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2021年02月24日
【おすすめ本】『嫉妬の人間学』〜PART1 心に残る一節を3つ紹介 ”嫉妬は人を「殺す」最大の武器だ”〜。
歴史的な出来事や、
著者が経験した人間関係から、
嫉妬という感情の強さ、大きさを綴った本。
『嫉妬の人間学』
著作中で、特に心に残った一節を紹介したい。
ー目次ー
自分に向けられる嫉妬は見つけにくい。
自分に関心を持ってくれている理由が
好意なのか、嫉妬から来る執着なのか。
相手との関係が良好で、
相手のことを深く知らないうちは
気づきにくい。
その好意も、度を越したら嫉妬なのか。
好意と嫉妬は別物か、程度の問題なのか。
それも、自分に向けられると見えにくい。
誰かに嫉妬することは、
その相手に追いつき、追い越したいという力になる。
何かに執着することは、
それを深く理解したい、上達したいという力になる。
それが行き過ぎた時、
嫉妬は自分の成長のためではなく、
嫉妬するための嫉妬になる。
嫉妬に支配されている時、
自分の心に自分はいない。
いるのは嫉妬する相手だけ。
自分がいないから、自分の力も見えない。
自分の力が見えないから、
自分の力を超えた判断をしても気づけない。
著者は作中で何度も
「嫉妬は人間の中でもっとも強い感情の1つ」
と言っている。
人間は強い動機がなければ動かない。
楽をしたい生き物。
そんな人間を、簡単に動かす。
人の道に外れた道も、イバラの道も歩ませる。
だからこそ、
「嫉妬は人間の中でもっとも強い感情の1つ」
であり、
「嫉妬は人を殺す最大の武器」
なんだろう。
湧き上がってしまった嫉妬を、どう使うか。
嫉妬した相手に追いつき、
追い越すための力にするか。
嫉妬した相手を取り殺す怨念にするか。
それを見極めることが大切。
著者が経験した人間関係から、
嫉妬という感情の強さ、大きさを綴った本。
『嫉妬の人間学』
著作中で、特に心に残った一節を紹介したい。
ー目次ー
- 自分に向けられた嫉妬心は見つけにくい
- 嫉妬から来る執念深さは、相手を取り殺すまで終わらない
- 嫉妬に支配されると、自分の心に自分がいなくなる
- 所感
1.自分に向けられた嫉妬心は見つけにくい
というのも、嫉妬心は、
対象にたいする異常な関心、
という形を取るからである。
他人に向けられた場合、
この「異常」さの奥にあるものを
看て取るのはそれほど難しくない。
しかし、自分に向けられた場合、
嫉妬心を過剰な求愛と
見紛ってしまいがちなのである。
『嫉妬は人を「殺す」最大の武器だ』41〜42ページ より
自分に向けられる嫉妬は見つけにくい。
自分に関心を持ってくれている理由が
好意なのか、嫉妬から来る執着なのか。
相手との関係が良好で、
相手のことを深く知らないうちは
気づきにくい。
その好意も、度を越したら嫉妬なのか。
好意と嫉妬は別物か、程度の問題なのか。
それも、自分に向けられると見えにくい。
2.嫉妬から来る執念深さは、相手を取り殺すまで終わらない
嫉妬のやっかいさ、やりきれなさは、
執念深さからやってくる。
叩きつぶされても、
叩きつぶされてもへこまない。
どこまでも食らいついてゆく。
相手を取り押さえ、取り殺してしまうまで、
相手に対する嫉妬心は収まらないのである。
たとえ、
ある特定の相手に対する嫉妬心が収まっても、
新しい相手を求めて嫉妬心が発動されるのである。
『嫉妬の炎で相手を焼き殺す』42ページ より
誰かに嫉妬することは、
その相手に追いつき、追い越したいという力になる。
何かに執着することは、
それを深く理解したい、上達したいという力になる。
それが行き過ぎた時、
嫉妬は自分の成長のためではなく、
嫉妬するための嫉妬になる。
3.嫉妬に支配されると、自分の心に自分がいなくなる
嫉妬は、他者を陰々滅々にさせ、遠ざける。
他者を破滅に追い込むこともある。
しかし、嫉妬のすさまじさは、
自分を焼き殺すほどのエネルギーを
もっているということにある。
たんに人格を歪めるというだけでなく、
致命的な判断ミスを誘い、
自壊自滅に追いやる場合があるのだ。
『嫉妬で自滅する 光秀の選択』49ページ より
嫉妬に支配されている時、
自分の心に自分はいない。
いるのは嫉妬する相手だけ。
自分がいないから、自分の力も見えない。
自分の力が見えないから、
自分の力を超えた判断をしても気づけない。
4.所感
著者は作中で何度も
「嫉妬は人間の中でもっとも強い感情の1つ」
と言っている。
人間は強い動機がなければ動かない。
楽をしたい生き物。
そんな人間を、簡単に動かす。
人の道に外れた道も、イバラの道も歩ませる。
だからこそ、
「嫉妬は人間の中でもっとも強い感情の1つ」
であり、
「嫉妬は人を殺す最大の武器」
なんだろう。
湧き上がってしまった嫉妬を、どう使うか。
嫉妬した相手に追いつき、
