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2016年04月07日

第71回 ホワイトキヤツプ






文●ツルシカズヒコ



 一九一三(大正二)年四月、青鞜社の事務所は本郷区駒込蓬萊町の万年山(まんねんざん)勝林寺から、東京府北豊島郡巣鴨町大字巣鴨一一六三の借家に移転した。

『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p457)によれば、南湖院の仕事を辞めて青鞜社の仕事に専心することになった、保持の住居の確保のためであり、そして「青鞜」が新聞種になり来訪する新聞記者が多くなり、勝林寺の住職からやんわり立ち退きを言い渡されたからだった。

 院線の巣鴨駅の近く、ひば垣をめぐらした新建ちの三間の借家で、保持の住居も兼ねていた。

 保持、中野初子、哥津、野枝、らいてうが社員の応対に当たった。

 同じころ、岩野泡鳴、清子夫妻も目黒から巣鴨村宮仲に引っ越してきたので、清子もしばしば事務所に顔を出すようになった。

 四月二十日、文部省が婦人雑誌関係の反良妻賢母主義的婦人論の取り締まり方針を決定した。

 そうした官憲の取り締まり強化の中、『青鞜』四月号について警視庁高等検閲係から出頭を命ずる通知が届いた。

 四月二十五日午前十時、警視庁に保持と中野が出向き「日本婦人在来の美徳を乱すところがたくさんある」という注意を受けた。

 特に名指しはされなかったが、当局を刺激したのは、らいてうが『青鞜』四月号書いた「世の婦人達に」だった。


 この小文でわたくしは、良妻賢母主義に対する疑問を提出し、結婚のみにしばられた在来の女の生き方を否定し、現行の結婚制度をーー主として民法親族篇の不条理をあげて、女の新しい生き方を訴えています。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p458)





 野枝は『青鞜』四月号に「この頃の感想」を寄稿している。

 四月二十八日、福島の消印のある封書一通が、巣鴨の青鞜社事務所に舞い込んだ。

 宛名は「事務所内 岩野清子 伊藤野枝 他二名行」とあり、差出人は「ホワイトキヤツプ 党長代理」。

 開封した保持が大まじめに野枝に言った。

「こんな手紙が舞い込んだから、乱暴くらいやられるかもしれません」

 野枝は何が書いてあるのかと思い読んでみた。


 左ノ四名ニ告グ

 汝等ハ偏狭ニシテ「ヒステリイ」的ナル思想ヲ以テ……汝等ノ言ハ常ニ婦人ノ権利ヲ要求シテ、義務ヲ提供セズ……。

 汝等ノ望ムモノハ只、奇激ナル行動及ビ言文ニ依リテ社会ヨリ注目セラレタシト云フ虚栄(虚は誤字)ト岩野抱鳴(抱は誤字)ノ半獣主義ヲ標傍(傍は誤字)シテ己レノ淫心ヲ充タサントスル心ノミナルベシ、汝等対社会ハ、蚤蚊対人間ニ等シク汝等ノタメニ受クル害ハ小ナリト雖モ害ハ害ナリ。

 依テ汝等ヲ左ノ方法ニ依リ全部殺スベシ。

 ……電力ニ依リ、麻酔剤ニ依リ腕力ニ依リ、短銃ニ依リ其他ニ依リテ必ズ殺害ヲ全フスベシ。其期限明言シ難キモ、来月五月一日ヨリ三ケ月間若ハソレ以上ニ渉ル事アルベシ。

 最後ニ、汝等各自ノ死ハ此ノ状ヲ見シ瞬間ヨリ、今ヨリ!!!

 青鞜社中第一期ニ殺スベキモノ

 岩野きよ 林 千歳
 伊藤野枝 荒木いく

 4.27.1913. 

