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2019年10月31日

日本の核武装は有り得るか?  米国で専門家が議論




 日本の核武装は有り得るか?  米国で専門家が議論

             〜JBpress 10/30(水) 6:00配信〜

       10-31-6.jpg

     米国ワシントンに在るブルッキングス研究所(研究所のホームページより)


           10-31-7.jpg

        古森 義久氏 産経新聞ワシントン駐在客員特派員 麗澤大学特別教授  

 〜日本は独自の核能力を開発する意図が有るのか・・・遂最近、米国のアジア専門家集団の間でこんな議論が展開され、その内容が公表された。日本は自国を取り巻く国際安全保障環境が厳しさを増す中米国と離反する事を厭わず、核武装へと向かうのでは無いか、と云う仮説が提起されたのだ。日本に取っての国際情勢は、米国から見てもそれ程危険を感じさせる状況だと云う事だろう〜

 



 危機に直面した日本の対応を討論

 米国で「日本の核武装は有り得るのか」と云う疑問が取り沙汰されて居る事に付いて、日本側としては「何故、今?」と当惑する事だろう。だが、米国でこの問題を巡る討論の舞台と為ったのは、ワシントンで最も伝統があり、最も規模の大きい民間研究機関のブルッキングス研究所である。しかもその討論に参加したのは、実績があり米国で名前を知られた官民の専門家や学者だった。

 ブルッキングス研究所は10月下旬「パワー大競合時代の日本」と題する報告書を公表した。執筆者は、同研究所副所長で外交政策部長のブルース・ジョーンズ氏を中心とした7人のブルッキングス所属の研究員である。何れも中国・日本・東アジア等の専門家だ。
 彼等は、東アジアで米国に取って最重要の同盟国とされる日本が、中国や朝鮮半島等の変化に対してどんな対外戦略を執るのかを長時間討論した。その討論の記録をまとめたのが、報告書「パワー大競合時代の日本」である。

 ブルッキングスと言えば、ワシントンに数ある民間のシンクタンクの中でも伝統的に民主党寄り、リベラル系の機関である。研究所としての基本スタンスも民主党リベラルに傾斜して居る。研究所に集まる研究者、学者、元政府高官、元軍人等もホボ全員が民主党政権支持を明確にして来た。だから共和党保守のトランプ政権には批判的な傾向が強い。
 そのブルッキング研究所がこの時点で日本の安全保障に付いて論じるのは、日本に取っての国際環境が過つて無く厳しいと見て居るからだ。報告書の作成に当たったジョーンズ氏は、日本に取っての安保上の脅威や危険、不安定の要因として以下の諸点を挙げて居た。

 ・中国の軍拡と対外的な軍事的攻勢
 ・中国の武装艦艇の尖閣諸島海域への侵入
 ・米国の対中攻勢による緊張の高まり
 ・北朝鮮の核兵器とミサイルの脅威
 ・日本と韓国の対立
 ・トランプ政権の一貫しない対日防衛政策・対アジア政策


 以上の様な要因により危機に直面した日本が、自国防衛の為、更には対外戦略としてどんな対応を示すのかを探るのが討論の主目的だった。トランプ政権の政策を日本に取っての脅威や不安定の要因として挙げるのは、如何にも民主党寄りの専門家達らしい認識だと言えるだろう。

 



 日本は核武装するのか? 専門家の見方
 
 さて、その7人による討論の中に「日本の核オプション(選択肢)は?」と題された章があった。問題を提起したのはジョーンズ氏だ。同氏は「サア、こうした情勢下の日本は独自の核兵器能力を開発する必要性をどの様に感じて居るだろうか」と問い掛けた。
 その背後に、日本に取ってこれだけ安保上の危機や脅威が高まると、自主防衛や、極端な場合、核武装と云う手段を考え始めても不自然では無い、と云う推定がある事は明白だった。この問いに対する討論参加者達の発言を紹介しよう。

 ◎マイケル・オハンロン氏(日米同盟やアジア安全保障の専門家) 

