかと言うと、そう言う訳でもなくて、元々は、彼らは「〇〇(悪の組織名)団員」とか、忍者ならば「下忍」という風に呼ばれていた。
それが、「仮面ライダー」で、なぜ、急に「戦闘員」になったのかと言うと、「仮面ライダー」が多分にアクション要素の強い作品だったからだとも推察される。
本来、悪の組織の〇〇団員たちは、雑兵であり、戦闘以外にも、作戦遂行や基地警備などの雑役もこなす存在だった。ところが、「仮面ライダー」では、格闘アクションが見せ場となった為、ショッカーの下級団員たちも、親分の怪人が出陣する前の(ライダー相手の)前座の対戦相手、という役回りが強くなったのだ。この「下っぱ団員たちが最初にヒーローと戦う」というスタイルは、その後のヒーローものの定番となり、それゆえに、「仮面ライダー」以降のヒーローものでも、下っぱの団員は「戦闘員」と呼ぶのが定着していったのである。
それが、特撮ヒーローも増産されていくうちに、いつしか、この「戦闘員」という存在も邪魔になり始めたようだ。ストーリー性やリアルさを重視するほど、「戦闘員って、いらなくない?」って話になっていったみたいなのである。
その傾向が最初に現れたのは、恐らく、「宇宙刑事」シリーズ(1982年〜)だったのではないかと思う。この「宇宙刑事」シリーズ自体が、実は、新しい変身ヒーロー像を作ろうとした、野心的な作品だったのだ。
これまでの変身ヒーローの戦い方が肉弾戦メインだったのに対して、宇宙刑事は、あくまで未来志向であり、科学性を前面に押し出して、銃撃戦とか、大型メカによる戦いなどがふんだんに盛り込まれていた。各話クライマックスの怪人との決戦シーンだって、亜空間に移動して、そこで戦っちゃうのである。これでは、怪人との決戦前の前座の戦闘員バトルだって、あまり必要なくなってしまったのだった。
そのせいか、「宇宙刑事」シリーズの敵組織(マクー、マドー、フーマ)にも下級戦闘員は存在したのだが、いまいち印象が薄い。「宇宙刑事ギャバン」(1982年)なんて、メイン怪人以外に、ダブルマンなんて準怪人キャラまで出てきたので、戦闘員のクラッシャーは、ますます目立たなかったのだ。
このように、一方で「宇宙刑事」シリーズが放送されていた頃に、実は、別の時間帯で、ついに、戦闘員が全く居ない悪の組織が登場する事になる。それが、「星雲仮面マシンマン」(1984年)のテンタクルなのだ。
テンタクルは、下っぱ戦闘員が居ないだけではなく、怪人(アンドロイド兵士)たちも全員がほぼ同じ形をした、驚異の手抜き組織だった。だが、それもそのはずだ。テンタクルとは、世界征服とかを目論む悪の組織などではなく、単に、ボスの天才科学者プロフェッサーK(演じるは、故・天本英世さん)のわがままを叶える事だけが目的の超私的な悪者一味だったのである。
そんな訳で、テンタクルは「戦闘員がいない悪の組織」をはじめて形にしてみせたのだった。もっとも、話の流れ上、何度か、下っぱの子分集団みたいなものが出てくる事もあった。彼らについては、あくまで「戦闘員」ではなく、ただの黒服の警備員たち(テンタクルに雇われた人間?)みたいな感じで、処理されていたのだった。
なお、「マシンマン」では、テンタクルのあと、オクトパスと言う、新たな悪の組織も登場するのだが、こちらも、基本的には、専属の戦闘員が居ない組織であった。ただし、オクトパスは「世界中の犯罪者の結託チーム」と言う設定だったので、回によっては、やはり、戦闘員がわりにギャング集団が出てくるような事もあった。
さて、「宇宙刑事」シリーズがひとまず三部作で完結すると、次は「巨獣特捜ジャスピオン」(1985年)と言う作品が始まる事となった。この作品の悪の組織の戦闘員が、又しても、画期的なアイディアを採用している。
「ジャスピオン」の敵組織は、宇宙人の混成部隊(マッドギャラン軍団)なのだが、さまざまな宇宙人の寄せ集めという設定であり、戦闘員に当たる下級隊員たちも、皆、出身星が違うらしくて、別々の姿をしているのだ。つまり、従来の戦闘員とは違って、全員が統一した容姿・コスチュームではなかったのである。本当に、色んな星の宇宙人で構成されていると言うリアルさを、きちんと表現していたのだった。ただし、その為、せっかくの独自の外観を持っていた宇宙人隊員たちが、ザコとして、あっさりと次々に倒されていくと言う、実に勿体無いようなシーンも多々、見受けられたのであった。