 White Cap.
 ホワイトキヤツプ
 党長代理

 此予告ヲ近時流行セル(日本)ブラツクハンドレターと同視スルモノアラバヨシ右の四人ノ中、何奴ニテモ(モツトモ始メニ)殺害セラレタルトキニ於イテ普通ノ脅迫状ト見シ嘲ヒヲ解ケ。

 我党ノ本部ハ明言シガタシモ准党員ハ九十一名全国ニ渉リテ散在セリ。

    
「編輯室より」/『青鞜』1913年6月号・3巻6号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p28~30)


※野枝は〈四月二十六日附〉と「雑音」に書いている。





 野枝はこの脅迫状にこう言及している。


 先づ奇抜な誤字に驚きました。

 驚察なんぞは最もふるつてゐます。

 先づその誤字に印をつけて数へて見ました。

 文字はきれいに極め細かくペンで書いてあります。

 中学あたりに通つてゐる坊ちやんのいたづらか、或は不良少年のいたづら位だらうと思いました。

 とにかくおもしろいと手を叩いて笑つたのです。

 だが林さんを引きづり込んだのはどうした訳だか 一寸見当がつきませんでした。

 青鞜社中でも第一期に殺すべき者なんてありますから、らいてうとでもいふのかと思つたら可笑(おか)しくてたまりませんでした。

 五月一日からとりかゝるさうですが まだ私はかうして編輯室よりを書いたりしてゐますから御安神(あんしん)下さい。

 岩野さんも荒木さんもぶじです。

 林さんもたぶん何事もないだらうと思ひます。

 若し私が編輯室へ出なくなつたらホワイトキヤツプの手にたをれたものと思つて可哀さうに思つて下さい。

 だけども警察もずいぶんですね、ホワイトキヤツプの人たちは大ぜいの人を今まで手に掛けたやうに書いてあるではありませんか、そんな者に横行されては善良なる人間を一番苦しめるのではないせうか。

 私がこう云ひますと、或る人が「ナアニ青鞜社の人たちはいま危険思想だの何だのつてその筋から白眼(にら)まれてゐるのだから却つてホワイトキヤツプの連中に手伝ひしてこの際撲滅しやうなんて云ひますかも知れませんね」と云ひました。


(「編輯室より」/『青鞜』1913年6月号・3巻6号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p30)



★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 22:20| 本文

第70回 荒川堤






文●ツルシカズヒコ



 野枝と岩野清子がらいてう宅を訪ねると、らいてうは折りよく居合わした。

 三人は荒川の方へ歩いて行くことにした。

 本郷区駒込曙町のらいてうの家を出て、駒込富士前町の裏手から田端にかけての道は、野枝がよく知っていた。


 お天気が馬鹿によかった。

 彼方此方に木蓮が咲いてゐた。

 荒川までは大分あつた。

 田端の停車場を出て山の手線の掘割に入らうとする曲がり角近くの断層の処に子供が大勢ゐた。

 平塚さんは小学校の時室外教授に此処に連れられて来たことなどを話した。

 空は綺麗に晴れてゐた。

 私は広々とした田圃道を岩野さんと平塚さんに挟まれて自由に話しながら歩いて行くのに非常な満足を覚えた。

 私は覚えず知らずに愉快になつて声を放つてよく笑つた。

 小台(おだい)近く迄行つたとき平塚さんは、ずつと前によくこの辺に散歩に来たものだと云つて何かを思ひ出すやうな顔付をした。


(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年2月12日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p88/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p170)


「断層」とは「田端の断層」のことであろう。

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 小台の渡しを渡って荒川堤が見えるようになるころから、三人の後にも前にも花見らしい人たちの姿が続いた。