追い越すための力にするか。
嫉妬した相手を取り殺す怨念にするか。
それを見極めることが大切。
2021年02月17日
【おすすめ本】『嫌われる勇気』〜PART1 心に残る一節を5つ紹介 ”第一夜 トラウマを否定せよ”〜。
「人はどうすれば幸せに生きられるのか」
この問いに、アドラー心理学では
シンプルで未来志向な考え方で答える。
そんなアドラー心理学の基本概念を、
哲学者・哲人と青年の対話形式で
分かりやすく伝えてくれる本。
『嫌われる勇気』
著作中で、特に心に残った一節を紹介したい。
今回は”第一夜 トラウマを否定せよ”より。
ー目次ー
アドラー心理学の基本概念の1つ「目的論」。
先に目的があり、
不安や恐怖などの感情は、
目的を達成するために作り出されている
という考え方。
引きこもりや、精神疾患に苦しむ人の中には
こう言われているように感じるかも知れない。
「冷たく突き放された」
「あなたが選んでそうなったんでしょう」
著書の中でも
「あまりにも厳しい劇薬」と言われている。
トラウマの否定という劇薬。
あの時のあの経験がトラウマだから、
いま目の前にある●●ができない
ではなく、
いま目の前にある●●をしたくないから
トラウマを”●●しない理由”にする
トラウマに苦しむ人にとって、
耳が痛いどころではなく、
聞きたくないとすら思うかも知れない。
自分の苦しみが
淡々と否定されたような気持ちになるかも知れない。
過去に原因を求めるのではなく、
未来の目的に向かうための劇薬。
目的論で考えれば、「怒り」は強力な道具。
面倒な説明を省き、
手っ取り早く相手を服従させるため。
相手を威圧し、
自分の思い通りにコントロールするため。
親子、上司と部下、店員とクレーマー。
怒りは、
力や立場が有利な者が使ったとき、
より強力な武器と化してしまう。
何が与えられたかに注目すると、
出てくるのは羨望、嫉妬、そして
「与えられなかった自分」への劣等感。
あの人のように会話が上手かったら
あの人のように明るく前向きだったら
それにひきかえ、自分は…、と。
自分に与えられたものに注目すると、
得られるのは自信、見つかるのは自分の強み。
そして、自分の強みをどう生かすかを
考える余裕が生まれる。
過去の経験に対してできるのは、
思いを巡らすこと。
そこでどんな感情に襲われても、
過去へ戻って修正することはできない。
変わらない決断、変わる決断。
それをするのは過去の経験ではなく、
「いま、ここ」にいる自分自身。
「トラウマの否定」
「目的達成のために不安や恐怖を作り出す」
あまりにも前向きな劇薬。
落ち込みがひどい時、
まったく前向きになれない時には、
ひどく辛辣に映るかも知れない。
目的論が心に響く時。
それは谷底にいる時ではなく、
少し前向きな考え方もできるくらいに回復した時。
少しずつ立ち直り、
未来へ向かう気力が出てきたなら。
「そういう考え方があるのか」
と、納得できるかも知れない。
この問いに、アドラー心理学では
シンプルで未来志向な考え方で答える。
そんなアドラー心理学の基本概念を、
哲学者・哲人と青年の対話形式で
分かりやすく伝えてくれる本。
『嫌われる勇気』
著作中で、特に心に残った一節を紹介したい。
今回は”第一夜 トラウマを否定せよ”より。
ー目次ー
- 基本概念の1つ”目的論”
- トラウマの否定という劇薬
- 怒りは出し入れ可能な”道具”
- 与えられたものをどう使うか
- 人生を決めるのは過去ではなく”いま、ここ”
- 所感
1.基本概念の1つ”目的論”
アドラー心理学では、
過去の「原因」ではなく、
いまの「目的」を考えます。
ご友人は「不安だから、外に出られない」
のではありません。
順番は逆で
「外に出たくないから、
不安という感情をつくり出している」
と考えるのです。
『原因論と目的論について』27ページ より
アドラー心理学の基本概念の1つ「目的論」。
先に目的があり、
不安や恐怖などの感情は、
目的を達成するために作り出されている
という考え方。
引きこもりや、精神疾患に苦しむ人の中には
こう言われているように感じるかも知れない。
「冷たく突き放された」
「あなたが選んでそうなったんでしょう」
著書の中でも
「あまりにも厳しい劇薬」と言われている。
2.トラウマの否定という劇薬
いかなる経験も、それ自体では
成功の原因でも失敗の原因でもない。
われわれは自分の経験によるショック、
いわゆるトラウマに苦しむのではなく、
経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。
自分の経験によって決定されるのではなく、
経験に与える意味によって自らを決定するのである。
『トラウマについて』29〜30ページ より
トラウマの否定という劇薬。
あの時のあの経験がトラウマだから、
いま目の前にある●●ができない
ではなく、