同じ時間帯の後続番組である「超人機メタルダー」(1987年)では、第1話が始まった時点で、敵組織(ネロス帝国)のほとんどの怪人がすでに揃っていると言う、さらに斬新な演出が採用されていた。こうやって、怪人たちが最初っから一杯いたら、彼らが戦闘員や雑兵役も担える訳であり、下っぱ戦闘員は要らなくなると言う寸法なのだ。
と、そのように思われたが、やはり、そこまで徹底するには無理があったらしく、やがて、「メタルダー」でも、戦闘員に当たる「軽闘士」と言うキャラが、ボツボツと台頭するようになったのだった。
「メタルダー」の次に始まった「世界忍者戦ジライヤ」(1988年)では、敵も味方も(世界中から集まった)忍者であり、メインの悪の組織である妖魔一族も、唯一の敵という扱いではなかった。妖魔一族の戦闘員に相当する「カラス天狗」は、常に3人1組の布陣を敷いていて、毎回3人しか登場しないと言う、これまた特殊なスタイルの戦闘員であった。
このように、戦闘員の在り方について、いろいろと試行錯誤した作品が続いている中、「仮面ライダー」のシリーズでも、ついに、戦闘員の居ない悪の組織が誕生する事になる。それが、「仮面ライダーBLACK」(1987年)の暗黒結社ゴルゴムだ。
ゴルゴムは、そもそもが、これから地球を征服しようとする悪の組織などではなくて、すでに人間社会を影から牛耳っていた秘密結社だったので、下級戦闘員なんて存在も要らなかった訳である。ゴルゴム怪人にしても、元より戦闘用の兵士などではなくて、人間を怪人へと進化させる事自体がゴルゴムの指針だったのだ。
とは言え、ゴルゴムにしても、やはり、全く戦闘員キャラを出さないようにするのは限界があったようで、結局は、数回ほど、普通の人間らしき雑兵や、さらには、人型ロボット(24話・25話)、ゴルゴム親衛隊(49話)なんてものまで無理くり登場させて、時々、お茶を濁していたようなのだった。
そのあと、「仮面ライダーBLACK」の続編「仮面ライダーBLACK RX」(1988年)に出てきた敵組織・クライシス帝国では、再び戦闘員が配置される事となったのだが、前作の流れの影響もあったのか、従来の戦闘員のような活躍はあまり見せはしなかった。
それから、さらに時が経つ事となる。「超光戦士シャンゼリオン」(1996年)や「仮面天使ロゼッタ」(1998年)など、特定の戦闘員が出てこないように見える作品がいくつか散見されたあと、平成の新ライダー「仮面ライダークウガ」(2000年)が始まると、そこでは、とうとう、戦闘員と言う存在そのものがいっさい排除される事となったのだった。
だが、それも当然だ。クウガの敵は、悪の巨大組織ではないのである。古代人の殺人鬼集団グロンギ族なのだ。ここに来て、ようやく、戦闘員が居ない敵組織と言うのが、基本設定レベルで確立されたみたいなのであった。
そんな訳で、「仮面ライダークウガ」では、完璧なまでに、グロンギの戦闘員なんてものは出てこない。そもそもが、「仮面ライダークウガ」が、のちの平成仮面ライダーシリーズの基礎となるシリアス路線のドラマだったのであり、そんな作風には、リアリズムに欠けた「戦闘員」なんてキャラは似合わないのだ。
その後の平成仮面ライダーシリーズは、この伝統をずっと受け継いでいる。だから、平成仮面ライダーシリーズのほとんどの作品では、敵が大掛かりな悪の組織であっても、戦闘員っぽいキャラは、あまり登場しなくなったのだった。少なくとも、今日の仮面ライダーシリーズに関して言えば、戦闘員のいない悪の組織の方がすっかり主流となっている訳である。
悪の組織の下っぱの構成員たちを「戦闘員」と言う呼称で呼ぶようになったのは、「仮面ライダー」(1971年〜)以降の習わしじゃないかと思われる。
