2022年10月15日
ユーミンと私
今年は、松任谷由実(ユーミン)の歌手デビュー50周年なのだそうです。
ユーミンの凄いところは、昔の一時期にだけ大ブームを巻き起こしたと言うのではなく、この50年間に常に定期的にヒット曲を送り出してきた点でして、そういう意味では、ユーミンのどの曲に思い入れがあるかで、その人の世代までが分かってしまう、とも言えましょう。
私も、流行嫌いを自負しておきながら、いっちょ前に、ユーミンの歌だけは、よく聞いておりました。
私のユーミンとの初遭遇は、以前にもこのブログ内で紹介しましたが、姉がカセットに吹き込んでいた「きっと言える」(1973年)でした。この時は、私もまだ小学生で、この歌の歌い手が荒井由実(ユーミン)だった事すら知らなかった訳であります。
恐らく、私が、初めて、ユーミン個人を意識したのは、「守ってあげたい」(1981年)と言う事になるでしょう。この歌は、ご存知の通り、角川映画の「ねらわれた学園」(1981年)の主題歌でした。私は「ねらわれた学園」の原作者の眉村卓氏のファンでしたので、その点でも、この映画、この歌とは必然的な出会いだったのです。
さらに、角川映画の「時をかける少女」(1983年)でも、原田知世が歌う主題曲を作ったのがユーミンだったと知り、私は、よりユーミンに注目するようになりました。同時期に公開された映画「さよならジュピター」(1984年)でも、主題歌「VOYAGER〜日付のない墓標」(1984年)がユーミンの歌だった事も、影響が強いです。
こんな感じで、この1980年代前半に、あちこちでユーミンの歌を見かけた事が、私のユーミンへの傾向のきっかけとなったのであります。
その後、大学に行くため、田舎から札幌に引っ越した私は、貸レコード屋(40年前は、そういう店があった)で、何を借りようかと考えた時、何となく、ユーミンのアルバムを片っぱしから借りる事にします。それらの中には、初めて聞く歌でも気に入ったものが多く、こうして、私は、ユーミンに自然とハマっていったのです。
それから間もなくして、ユーミンは、フジテレビのバラエティ番組「オレたちひょうきん族」のテーマ曲(1986年「土曜日は大キライ」や1987年「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」)も手がけました。当時の「オレたちひょうきん族」をこまめに観ていた私は、やはり、この点(バラエティ番組を見下してない点)でも、ユーミンを好きになったのでした。
こんな感じで、自分の過去を、ユーミンの歌をよく聞いていた頃と重ねて、振り返ってみますと、多分、他人にも、私の歳がぼんやりと推測できるはずなのであります。
余談ですが、ユーミンは、「REINCARNATION」(1983年)や「ESPER」(1980年)、「SHANGRILAをめざせ」(1984年)など、(当時はまだマニアックだった)オカルト用語を取り入れた歌も、ごく当たり前のように歌っていました。オカルト雑誌「ムー」(学研)の創刊が1979年でしたので、そのへんのオタク文化に対する理解もあったのでしょう。そうした懐の広さもまた、ユーミンが様々な層から愛され続けている理由の一つなのかもしれません。
ユーミンの凄いところは、昔の一時期にだけ大ブームを巻き起こしたと言うのではなく、この50年間に常に定期的にヒット曲を送り出してきた点でして、そういう意味では、ユーミンのどの曲に思い入れがあるかで、その人の世代までが分かってしまう、とも言えましょう。
私も、流行嫌いを自負しておきながら、いっちょ前に、ユーミンの歌だけは、よく聞いておりました。
私のユーミンとの初遭遇は、以前にもこのブログ内で紹介しましたが、姉がカセットに吹き込んでいた「きっと言える」(1973年)でした。この時は、私もまだ小学生で、この歌の歌い手が荒井由実(ユーミン)だった事すら知らなかった訳であります。
恐らく、私が、初めて、ユーミン個人を意識したのは、「守ってあげたい」(1981年)と言う事になるでしょう。この歌は、ご存知の通り、角川映画の「ねらわれた学園」(1981年)の主題歌でした。私は「ねらわれた学園」の原作者の眉村卓氏のファンでしたので、その点でも、この映画、この歌とは必然的な出会いだったのです。
さらに、角川映画の「時をかける少女」(1983年)でも、原田知世が歌う主題曲を作ったのがユーミンだったと知り、私は、よりユーミンに注目するようになりました。同時期に公開された映画「さよならジュピター」(1984年)でも、主題歌「VOYAGER〜日付のない墓標」(1984年)がユーミンの歌だった事も、影響が強いです。
こんな感じで、この1980年代前半に、あちこちでユーミンの歌を見かけた事が、私のユーミンへの傾向のきっかけとなったのであります。
その後、大学に行くため、田舎から札幌に引っ越した私は、貸レコード屋(40年前は、そういう店があった)で、何を借りようかと考えた時、何となく、ユーミンのアルバムを片っぱしから借りる事にします。それらの中には、初めて聞く歌でも気に入ったものが多く、こうして、私は、ユーミンに自然とハマっていったのです。
それから間もなくして、ユーミンは、フジテレビのバラエティ番組「オレたちひょうきん族」のテーマ曲(1986年「土曜日は大キライ」や1987年「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」)も手がけました。当時の「オレたちひょうきん族」をこまめに観ていた私は、やはり、この点(バラエティ番組を見下してない点)でも、ユーミンを好きになったのでした。
こんな感じで、自分の過去を、ユーミンの歌をよく聞いていた頃と重ねて、振り返ってみますと、多分、他人にも、私の歳がぼんやりと推測できるはずなのであります。
余談ですが、ユーミンは、「REINCARNATION」(1983年)や「ESPER」(1980年)、「SHANGRILAをめざせ」(1984年)など、(当時はまだマニアックだった)オカルト用語を取り入れた歌も、ごく当たり前のように歌っていました。オカルト雑誌「ムー」(学研)の創刊が1979年でしたので、そのへんのオタク文化に対する理解もあったのでしょう。そうした懐の広さもまた、ユーミンが様々な層から愛され続けている理由の一つなのかもしれません。
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