いま目の前にある●●をしたくないから
トラウマを”●●しない理由”にする
トラウマに苦しむ人にとって、
耳が痛いどころではなく、
聞きたくないとすら思うかも知れない。
自分の苦しみが
淡々と否定されたような気持ちになるかも知れない。
過去に原因を求めるのではなく、
未来の目的に向かうための劇薬。
3.怒りは出し入れ可能な”道具”
あなたには大声を出す、という目的が先にあった。
すなわち、大声を出すことによって、
ミスを犯したウェイターを屈服させ、
自分のいうことを聞かせたかった。
その手段として、
怒りの感情を捏造したのです。
『感情の支配について』34ページ より
怒りとは出し入れ可能な「道具」なのです。
この母親は怒りを抑えきれずに
怒鳴っているのではありません。
ただ大声で娘を威圧するため、
それによって自分の主張を押し通すために、
怒りの感情を使っているのです。
『感情の支配について』35ページ より
目的論で考えれば、「怒り」は強力な道具。
面倒な説明を省き、
手っ取り早く相手を服従させるため。
相手を威圧し、
自分の思い通りにコントロールするため。
親子、上司と部下、店員とクレーマー。
怒りは、
力や立場が有利な者が使ったとき、
より強力な武器と化してしまう。
4.与えられたものをどう使うか
大切なのはなにが与えられているかではなく、
与えられたものをどう使うかである。
『不幸なわたしについて』44ページ より
何が与えられたかに注目すると、
出てくるのは羨望、嫉妬、そして
「与えられなかった自分」への劣等感。
あの人のように会話が上手かったら
あの人のように明るく前向きだったら
それにひきかえ、自分は…、と。
自分に与えられたものに注目すると、
得られるのは自信、見つかるのは自分の強み。
そして、自分の強みをどう生かすかを
考える余裕が生まれる。
5.人生を決めるのは過去ではなく”いま、ここ”
アドラーの目的論は
「これまでの人生になにがあったとしても、
今後の人生をどう生きるかについてはなんの影響もない」
といっているのです。
自分の人生を決めるのは、
「いま、ここ」に生きるあなたなのだ、と。
『変われない理由について』56〜57ページ より
過去の経験に対してできるのは、
思いを巡らすこと。
そこでどんな感情に襲われても、
過去へ戻って修正することはできない。
変わらない決断、変わる決断。
それをするのは過去の経験ではなく、
「いま、ここ」にいる自分自身。
6.所感
「トラウマの否定」
「目的達成のために不安や恐怖を作り出す」
あまりにも前向きな劇薬。
落ち込みがひどい時、
まったく前向きになれない時には、
ひどく辛辣に映るかも知れない。
目的論が心に響く時。
それは谷底にいる時ではなく、
少し前向きな考え方もできるくらいに回復した時。
少しずつ立ち直り、
未来へ向かう気力が出てきたなら。
「そういう考え方があるのか」
と、納得できるかも知れない。
2021年02月09日
【おすすめ本】『死にたくなる人の深層心理』〜PART2 心に残る一節を5つ紹介 ”自殺はあとからでもできるのだから”〜。
人生での、究極の選択「自殺」。
その結論に至るほどに、
追い詰められた人たちの心理に迫る本。
『死にたくなる人の深層心理』
著作中で、特に心に残った一節を紹介したい。
ー目次ー
「自殺を考えている人は固い死の決意をしている」
という誤解に対する言葉。
自殺を考えるほどの絶望感、喪失感。
その苦しみは生きている限り続く。
ならばもう、楽になりたい。
死んでしまえば、この苦しみから解放される。
その一方で、自殺を考える人は
心のどこかでこう思ってもいる。
「誰か、自分を止めてほしい」
「”自分は生きていてもいい”という証拠がほしい」
思い描く”理想の自分”がいる。
”理想の自分”とは程遠い、無力な自分がいる。
理想の自分になれないなら、100点が取れないなら。
自分には何の価値もない、自分は0点だ。
そんな極端な白黒思考がギャップを大きくする。
60点でもいい。
残り40点は「伸びしろ」だ。
グレーゾーンがあったっていい。
そうやって、自分への見方を変えることで、
ギャップを埋められる。
”まだ、できない自分”を認めていける。
フランスの哲学者:
ジャン・ポール・サルトルの言葉からの引用。
スマホ1台で、何でもできる時代。
どんな不可思議な現象も、
”科学”の名の下に、説明が試みられる時代。
指1本であらゆる欲望が叶い、
生き方の選択肢は無限に存在する時代。
何でもアリな時代だからこそ、
何を信じていいかわからない。
自分たちの信じていた神は万能ではないのか、
自分たちの価値観が唯一絶対に正しいわけではないのか。
ならば、いったい何を心の支えにして生きればいいんだろう。
できることが、得られるものが増えれば増えるほど、
絶対的な心の拠りどころがなくなっていく。
そんな時代。
今は個人で何でもできる時代。
