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2023年03月06日
「リング」 「黒の恐怖」の謎
小説「リング」(1991年初版。鈴木光司・作)とは、言わずと知れた大ヒット映画「リング」の原作ですが、あらためて読んでみますと、本筋以外の部分でひどく気になる事が見つかってしまいました。
話の序盤で、主人公の浅川が、ホラービデオをピックアップするシーンがあるのですが、ここで登場した怪奇映画のタイトルは四つ。
「地獄の家」「黒の恐怖」「エクソシスト」「オーメン」
これらは、浅川が学生時代に見た事のある映画だそうです。
「エクソシスト」(日本公開1974年)と「オーメン」(日本公開1976年)は、説明するまでもないでしょう。「地獄の家」も、邦題「ヘルハウス」(日本公開1974年)の事で間違いないだろうと思います。
ここで問題なのは、最後の一本、「黒の恐怖」です。実は、このタイトルの映画、見当たらないのであります。
「浅川が学生時代に見た事のある映画」と言う説明なので、1970年代ごろの映画だったと考えられます。でも、こんなタイトルの映画は、当時も、それ以降も、日本では全く公開されていないのであります。
念のために、邦題ではなく、英語の原題が「黒の恐怖」と言う作品が無いかも、探してみました。ありません。
映画の原作小説の題名が「黒の恐怖」である可能性も探ってみました。やっぱり、該当作は見つかりません。
ネットでも、さんざん検索にかけてみましたので、私の知識不足で分からなかった訳でもないようです。
じゃあ、何なのでしょう、この作品は? 一本だけ、フェイクの映画タイトルが混ざっていたのでしょうか?でも、だったら、なぜ、そんな事をする必要があったのでしょう?
「リング」は、けっこうなベストセラーですので、この「黒の恐怖」の謎については、すでに、ファンたちの間で騒がれていそうな感じもします。ところが、こちらも、ネットで調べてみても、まーったく、どこにも何も書かれていないのでありました。過去に、この謎に触れたファンたちの会話や解析でもあれば、かろうじて、どこかに記録が残っていそうな気もしたのですが。
さて、皆さんの中に、この「黒の恐怖」の正体が分かった人は、いますか?
話の序盤で、主人公の浅川が、ホラービデオをピックアップするシーンがあるのですが、ここで登場した怪奇映画のタイトルは四つ。
「地獄の家」「黒の恐怖」「エクソシスト」「オーメン」
これらは、浅川が学生時代に見た事のある映画だそうです。
「エクソシスト」(日本公開1974年)と「オーメン」(日本公開1976年)は、説明するまでもないでしょう。「地獄の家」も、邦題「ヘルハウス」(日本公開1974年)の事で間違いないだろうと思います。
ここで問題なのは、最後の一本、「黒の恐怖」です。実は、このタイトルの映画、見当たらないのであります。
「浅川が学生時代に見た事のある映画」と言う説明なので、1970年代ごろの映画だったと考えられます。でも、こんなタイトルの映画は、当時も、それ以降も、日本では全く公開されていないのであります。
念のために、邦題ではなく、英語の原題が「黒の恐怖」と言う作品が無いかも、探してみました。ありません。
映画の原作小説の題名が「黒の恐怖」である可能性も探ってみました。やっぱり、該当作は見つかりません。
ネットでも、さんざん検索にかけてみましたので、私の知識不足で分からなかった訳でもないようです。
じゃあ、何なのでしょう、この作品は? 一本だけ、フェイクの映画タイトルが混ざっていたのでしょうか?でも、だったら、なぜ、そんな事をする必要があったのでしょう?
「リング」は、けっこうなベストセラーですので、この「黒の恐怖」の謎については、すでに、ファンたちの間で騒がれていそうな感じもします。ところが、こちらも、ネットで調べてみても、まーったく、どこにも何も書かれていないのでありました。過去に、この謎に触れたファンたちの会話や解析でもあれば、かろうじて、どこかに記録が残っていそうな気もしたのですが。
さて、皆さんの中に、この「黒の恐怖」の正体が分かった人は、いますか?
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2023年03月04日
脳みそ大首領
(「平成・令和生まれに捧げる特撮学」追加データ)
悪の組織の大ボス(大首領)と言うのは、最初、その正体を隠している場合が多い。そして、実体が不明の段階では、眼(あるいは、単眼を強調した形態)だけを部下に見せている大ボス、と言うのも少なくないのだった。
アクマ族の大魔王ガルバー(1976年「超神ビビューン」)、恐竜軍団の恐竜魔王ゴッテス(1977年「恐竜大戦争アイゼンボーグ」)、ガイゾックの真の支配者(1977年「無敵超人ザンボット3」)、ネオショッカーの大首領(1979年「仮面ライダー」)、デスダークの総統タブー(1982年「大戦隊ゴーグルファイブ」)、ネジレジアの邪電王ジャビウスI世(1997年「電磁戦隊メガレンジャー」)、インフェルシアの冥獣帝ン・マ(2005年「魔法戦隊マジレンジャー」)など。ゲゲゲの鬼太郎の宿敵であるバックベアードも、巨大な目玉の西洋妖怪王だった。
ほとんどの場合は、この眼とは、大ボス自身の本物の眼である。(つまり、大ボスそのものが巨大なのだ)なぜ、自分の目玉だけを外に晒しているのかと言うと、そこには、文字どおり、「睨みを利かす」と言う目的もあったのかもしれない。また、眼には「眼力」「目ぢから」「邪眼」などの意味合いも見いだす事ができて、まさに、眼こそは表に出すのには、もってこいの部位だったのだ。
ちなみに、ゴースン党の大魔王ゴースン(1972年「快傑ライオン丸」)は、口だけを部下の前でも見せていると言う異例パターンだったが、眼の場合と比べると、やはり、どこかユーモラスな感じがしたのは否めなかった。
さて、このような正体不明の大ボスたちでも、実際の姿が暴かれてしまうと、その本体と言うのは、脳みその形をしているケースを、よく見かけるのだった。
なぜ、大ボスが脳みそなのかと言うと、そもそも、脳とは肉体の司令塔だからであろう。その為、一番偉い(頭のいい)大ボスとは、イコール脳みそのイメージが当てはまりやすかったのかもしれない。実に単純な連想なのだ。