では、「仮面ライダー」以前には、悪の組織には下っぱ組織員がいなかったのかと言うと、そう言う訳でもなくて、元々は、彼らは「〇〇(悪の組織名)団員」とか、忍者ならば「下忍」という風に呼ばれていた。
それが、「仮面ライダー」で、なぜ、急に「戦闘員」になったのかと言うと、「仮面ライダー」が多分にアクション要素の強い作品だったからだとも推察される。
本来、悪の組織の〇〇団員たちは、雑兵であり、戦闘以外にも、作戦遂行や基地警備などの雑役もこなす存在だった。ところが、「仮面ライダー」では、格闘アクションが見せ場となった為、ショッカーの下級団員たちも、親分の怪人が出陣する前の(ライダー相手の)前座の対戦相手、という役回りが強くなったのだ。この「下っぱ団員たちが最初にヒーローと戦う」というスタイルは、その後のヒーローものの定番となり、それゆえに、「仮面ライダー」以降のヒーローものでも、下っぱの団員は「戦闘員」と呼ぶのが定着していったのである。
それが、特撮ヒーローも増産されていくうちに、いつしか、この「戦闘員」という存在も邪魔になり始めたようだ。ストーリー性やリアルさを重視するほど、「戦闘員って、いらなくない?」って話になっていったみたいなのである。
その傾向が最初に現れたのは、恐らく、「宇宙刑事」シリーズ(1982年〜)だったのではないかと思う。この「宇宙刑事」シリーズ自体が、実は、新しい変身ヒーロー像を作ろうとした、野心的な作品だったのだ。
これまでの変身ヒーローの戦い方が肉弾戦メインだったのに対して、宇宙刑事は、あくまで未来志向であり、科学性を前面に押し出して、銃撃戦とか、大型メカによる戦いなどがふんだんに盛り込まれていた。各話クライマックスの怪人との決戦シーンだって、亜空間に移動して、そこで戦っちゃうのである。これでは、怪人との決戦前の前座の戦闘員バトルだって、あまり必要なくなってしまったのだった。
そのせいか、「宇宙刑事」シリーズの敵組織(マクー、マドー、フーマ)にも下級戦闘員は存在したのだが、いまいち印象が薄い。「宇宙刑事ギャバン」(1982年)なんて、メイン怪人以外に、ダブルマンなんて準怪人キャラまで出てきたので、戦闘員のクラッシャーは、ますます目立たなかったのだ。
このように、一方で「宇宙刑事」シリーズが放送されていた頃に、実は、別の時間帯で、ついに、戦闘員が全く居ない悪の組織が登場する事になる。それが、「星雲仮面マシンマン」(1984年)のテンタクルなのだ。
テンタクルは、下っぱ戦闘員が居ないだけではなく、怪人(アンドロイド兵士)たちも全員がほぼ同じ形をした、驚異の手抜き組織だった。だが、それもそのはずだ。テンタクルとは、世界征服とかを目論む悪の組織などではなく、単に、ボスの天才科学者プロフェッサーK(演じるは、故・天本英世さん)のわがままを叶える事だけが目的の超私的な悪者一味だったのである。
そんな訳で、テンタクルは「戦闘員がいない悪の組織」をはじめて形にしてみせたのだった。もっとも、話の流れ上、何度か、下っぱの子分集団みたいなものが出てくる事もあった。彼らについては、あくまで「戦闘員」ではなく、ただの黒服の警備員たち(テンタクルに雇われた人間?)みたいな感じで、処理されていたのだった。
なお、「マシンマン」では、テンタクルのあと、オクトパスと言う、新たな悪の組織も登場するのだが、こちらも、基本的には、専属の戦闘員が居ない組織であった。ただし、オクトパスは「世界中の犯罪者の結託チーム」と言う設定だったので、回によっては、やはり、戦闘員がわりにギャング集団が出てくるような事もあった。
さて、「宇宙刑事」シリーズがひとまず三部作で完結すると、次は「巨獣特捜ジャスピオン」(1985年)と言う作品が始まる事となった。この作品の悪の組織の戦闘員が、又しても、画期的なアイディアを採用している。