便利な反面、個人の孤立化も進む時代。
人とのつながりが薄くなれば、
心の煙突掃除が難しくなる。
悩みを誰にも語ることができず、
自分の中に抱えたまま、ストレスだけが溜まる。
ストレスとうまく付き合い、
心の煙突掃除をしていくこと。
それはもはや現代人の至上命題の1つ。
自殺という、究極の選択に踏み切る前に。
同じ苦しみでも、終わりがあるかどうかで、
重さがまったく変わる。
もう少し生きてみて、それでも苦しいなら、
いつでも終わらせることができるじゃないか。
その”少し”の間に、
生きてみようかなと思えるものに
出逢えたら儲けもの。
それでいいじゃないか。
この本を読んでいると、
かつて自分が自殺未遂した時の気持ちを
すべて見透かされているように思える。
「自殺を決行する時、自分の頭の中は”死”一色だ」
本人でさえ、そう錯覚している。
死にたくない
止めてほしい
皮肉にも、そんな矛盾する思いが
同居していることに気づくのは、
生き残った後だ。
自分の中にまだ、
”死にたくない”気持ちがあった。
それがわかった時、
この言葉がいっそう、心に深く染み込んでくる。
「自殺はあとからでもできるのだから。」
その結論に至るほどに、
追い詰められた人たちの心理に迫る本。
『死にたくなる人の深層心理』
著作中で、特に心に残った一節を紹介したい。
ー目次ー
- 同居する矛盾した思い「死にたい、死にたくない」
- 高い理想と、完璧主義の落とし穴
- 拠りどころなき世界、何事も信じられない社会
- ストレスとの付き合い方、絶望に変わるその前に
- 自殺はあとからでもできるのだから
- 所感
1.同居する矛盾した思い「死にたい、死にたくない」
自殺を考えている人の家族や
自殺防止に関係している人たちにとって幸いなことは、
ほとんどの自殺念慮をもつ人や企図者が
「死にたい」とう願い(希死願望)とともに、
「死にたくない」気持ちを
同時に持ちあわせていることが多い。
『第1章 自殺をめぐる現況 -世界と日本-』36〜37ページ より
「自殺を考えている人は固い死の決意をしている」
という誤解に対する言葉。
自殺を考えるほどの絶望感、喪失感。
その苦しみは生きている限り続く。
ならばもう、楽になりたい。
死んでしまえば、この苦しみから解放される。
その一方で、自殺を考える人は
心のどこかでこう思ってもいる。
「誰か、自分を止めてほしい」
「”自分は生きていてもいい”という証拠がほしい」
2.高い理想と、完璧主義の落とし穴
落ち込みが主観的見方と
客観的見方のギャップによる場合は、
歪んだ見方を変えることによって、
落ち込みから立ち直らせることも可能である。
『第2章 自殺のメカニズム -人はなぜ死を選ぶのか-』98ページ より
思い描く”理想の自分”がいる。
”理想の自分”とは程遠い、無力な自分がいる。
理想の自分になれないなら、100点が取れないなら。
自分には何の価値もない、自分は0点だ。
そんな極端な白黒思考がギャップを大きくする。
60点でもいい。
残り40点は「伸びしろ」だ。
グレーゾーンがあったっていい。
そうやって、自分への見方を変えることで、
ギャップを埋められる。
”まだ、できない自分”を認めていける。
3.拠りどころなき世界、何事も信じられない社会
20世紀の悲劇は、
何事をも信ずることのできなくなった社会に
生きなければならないという運命にある。
『第2章 自殺のメカニズム -人はなぜ死を選ぶのか-』109ページ より
フランスの哲学者:
ジャン・ポール・サルトルの言葉からの引用。
スマホ1台で、何でもできる時代。
どんな不可思議な現象も、
”科学”の名の下に、説明が試みられる時代。
指1本であらゆる欲望が叶い、
生き方の選択肢は無限に存在する時代。
何でもアリな時代だからこそ、
何を信じていいかわからない。
自分たちの信じていた神は万能ではないのか、
自分たちの価値観が唯一絶対に正しいわけではないのか。
ならば、いったい何を心の支えにして生きればいいんだろう。
できることが、得られるものが増えれば増えるほど、
絶対的な心の拠りどころがなくなっていく。
そんな時代。
4.ストレスとの付き合い方、絶望に変わるその前に
<ストレスとうまくつきあうには>
@問題への取り組みは徐々にゆっくりと
A己の能力の限界を知る
Bユーモアを持つ
C悩みを語ることによって心の煙突掃除
D親友とともに「心友」を作る
Eゆったりとした気持ちの涵養
F他人をコントロールするのは難しい
G勝ち目のない口論や対決は避ける
H楽しい状況を頭の中で空想する
『第3章 自殺は防ぐことができるのか』140〜148ページ より
今は個人で何でもできる時代。
便利な反面、個人の孤立化も進む時代。
人とのつながりが薄くなれば、
心の煙突掃除が難しくなる。
悩みを誰にも語ることができず、
自分の中に抱えたまま、ストレスだけが溜まる。
ストレスとうまく付き合い、
