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<場面緘黙症児はしゃべれない事を辛いと思っていないですよ>

緘黙児はしゃべれない自分を意識し始めるのは小学校3年生ぐらいからのようです。
それまでは別にしゃべれないことが不自由だと思うこともなく、自分の中では自由奔放に
生活しているようです。

周りの大人たちからみれば不思議なのですが学校という場面が極度の緊張感と恐怖心を
駆り立てる場にもかかわらず学校を休みたいとか行きたくないという子どもが少ないのは
辛くないからなのでしょうね。

娘も「学校は楽しかった」と言っています。

人が遊んでいるのを傍で見ているだけで楽しくてずっと見ていたい子ども、みんなの輪の
中に入って、しゃべれないけど一緒に縄跳びしたり、ドッチボールに参加するのが
大好きな子ども。

このように、泣くことも笑うこともできない子どもでも、身体を動かす事のできる子は
結構活発にお友だちと遊びます。

どちらかというと一人でポツンと居るより、集団の中、仲間のそばに居るのを好む
傾向があるように思います。

その理由は一人ぼっちでいると、何も覚えることができないし、みんなが楽しそうに
笑っているのを見ていると自分もいつの間にか微笑んでいるような気がしているそうです。

友達などが遊んでいる姿を見ているだけでもいろんな遊び方を知ることができるし
音楽の授業などでも、自分は歌わないけれどみんなの歌っているのを聞いているのが
楽しいし、家に帰ったら歌ってみようと思いながら聞いているようです。

娘は緘黙症を克服した時からカラオケが大好きでよく行きますが、さほどオンチでもなく
楽しんで歌っています。学校の授業で歌ったわけではありませんが、しゃべれない分
人の歌声を耳でじっくり聴く習慣がついていたことが良かったのだと思います。

このように緘黙児が日々の生活をのびのびと過ごせれば、それが本当は理想なのですが、
現実はそう上手くいかないのが現状です。

緘黙児がしゃべれないことを苦痛に思い辛く苦しんでいるとしたら、それは
私たち大人社会の一人一人が緘黙児のことを良く理解できていないからでは
ないでしょうか。

娘も、緘黙を自覚し始めた頃から苦しい戦いの日々が始まりました。

つづく
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プロフィール

ゆりママ
1995年著書 負けたらあかん!を出版しました。 場面緘黙症を乗り越えた娘の体験をもとに いじめによる自殺を何としても食い止めたいという思いで書きあげた本です。 大津いじめ事件に、心が傷み”死に急がないで!” と訴えたくてブログを立ち上げました。
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