「ジャスピオン」の敵組織は、宇宙人の混成部隊(マッドギャラン軍団)なのだが、さまざまな宇宙人の寄せ集めという設定であり、戦闘員に当たる下級隊員たちも、皆、出身星が違うらしくて、別々の姿をしているのだ。つまり、従来の戦闘員とは違って、全員が統一した容姿・コスチュームではなかったのである。本当に、色んな星の宇宙人で構成されていると言うリアルさを、きちんと表現していたのだった。ただし、その為、せっかくの独自の外観を持っていた宇宙人隊員たちが、ザコとして、あっさりと次々に倒されていくと言う、実に勿体無いようなシーンも多々、見受けられたのであった。
同じ時間帯の後続番組である「超人機メタルダー」(1987年)では、第1話が始まった時点で、敵組織(ネロス帝国)のほとんどの怪人がすでに揃っていると言う、さらに斬新な演出が採用されていた。こうやって、怪人たちが最初っから一杯いたら、彼らが戦闘員や雑兵役も担える訳であり、下っぱ戦闘員は要らなくなると言う寸法なのだ。
と、そのように思われたが、やはり、そこまで徹底するには無理があったらしく、やがて、「メタルダー」でも、戦闘員に当たる「軽闘士」と言うキャラが、ボツボツと台頭するようになったのだった。
「メタルダー」の次に始まった「世界忍者戦ジライヤ」(1988年)では、敵も味方も(世界中から集まった)忍者であり、メインの悪の組織である妖魔一族も、唯一の敵という扱いではなかった。妖魔一族の戦闘員に相当する「カラス天狗」は、常に3人1組の布陣を敷いていて、毎回3人しか登場しないと言う、これまた特殊なスタイルの戦闘員であった。
このように、戦闘員の在り方について、いろいろと試行錯誤した作品が続いている中、「仮面ライダー」のシリーズでも、ついに、戦闘員の居ない悪の組織が誕生する事になる。それが、「仮面ライダーBLACK」(1987年)の暗黒結社ゴルゴムだ。
ゴルゴムは、そもそもが、これから地球を征服しようとする悪の組織などではなくて、すでに人間社会を影から牛耳っていた秘密結社だったので、下級戦闘員なんて存在も要らなかった訳である。ゴルゴム怪人にしても、元より戦闘用の兵士などではなくて、人間を怪人へと進化させる事自体がゴルゴムの指針だったのだ。
とは言え、ゴルゴムにしても、やはり、全く戦闘員キャラを出さないようにするのは限界があったようで、結局は、数回ほど、普通の人間らしき雑兵や、さらには、人型ロボット(24話・25話)、ゴルゴム親衛隊(49話)なんてものまで無理くり登場させて、時々、お茶を濁していたようなのだった。
そのあと、「仮面ライダーBLACK」の続編「仮面ライダーBLACK RX」(1988年)に出てきた敵組織・クライシス帝国では、再び戦闘員が配置される事となったのだが、前作の流れの影響もあったのか、従来の戦闘員のような活躍はあまり見せはしなかった。
それから、さらに時が経つ事となる。「超光戦士シャンゼリオン」(1996年)や「仮面天使ロゼッタ」(1998年)など、特定の戦闘員が出てこないように見える作品がいくつか散見されたあと、平成の新ライダー「仮面ライダークウガ」(2000年)が始まると、そこでは、とうとう、戦闘員と言う存在そのものがいっさい排除される事となったのだった。
だが、それも当然だ。クウガの敵は、悪の巨大組織ではないのである。古代人の殺人鬼集団グロンギ族なのだ。ここに来て、ようやく、戦闘員が居ない敵組織と言うのが、基本設定レベルで確立されたみたいなのであった。
そんな訳で、「仮面ライダークウガ」では、完璧なまでに、グロンギの戦闘員なんてものは出てこない。そもそもが、「仮面ライダークウガ」が、のちの平成仮面ライダーシリーズの基礎となるシリアス路線のドラマだったのであり、そんな作風には、リアリズムに欠けた「戦闘員」なんてキャラは似合わないのだ。
その後の平成仮面ライダーシリーズは、この伝統をずっと受け継いでいる。だから、平成仮面ライダーシリーズのほとんどの作品では、敵が大掛かりな悪の組織であっても、戦闘員っぽいキャラは、あまり登場しなくなったのだった。少なくとも、今日の仮面ライダーシリーズに関して言えば、戦闘員のいない悪の組織の方がすっかり主流となっている訳である。
2022年10月18日
破壊音波の時代
確かに超音波メスとか共鳴作用とかは実際にあるのですが、それを拡大解釈して、超音波が破壊用の武器になると言う発想は、一時期の特撮やアニメでは、よく見かけたものでした。