心の煙突掃除をしていくこと。
それはもはや現代人の至上命題の1つ。
自殺という、究極の選択に踏み切る前に。
5.自殺はあとからでもできるのだから
死を考えている人にひとこと。
もう少し生きてみたらどうですか、
と言いたいですね。
自殺はあとからでもできるのだから。
『第4章 生きる!自殺から立ち上がった人々』243ページ より
同じ苦しみでも、終わりがあるかどうかで、
重さがまったく変わる。
もう少し生きてみて、それでも苦しいなら、
いつでも終わらせることができるじゃないか。
その”少し”の間に、
生きてみようかなと思えるものに
出逢えたら儲けもの。
それでいいじゃないか。
6.所感
この本を読んでいると、
かつて自分が自殺未遂した時の気持ちを
すべて見透かされているように思える。
「自殺を決行する時、自分の頭の中は”死”一色だ」
本人でさえ、そう錯覚している。
死にたくない
止めてほしい
皮肉にも、そんな矛盾する思いが
同居していることに気づくのは、
生き残った後だ。
自分の中にまだ、
”死にたくない”気持ちがあった。
それがわかった時、
この言葉がいっそう、心に深く染み込んでくる。
「自殺はあとからでもできるのだから。」
2021年02月03日
【おすすめ本】『死にたくなる人の深層心理』〜PART1 自殺に対する誤解、”メンヘラ”を差別用語として使わないで〜。
ー目次ー
- 差別用語のように使われる”メンヘラ”
- 生き物として矛盾するはずの”自殺”
- 自殺への誤解”ただの脅しだ”
- 希死念慮があるからこそ口にする”自殺”
- ”メンヘラ”と口にする前に、想像してほしいこと
1.差別用語のように使われる”メンヘラ”
「メンヘラ」
僕は誰かがこの言葉を使うのを聞くと、
悲しい気持ちになる。
そしてその次に、
バカにされたような怒りが沸いてくる。
理由はおそらく、
「メンヘラ」
という言葉はたいてい、
差別用語のように使われるからだ。
かまってちゃん
すぐ死にたがる
めんどくさい
精神障害者
自殺志願者
病んでる
そんな、表面的な言動ばかりが強調される。
その人がどれだけ深い心の傷を負い、
孤独と戦い、涙を流してきたかに、
思いを巡らされることもなく。
2.生き物として矛盾するはずの”自殺”
生き物が「死」を口にするのは、
本能と矛盾している。
まして、自ら生を終わらせる「自殺」など、
本来なら口に出るはずもない。
それほどの究極の選択が「自殺」。
そんな異常事態にもかかわらず。
死にたい、自殺したい、などと言う人には、
「メンヘラ」
という、ある種の蔑称のような烙印が押される。
3.自殺への誤解”ただの脅しだ”
メンヘラという言葉が、
「愛してくれないなら死んでやる」と
駄々をこねているだけの人
という差別用語として使われているから。
それに当てはまる人が口にする「自殺」にも、
こんな誤解が生まれるんじゃないだろうか。
自殺したい、などとよく口にする人は、
なかなか実行しない。口だけのおどかしだ。
『死にたくなる人の深層心理』”自殺に関する誤った考え” より
僕はかつて
リストカットの現場を元・母に見つかった時、
こう言われたことがある。
「それは自分の言うことを聞かせるための脅迫行為だ」
いま思えば、これが
「メンヘラ」を蔑称として使う人の考え
「自殺」という言葉に対する認識
だったのかも知れない。
4.希死念慮があるからこそ口にする”自殺”
『死にたくなる人の深層心理』には、
自殺への誤解について、続けてこう記されている。
自殺をほのめかす人は、自殺を念頭に置いていたり、
半意識的にでも希死念慮があるからこそ
口にするのである。
たとえ「自殺」という言葉を
かまってほしい、見捨てないでほしいために
口にしているとしても。
その根底には、少なくない「死への願望」がある。
生き物として矛盾するはずの願望が。
5.”メンヘラ”と口にする前に、想像してほしいこと
メンヘラなんか、
「愛してくれないなら死んでやる」と
駄々をこねているだけだ
自殺するなんて、ただの脅しだ
そうやって、メンヘラを煙たがる前に、
考えてみてほしい。
メンヘラは、メンヘラになることでしか、
生き延びられない環境で育ったことを。
1人で生きる力のない、幼い頃から、
愛してもらえず、見捨てられ、
ぬくもりをもらえない経験をしたら。
そういう環境に、時代に生まれていたら。
自分もそうなっていたかも知れないことを、
どうか想像してみてほしい。
自分は愛される価値のない人間
このまま生きていても誰にも愛されない
だから生きていても意味がない
そんな絶望感から、自殺への思いは育ってしまう。
そして、心に深く根をおろし、ひきはがせない。
自分が生きている限り、
この絶望感は続くと想像したなら。
それでも「メンヘラ」を
差別用語として口にできるだろうか。
2020年12月17日