 荒川堤の桜はまだ六分ぐらいの開き方で、まだ茶屋にもそうたくさんな人の姿は見えなかった。

 三人は川口の渡しの方へとだんだんに上って行った。

 どこまでも行っても桜は尽きなかった。

 野枝はらいてうと清子の間に挟まって歩きながら、本当に子供っぽい気になってはしゃいだ。

 いく度もいく度も洋傘の先で桜の枝を引き下ろしては、美しい花を手折った。

 しかし、野枝はそれをすぐに捨ててしまうので清子に笑われた。

 風がひどくなってきた。
 
 清子は髪に埃がつくのが嫌だと言って、ヴェールを頭からかぶって歩いた。





「栄螺(さざえ)が食べたいわ、食べましょう」

 清子が掛茶屋(かけじゃや)の中を覗き込みながら言った。

「こんなところのはあてにならないわ。アカニシだっていうじゃありませんか」

「そう?」

「こんなところだけでなしに、市内の安料理屋なんかのだって、やはりそうだっていいますよ」

「そうでしょうね、やはり東京じゃ高くて駄目なのでしょうね」

「そうですね、でもたいていの人はアカニシと承知して食べているのですから、アカニシのつぼ焼と書いたらよさそうなものね」

 らいてうはそんなことも言った。

「やはりサザエと言わなければ体裁が悪いのでしょうね。こんど折りがあったら、江ノ島に食べにいきましょう」

「江ノ島なら大丈夫ね。だけどサザエもアカニシも、あんまり味は違わないんですってね」

「そうですってね」

「岩野さん、ずいぶん食べたそうですね」

「ええ、食べたいわ」

「そんなら食べましょうか」

「食べてもいいわ」

 来た道を茶屋の前まで引き返した。

「何だか変ね、よしましょうよ」

「どうして、あなた、食べたいんじゃありませんか」

「だけど変ね」

 そう言ってずんずんまた歩き出した。

 茶屋の若い衆が妙な顔をして三人を見送った。





 野枝たちが話をしながら歩いて行く後から、自転車が走って来て三人を追い抜いた。

 しばらく歩くと、木の下に自転車が立てかけてあり、乗っていた男が野枝たちを見ていた。

 三人は話に気を取られて歩いていた。

 三人が男のそばに近づくと、その男が写真機を持っていることに気づいた。

 直後、その男は三人の姿を写した。

 三人が顔を見合わせていると、その男は自転車をかかえ三人の傍らをすり抜け、大急ぎで駆けて行った。

「まあ、ひどいのね、私たちを写したんですよ」

「いったい、私たちと知って写したのでしょうか。それとも知らずにかしら」

「まさか知ってじゃないでしょう、きっと偶然なんですよ」

「そうかしら、三人が三人妙だから、きっと写したのよ。もし知っているとすれば、またきっと“新しい女の花見”だなんて出ますよ」

「だけど、三人とも講演会には顔をさらしたんだから、知られているのかもしれないわ」

「どんな風に撮れたでしょうね」

「さあ、きっと大変よ」

 目先の景色が変わるように、三人の話題も留まることなくずんずん進んで行った。

 三人はとうとう幾里かの道を歩いて、日暮れに赤羽の停車場に出た。

 電車に乗って腰をかけたときには、本当に三人とも疲れてぐったりした。

 けれども、何とはなしに三人の心は楽しいその日一日に取り交わした談話にやさしく絡まり合って、めいめいに親しい微笑を傾け合った。

 このとき、清子三十一歳、らいてう二十七歳、野枝十八歳である。

 



 らいてうも野枝と清子に突然誘い出されて、綾瀬に菖蒲を見に行ったことがあると回想している。


 こんなとき、きまって清子さんは、厚化粧して、せいいっぱいしゃれこんでくるのですが、この日も、ぼたん色の濃い地色の羽織を着ているのが、おとろえた肌の厚化粧をいっそう目立たせ、さびしいものに見せたのでした。

 清子さんの顔は、平たい大きな顔で、別段美しいという顔ではありませんが、笑うとパッと愛嬌のただよう顔で、なによりも声の美しい人でした。

 ポンポン蒸気に乗って綾瀬までゆき、菖蒲園を中心にあの辺を終日散歩しながら、若い野枝さんのはしゃいだ声に調子を合わせ、清子さんもきれいな声で、よく笑いました。

 その日別れぎわに、「今日は愉快でした。ありがとう」と、挨拶のあとで、「岩野ともう一週間も口をきかないので……」と、ひとり言ともつかずいったことが、そのころ、まだ奥村といっしょになる前のわたくしには、夫婦というものの容易ならぬ葛藤の断面を、見せられた思いで長く心に残りました。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p522)



小台の渡し ※明治後期の荒川堤の桜 ※日本のカメラのはじまり




★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 12:02| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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