 「日本に取って、核兵器保有の決定を下すには未だ時期尚早だと思う。しかし日本では核武装に付いて会議で語り論文で論じる事は、これ迄の様な禁断では無く為ったと言える。日本がその方向に実際に動くのは、未だ遠い先の事だろう。但し日本が一旦核武装の決定を下せば、極めて早くそれを実行出来るだろう。核兵器の拡散を心配する側に取っては慰めに為ら無い状況だと言える」

 ◎ミレヤ・ソリス氏(日本研究学者)

 「日本では(アメリカに)自国が放棄されるのでは無いかと云う懸念が高まって居る。トランプ政権が北朝鮮の核兵器保有や短距離ミサイル能力保持を完全に認めてしまい、日本の根幹の安全保障が脅かされるのではないか、と云う恐れが日本にはある。核兵器保有の選択を巡る論議も、それに伴い広がる可能性がある。
 しかし安倍晋三首相は日本の非核三原則には変化は無いと言明し続けて居る。日本全体としても、現在は核武装に進む事によるマイナスはプラスを遥かに上回ると考えて居る様だ。日本の核武装はアジアに軍拡競争を持たらすだろう。しかも日本国民の意見は反核が強く、原子力の平和利用にも反対の立場の人達が多数居る。増して核兵器を配備して他国に照準を合わせると云う計画を受け入れる国民は少ないだろう」


 ◎アダム・リフ氏(日中安保関係の専門家)
 
 「日本の(被爆国と云う)歴史の重みを考えると、独自の核兵器保有と云う道は、例え戦略的論理がその必要性を認めていても、極めて難しいと思う。最近の日本では、核武装の必要性を説く戦略的議論が登場して来た。だが、現状を完全に激変させる一大危機が突然起きた様な場合で無ければ、核のオプションを選ぶ事は難しいだろう。
 安倍政権は2012年以来、安全保障面で重要な政策を幾つも採択し、自衛隊を徐々に強化して来た。だが核兵器の開発と為ると次元は異なる。自衛隊の強化とは根本的に異なる、極めて政治的な範疇の政策と為る。日本の核兵器への反応は、韓国のそれと比べると興味深い。両国共に北朝鮮の核兵器の脅威に直面して居るが、夫々の国民の核に対する態度はマルで異なるのだ」


 こうした米国の専門家達の発言は、何れも、近い将来に日本が核武装する可能性は無いと云う判断を示して居る。だが、それでもこうした議論が同盟国の米国で真剣に展開されると云う現実は、日本側としても知って置くべきだろう。


             古森 義久    以上


 【管理人のひとこと】

 中国や北朝鮮からのアカラサマな軍事的な脅威・威嚇行動等を考えると、実に日本の防衛に対する国民の関心が少な過ぎると考える人達も多いだろう。
 私達団塊の世代までは、戦争の悲劇の空気を引き摺った人達が辛うじて生存して居り、暗に明に肌感覚として「反戦・反核」思想を私共の心に重く圧し掛かって居た。が、私達以降の世代は、戦争そのものに興味も無く関心も無く、増して自分達が銃を持って戦うと云う想像さえしないだろう。これから政治の中心を担う若い世代は、戦争そのものを知らず想像もせず・・・その悲劇も過去のものと為ってしまった。

 無論戦後生まれの私もそうなのだが、戦争の肌感覚も無い人達が「日本の防衛」を考える際、果たしてどの様な結論へと進むのか。彼等には、広島・長崎の原爆の悲劇も遠いものだろうし、お祭りの時に寄付を求める傷痍軍人の白い病服に軍帽にアコーディオンが奏でる悲しい軍歌の記憶も無い。単に防衛する為の最大の手立ては「先制攻撃」だと核保有も躊躇わ無いかも知れ無いのだ。記憶・記録・・・戦争の悲劇は、何度聞いても見ても多過ぎる事は無い。



 


 

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ポスト資本主義の時代に「アジア的価値観」が求められる理由




 ポスト資本主義の時代に 「アジア的価値観」が求められる理由


          〜Forbes JAPAN 野田智義 10/30(水) 17:30配信〜


         10-31-5.jpg 野田智義氏


 資本主義においてビジネスの成功を追求して来た現代社会だが、マルでタガが外れたかの様に、シリコンバレーの足元で広がる深刻な所得格差や、相次ぐスタートアップの不祥事、経営側の倫理観を問う声に、或る意味「資本主義社会の限界」を見る人も多いだろう。
 一方で、データ・ドリブンやテクノロジー・ドリブンが行き着いた先、ロジックだけでビジネスを成長させる難易度は増し、より美意識や直感と云った「センスメイキング」に、その活路を見出そうとする潮流も生まれて来て居る。