【おすすめ本】『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版』〜PART6 人はなぜ死を恐れるのか〜。
ー目次ー
- この本を読む前の自分
- この本で得た気づき
- 学びから実戦していきたいこと
1.この本を読む前の自分
僕らはなぜ死を恐れるんだろう。
死に対して抱く恐れの中身は何だろう。
誰もがいずれ死ぬと決まっている。
死は動かしようのない予定だ。
そんな決定事項に、
僕らはなぜ恐れという感情を抱くんだろう。
死への恐れの対象は、厳密には何だろう。
2.この本で得た気づき
僕らが死に対して抱く、恐れの感情の中身。
それは大きく分けて3つあるという。
『第8講:死に直面しながら生きる』 より
- 死に伴う痛み
死に至るプロセスで味わう苦しみが怖い
大ケガや大病で長期間、苦しむことが怖い- 死そのもの
死んだらどうなるかわからず、
死んだ後どうなるかを前もって経験できない
その不確実性が怖い- 予想外に早く死ぬこと
人生で喜びを受け取っている最中、
それを予想外に早く打ち切られることが怖い
(剥奪説)
僕らはどうやら
死の瞬間を恐れているわけではないようだ。
死の前に訪れる苦しみや、
死の後どうなるかという不透明感。
そして、
もっと生きていれば受け取れた
人生の喜びの打ち切り。
僕らきっと、こういった、
死の前後にある苦しみや剥奪を恐れているんだ。
3.学びから実戦していきたいこと
残りの人生を豊かにするために、
死への恐れの正体を知ること、
その上で、適切に恐れることが大切。
いたずらに死を恐れるだけでは、
ただ不安ばかりが募る。
心が不安ばかりに囚われていては、
楽しむ余裕が薄らいでしまう。
死は必ず、そして予想外に訪れる。
その時までを、
漠然とした恐れに支配されて過ごすのか、
恐れの正体を知った上で楽しむのか。
どちらの人生を選ぶかは、自分自身だ。
リンク
2020年11月30日
【おすすめ本】『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版』〜PART5 スカイダイビングと刺激欲求、死の危険は達成感を急増させる〜。
ー目次ー
- この本を読む前の自分
- この本で得た気づき
- 学びから実戦していきたいこと
1.この本を読む前の自分
人は死にたくないと言いながら、
なぜ
飛行機から飛び降り、
高い橋から飛び降り、
切り立った崖を登るのか。
死はどこにでもある。
安全な場所にいて、身体が健康だとしても、
家に飛行機が突っ込んでくるかも知れないし、
1秒後に心臓発作で死ぬかも知れない。
「スリルがほしい、刺激がほしい」
それでも、
ホラー映画や、その種類のゲームを
するだけでは飽き足らない。
実際に、死の危険に身をさらす。
死にたくないのに、
死ぬ可能性を高めるという矛盾。
失敗して死ぬ可能性と天秤にかけてでも、
命がけで刺激を求める理由は何だろう。
2.この本で得た気づき
死にたくないのに
飛行機から飛び降り、
高い橋から飛び降り、
切り立った崖を登る理由。
それは、
死の危険が急増するほど、
それが快い刺激となるから。
※心理学ではこれを「刺激欲求」と呼ぶ。
なぜ
それほど強い死の危険に身をさらすのか。
それは、
身近にある死は、身近であるゆえに
日常に埋もれてしまうから
映画やゲームなど、
安全な場所で味わう死の危険では不十分。
だからこそ、
スカイダイビング
バンジージャンプ
ロッククライミング
そういう活動で、
死を強制的に身近にさせる。
身近な死への恐怖に耐え抜いた達成感が、
また彼らを死への恐怖に誘うんだろう。
3.学びから実戦していきたいこと
最初の疑問に戻るが、
僕らは死が身近にあることを忘れがちだ。
死はいつでもどこでも起こり得る、
それは避けられない。
ただ、
だからいつも死に怯えて生きよう、
ということでもない。
いつでも死に得るからこそ、
今この瞬間を精一杯、楽しみたい。
たとえそれが、
死の危険の快感を求めに行くことでも、
「これで死ぬなら本望だ!」
と思えるくらい、楽しむ意識を持ちたい。
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2020年11月15日
【おすすめ本】『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』〜PART2 相手チームを過剰に攻撃する”内集団・外集団バイアス”〜。
ー目次ー
- この本を読む前の自分
- この本で得た気づき
- 学びから実戦していきたいこと
1.この本を読む前の自分
”身内びいき”はなぜ起きるのか。
それに伴い、
相手グループへの過剰な攻撃は
なぜ起きるのか。
プロ野球では、時に
巨人ファンと阪神ファンは激しくいがみ合う。
客観的に見れば”野球の1試合”にもかかわらず。
サッカーの試合では、
互いが相手チームのサポーターを