大映映画「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」(1967年)では、怪獣ギャオスが300万サイクルの超音波メスを口から吐いて、何でも切断します。
劇場アニメ「サイボーグ009 怪獣戦争」(1967年)でも、ブラック・ゴーストが操る恐竜型ロボットは、破壊音波を出して、暴れ回りました。
特撮版「マグマ大使」(1966年)に出てきた怪獣フレニックスも、音波怪獣の別名を持つだけに、高周波数音波を攻撃用に吐き出します。
一方、同じピープロ特撮である「怪獣王子」(1967年)では、音波砲は地球人の防衛部隊の側の最強の武器として登場しました。
さらに、ピープロの巨大ヒーローもの「スペクトルマン」(1971年)に出てきたバロンザウルスも、破壊音波が武器の怪獣です。
特撮ドラマ「光速エスパー」(1967年)でも、超音波はガリン星人の侵略武器として使われていました。(第20話「ラスター号出撃」)
アニメ版の「8マン」(1964年)にも、超音波銃を持った殺し屋が出てくるエピソードがあります。(第17話「超音波ドクター」)
面白い事に、破壊超音波は、主に1967年前後の特撮やアニメによく登場していたようなのでした。
あるいは、「超音波でモノを破壊する」と言うイメージが、いかにも科学的っぽく感じられたので、当時の制作者たちは好んで採用していたのかもしれません。
2022年10月15日
ユーミンと私
今年は、松任谷由実(ユーミン)の歌手デビュー50周年なのだそうです。
ユーミンの凄いところは、昔の一時期にだけ大ブームを巻き起こしたと言うのではなく、この50年間に常に定期的にヒット曲を送り出してきた点でして、そういう意味では、ユーミンのどの曲に思い入れがあるかで、その人の世代までが分かってしまう、とも言えましょう。
私も、流行嫌いを自負しておきながら、いっちょ前に、ユーミンの歌だけは、よく聞いておりました。
私のユーミンとの初遭遇は、以前にもこのブログ内で紹介しましたが、姉がカセットに吹き込んでいた「きっと言える」(1973年)でした。この時は、私もまだ小学生で、この歌の歌い手が荒井由実(ユーミン)だった事すら知らなかった訳であります。
恐らく、私が、初めて、ユーミン個人を意識したのは、「守ってあげたい」(1981年)と言う事になるでしょう。この歌は、ご存知の通り、角川映画の「ねらわれた学園」(1981年)の主題歌でした。私は「ねらわれた学園」の原作者の眉村卓氏のファンでしたので、その点でも、この映画、この歌とは必然的な出会いだったのです。
さらに、角川映画の「時をかける少女」(1983年)でも、原田知世が歌う主題曲を作ったのがユーミンだったと知り、私は、よりユーミンに注目するようになりました。同時期に公開された映画「さよならジュピター」(1984年)でも、主題歌「VOYAGER〜日付のない墓標」(1984年)がユーミンの歌だった事も、影響が強いです。
こんな感じで、この1980年代前半に、あちこちでユーミンの歌を見かけた事が、私のユーミンへの傾向のきっかけとなったのであります。
その後、大学に行くため、田舎から札幌に引っ越した私は、貸レコード屋(40年前は、そういう店があった)で、何を借りようかと考えた時、何となく、ユーミンのアルバムを片っぱしから借りる事にします。それらの中には、初めて聞く歌でも気に入ったものが多く、こうして、私は、ユーミンに自然とハマっていったのです。
それから間もなくして、ユーミンは、フジテレビのバラエティ番組「オレたちひょうきん族」のテーマ曲(1986年「土曜日は大キライ」や1987年「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」)も手がけました。当時の「オレたちひょうきん族」をこまめに観ていた私は、やはり、この点(バラエティ番組を見下してない点)でも、ユーミンを好きになったのでした。