最初に、脳みそを悪の大ボス役に当てはめた作品が何だったのかは、正確には分からない。例えば、SF小説ならば、1943年の「ドノヴァンの脳髄」(作・シオドマク)あたりが、人を支配する脳みそキャラのハシリだったのであろう。海外の古い映画だと、「The Space Children(宇宙の子供)」(1958年)や「SF第7惑星の謎」(1962年)などに、脳みその形をした宇宙人と言うのが登場していた。ただし、「The Space Children」に出てくる脳みそ宇宙人は悪者ではない。
日本の作品では、まず、SF小説にて、脳みそだけの状態の悪のボスと言うのを見つける事ができる。1966年の「少年画報」掲載の「新世界遊撃隊」(作・矢野徹)に登場したファンタズマがそれだ。
続いて、マンガの分野では、「サイボーグ009」(作・石森章太郎)に出てきたブラックゴースト団の総統(1967年「地下帝国ヨミ編」)が、脳みそ状態の大ボスだった。もっとも、「サイボーグ009」では、0012と言う脳みそキャラが、すでに出演済みだったので、ブラックゴースト総統の方は、三人組の脳みそと言うスタイルをとっていた。
しかし、脳みそと言うモチーフがグロかったからなのか、映像作品では、なかなか、脳みそボスが採用される事はなかったようだった。「サイボーグ009」の劇場アニメ(1967年)でも、肝心のブラックゴーストのボスは、普通のコンピューターにと置き換えられていた。
ウルトラ怪獣のチブル星人なんて、実質上、宇宙人の脳みその怪物だったのであるが、形が前衛すぎて、脳みそのイメージは皆無だった。このチブル星人も、「ウルトラセブン」(1967年)で初登場した時は一侵略者に過ぎなかったものの、のちに、「ウルトラマンギンガS」(2014年)や「ウルトラマンタイガ」(2019年)に再出演した時は、立派なボスキャラとして、他の怪獣や宇宙人たちの上に君臨する事となる。
第二次怪獣ブームの頃から、ズノウ星人(1971年「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」)やノウゲルゲ(1972年「超人バロム・1」)といった脳みそ型の怪人も、じょじょにテレビのスクリーンにも登場しだしたのだが、これらは大ボスではない。
その後、昭和の仮面ライダー全ての共通の敵である岩石大首領と言うのが現われたのだが、これを内部で操っていたのが、恐らくは、宇宙人の脳みそ(目玉付き)であった。(1975年「仮面ライダーストロンガー」)
「鉄人タイガーセブン」(1973年)に登場するムー一族の大ボス・ムー大帝も、古代ムーの時代から、脳みそだけの姿になって、生き永らえてきた存在である。
「宇宙鉄人キョーダイン」(1977年)のダダ兵団を率いていたのは巨大ロボットの闇将軍ガブリンだったのだが、ガブリンに命令を下したダダ星のアルファタ・ダダーリン王は、すでに脳みそだけの状態になっていた。
ハワード・ロックウッド財団の主人であるマモーも、その正体は巨大な脳みそだった。これは、第130代マモーの脳みそである。(1978年「劇場版 ルパン三世」)
「無敵超人ザンボット3」(1977年)に登場するガイゾックも、その本当の支配者はコンピュータードール第8号と名乗る物体で、その名の通り、正確にはコンピューターだったのだが、外見は思いっきり脳みその形をしていた。やはり、巨大な脳みそである。
「太陽戦隊サンバルカン」(1982年)のブラックマグマでも、最後の最後に、真の黒幕として、全能の神と言うのが出現した。その正体は不明だが、少なくても、見た目は人間の脳みそだった。
また、これは海外アニメであるが、「ミュータントタートルズ」(1987年)に出てくるディメンションXのクランゲ帝王も、実質上、脳みそタイプに分類できる悪の大ボスである。
とまあ、こんな感じで、かなりの割合で、脳みその形をした大ボスと言うのが存在するのだ。
やがて、TVゲームが普及しだすと、今度はゲームの世界で、脳みそ型のラスボスが頻繁に登場するようになりだした。「グラディウス」(1985年)や「メトロイド」(1986年)、「魂斗羅スピリッツ」(1992年)などの最終ボスがそうだったし、「グラディウス」の姉妹編である「沙羅曼蛇」(1986年)に至ると、一面のボス(ゴーレム)からして脳みそ怪物なのだ。これらの脳みそボスたちは、同ゲームの新作でも、よく再採用されたものだから、結果として、最新のゲーム上でも、なおも、変わらぬ姿を披露し続けたのであった。
大ボスに限定せず、体の一部だけが印象的な脳みそ状になっていた怪人までピックアップしていくと、ハカイダーやサイモン・ライト、メタルナミュータント、顔のない悪魔、ダークブレイン、モジョ・ジョジョなど、それこそ、様々なジャンルの創作物から、該当者を見つけだす事ができて、もはや、キリがない。つまりは、脳みそと言う器官は、それだけ、クリエイターの想像力を掻き立てる体の部位だったと言う事なのであろう。
悪の組織の大ボス(大首領)と言うのは、最初、その正体を隠している場合が多い。そして、実体が不明の段階では、眼(あるいは、単眼を強調した形態)だけを部下に見せている大ボス、と言うのも少なくないのだった。
アクマ族の大魔王ガルバー(1976年「超神ビビューン」)、恐竜軍団の恐竜魔王ゴッテス(1977年「恐竜大戦争アイゼンボーグ」)、ガイゾックの真の支配者(1977年「無敵超人ザンボット3」)、ネオショッカーの大首領(1979年「仮面ライダー」)、デスダークの総統タブー(1982年「大戦隊ゴーグルファイブ」)、ネジレジアの邪電王ジャビウスI世(1997年「電磁戦隊メガレンジャー」)、インフェルシアの冥獣帝ン・マ(2005年「魔法戦隊マジレンジャー」)など。ゲゲゲの鬼太郎の宿敵であるバックベアードも、巨大な目玉の西洋妖怪王だった。
ほとんどの場合は、この眼とは、大ボス自身の本物の眼である。(つまり、大ボスそのものが巨大なのだ)なぜ、自分の目玉だけを外に晒しているのかと言うと、そこには、文字どおり、「睨みを利かす」と言う目的もあったのかもしれない。また、眼には「眼力」「目ぢから」「邪眼」などの意味合いも見いだす事ができて、まさに、眼こそは表に出すのには、もってこいの部位だったのだ。