激しく罵り合い、時に暴力沙汰にまで発展する。
過激派には
”フーリガン”という呼び名までつけられている。
一見、そこに怒りや憎しみの
入り込む余地がないようなこと。
なのに、人はグループに分かれると
なぜいがみ合いが激化するんだろう。
2.この本で得た気づき
なぜ、グループ同士で過剰にいがみ合うのか。
それは、人には
「内集団・外集団バイアス」
という性質があるから。
「内集団・外集団バイアス」
自分の所属する集団のことは高く評価し、
集団外のことは低く評価する性質が
私たちにはあります。
そこには、外集団に対する
”根拠のない優越感”が生まれます。
この性質は、何のためにあるのか。
生き残るため。
強固に団結し、自分の所属する集団を守るため。
この根拠のない優越感は集団の結束を強固にし、
戦闘を有利に進めることができます。
人間は集団を作り、生存競争を勝ち抜いてきた。
だから、悲しいけど
自分の所属しないグループを攻撃する行為は
「なくてはならない生存機能」だった。
3.学びから実戦していきたいこと
もし、グループ外からの攻撃に遭遇したら。
その人は本当に怒っているのか
自分の所属する集団を守ろうとしているのか
を、考えてみたい。
その人はもしかしたら、
その集団に属することで
かろうじて自分を守っているのかも知れない。
強い集団に守ってもらうしかないほど、
不安でいっぱいなのかも知れない。
彼らの攻撃性の正体は何か。
怒りか、不安か、それとも悲鳴か。
背景を見極める冷静さを保つことを
意識していきたい。
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2020年11月09日
【おすすめ本】『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』〜PART1 人は”嫉妬”を解消しようとする時に快感を覚える生き物だ〜。
ー目次ー
- この本を読む前の自分
- この本で得た気づき
- 学びから実戦していきたいこと
1.この本を読む前の自分
「他人の不幸は蜜の味」
「ネット私刑」
「自粛警察」
「メシウマ」
「いじめ」
こんなことをしても、
本人には何の得にもならない。
他人を引きずり下ろせても、
自分の能力は上がらないばかりか、
仕返しされるリスクを負う。
なのに、人はなぜやめられないんだろう。
誰かを叩く、炎上させる、
いじめる、集団から排除する。
時間と労力を消費し、復讐のリスクまで負いながら、
なぜ他人を引きずり下ろしたがるんだろう。
2.この本で得た気づき
理由は簡単だった。
”嫉妬”という、巨大な感情の暴走だ。
人間の脳は、誰かを攻撃すると
気持ち良くなるようにできている。
自分が持つものを奪うかも知れない人を、
排除した時に快感を覚える。
「人をいじめても、自分の能力は上がらない。
だからやめよう、自分の能力を上げよう。」
そうやって、後先や損得を考える以前に、
快感だから止められないんだ。
そんな、人間には手に負えない”嫉妬”。
実は防衛のためでもあるという。
何を守るのか。それは、
「自分が所属する”正しい集団”」。
ルールを破った、不倫した、
1人だけ周りより能力を持った。
そうやって誰かが飛び抜けると、
自分の所属する集団すべてが
叩かれるべき”不正な奴ら”になってしまう。
それを防いで安全を確保するために、
出る杭を打ちたくなるそうだ。
人間が集団生活する生き物である限り、
嫉妬が生み出す快感は、なくなりそうもない。
3.学びから実戦していきたいこと
”嫉妬”は、制御が難しい感情だ。
「どうしてあいつだけ」
「あいつムカつく」
そんな、黒い感情を
まったく感じなくさせるのは難しい。
だけど、嫉妬する自分に気づくことはできる。
嫉妬の沼にはまり、
他人を引きずり下ろす快感に溺れそうな自分に
気づくことはできる。
嫉妬に感情を奪われないために、
自分の感情を普段から観察することが大切。
そして、自分の課題に集中すること。
他人がどうこう、ではなく
自分がすべきことに目を向ける。
手っ取り早く他人を落とすのではなく、
自分を伸ばすことに集中していきたい。
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2020年11月05日
【おすすめ本】『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版』〜PART4 ”誰もが独りで死ぬ”の根拠は、当事者意識と孤独感〜。
ー目次ー
- この本を読む前の自分
- この本で得た気づき
- 学びから実戦していきたいこと
1.この本を読む前の自分
「誰もが独りで生まれ、独りで死ぬ」
そんな言葉を目にするたびに、疑問に思っていた。
死ぬ時は本当に”独り”なんだろうか。
”独りじゃない死”はあり得るんだろうか。
「誰もが独りで生まれ、独りで死ぬ」
この言葉には、
