2020年11月05日
【おすすめ本】『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版』〜PART4 ”誰もが独りで死ぬ”の根拠は、当事者意識と孤独感〜。
ー目次ー
- この本を読む前の自分
- この本で得た気づき
- 学びから実戦していきたいこと
1.この本を読む前の自分
「誰もが独りで生まれ、独りで死ぬ」
そんな言葉を目にするたびに、疑問に思っていた。
死ぬ時は本当に”独り”なんだろうか。
”独りじゃない死”はあり得るんだろうか。
「誰もが独りで生まれ、独りで死ぬ」
この言葉には、
どんな思いや理由が込められているんだろう。
2.この本で得た気づき
「誰もが独りで死ぬ、死ぬ時は独り」
その主張には、主に3つの理由があるという。
- 周りに人がいても、
死ぬ経験は自分だけがするものだから- 誰かが自分の身代わりに死んだとしても、
それは身代わりの人の死であって自分の死ではないから- 死んでいく時、
生の世界から遠ざかる孤独感を感じるから
当事者意識と、心理的な孤独感が根拠だったのか。
「死ぬ時は独り」の根拠を分析をした上で、
筆者はこれを否定していた。
必ずしも「死ぬ時は独り」とは限らない
それは死ぬ時に限ったことではない
- 食事、散髪、手術を受けるなど、
日常のほとんどは自分だけが経験することだから- 就寝中の突然死
友人と楽しく過ごす最中、突然の事故で即死
そういう場合にはおそらく、
死の瞬間に疎外感や孤独感を抱いていないから
確かに、
経験するのは本人だけ、という意味なら
死ぬ時は独りかも知れない。
だけど、それは死ぬ時ならではのことじゃなく、
食事も散髪も、睡眠もそうだ。
「誰もが独りで死ぬ」
それは本当に独りかどうかより、
孤独や疎外という精神的なことを
指してるのかも知れない。
3.学びから実戦していきたいこと
「死ぬ時は独り」
これは、死そのものよりも
孤独の方が怖いという意味に思えてきた。
大切な人や生きがい、
そこから永遠に離別してしまう孤独。
生きていれば会える、できることから、
違う世界へ疎外されていく孤独。
そういう解釈もできるんじゃないかと思った。
「死ぬ時は独り」
今後、この言葉に出逢ったら。
どんな孤独感が、
どんな疎外感が込められているのかに、
思いを巡らせてみたい。
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