ちなみに、ゴースン党の大魔王ゴースン(1972年「快傑ライオン丸」)は、口だけを部下の前でも見せていると言う異例パターンだったが、眼の場合と比べると、やはり、どこかユーモラスな感じがしたのは否めなかった。
さて、このような正体不明の大ボスたちでも、実際の姿が暴かれてしまうと、その本体と言うのは、脳みその形をしているケースを、よく見かけるのだった。
なぜ、大ボスが脳みそなのかと言うと、そもそも、脳とは肉体の司令塔だからであろう。その為、一番偉い(頭のいい)大ボスとは、イコール脳みそのイメージが当てはまりやすかったのかもしれない。実に単純な連想なのだ。
最初に、脳みそを悪の大ボス役に当てはめた作品が何だったのかは、正確には分からない。例えば、SF小説ならば、1943年の「ドノヴァンの脳髄」(作・シオドマク)あたりが、人を支配する脳みそキャラのハシリだったのであろう。海外の古い映画だと、「The Space Children(宇宙の子供)」(1958年)や「SF第7惑星の謎」(1962年)などに、脳みその形をした宇宙人と言うのが登場していた。ただし、「The Space Children」に出てくる脳みそ宇宙人は悪者ではない。
日本の作品では、まず、SF小説にて、脳みそだけの状態の悪のボスと言うのを見つける事ができる。1966年の「少年画報」掲載の「新世界遊撃隊」(作・矢野徹)に登場したファンタズマがそれだ。
続いて、マンガの分野では、「サイボーグ009」(作・石森章太郎)に出てきたブラックゴースト団の総統(1967年「地下帝国ヨミ編」)が、脳みそ状態の大ボスだった。もっとも、「サイボーグ009」では、0012と言う脳みそキャラが、すでに出演済みだったので、ブラックゴースト総統の方は、三人組の脳みそと言うスタイルをとっていた。
しかし、脳みそと言うモチーフがグロかったからなのか、映像作品では、なかなか、脳みそボスが採用される事はなかったようだった。「サイボーグ009」の劇場アニメ(1967年)でも、肝心のブラックゴーストのボスは、普通のコンピューターにと置き換えられていた。
ウルトラ怪獣のチブル星人なんて、実質上、宇宙人の脳みその怪物だったのであるが、形が前衛すぎて、脳みそのイメージは皆無だった。このチブル星人も、「ウルトラセブン」(1967年)で初登場した時は一侵略者に過ぎなかったものの、のちに、「ウルトラマンギンガS」(2014年)や「ウルトラマンタイガ」(2019年)に再出演した時は、立派なボスキャラとして、他の怪獣や宇宙人たちの上に君臨する事となる。
第二次怪獣ブームの頃から、ズノウ星人(1971年「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」)やノウゲルゲ(1972年「超人バロム・1」)といった脳みそ型の怪人も、じょじょにテレビのスクリーンにも登場しだしたのだが、これらは大ボスではない。
その後、昭和の仮面ライダー全ての共通の敵である岩石大首領と言うのが現われたのだが、これを内部で操っていたのが、恐らくは、宇宙人の脳みそ(目玉付き)であった。(1975年「仮面ライダーストロンガー」)
「鉄人タイガーセブン」(1973年)に登場するムー一族の大ボス・ムー大帝も、古代ムーの時代から、脳みそだけの姿になって、生き永らえてきた存在である。
「宇宙鉄人キョーダイン」(1977年)のダダ兵団を率いていたのは巨大ロボットの闇将軍ガブリンだったのだが、ガブリンに命令を下したダダ星のアルファタ・ダダーリン王は、すでに脳みそだけの状態になっていた。
ハワード・ロックウッド財団の主人であるマモーも、その正体は巨大な脳みそだった。これは、第130代マモーの脳みそである。(1978年「劇場版 ルパン三世」)
「無敵超人ザンボット3」(1977年)に登場するガイゾックも、その本当の支配者はコンピュータードール第8号と名乗る物体で、その名の通り、正確にはコンピューターだったのだが、外見は思いっきり脳みその形をしていた。やはり、巨大な脳みそである。
「太陽戦隊サンバルカン」(1982年)のブラックマグマでも、最後の最後に、真の黒幕として、全能の神と言うのが出現した。その正体は不明だが、少なくても、見た目は人間の脳みそだった。
また、これは海外アニメであるが、「ミュータントタートルズ」(1987年)に出てくるディメンションXのクランゲ帝王も、実質上、脳みそタイプに分類できる悪の大ボスである。
とまあ、こんな感じで、かなりの割合で、脳みその形をした大ボスと言うのが存在するのだ。
やがて、TVゲームが普及しだすと、今度はゲームの世界で、脳みそ型のラスボスが頻繁に登場するようになりだした。「グラディウス」(1985年)や「メトロイド」(1986年)、「魂斗羅スピリッツ」(1992年)などの最終ボスがそうだったし、「グラディウス」の姉妹編である「沙羅曼蛇」(1986年)に至ると、一面のボス(ゴーレム)からして脳みそ怪物なのだ。これらの脳みそボスたちは、同ゲームの新作でも、よく再採用されたものだから、結果として、最新のゲーム上でも、なおも、変わらぬ姿を披露し続けたのであった。
大ボスに限定せず、体の一部だけが印象的な脳みそ状になっていた怪人までピックアップしていくと、ハカイダーやサイモン・ライト、メタルナミュータント、顔のない悪魔、ダークブレイン、モジョ・ジョジョなど、それこそ、様々なジャンルの創作物から、該当者を見つけだす事ができて、もはや、キリがない。つまりは、脳みそと言う器官は、それだけ、クリエイターの想像力を掻き立てる体の部位だったと言う事なのであろう。
2023年02月19日
架空キャラクターIQ比較一覧表(増補)
ここ最近は、ずっと、電子書籍サイトで読める無料マンガを読みあさっていました。(現代進行形)
すると、有名無名マンガの中に、ぞろぞろと、登場人物のIQを発見いたしまして、「こりゃあ放っとけない!」って事で、この度、以前、公開した「架空キャラクターIQ比較一覧表」に、それらを補充させていただく事にしました。
