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コクリコ坂から

映画館に観に行くことができなかったため、
レンタルになることをとってもたのしみにしていました!

やはり映画は予告版があって、先入観というものがあったり、
話題作ほど先にストーリーをどこかのタイミングで知ってしまうことが多く、
まっさらな気持ちで映画を見ることというのはあまり少ないのですが、
「コクリコ坂から」はストーリーを全く知らずに見る事ができました。

どんな映画でも賛否両論があると思うし、
制作者サイドの苦労などは、
ポスプロ時代や個人作家としても充分知っているうえで、
の感想をここに。

まず総評。

どうしたらいいのかわからない映画でした。
突き動かされるものがほとんどなく、
淡々と、というよりも単調になっていて・・・
(私の周りではタルコフスキーの映画を、
単調、あるいは淡々としているという方もいるので、
そのことばはあまり使いたくないのですが・・・)

意図的な演出が全く見えず、
どうなんだろうなあと疑問を抱えながら見た形です。
キャラの表情も動きもほとんど生かされていないというか、
巧い演出とそれ以外がくっきりしていて、
そこに駿さんの存在を感じずにはいられないというか。

吾朗さんが何を伝えたいのか、
ぶれているような気持ちもした。
そこが非常に現代的というか。
なので、「コクリコ坂から」のように、
動きのある時代ではなく、現代の若者とか、
空白の30代みたいなものにスポットを当てた作品が見てみたいと思った。

吾朗さんは、
冷ややかな視点を持っていて、
けれどうまく表現出来ない人や、
何かを抱えながら進まなければいけない人間のどうしようもなさ
みたいなものを表現できる人だと感じたので。

山田太一作品のような、
なんでもない人のなんでもない日常をただ描く事で表現出来る、
「コクリコ坂から」もあると思った。

次は、音について。
映画に音がついた時代から、
音と絵の演出力はとってもとっても大事なものになっていると
思うけれど、
それをちゃぶ台と畳ごとひっくりかえされた気持ちでした。
同じ音楽の使い回しがちゃーん
明るい部分と暗い部分の表現もどかーん
まるで初めて作った映画のようでしたぞ。
いったい彼が映画音楽に何を表現したいのかおしえてほしい。
これは音に限った事ではないですが、
どんなに小さな演出にも、こだわりや理由をもってほしい。
それが多くの人に見せる作品を作るひとの宿命では?
(たくさんの人と制作する、という責任も含め)

いろいろ書き込んでいたら、
わたしが学生時代のときに先生から聞いた言葉を思い出した。

「観客もそれほど馬鹿じゃない」

合うかなと思って。
やってみたいなあと思って。
わかるだろうって思って。

ただのそれだけで、
自分さえもちゃんと説得できない理由で製作したものに対して、
小さな矛盾を感じる人は必ずいるという意味。

言葉にできなくても、
体でリズムの違いがわかってしまうのです。
監督のこだわりは、あればあるほどに効いてくると思う。
どんなにぐらつくストーリーでも、
監督のスペシャルなこだわりがあれば、
なんだか納得させられるもの。
なので、わたしたちをうならせる面白い映画をつくってください。
(出来れば短編で)



ところで、
どうしてコクリコ坂からというタイトルなのかな。

それは原作読まないと駄目?

いろいろ原作を読まないと駄目な空気感は、
残念な気持ちがいっぱい。



こんなことはおまえが言うな!
であることも充分承知です。
でもやっぱり、私はジブリ映画を作っているわけではないし、
たくさんの人が持っている期待というものの大きさでは、
もっともっと責任を持って描いてほしいな、なんて。
こういうことは、一般人の私でしか言えない感想だとも思うのでここに。


コクリコ坂から [DVD]




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プロフィール

しらくまいく子
携帯アプリのシナリオライターと、    『するところ』のライター、ポエガールをしています。
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