 オフィス家具メーカー・オカムラとForbes JAPANが共同制作する『WORK MILL with Forbes JAPAN』では、過去4号に渉り、デンマークやイギリス、アメリカ等欧米のスタートアップやブランド等を取材して来た。その中で、各企業のキーパーソンが挙って共感を寄せて居たのが、禅思想と云った「アジア的な価値観」であった。

 10月9日に赤坂インターシティAIRで開催された、オカムラとForbes JAPANの共催による『WORK MILL with Forbes JAPAN』第5号の発刊イベントでは「アジア的働き方」と題し、資本主義の岐路に差し掛かる世界が今「アジア的価値観」を求める理由に付いて、有識者や経営者等を招いて議論を深めた。

 今回はそのセッションの中から、大学院大学至善館理事⾧であり、NPO法人ISL(Institute for Strategic Leadership)創設者の野田智義氏の講演をお届けする。モデレーターはWORK MILL編集長の山田雄介によって行われた。

 




 システム化で失われた「人間らしさ」

 ハーバード・ビジネス・スクールで経営学博士号を取得し、ロンドン大学経営大学院(LBS)インシアード経営大学院(INSEAD)助教授を経て、2001年にISLを創設した野田氏は、自らのキャリアを「MBAの申し子であり、資本主義の権化の様」だったと振り返る。
 そんな野田氏が、アメリカ型の市場原理主義に疑問を抱く様に為ったのは、ロンドン大学経営大学院やインシアード経営大学院と云ったヨーロッパのビジネススクールでさえ、アメリカ追従型のMBA教育に傾倒して居ると感じたからだと云う。

 2018年、野田が開学した大学院大学至善館は「西洋の合理性と東洋の精神土壌の融合」をビジョンに掲げ、従来のMBA教育から一線を画す独自の全人格経営リーダーシップ教育を実践して来た。

  「決して西洋を否定する訳ではありません。西洋とアジアの価値観を橋渡しし、調和させて行く必要があると考えて居ます」

 西洋とアジアの価値観は、マルで陰と陽の様に対に為って居ると野田は語る。

 「西洋的な価値観を定義するとすれば『個人』と『自由』に象徴されます。キリスト教文明において、個人は絶対的な存在として神を信仰し、神との契約を基に取引し、それと引き換えに自由を追い求めて来ました。
 一方、アジア的・・・非西洋圏とも言えますが、そこにおける価値観は『私』の中にも仏性や神が宿り、自らの中に真実がある。そして他者や自然と共に社会を構成し、生きとし生けるものとして共に生きる。『集団』と『共生』に象徴されるのです」


 「システム化」によって失ったもの

 だが、フランス革命以降、近代国家が成立し、社会は「システム化」の一途を辿る。西洋的な価値観を基に生まれた市場経済は、契約や取引を前提とし、アラユル工程を効率化し大きな利潤と利便性を生み出した。システム化の象徴とも言えるのは、コンビニエンスストアやファミリーレストランだと野田は語る。

 「今日、コンビニに立ち寄った方は、お釣りを渡して呉れた店員さんの顔と名前を覚えて居ますか? ……覚えて居ませんよね。私達は、金銭取引によってモノやサービスを享受する事が『当たり前』に為って居る。彼等に対して『ありがとう』を言うのでは無く、彼等から『ありがとうございます』と言われる。
 本来、掛け替えの無い人から享受するモノやサービスが有り難いことだったからコソ『ありがとう』と云う言葉を掛けて居たのに、システム化によってアラユル事が『当たり前化』されてしまった。それと同時に、モノやサービスを提供する私達も又、システムの一部として、代替可能な機械部品と為り、自らの存在意義が危ういものと為って行く。安心安全・快適便利な暮らしと引き換えに、私達は『人間らしさ』を失ってしまったのです」