こんな感じで、自分の過去を、ユーミンの歌をよく聞いていた頃と重ねて、振り返ってみますと、多分、他人にも、私の歳がぼんやりと推測できるはずなのであります。
余談ですが、ユーミンは、「REINCARNATION」(1983年)や「ESPER」(1980年)、「SHANGRILAをめざせ」(1984年)など、(当時はまだマニアックだった)オカルト用語を取り入れた歌も、ごく当たり前のように歌っていました。オカルト雑誌「ムー」(学研)の創刊が1979年でしたので、そのへんのオタク文化に対する理解もあったのでしょう。そうした懐の広さもまた、ユーミンが様々な層から愛され続けている理由の一つなのかもしれません。
ユーミンの凄いところは、昔の一時期にだけ大ブームを巻き起こしたと言うのではなく、この50年間に常に定期的にヒット曲を送り出してきた点でして、そういう意味では、ユーミンのどの曲に思い入れがあるかで、その人の世代までが分かってしまう、とも言えましょう。
私も、流行嫌いを自負しておきながら、いっちょ前に、ユーミンの歌だけは、よく聞いておりました。
私のユーミンとの初遭遇は、以前にもこのブログ内で紹介しましたが、姉がカセットに吹き込んでいた「きっと言える」(1973年)でした。この時は、私もまだ小学生で、この歌の歌い手が荒井由実(ユーミン)だった事すら知らなかった訳であります。
恐らく、私が、初めて、ユーミン個人を意識したのは、「守ってあげたい」(1981年)と言う事になるでしょう。この歌は、ご存知の通り、角川映画の「ねらわれた学園」(1981年)の主題歌でした。私は「ねらわれた学園」の原作者の眉村卓氏のファンでしたので、その点でも、この映画、この歌とは必然的な出会いだったのです。
さらに、角川映画の「時をかける少女」(1983年)でも、原田知世が歌う主題曲を作ったのがユーミンだったと知り、私は、よりユーミンに注目するようになりました。同時期に公開された映画「さよならジュピター」(1984年)でも、主題歌「VOYAGER〜日付のない墓標」(1984年)がユーミンの歌だった事も、影響が強いです。
こんな感じで、この1980年代前半に、あちこちでユーミンの歌を見かけた事が、私のユーミンへの傾向のきっかけとなったのであります。
その後、大学に行くため、田舎から札幌に引っ越した私は、貸レコード屋(40年前は、そういう店があった)で、何を借りようかと考えた時、何となく、ユーミンのアルバムを片っぱしから借りる事にします。それらの中には、初めて聞く歌でも気に入ったものが多く、こうして、私は、ユーミンに自然とハマっていったのです。
それから間もなくして、ユーミンは、フジテレビのバラエティ番組「オレたちひょうきん族」のテーマ曲(1986年「土曜日は大キライ」や1987年「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」)も手がけました。当時の「オレたちひょうきん族」をこまめに観ていた私は、やはり、この点(バラエティ番組を見下してない点)でも、ユーミンを好きになったのでした。
こんな感じで、自分の過去を、ユーミンの歌をよく聞いていた頃と重ねて、振り返ってみますと、多分、他人にも、私の歳がぼんやりと推測できるはずなのであります。
余談ですが、ユーミンは、「REINCARNATION」(1983年)や「ESPER」(1980年)、「SHANGRILAをめざせ」(1984年)など、(当時はまだマニアックだった)オカルト用語を取り入れた歌も、ごく当たり前のように歌っていました。オカルト雑誌「ムー」(学研)の創刊が1979年でしたので、そのへんのオタク文化に対する理解もあったのでしょう。そうした懐の広さもまた、ユーミンが様々な層から愛され続けている理由の一つなのかもしれません。
2022年10月11日
ミスターXの謎
ミスターXと言うのは、アニメの「ルパン三世」第1期の第1話(1971年「ルパンは燃えているか・・・?!」)に登場した敵キャラクターです。(同じ名前のキャラが、いろんな漫画に出ておりますので、ちょっと紛らわしいのですが)