メジャーどころでは、鉄腕アトムのIQが判明したのは大収穫でした。吸血鬼ドラルクのIQは、かなり胡散臭いのですが、ウソ確定とも言い切れないので、いちおう掲載しておきました。
他にも、ネットをチェックしてましたら、海外ドラマ系のIQが多数、確認できましたので、それらも追加しています。
今後も、出典がきちんと確認できたIQがありましたら、ジワジワと増やしていきたいと考えております。
すると、有名無名マンガの中に、ぞろぞろと、登場人物のIQを発見いたしまして、「こりゃあ放っとけない!」って事で、この度、以前、公開した「架空キャラクターIQ比較一覧表」に、それらを補充させていただく事にしました。
メジャーどころでは、鉄腕アトムのIQが判明したのは大収穫でした。吸血鬼ドラルクのIQは、かなり胡散臭いのですが、ウソ確定とも言い切れないので、いちおう掲載しておきました。
他にも、ネットをチェックしてましたら、海外ドラマ系のIQが多数、確認できましたので、それらも追加しています。
今後も、出典がきちんと確認できたIQがありましたら、ジワジワと増やしていきたいと考えております。
2023年01月15日
「イメージマシン大作戦」解説
この作品は、本編の紹介欄でも書きましたように、今さらながら、サイト「小説家になろう」の過去のイベント「冬の童話祭2018」に参加したくなって、勢いで執筆した作品でした。正確には、まず先に、「夏のホラー」企画の過去のお題に挑戦したくなり、そのついでに、こちらのお題にも取り組んでみたのです。ちなみに、「冬の童話祭」の2017年と2019年のお題には、私も、きちんとタイムリーで参加しております。
この「冬の童話祭2018」のお題が、三つの課題のうちから選べる形式になってましたので、せっかくなので、全部を使わせていただきました。三つの話が作れるのなら、登場人物も三人にした方がいいだろうと言う安直な発想から、トライ、アン、グルに出演してもらい、結果として、シリーズの久々となる新エピソードとなった次第です。さらに、基本が「童話」である以上、どうしても、私の手持ちキャラの一人、赤ずきんも登場させたくて、そんな風に、キャラ優先でネタを練っていくうちに、本作の大まかな内容がまとまったのでした。
イメージマシンというネーミングは、元々、吾妻ひでお氏のマンガ「きまぐれ悟空」で使われていたものを拝借したものです。非常に単純な呼称にも関わらず、実は、意外と、誰にも使われていなかった名前であった事が驚かされます。
本作に出てくるイメージマシンは、よくあるパターンの未来型バーチャルゲーム機だった訳ですが、同時に、私のつい最近の作品「ピンクの怪物」(2018年)に登場したシステムや概念の延長にあるものだったりもします。タイコ氏が口にした「ドリームウォーカー」という言い回しも、私の過去の作品「ケータイ小説なんていらない」(2010年)からの流用となります。
ほんとは、露骨な流行ネタの導入は控えたかったのですが、ここまで現実世界の方でブームになっておりますと、全く無視するのは逆に不自然ですし、鬼が登場するくだりでは、ささやかながら、某人気マンガ(「鬼滅の刃」)についても触れさせていただきました。
総括しますと、ひょっこりと、トライアングル・シリーズの新作が書けて、作者としても、とても良かったです。しかも、赤ずきんシリーズの一本にも出来たので、なおベストなのでした。
「イメージマシン大作戦」
この「冬の童話祭2018」のお題が、三つの課題のうちから選べる形式になってましたので、せっかくなので、全部を使わせていただきました。三つの話が作れるのなら、登場人物も三人にした方がいいだろうと言う安直な発想から、トライ、アン、グルに出演してもらい、結果として、シリーズの久々となる新エピソードとなった次第です。さらに、基本が「童話」である以上、どうしても、私の手持ちキャラの一人、赤ずきんも登場させたくて、そんな風に、キャラ優先でネタを練っていくうちに、本作の大まかな内容がまとまったのでした。
イメージマシンというネーミングは、元々、吾妻ひでお氏のマンガ「きまぐれ悟空」で使われていたものを拝借したものです。非常に単純な呼称にも関わらず、実は、意外と、誰にも使われていなかった名前であった事が驚かされます。
本作に出てくるイメージマシンは、よくあるパターンの未来型バーチャルゲーム機だった訳ですが、同時に、私のつい最近の作品「ピンクの怪物」(2018年)に登場したシステムや概念の延長にあるものだったりもします。タイコ氏が口にした「ドリームウォーカー」という言い回しも、私の過去の作品「ケータイ小説なんていらない」(2010年)からの流用となります。
ほんとは、露骨な流行ネタの導入は控えたかったのですが、ここまで現実世界の方でブームになっておりますと、全く無視するのは逆に不自然ですし、鬼が登場するくだりでは、ささやかながら、某人気マンガ(「鬼滅の刃」)についても触れさせていただきました。
総括しますと、ひょっこりと、トライアングル・シリーズの新作が書けて、作者としても、とても良かったです。しかも、赤ずきんシリーズの一本にも出来たので、なおベストなのでした。
「イメージマシン大作戦」
「未来を守り隊」解説
本作は、先行して執筆した小品「蝶の揺らぐ未来」と対にするつもりで書かせていただきました。なんとなく、こんな話も書きたくなってしまったのです。同じようなテーマでありながら、「蝶の揺らぐ未来」が希望あふれる結末だったのに対して、本作の方はバッドエンディングとなります。いわば、物語なんてものは、ほんのわずかの違いで、ハッピーエンドにもなるし、悲劇にもなって、紙一重の存在だ、と言う事を訴えたかったのです。
言うまでもなく、本作もルシー・シリーズの一編となります。設定が似てましたので、登場する固有名詞につきましては、旧作「時間犯罪」のものを、そのまま流用させていただきました。
ほんとは、もっと色々と状況の説明を書いた方が良かったのかもしれませんが、前述したように、設定が「蝶の揺らぐ未来」や「時間犯罪」などと大きくダブってましたので、本作の方では、あえて、サッパリ流す事にしました。でも、逆に、その方が、乾いた怖さが浮き出て、良かったのではないのでしょうか。
なお、本作は、掲載場所の都合により、「小説家になろう」内の「ルシー外伝」でのみの公開となっています。