 近年アメリカでは「パワースポット」と称されるアリゾナ州・セドナや、市民組織「ネイバーフッドアソシエーション」を中心に「住み好い街創り」が進められるオレゴン州・ポートランド等、ローカルエリアに関心が集まって居ると云う。ニューヨークやロサンゼルスと云った大都市からローカルエリアへ移住する人も多い。
 その背景には、究極まで追求された効率性や利便性から距離を置き、人が人として、掛け替えの無い存在として扱われる場所で暮らし、大都市では満たされる事の無い充足感を求めて居るのではないかと野田は指摘する。それも又、場所はアメリカと言えど、非西洋的な価値観を尊重しての事だ。

 「私もセドナやポートランドに滞在しましたが、そのスローな空気感や、人中心のコミュニティの在り方、『自然に抱かれて居る』と云う町の在り方に、若者達が惹き着けられて居る様子を実感しました。人は個人としての自由を追い求める存在だけど、人との繋がりを感じられて初めて人としての生き甲斐を感じる事が出来、人からの支えがあってコソ自由を謳歌出来るのです」

 そして、私達人間の二面性...... 資本主義社会に生き、システムによる利潤や利便性を享受したいと希求すると同時に、代替可能では無い掛け替えの無い存在として人間関係の中に存在したいと云う二律背反性を自覚する事から「アジア的価値観」を取り戻す糸口は掴めるのではないかと野田は語る。

 



 「ありがとう」の一言で社会は変わる

 「西洋の合理性と東洋の精神土壌の融合」を企業組織で実現する事は、その構造的な性質上、難易度の高い事も確かだ。ピラミッド型のヒエラルキー組織は、上司と部下が主従関係で結ばれ、雇用契約に基づいてその働き方が規定される。「上司の命令は絶対」であり、会社の取り決めに逆らう事は許され無い。それはまさに西洋型契約社会の類型でもある。
 だが、ティール組織やホラクラシーと云った、フラット型で階層構造の無い組織体が少しずつ広がって来て居る様に、既存の手法に代わる経営やマネジメントに取り組む者達に取って、西洋的価値観と一線を画すアジア的価値観に共感を寄せるのは、極自然な流れと言えるかも知れない。野田はこう語る。

 「社員や部下に対して、社長や上司は『給料を払って居るんだから、遣って呉れて当たり前だ』『給料を払って居るのに、ロクな仕事をして呉れ無い』と思ってしまう。
 けれども本来、夫々限られた人生の時間で、偶々巡り合わせて同じ組織や会社で働く様に為った。そして彼等が一生懸命働いて呉れるからコソ、リーダーは支えられ、会社として、一人では出来無い事を成し遂げて居る。
 その構造を本当に理解して居れば、乱暴な言葉は出て来無い筈なんです。『ありがとう』と言えば『こちらこそ、ありがとう』と木霊の様に返って来る。お互いに共感し信頼し合って『この人の為に頑張ろう』と思える──。それコソが本来的なリーダーシップの在り方であり、そう云う組織が働き甲斐を生み出すのです」


 組織戦略論を軸に研究活動を行い、20年近くリーダーシップ教育に携わって来た野田は、現在進行形で崩れ行く資本主義に警鐘を鳴らす。そして、大企業や名だたるブランドが真剣に目を向け始めた、持続可能性や自然との共生、人言尊重の精神コソ、私達日本人が何時の間にか失ってしまった「アジア的価値観」なのではないかと指摘する。

 「改めて世界に向けて、新たな地域社会や人間関係の在り方を作り直して行く事が、明治維新以降を生きる僕等の責務だと考えて居ます。その為に先ず出来る事は、家族や同僚、友人と云った身近な人は勿論、日常生活の中で出会う人に対して『ありがとう』と言うこと。
 こうして暮らせて居るのは人から支えられて居るからであって、決して当たり前では無いと肝に命じる事。何て事無い様に思えるかも知れないけど、騙されたと思って遣ってみて欲しい。貴方が組織の長であれば、『ありがとう』の一言で組織の雰囲気は変わる筈です」