ルパン三世と敵対する犯罪組織のボスという役回りでした。シリーズ通しての敵という訳でもなく、この1話でルパンに倒されてしまい、いわば、第1話にて、ルパン三世の強さを知らしめる為の引き立て役となっています。なお、原作マンガには登場せず、アニメだけのオリジナルキャラクターです。
このミスターXが、アニメ第2期の「ルパン三世 PART II」にも登場しました。やはり、第1話の「ルパン三世颯爽登場」(1977年)にです。今回も、再集結したルパンファミリーの設定を視聴者にも分かりやすく紹介する目的のような役回りでした。
このまま、ミスターXは、「ルパン三世」アニメの第1話の象徴のようなキャラになってもいいんじゃないかとも思われたのですが、残念ながら、1984年の「ルパン三世 PART III」以降の第1話には登場しませんでした。
ところが、ミスターXは、それっきりのキャラではなく、実は、「ルパン三世 PART II」の時点で、すでに三度めの登場を果たしておりました。それが、第65話の「ルパンの敵はルパン」です。
第1話専門キャラが、なぜ、こんな中途半端な回に再登場を?と、以前は、ずっと不思議に思っていたものでしたが、最近、放送リストを見返していて、気が付いた事がありました。
この第65話と言うのは、1979年の1月8日に放送されたものだったのです。いわば、1979年の第1回めの放送です。同時に、第6クールめの第1話でもあったのであります。
つまり、この第65話でのミスターXの再登場は、決して、何も考えていない人選などではなく、アニメの「PART II」での仕切り直し回、さらには、1979年度の放送の始まりという意味合いが込められていたのかもしれません。
2022年10月08日
渡辺美奈代ラブソング
一時期、アイドルの渡辺美奈代の歌にハマっていた事がありました。
渡辺美奈代なんて、どうせ、おニャン子クラブ出身だし、王道のアイドルなんて、本来は、私の眼中にないはずの存在だったのですが、それでも、彼女のいくつかの曲には、ひどく惹かれてしまったのです。
「ちょっとFallin' Love」(1988年)あたりから、ちょっと良いかな、と思えてきて、「抱いてあげる」「いいじゃない」(ともに、1988年)を経て、「愛がなくちゃ、ネッ!」「恋愛紅一点」(ともに、1989年)で、完全に心を掴まれてしまいました。ただし、気に入ったのは、あくまで、これらの数曲だけで、他の期間に歌っていた歌には、ほぼ魅力を感じなかったのです。
最近、調べて分かったのですが、私の好きな渡辺美奈代の歌は、いずれも、おニャン子卒業後のものばかりでした。言い換えれば、秋元康が携わってないものばかりなのです。私は、秋元康の作詞曲は、ヘンに流行を意識しすぎた感じで、あまり好きになれなかったのであります。
対して、私の気に入った渡辺美奈代の恋愛歌なのですが、実は、他のアイドルの恋愛歌とも、大きく異なった部分がありました。
普通、アイドルの恋愛歌と言えば、ツンデレとか恋の駆け引きなどの要素が多く盛り込まれているものなのですが、渡辺美奈代の歌は、思いっきりストレートなのです。特に好きだった「愛がなくちゃ、ネッ!」とかは、ひたすら、曲名の「愛がなくちゃ、ネッ!」を連呼しています。とことん、愛だけを訴えた歌なのです。まるで、子供向けの歌のような単純明快さなのであります。
と、それで気が付きました。この歌詞の構成は、実は、昔のアニメや特撮もののテーマ曲の構造とそっくりなのです。昔のアニメや特撮もののテーマ曲も、ひたすら、主人公の名前や作品タイトルを連呼するものばかりでしたが、渡辺美奈代の恋愛歌は、それに似ているのです。いわば、恋愛を題材とした、大人のアニメ主題歌と言えそうなのであります。
そして、昔のアニメや特撮ものをこよなく愛する私のような人間にとっては、やはり、渡辺美奈代の恋愛歌にハマるのは当然だったのかもしれないのでした。
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