「ルシー外伝」
言うまでもなく、本作もルシー・シリーズの一編となります。設定が似てましたので、登場する固有名詞につきましては、旧作「時間犯罪」のものを、そのまま流用させていただきました。
ほんとは、もっと色々と状況の説明を書いた方が良かったのかもしれませんが、前述したように、設定が「蝶の揺らぐ未来」や「時間犯罪」などと大きくダブってましたので、本作の方では、あえて、サッパリ流す事にしました。でも、逆に、その方が、乾いた怖さが浮き出て、良かったのではないのでしょうか。
なお、本作は、掲載場所の都合により、「小説家になろう」内の「ルシー外伝」でのみの公開となっています。
「ルシー外伝」
2022年12月28日
YMO
YMO、すなわち、イエロー・マジック・オーケストラが大いに流行ったのは、私が中学生の頃でした。
当時は、何しろ、どこに行っても、YMOの曲が流れていました。うちの学校の給食時間の校内放送でも使われておりました。私の兄までもが、YMOのカセットテープ(「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」)を買ってきて、車の運転中にガンガン聴いていたぐらいです。
そんな環境でしたから、私も、大ファンと言うほどではありませんが、YMOの曲には、それなりに思い入れがあるのでした。近年、私が perfume の歌を聴くようになったのも、perfume の歌がYMOの音楽に似た曲調だった事に、ひどく懐かしみを抱いたからです。
で、特に好きだったYMOの曲と言うのが、私の場合だと、やっぱり、当時、読んでいたマンガや小説などとリンクして、記憶には残っているのでした。
例えば、あの頃は、私は、都筑道夫氏の怪奇小説を知ったばかりで、どっぷりとハマって、集中して、読んでいました。この都筑氏の小説と脳内で結びついてしまったYMOの曲が、「インソムニア」です。
また、「デイ・トリッパー」を聴くと、なぜか「キン肉マン」が思い浮かんでしまいます。YMOが流行った頃と言えば、「キン肉マン」の雑誌連載は、ちょうど、超人オリンピックや悪魔超人編などで盛り上がっていた時期だったのです。
吾妻ひでお氏の「きまぐれ悟空」をサンコミックス版(朝日ソノラマ)で読破したのも、大体この頃でして、どう言う訳だか、私の中では、「キャスタリア」は、「きまぐれ悟空」の壮大なエンディングのBGMにと指定されてしまっています。
他にも、「ラップ現象」とか「君に、胸キュン。」なども好きだったのですが、これらの曲は、どちらかと言うと、私自身が書いた当時のシロウト小説と紐付いていたのでした。
当時は、何しろ、どこに行っても、YMOの曲が流れていました。うちの学校の給食時間の校内放送でも使われておりました。私の兄までもが、YMOのカセットテープ(「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」)を買ってきて、車の運転中にガンガン聴いていたぐらいです。
そんな環境でしたから、私も、大ファンと言うほどではありませんが、YMOの曲には、それなりに思い入れがあるのでした。近年、私が perfume の歌を聴くようになったのも、perfume の歌がYMOの音楽に似た曲調だった事に、ひどく懐かしみを抱いたからです。
で、特に好きだったYMOの曲と言うのが、私の場合だと、やっぱり、当時、読んでいたマンガや小説などとリンクして、記憶には残っているのでした。
例えば、あの頃は、私は、都筑道夫氏の怪奇小説を知ったばかりで、どっぷりとハマって、集中して、読んでいました。この都筑氏の小説と脳内で結びついてしまったYMOの曲が、「インソムニア」です。
また、「デイ・トリッパー」を聴くと、なぜか「キン肉マン」が思い浮かんでしまいます。YMOが流行った頃と言えば、「キン肉マン」の雑誌連載は、ちょうど、超人オリンピックや悪魔超人編などで盛り上がっていた時期だったのです。
吾妻ひでお氏の「きまぐれ悟空」をサンコミックス版(朝日ソノラマ)で読破したのも、大体この頃でして、どう言う訳だか、私の中では、「キャスタリア」は、「きまぐれ悟空」の壮大なエンディングのBGMにと指定されてしまっています。
他にも、「ラップ現象」とか「君に、胸キュン。」なども好きだったのですが、これらの曲は、どちらかと言うと、私自身が書いた当時のシロウト小説と紐付いていたのでした。
2022年12月27日
「エスパイ(Sπ)」
その昔、虫コミックスという漫画のレーベルがありました。
これは、手塚治虫先生のプロダクションである虫プロ商事が刊行していたコミック本のシリーズでして、その出版物の中には、カバー裏にまでマンガが印刷されている(主に、作者のプロフィールとかが紹介されていた)ような、楽しい作りの本もありました。
さて、この虫コミックスの一冊に、石森章太郎先生の「エスパイ(Sπ)」があります。この本には、表題作の「エスパイ」の他、「ドクターSF」と「時間局員R」の2作品も収録されていました。いずれも、ハデなSFマンガで、幼い頃の私は、このマンガ本を楽しく読ませていただきました。
で、最近になって、また、このマンガを再読したくなってきたのですが、実家にあった本はどこに行ったのか分からないし、わざわざ再購入するのも、いまいち気が進みません。
そんな時、私は「今度は電子書籍で入手すればいいんだ」とはたと閃きました。
そこで、私は、さっそく、入会している電子書籍サイトで「エスパイ」を探してみたのです。が、「エスパイ」の方はすぐに見つかったものの、その電子書籍には「ドクターSF」と「時間局員R」が併録されておりません。そもそも、電子書籍では、石ノ森先生の作品は「石ノ森章太郎デジタル大全」という形で再構築されており、ほとんどの作品が、紙のコミックスとは収録内容が異なっていたのです。
「石ノ森章太郎デジタル大全」では、「ドクターSF」と「時間局員R」は別の一冊に再編集されていました。この「時間局員R」と「ドクターSF」をまとめた一冊である「時間局員R」なのですが、よくよく調べてみますと、すでに配信終了となっております。つまり、それって、電子書籍では、もう買って読めないと言う事なのです!