 その言葉通り、最後に「ありがとう」で登壇を締めた野田が投げ掛けたのは、多くの日本人が追求して来た効率性や利便性の陰で追い遣られて来た「自分らしさ」に対する根源的な問いだったのかも知れない。そうやって「自分らしさ」を取り戻した先に見えて来るのは、一人ひとりが尊重され、互いに「ありがとう」と言い合える様な「人間らしい」生き方なのだろう。


           Forbes JAPAN 編集部   以上

 




 【管理人のひとこと】

 アジア的価値観とは一体何だろうか。西欧のキリスト教的(又はユダヤ教的)価値観に、中東からのイスラム教的価値観に対する、東洋の仏教的・儒教的・・・又は、日本の様な多神教的価値観の違いなのだろうか。しかし、アジアにもキリスト教やイスラム教が進出し今や混然とした宗教観が成熟して居る中、際立った価値観の違いを挙げるのは難しい。
 言語・民族・宗教・肌の色・・・全ての価値観の違いは、歴史と共に余りにも流動的なのである。確かにアジアとして共通項を挙げるなら、民族・気候・肌の色程度であり、一見では区別は着か無い。大陸性も海洋性も兼ね備えた広範囲な民族が混在したものだ。
 欧米の資本主義の限界・・・と指摘するには、世界経済がそれに則って動いている現在を、変え様も無い流れの中に生きて居るのが現状。共産主義と豪語する中国も、経済は純資本主義であり、中東のイスラム諸国も同じ。只、現状の資本主義的経済活動をそのまま鵜呑みするのでは無く、新たな目線で比較検討する態度は大切だ。その活動の中で置き忘れたり失った何かを、思い出し探し取り出して、より生き易い環境を作り出す試みは必要だろう。







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世界遺産の仁徳天皇陵 本当に仁徳天皇の墓なのか?



 

 世界遺産の仁徳天皇陵 本当に仁徳天皇の墓なのか?

              〜JBpress 10/30(水) 6:00配信〜


           10-31-2.jpg

 〜天皇が埋葬され国の貴重な文化財と為って居る天皇陵。「聖域」であるが為に、調査発掘が許される事無く現在に至って居る。天皇陵を聖域たらしめて居る本当の理由は一体何なのか。歴史学者の外池昇氏が天皇陵の謎を解明する。本稿は『天皇陵「聖域」の歴史学』(外池昇著 講談社学術文庫)より一部抜粋・再編集したものです〜





 問題の核心「天皇陵」

 陵とは天皇・太上天皇(既に退位した天皇)太皇太后(先々代の天皇の皇后)皇太后(先代の天皇の皇后)皇后・北朝天皇の遺骸が葬られて居る場所、墓とはこれ以外の皇族の遺骸が葬られて居る場所を言い、陵墓とはその全体を云う。
 詰まり、天皇陵とは陵墓の中のひとつのカテゴリーである。とは言いながら、天皇陵を巡る問題は、陵墓全体を巡る問題の核心であり象徴である。

 被葬者が分から無い様に作られた古墳

 宮内庁は、陵墓をどの様に管理して居るのであろうか。勿論宮内庁による陵墓管理の実態には未だに解明されて居ない部分も多い。しかし以下に述べる二点は、宮内庁による陵墓管理の問題点として極めて重要である。

 第一は、研究目的の内部への立ち入りを一切認め無いと云う事である。これは、陵墓で安んじる「御霊(みたま)」の静謐(せいひつ)を妨げる様な事があっては為ら無いと云う宮内庁の陵墓管理の基本的原則によるものである。
 処が今日、宮内庁が陵墓として管理するものの中には、文化財としての価値が大変高いものがとても多い。殊に古墳、中でも巨大古墳が陵墓とされて居る場合には事態は深刻である。発掘調査は勿論の事、墳丘、詰まり古墳の表面を歩いて表面観察をする事すらも出来無い。

 取り分け古墳の中でも中核的な位置を占める巨大古墳に付いて見れば、尚事態は深刻である。巨大古墳の有力なものの殆どが宮内庁によって陵墓として管理されて居る為に、考古学上のデータが極端に制限されてしまって居るのである。
 これは、古墳研究の上での著しい障碍(しょうがい)以外の何ものでも無い。勿論何がナンでも発掘をしなければ古墳研究が全く出来ないと云う事でも無いし、性急な発掘が古墳の破壊に他為ら無いと云うのも確かである。
 そして、それが古墳である以上、例え天皇陵で無くとも遺骸が葬られた場所である事には違いは無いのであるから、被葬者に対する尊厳の気持ちも決して忘れては為ら無い。しかし、研究者が墳丘を実地に観察する事すらも出来ないと云うのは、古墳時代の研究、延いては古墳の研究と云う事に付いて云えば致命的である。