どんな思いや理由が込められているんだろう。
2.この本で得た気づき
「誰もが独りで死ぬ、死ぬ時は独り」
その主張には、主に3つの理由があるという。
- 周りに人がいても、
死ぬ経験は自分だけがするものだから- 誰かが自分の身代わりに死んだとしても、
それは身代わりの人の死であって自分の死ではないから- 死んでいく時、
生の世界から遠ざかる孤独感を感じるから
当事者意識と、心理的な孤独感が根拠だったのか。
「死ぬ時は独り」の根拠を分析をした上で、
筆者はこれを否定していた。
必ずしも「死ぬ時は独り」とは限らない
それは死ぬ時に限ったことではない
- 食事、散髪、手術を受けるなど、
日常のほとんどは自分だけが経験することだから- 就寝中の突然死
友人と楽しく過ごす最中、突然の事故で即死
そういう場合にはおそらく、
死の瞬間に疎外感や孤独感を抱いていないから
確かに、
経験するのは本人だけ、という意味なら
死ぬ時は独りかも知れない。
だけど、それは死ぬ時ならではのことじゃなく、
食事も散髪も、睡眠もそうだ。
「誰もが独りで死ぬ」
それは本当に独りかどうかより、
孤独や疎外という精神的なことを
指してるのかも知れない。
3.学びから実戦していきたいこと
「死ぬ時は独り」
これは、死そのものよりも
孤独の方が怖いという意味に思えてきた。
大切な人や生きがい、
そこから永遠に離別してしまう孤独。
生きていれば会える、できることから、
違う世界へ疎外されていく孤独。
そういう解釈もできるんじゃないかと思った。
「死ぬ時は独り」
今後、この言葉に出逢ったら。
どんな孤独感が、
どんな疎外感が込められているのかに、
思いを巡らせてみたい。
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2020年11月04日
【おすすめ本】『死に至る病 〜あなたを蝕む愛着障害の脅威〜』PART3 ”ネグレクト” 世話することを苦痛に感じるのは、世話される喜びを知らないから〜。
ー目次ー
- この本を読む前の自分
- この本で得た気づき
- 学びから実戦していきたいこと
1.この本を読む前の自分
僕は”世話をすること”に苦痛を感じる。
それがどんなに近しい存在でも、
”やりたいこと以外”に時間を奪われることに
大きな嫌悪感を抱いてしまう。
そんな自分に気づくたび、自己嫌悪に陥る。
- 自分は人の心のかけらもない
冷酷な人間なのか - 親から代名詞のように言われた
”あまりに自己中心的”なのか
僕はなぜここまで”世話”を苦痛に思うんだろう。
「自分のペースを乱されるのが嫌」
という、僕の自閉的な特徴だけがすべてだろうか。
”世話”=”自分の時間を奪われる”という図式は、
僕の中でどうやって成り立ったんだろう。
2.この本で得た気づき
答えは驚くほどシンプルだった。
世話が苦痛なのは、世話されていないから。
世話されていなければ、
世話する喜びを知ることはできないから。
”世話をする機会の不足”
愛着は、世話をすることで育まれる。
手間暇をかけて可愛がらなければ、いくら生活費を稼ぎ、
経済的に子どもの暮らしを支えても、愛着は育まれない。
愛着には合理主義的な効率論は通用しない。
世話を省いて美味しいところだけを取ろうとしても、
後で必ずそのツケが回ってくる。
自らどれだけ手を汚したかが正直に表れる。
僕は就学前に、
家族に対して心を閉ざしてしまった。
何も話さなくなった僕に、
親はおそらく扱いにくさを募らせた。
父はずっと、
僕が言い合いを吹っ掛けるのを待っていた。
喧嘩の末にわかり合えることを期待し、
僕にそれを察しろというスタンスを保った。
母は決して、
自分から話しかけることをしなかった。
家事の手伝いを依頼するとき以外、
ひたすら無言で作業する人だった。
僕の家では、
圧倒的なコミュニケーションの放棄によって、
ネグレクトが起きていた。
僕は”経済的に子どもの暮らしを支え”られた。
しかし、
僕の心は世話されることのないまま、
いつしか
”世話されないのが当たり前”になった。
3.学びから実戦していきたいこと
僕がどうして世話が苦痛になったのか、
そのルーツは理解できた。
そして、世話の喜びを知るためには
世話をたくさんすることだとも理解した。
世話をする機会がなければ
僕はこの先もずっと世話が苦痛なままだ。
だけど、
それを知ってなお、
世話に時間を奪われたくないと思う自分がいる。
「世話の喜びを知りたいか?」
と聞かれたら
「今は結構だ。
世話より好きなことがたくさんあるから、
世話に時間を割きたくない」
と答える自分がいる。
1つ、前進できたことがあるなら。
”冷酷人間”、”自己中心的”と
自分を責めるのをやめられそうなこと。
今はこれを、第一歩にさせてもらおう。
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