いやはや、何たる事態なのでしょう!「時間局員R」か「ドクターSF」の内容のどこかが、規制にでも引っかかってしまったのでしょうか。「時間局員R」は、歴史の物語なので、史実のトンデモ解釈とかに、第三者からクレームが来た可能性は十分に考えられそうです。
まあ、とにかく、そんな訳で、私の「「エスパイ」を電子書籍であらためて読もう」計画は、見事に失敗してしまったのでありました。電子書籍版の「時間局員R」は、全長版だったようだし、やっぱり、ちょっと残念でもあるのです。
2022年12月22日
「モンスターラブ」感想
「水曜日のダウンタウン」の好評企画「MONSTER Love」を最後まで見終えました。
クロちゃんの恋人ゲットの結末を素直に祝福している皆さんには申し訳ないのですが、私には、これは、バッドエンディングよりもモヤモヤするハッピーエンドにと感じてしまいました。
だって、最終的にホンモノ彼女だったらしいリチは、クロちゃんに対して「口が臭い」と失言してしまった女性なのです。好きな男に「口が臭い」なんて言えるものなのでしょうか?とうが立った夫婦でもあるまいし。
一方、リチの対抗馬だったニセモノ彼女のミクは、一貫して、クロちゃんに好き好き攻撃を仕掛けていました。客観的に見たら、どう考えても、ミクの方がホンモノ彼女のように見えてしまうでしょう。
そんな訳で、リチとクロちゃんが結ばれると言うエンディングは、やっぱり、どこかシックリいかないのであります。ヤラセじゃないかと疑いたくなってくるぐらいです。
しかし。
「リチ=本物のカノジョ候補」「ミク=偽物の役者」と言う構図で、あらためて、考察し直してみますと、ホンモノのリチが、クロちゃんの口が臭いと言ったのも、まんざらオカシくも思えなくなってきたのであります。
まず、ミクをはじめとするニセモノ彼女たちですが、彼女らは「クロちゃんから告白された人をアイドルにする」と、裏でハッパをかけられていました。だったら、アイドルになりたい彼女たちも必死なのです。それこそ、体を張ってでも、クロちゃんを騙そうとするでしょう。間違っても、クロちゃんに嫌われるような失言(「口が臭い」)は、口が裂けても言うはずがないのであります。
こうしたニセモノ彼女たちの中でも、特に手練だったのがミクだった訳です。よく考えたら、ミクの好き好き攻撃の内容は、あまりにもストレートで、テンプレートすぎます。それと言うのも、やはり、それらが演技で、ウソだったからなのでしょう。わざと、クロちゃんが喜びそうな恋愛プランを組み立てていたのです。
もし、今回の「モンスターラブ」に、ストーカーなみにクロちゃんLoveの女の子が参加していれば、ミクと同じ行動も取っていたのかもしれませんが、でも、クロちゃんには気の毒ながら、実際には、そこまで過激なクロちゃんファンの女性は存在しなかったのでしょう。
さて、ニセモノがそこまでヤル気だからこそ、実は、逆に、ホンモノ彼女の方が浮いてくるのです。
いちおう、ホンモノ彼女は、リチ以外に、リサもそうだったらしいのですが、この子は早い段階で脱落してしまいました。で、リサは、脱落の際、クロちゃんのことが好きだと言っていた割には、けっこうアッサリと退場しているのであります。
つまり、一言で「好き」と言っても、レベルがある訳なのですね。実のところ、リサにせよ、リチにせよ、元々は、もっと軽い気持ちで、この企画に参加していたのではないのでしょうか。「意地でもクロちゃんの恋人になる!」みたいな、強い意気込みではなくて。
そうなりますと、絶対にアイドルになりたいニセモノ彼女と比べても、だいぶ気合も劣るのです。どこかで「途中で脱落しても仕方ないか」と言う余裕があるから、リチみたいに、うっかり「口が臭い」失言だって、やらかしちゃう訳です。そして、この騙す側としては有りえないほど単純なミスこそが、リチこそがホンモノであった事の証しだったのであります。
また、クッキー事件の時のリチの反応も、彼女こそホンモノだったと言う前提の元で分析すると、見方が変わってきます。あの時点で、残るホンモノは一人と明示されていたので、つまり、ホンモノのリチには、ミクがニセモノだったと分かっていた事になります。だから、嫉妬と言うよりは、ニセモノの卑怯な戦略を疑ったからこそ、思わず「犯人はミク自身だ」などと口走ってしまった訳です。
リチは、「クロちゃんが好き」とは言っても、その感情は、熱愛までは、いってなかったのかもしれません。彼女は、「クロちゃんが幸せになれない企画を終わらせたい」とも企画への参加理由を述べていましたが、そこには、男女の恋よりも、母性的なものも感じさせます。いわゆる、ナイチンゲール効果と呼ばれるヤツです。リチのクロちゃんへの愛は、そもそもが、同情とか憐れみなどの要素が強かったのかもしれません。そんな風に感じたせいか、カップル成立後に、リチにひたすらキスしたがったクロちゃんの姿は、なんだか、新しい飼い主にじゃらけて、やたらと顔を舐めたがる保護犬みたいにも見えてしまったのでした。
ともあれ、私なりの感想の結論を言いますと、リチにとっては、この「モンスターラブ」は、当初の思惑とは違う形で終わってしまったようにも思われます。それゆえ、彼女は、すっかり、この企画の人身御供になってしまったようにも、私の目には写ったのでした。もちろん、これは、あくまで、私のヒネくれた見解ではあるのですが。
クロちゃんの恋人ゲットの結末を素直に祝福している皆さんには申し訳ないのですが、私には、これは、バッドエンディングよりもモヤモヤするハッピーエンドにと感じてしまいました。
だって、最終的にホンモノ彼女だったらしいリチは、クロちゃんに対して「口が臭い」と失言してしまった女性なのです。好きな男に「口が臭い」なんて言えるものなのでしょうか?とうが立った夫婦でもあるまいし。
一方、リチの対抗馬だったニセモノ彼女のミクは、一貫して、クロちゃんに好き好き攻撃を仕掛けていました。客観的に見たら、どう考えても、ミクの方がホンモノ彼女のように見えてしまうでしょう。
そんな訳で、リチとクロちゃんが結ばれると言うエンディングは、やっぱり、どこかシックリいかないのであります。ヤラセじゃないかと疑いたくなってくるぐらいです。
しかし。
「リチ=本物のカノジョ候補」「ミク=偽物の役者」と言う構図で、あらためて、考察し直してみますと、ホンモノのリチが、クロちゃんの口が臭いと言ったのも、まんざらオカシくも思えなくなってきたのであります。
まず、ミクをはじめとするニセモノ彼女たちですが、彼女らは「クロちゃんから告白された人をアイドルにする」と、裏でハッパをかけられていました。だったら、アイドルになりたい彼女たちも必死なのです。それこそ、体を張ってでも、クロちゃんを騙そうとするでしょう。間違っても、クロちゃんに嫌われるような失言(「口が臭い」)は、口が裂けても言うはずがないのであります。