 第二には、陵墓には本当は誰が葬られて居るのかと云う事である。宮内庁は被葬者を夫々の陵墓の制札によって明示して居るが、その宮内庁によって決定されて居る被葬者は、学問の上での手続きを経ての事なのであろうか。
 もし、その被葬者が正しく無かった事が学問的に明らかに為った場合には、宮内庁は被葬者を学問の上での手続きを経てより適当な被葬者へと改めるのであろうか。

 ソモソモ宮内庁はどの様にして被葬者を決定したのであろうか。ここで古墳が陵墓として管理されて居る場合に付いて焦点を絞って云えば、一般にこの国の古墳は被葬者を決める事が大変難しい。何故なら、この国の古墳には被葬者の名を示す、例えば墓誌(被葬者の事績等を石碑に彫り込む等したもの)の様なものが全く見られ無いからである。詰まりこの国の古墳は、元々後世の人々が被葬者が誰であるか判ら無い様に造られて居るのである。





 日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵」

            10-31-4.jpg 仁徳天皇

 仁徳天皇は『古事記』『日本書紀』の伝える第16代の天皇である。民家から煙が立ち上ら無い事を憂えて3年間全ての租税や労役を免除したと云う説話で好く知られて居る。しかしそれ以上に仁徳天皇を歴史上著名ならしめて居るのは、大阪府堺市堺区大仙町に在る仁徳天皇陵の存在であろう。この国最大の規模を誇るものとして、これ程好く知られた古墳は無い。

 此処ではこの仁徳天皇陵やその周辺の事柄を例として取り上げて、どの古墳が何天皇陵とされるのか、詰まり天皇陵比定の方法に付いて考える事にしたい。但し此処では、墳丘の規模・形態や遺物の検討等と云った言わば考古学的方法では無く、専ら文献によった方法を採用する事にしたい。
 その方が、今日における陵墓を巡る問題点をより明確に浮かび上がらせる事が出来ると思われるからである。

 仁徳天皇陵に付いては『古事記』『日本書紀』に好く述べられて居る。『古事記』は「毛受之耳原(もずのみみはら)」『日本書紀』は「百舌鳥野陵(もずののみささぎ)」とする。
 此処に「毛受」なり「百舌鳥」と有るのは、「日本書紀』仁徳天皇67年10月5日条が、仁徳天皇が河内の石津原(現在の大阪府堺市堺区石津町付近)に行幸(天皇が御所から外に出掛ける事)して自らの陵地を定め、陵を作り始めた18日に鹿が野から現れて役民(労役に従う人々)の中に入って倒れて死んで鹿の耳から百舌鳥が出て来たが、鹿の耳の中は悉(ことごと)く食い裂かれて居り、これを百舌鳥耳原と云う地名の起源とする・・・と記す事に由来する。

 この『日本書紀』の記述によって、仁徳天皇陵が河内の石津原改め百舌鳥耳原と称する地に営まれたとされた事が判るのである。

 諸陵寮式

 『古事記』『日本書紀』以外の史料と云う事に為ると『延喜式(えんぎしき)』「諸陵寮式」がある。仁徳天皇陵に付いては次の通りである。

 百舌鳥耳原中陵(もずみみはらなかのみささぎ)難波高津宮御宇(なにわたかつのみやぎょう)仁徳天皇 和泉国大鳥郡に在り 兆域は東西八町・南北八町 陵戸(りょうご)五烟(原漢文)

