2020年11月04日
【おすすめ本】『死に至る病 〜あなたを蝕む愛着障害の脅威〜』PART3 ”ネグレクト” 世話することを苦痛に感じるのは、世話される喜びを知らないから〜。
ー目次ー
- この本を読む前の自分
- この本で得た気づき
- 学びから実戦していきたいこと
1.この本を読む前の自分
僕は”世話をすること”に苦痛を感じる。
それがどんなに近しい存在でも、
”やりたいこと以外”に時間を奪われることに
大きな嫌悪感を抱いてしまう。
そんな自分に気づくたび、自己嫌悪に陥る。
- 自分は人の心のかけらもない
冷酷な人間なのか - 親から代名詞のように言われた
”あまりに自己中心的”なのか
僕はなぜここまで”世話”を苦痛に思うんだろう。
「自分のペースを乱されるのが嫌」
という、僕の自閉的な特徴だけがすべてだろうか。
”世話”=”自分の時間を奪われる”という図式は、
僕の中でどうやって成り立ったんだろう。
2.この本で得た気づき
答えは驚くほどシンプルだった。
世話が苦痛なのは、世話されていないから。
世話されていなければ、
世話する喜びを知ることはできないから。
”世話をする機会の不足”
愛着は、世話をすることで育まれる。
手間暇をかけて可愛がらなければ、いくら生活費を稼ぎ、
経済的に子どもの暮らしを支えても、愛着は育まれない。
愛着には合理主義的な効率論は通用しない。
世話を省いて美味しいところだけを取ろうとしても、
後で必ずそのツケが回ってくる。
自らどれだけ手を汚したかが正直に表れる。
僕は就学前に、
家族に対して心を閉ざしてしまった。
何も話さなくなった僕に、
親はおそらく扱いにくさを募らせた。
父はずっと、
僕が言い合いを吹っ掛けるのを待っていた。
喧嘩の末にわかり合えることを期待し、
僕にそれを察しろというスタンスを保った。
母は決して、
自分から話しかけることをしなかった。
家事の手伝いを依頼するとき以外、
ひたすら無言で作業する人だった。
僕の家では、
圧倒的なコミュニケーションの放棄によって、
ネグレクトが起きていた。
僕は”経済的に子どもの暮らしを支え”られた。
しかし、
僕の心は世話されることのないまま、
いつしか
”世話されないのが当たり前”になった。
3.学びから実戦していきたいこと
僕がどうして世話が苦痛になったのか、
そのルーツは理解できた。
そして、世話の喜びを知るためには
世話をたくさんすることだとも理解した。
世話をする機会がなければ
僕はこの先もずっと世話が苦痛なままだ。
だけど、
それを知ってなお、
世話に時間を奪われたくないと思う自分がいる。
「世話の喜びを知りたいか?」
と聞かれたら
「今は結構だ。
世話より好きなことがたくさんあるから、
世話に時間を割きたくない」
と答える自分がいる。
1つ、前進できたことがあるなら。
”冷酷人間”、”自己中心的”と
自分を責めるのをやめられそうなこと。
今はこれを、第一歩にさせてもらおう。
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