こうしたニセモノ彼女たちの中でも、特に手練だったのがミクだった訳です。よく考えたら、ミクの好き好き攻撃の内容は、あまりにもストレートで、テンプレートすぎます。それと言うのも、やはり、それらが演技で、ウソだったからなのでしょう。わざと、クロちゃんが喜びそうな恋愛プランを組み立てていたのです。
もし、今回の「モンスターラブ」に、ストーカーなみにクロちゃんLoveの女の子が参加していれば、ミクと同じ行動も取っていたのかもしれませんが、でも、クロちゃんには気の毒ながら、実際には、そこまで過激なクロちゃんファンの女性は存在しなかったのでしょう。
さて、ニセモノがそこまでヤル気だからこそ、実は、逆に、ホンモノ彼女の方が浮いてくるのです。
いちおう、ホンモノ彼女は、リチ以外に、リサもそうだったらしいのですが、この子は早い段階で脱落してしまいました。で、リサは、脱落の際、クロちゃんのことが好きだと言っていた割には、けっこうアッサリと退場しているのであります。
つまり、一言で「好き」と言っても、レベルがある訳なのですね。実のところ、リサにせよ、リチにせよ、元々は、もっと軽い気持ちで、この企画に参加していたのではないのでしょうか。「意地でもクロちゃんの恋人になる!」みたいな、強い意気込みではなくて。
そうなりますと、絶対にアイドルになりたいニセモノ彼女と比べても、だいぶ気合も劣るのです。どこかで「途中で脱落しても仕方ないか」と言う余裕があるから、リチみたいに、うっかり「口が臭い」失言だって、やらかしちゃう訳です。そして、この騙す側としては有りえないほど単純なミスこそが、リチこそがホンモノであった事の証しだったのであります。
また、クッキー事件の時のリチの反応も、彼女こそホンモノだったと言う前提の元で分析すると、見方が変わってきます。あの時点で、残るホンモノは一人と明示されていたので、つまり、ホンモノのリチには、ミクがニセモノだったと分かっていた事になります。だから、嫉妬と言うよりは、ニセモノの卑怯な戦略を疑ったからこそ、思わず「犯人はミク自身だ」などと口走ってしまった訳です。
リチは、「クロちゃんが好き」とは言っても、その感情は、熱愛までは、いってなかったのかもしれません。彼女は、「クロちゃんが幸せになれない企画を終わらせたい」とも企画への参加理由を述べていましたが、そこには、男女の恋よりも、母性的なものも感じさせます。いわゆる、ナイチンゲール効果と呼ばれるヤツです。リチのクロちゃんへの愛は、そもそもが、同情とか憐れみなどの要素が強かったのかもしれません。そんな風に感じたせいか、カップル成立後に、リチにひたすらキスしたがったクロちゃんの姿は、なんだか、新しい飼い主にじゃらけて、やたらと顔を舐めたがる保護犬みたいにも見えてしまったのでした。
ともあれ、私なりの感想の結論を言いますと、リチにとっては、この「モンスターラブ」は、当初の思惑とは違う形で終わってしまったようにも思われます。それゆえ、彼女は、すっかり、この企画の人身御供になってしまったようにも、私の目には写ったのでした。もちろん、これは、あくまで、私のヒネくれた見解ではあるのですが。
2022年12月21日
悪の組織の途中参戦・途中退場
(「平成・令和生まれに捧げる特撮学」追加データ)
特撮やアニメのヒーローものは、同じ敵(多くの場合は、悪の組織)と全編を通して戦う作品と、1話完結方式で毎回違う敵と戦う作品の、大きく2タイプに分類する事ができる。前者の代表が「仮面ライダー」であり、後者の代表が「ウルトラマン」だ。1シリーズごとに、敵の組織が交代するような作品も、「仮面ライダー」パターンだと考えてもいいだろう。
しかし、数多い特撮・アニメ作品の中には、この2パターンが混合しているような作品も見受けられる。すなわち、最初は悪の組織と戦っていたのに、途中でその悪の組織が滅びてしまい、あとは特定の敵とは戦わない1話完結スタイルに変わってしまう作品とか、それとは反対に、最初は1話完結スタイルだったのに、中盤から常連の悪の組織が登場するようになる作品だ。
これらの変則パターンに当てはまる悪の組織を、昭和の作品に限定して、気付く限り、書き出してみよう。
<途中退場した悪の組織>
パルタ星人(1966年「レインボー戦隊ロビン」)
バンデル星人(1967年「キャプテンウルトラ」)
ギロン星人(1967年「光速エスパー」)
ヤプール(1972年「ウルトラマンA」)
ゴドメス軍団(1978年「恐竜戦隊コセイドン」)
<途中参戦した悪の組織>
国際ギャング連合(1964年「エイトマン」)
X帝国連合軍(1968年「リボンの騎士」)
吸血魔人クモンデス(1972年「好き!すき!!魔女先生」)
サタン帝国(1976年「ザ・カゲスター」)
大魔王ガルバー(1976年「超神ビビューン」)
ヘラー軍団(1979年「ザ☆ウルトラマン」)
宇宙魔王(1981年「太陽の使者 鉄人28号」)
海槌一族(1985年「スケバン刑事」)
もちろん、これで全てなのではなく、平成以降も、「ウルトラマンG」(1990年)のゴーデスや、「美少女仮面ポワトリン」(1990年)のディアブル、「妖怪人間ベム」(2006年)のダーナ・オシーなど、敵キャラが途中参戦したり、途中退場するような展開は、あちこちの特撮やアニメで見かける事となる。
近年の作品の場合は、これらの敵キャラの途中参戦・退場すらも、作品の原案が練られた段階から決められているケースの方が主流なのであるが、昭和の古い作品だと、作品のテコ入れ、いわゆる、番組の強化策として、唐突に、敵キャラの途中参戦や退場が採用される場合も少なくなかった。
その典型例が、「キャプテンウルトラ」のバンデル星人である。実は、「キャプテンウルトラ」は、バンデル星人編の終了後は、第2の常連の敵宇宙人(コミカライズではバルガン星人)が登場する予定だったのが、バンデル星人編の視聴率が振るわなかったものだから、それで、一貫した敵が出てこない「怪獣ぞくぞくシリーズ」へと変更されたと言う経緯があるのだ。
このように、特撮やアニメでは、敵キャラの登場形態ひとつに注目してみても、その背景にある思惑とかが垣間見える事もあって、なかなか面白いのである。
特撮やアニメのヒーローものは、同じ敵(多くの場合は、悪の組織)と全編を通して戦う作品と、1話完結方式で毎回違う敵と戦う作品の、大きく2タイプに分類する事ができる。前者の代表が「仮面ライダー」であり、後者の代表が「ウルトラマン」だ。1シリーズごとに、敵の組織が交代するような作品も、「仮面ライダー」パターンだと考えてもいいだろう。