 「諸陵寮式」は『古事記』『日本書紀』の段階よりも遥かに詳しく仁徳天皇陵に付いて記す。先ずは陵の名称である。ここに「百舌鳥耳原中陵」とあるのは、この仁徳天皇が、和泉国大烏郡の百舌鳥耳原に在る幾つかの天皇陵の内中央に位置すると云う事である。
 次には規模である「東西八町・南北八町」とあるのが仁徳天皇陵の規模を具体的に示すものである。この「町」と云うのがどの位の長さを示すのかが仮に判然とし無かったとしても、陵の東西の長さと南北の長さの割合を検討したり、他の天皇陵の規模を示す記述と比較する事は出来る。
 そして現地における管理の実態である。「陵戸五烟」と在るのは、現地における陵墓の世襲の管理者である陵戸(律令制下では賤民(せんみん)に属する)が5軒合ったと云う事である。
 
 さて「諸陵寮式」は、和泉国大鳥郡百舌鳥耳原に在る仁徳天皇陵以外の天皇陵に付いても記して居る。次の通りである。

 百舌鳥耳原北陵 丹比柴籬宮御宇反正(たじひのしばがきのみやぎょうはんぜい)天皇 和泉国大鳥郡に在り 兆域は東西三町・南北二町 陵戸は五烟。
 百舌鳥耳原南陵 磐余稚桜宮御宇履中(いわれのわかさくらのみやぎょうりちゅう)天皇 和泉国大島郡に在り 兆域は東西五町・南北五町 陵戸は五烟 (原漢文)

    10-31-1.jpg

 一見して明らかな通り「諸陵寮式」によればこれ等の位置関係は北から南に向かって反正天皇陵・仁徳天皇陵・履中天皇陵の順であり、此処で仮に「諸陵寮式」にある東西と南北の町数を乗じてこれ等の規模を比較すれば、反正天皇陵六(三町×二町)・仁徳天皇陵六十四(八町×八町)・履中天皇陵二十五(五町×五町)の割合と為る。
 これで、和泉国大鳥郡百舌鳥耳原にこの条件に適う古墳が丁度三基在ってそれ以外の古墳が一基も無ければ、反正・仁徳・履中天皇陵は直ぐにでも、そして誰にでも納得出来る形で決定出来ると云う事に為る。

 処が問題はそう簡単では無い。「諸陵寮式」の云う和泉国大鳥郡は概ね今日の大阪府堺市に当たり、古墳が密集する地域としては百舌鳥古墳群と言われる。そしてそこには巨大前方後円墳に限っても三基を遥かに超える古墳がある。その中から既に先に見た条件で、反正・仁徳・履中天皇陵を探さ無ければ為ら無いのである。しかし、或は疑問を持たれるかも知れない。
 詰まり、何故『古事記』『日本書紀』や『諸陵寮式』に頼ってどの古墳がどの天皇陵かを決め無ければ為ら無いのか、古墳には何らかの形で例えば墓誌(亡く為った人の事績等を石碑に彫り込む等したもの)等が在ってそこには被葬者(そこに葬られて居る人)の名が記されて居て、それによってどの古墳がどの天皇陵かを決められるのでは無いかと云う疑問である。

 墓誌の無い古墳
 
 処が、この国の古墳に墓誌が見られる事は無いのである。現代の感覚からすれば莫大な労力を長期間にわたって費やしたのであれば、被葬者に付いて記した墓誌が無いと云う事はおよそ考えられもしない。しかし、どの様な形にせよ、そしてどの様な理由にせよ、被葬者名を古墳に残す事はタブー(固く禁じられて居る事)であったのであろう。
 であるからコソ、後世に為るとどの古墳に誰が葬られて居るのかが遂に判ら無く為ってしまったのである。そこで、後世に成った諸種の文献等に拠るのが天皇陵決定の為の最も有力な方法と為ったと云う事なのである。





 陵墓の「公開」

 最後に述べて置きたいのは、陵墓は公開され無くては為ら無いのか、又、何を以て陵墓の公開とするのか、と云う問題である。

 まず、陵墓の公開とは何か、に付いてである。私は、陵墓として管理されて居る古墳が学術調査の対象と為り、その成果が分かり易い形で学界・社会一般に公表される事を陵墓の公開と考える。この点に付いては余り異論は無いと思われるが、その学術調査の内容は何かと云う事に為ると、実は議論が分かれる処である。
 考古学者の中には、学術調査と云っても主には古墳の表面の観察や遺物の採集、又現況の記録に留め、発掘を伴った調査、中でも埋葬施設、詰まり石室・石棺等の発掘調査に迄は進むべきで無い、と云う考え方がある。