しかし、数多い特撮・アニメ作品の中には、この2パターンが混合しているような作品も見受けられる。すなわち、最初は悪の組織と戦っていたのに、途中でその悪の組織が滅びてしまい、あとは特定の敵とは戦わない1話完結スタイルに変わってしまう作品とか、それとは反対に、最初は1話完結スタイルだったのに、中盤から常連の悪の組織が登場するようになる作品だ。
これらの変則パターンに当てはまる悪の組織を、昭和の作品に限定して、気付く限り、書き出してみよう。
<途中退場した悪の組織>
パルタ星人(1966年「レインボー戦隊ロビン」)
バンデル星人(1967年「キャプテンウルトラ」)
ギロン星人(1967年「光速エスパー」)
ヤプール(1972年「ウルトラマンA」)
ゴドメス軍団(1978年「恐竜戦隊コセイドン」)
<途中参戦した悪の組織>
国際ギャング連合(1964年「エイトマン」)
X帝国連合軍(1968年「リボンの騎士」)
吸血魔人クモンデス(1972年「好き!すき!!魔女先生」)
サタン帝国(1976年「ザ・カゲスター」)
大魔王ガルバー(1976年「超神ビビューン」)
ヘラー軍団(1979年「ザ☆ウルトラマン」)
宇宙魔王(1981年「太陽の使者 鉄人28号」)
海槌一族(1985年「スケバン刑事」)
もちろん、これで全てなのではなく、平成以降も、「ウルトラマンG」(1990年)のゴーデスや、「美少女仮面ポワトリン」(1990年)のディアブル、「妖怪人間ベム」(2006年)のダーナ・オシーなど、敵キャラが途中参戦したり、途中退場するような展開は、あちこちの特撮やアニメで見かける事となる。
近年の作品の場合は、これらの敵キャラの途中参戦・退場すらも、作品の原案が練られた段階から決められているケースの方が主流なのであるが、昭和の古い作品だと、作品のテコ入れ、いわゆる、番組の強化策として、唐突に、敵キャラの途中参戦や退場が採用される場合も少なくなかった。
その典型例が、「キャプテンウルトラ」のバンデル星人である。実は、「キャプテンウルトラ」は、バンデル星人編の終了後は、第2の常連の敵宇宙人(コミカライズではバルガン星人)が登場する予定だったのが、バンデル星人編の視聴率が振るわなかったものだから、それで、一貫した敵が出てこない「怪獣ぞくぞくシリーズ」へと変更されたと言う経緯があるのだ。
このように、特撮やアニメでは、敵キャラの登場形態ひとつに注目してみても、その背景にある思惑とかが垣間見える事もあって、なかなか面白いのである。
2022年12月06日
「ガムガムパンチ」
「ガムガムパンチ」と言うのは、手塚治虫先生が執筆した児童向けマンガの一つです。膨らますと何にでも変身するチューイングガムを巡る騒動や冒険を描いた物語で、どこか、藤子不二雄マンガにも似ていました。
このマンガが、私の姉が持っていた「小学◯年生」(小学館)に掲載されておりまして、それを私もお下がりで読みましたので、けっこう鮮明に覚えていたのです。
で、講談社の「手塚治虫漫画全集」にて、このタイトルを見つけた時には、私も、すごく懐かしくて、思わず、手にとって読んでしまったのでした。
ところがです。全1巻を読破してみますと、なぜか、記憶にあったエピソードが見当たりません。つまりは、全集などと称しておきながら、この「手塚治虫漫画全集」の「ガムガムパンチ」(1984年)は、全エピソードが収納されていない不完全版に過ぎなかった訳です。
これでは、どうも納得がいかないのであります。
そこで、私は、インターネットで「ガムガムパンチ」を検索したのですが、やっぱり、私の記憶にあったエピソードは存在していたらしくて、そのエピソードの1ページが、ネット上にもアップされていたのでありました。すなわち、「手塚治虫漫画全集」以外にも、「ガムガムパンチ」が掲載された本が存在している事になるのです。それもカラー版のものが。
どうしても、この幻のエピソードを読みたくなった私は、ぴっかぴかコミックス版の「ガムガムパンチ」(2007年)と言うのを探し当てまして、これを速攻で取り寄せました。で、確かに、このぴっかぴかコミックス版は全編カラーだったのですが、やはり、肝心の未読エピソードは収録されていなかったのでした。
私は、もうちょっと丁寧に、ネットで調べてみました。すると、「ガムガムパンチ」マニアはけっこう多かったらしくて、このマンガに関する色々な記述を発見したのでした。
それによると、1979年に文民社から発行された「手塚治虫作品集」内の「児童まんが1」こそが、「ガムガムパンチ」の決定版だったらしい事が分かりました。さらに、この「児童まんが1」の内容を再録した「手塚治虫選集」(ほるぷ出版)の「ガムガムパンチ」全2巻(1982年)と言うのもある事を知りましたので、私は、値段も手頃だったこちらを購入してみたのです。
すると、今度こそ、大当たりだったのでした。例の幻のエピソードも、きちんと2色カラーのものが収録されています。それどころか、「手塚治虫漫画全集」やぴっかぴかコミックスには載っていなかったエピソードもごっそり読む事ができたのでした。
と言う訳で、この「ガムガムパンチ」に関して、あらためて説明いたしますと、この作品には、いくつものバリエーションのコミックスが存在しているのであります。
不完全な「手塚治虫漫画全集」バージョンはお勧めできませんが、以降に発行された本は、秋田文庫(2002年)にせよ、講談社の「手塚治虫文庫全集」(2010年)にせよ、「手塚治虫漫画全集」をベースにしているみたいです。
前述したように、「手塚治虫漫画全集」以前に編纂された「児童まんが1」こそがベストなのですが、この本は、現在、希少本として、古本でも高価となってますので、なんでしたら、私のように、ほるぷ出版の「手塚治虫選集」を探して買うと言う手もあるでしょう。また、1984年に発行された翠楊社の「手塚治虫作品集」にも、「ガムガムパンチ」の完全版が収録されていたらしいです。
これら以外にも、「ガムガムパンチ」は、子供向けの着色(カラー)コミックスが、多数、存在していました。私が手に入れたぴっかぴかコミックスも、その一つです。しかも、これらの着色コミックスは、同一のものの再販ではないらしくて、どれも収録内容が微妙に異なっているようなのであります。つまり、完全版の「児童まんが1」でも1色刷りだったエピソードを、これらの着色コミックスでは4色カラーでも読めると言う事なのであります。
全く、「ガムガムパンチ」って、思っていたよりも奥が深いようなのです。