 この背景には、発掘を伴った調査と云うのは古墳の破壊と云う一面を必然的に抱えるものであって、理想的な古墳の保存・調査・公開の為には、発掘を伴った調査、中でも殊に埋葬施設の発掘調査は避けるべきである。増してや、今日宮内庁が陵墓として管理する古墳には巨大で学術上価値が高いものが多く、宮内庁によって管理されて居る為に開発等による破壊の心配は無い。と為れば猶更である、云う判断がある。
 確かに古墳であれ何であれ、一度発掘してしまえばもう完全に元の通りには戻ら無い。そう考えれば、発掘調査をするべきで無いと云う判断も一見尤もの様である。

 しかし私は、どうしてもこの判断に賛成する事が出来無い。それは、現実に宮内庁によって陵墓として管理され、学術調査から隔絶されている巨大古墳の多くが、この国の形成期の歴史を示す、他に掛け替えの無い貴重な文化財としての価値があると思われるからである。
 遺跡の価値に優劣等あるべきでは無いが、それでも此処で問題として居る数多巨大古墳の文化財としての価値が極めて大きい事に、異を唱える向きは無いであろう。

 どの様な価値があるのか、どの様な点で貴重なのか、それを学術上の手続きを経て解明し、その成果を学界にも社会一般にも誰にでも判る言葉で説明して欲しいと思うのである。その際、発掘はしませんでした、埋葬施設には手を付けませんでした、と云う事で良かろう筈は無い。
 もちろん拙速な発掘はいけ無い。充分な時間と経費を掛け、決して高松塚古墳で文化庁が犯した愚行を繰り返さ無い様な組織の枠組みを作って、最高の技術を用い、慎重の上にも慎重を期して調査と保存に臨ま無ければ為ら無い。

 何年掛かろうと何十年掛かろうと、それは当然の事であるし是非そうし無ければ為ら無い。そしてその為の努力と責任は、文化財の保存と活用(公開)に携わる人びとや学界の人士のみ為らず、広く社会一般にも課されるべきである。
 しかし、最終的な学術調査の到達点は、埋葬施設を含めた古墳全体の文化財としての価値の解明であるべきで、この学術調査に直接・間接に関与する者の側が、自ら古墳の中で学術調査が及ば無い部分を作り出す事が在っては為ら無い。

 今最も為され無ければ為ら無いのは、陵墓として管理されて居る古墳の学術調査が、天皇による祭祀と果たして矛盾するのかしないのかに付いての、後世の検証に耐え得る手順を尽くした冷静な議論である。
 

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                成城大学 外池 昇氏  以上


 【管理人のひとこと】

 ピラミッド等を含む古代エジプト遺跡の発掘を考えると、日本の古墳が永い期間(それも殆ど未発掘のまま)手も着けられて居ないのは実に不思議な感覚だ。しかし、江戸時代・明治時代を含め、現代も言われる「天皇陵・古墳発掘の禁止」の取り決めの無かった時代、誰も手を付けて無いとは限ら無いと考えるのが当然。
 古事記や日本書紀に書かれて居る様に、陵墓等には代々継がれた墓守が居て(彼等は非人だと云う)盗掘されぬ様守って居たのだろうが、恐らく陸墓の財宝を求める「盗掘・盗人」が在って当然だ。もしかしたら、陵墓の中の金銭的に貴重なものは既に空っポなのではなかろうか。しかし、全てが持去られた訳でも無いだろうから、歴史的には貴重な数々の資料が埋まって居そうだ。
 本文中に指摘された様に、発掘は原型を破壊する事に繋がり、再現するには色々な困難も伴うだろう。そのままソーッとして置くべきか、それとも随時最新技術を駆使し発掘をするか・・・矢張り、後者に期待するのが人情と云うもの。日本の、失われた古代・4世紀・・・その何かが判明するかも知れ無いではないか。
 我が国も、歴上の一大ポイントと為る天皇陵等の古墳発掘に向けて、新たな政策を打っ出る事で古代日本の歴史の解明に新たな歩みを踏み出しては如何だろうか。





 

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