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2021年05月03日
【おすすめ本】『「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法』〜PART2 威圧的な人に支配される〜壊れた”脳の緊張のスイッチ”〜。
「人の感情を読み過ぎて疲れてしまう」
「嫌だと言えない、断ることができない」
「支配的な人と上下関係ができてしまう」
頭でわかっていても、いつまでも変われない。
そんな自分は意志が弱いのか?
そうやって悩んでいる時、この本に出逢った。
『「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法』
なぜこんなに他者の感情に
振り回されてしまうのか
なぜ他者のちょっとした仕草から
感情を読み取りすぎてしまうのか
そこに深く関わる脳のメカニズムを、
この本は簡単な言葉で伝えてくれる。
今回は
「威圧的な人に支配される〜壊れた”脳の緊張のスイッチ”〜」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章:第2章”知らぬ間にできあがる力関係の正体”
ー目次ー
なぜ威圧的な人には下手に出て、
上下関係ができてしまうのか。
それは、その人の
「脳の緊張のスイッチ」が壊れていることで、
攻撃されないよう、相手に気を使ってしまうから。
常に緊張のレベルが高く、怯えていると、
威圧的な相手に自己主張できなくなる。
その結果、相手の要求に応えるようになり、
振り回され、支配されてしまうという。
では、なぜ「脳の緊張のスイッチ」が
壊れてしまったのか。
大きな原因は
乳幼児期のネグレクトだという。
いちばん抱きしめてほしい時、
いちばん関心を寄せられ保護してほしい時に、
してもらえなかった。
守られているという安心感が育まれなかったため
「脳の緊張のスイッチ」が壊れてしまった。
それによって、他者への怯えが消えず、
いつも相手に気を使って支配されてしまう。
「威圧的な人に従う必要なんてない、
離れればいいじゃないか」
それでも、威圧的な人から
離れられないのはなぜか。
それは、
「緊張のホルモン」分泌がいつまでも止まらず、
逃げることも戦うこともできなくなるからだという。
威圧的な人の支配から
脱することができないのは、
「意志が弱い」からでも
「勇気がない」からでもない。
常に緊張度が高く、
逃げたり戦ったりするべき時に
力をうまく発揮できないからだった。
たとえば、
家族やパートナーからのDVやモラハラで、
ひどいことをされても離れられない。
あるいは、
アルコールやドラッグ依存症のパートナーが
「この人には私がついていなければ」
と思い、離れられない。
威圧的な人に支配され、
上下関係ができてしまうのは、
脳の仕組みによって常に緊張し
怯えているからだった。
そして攻撃されないよう、相手に過度に気を使い、
相手がしてほしいことをしてしまう。
それは「脳の緊張のスイッチ」が壊れてしまったからで、
原因は「乳幼児期のネグレクト」。
「生まれた直後に育まれるはずだった安心感」
これはまさに愛着障害と深く結びついている。
現在進行形で威圧的な人に悩んでいる人は、
長い間ずっと、高い緊張をしてきた。
身体に染みついた緊張をほぐすのは
難しいかも知れない。
それでも、
敵の正体や脳の仕組みを知ることは、
自分を救うために大いに役立つ。
威圧的な人、支配的な人から自分を解放し、
苦しむ必要のない人生を送るために。
ーー合わせて読みたい『愛着障害』の本ーー
「嫌だと言えない、断ることができない」
「支配的な人と上下関係ができてしまう」
頭でわかっていても、いつまでも変われない。
そんな自分は意志が弱いのか?
そうやって悩んでいる時、この本に出逢った。
『「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法』
なぜこんなに他者の感情に
振り回されてしまうのか
なぜ他者のちょっとした仕草から
感情を読み取りすぎてしまうのか
そこに深く関わる脳のメカニズムを、
この本は簡単な言葉で伝えてくれる。
今回は
「威圧的な人に支配される〜壊れた”脳の緊張のスイッチ”〜」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章:第2章”知らぬ間にできあがる力関係の正体”
ー目次ー
- 常に緊張し、怯えているから上下関係ができてしまう
- 乳幼児期のネグレクトにより、人への安心感が育まれなかった
- 高い緊張によって逃げられず、戦えず、支配から脱せない
- まとめ:敵の正体、脳の仕組みを知り、自分を救う
1.常に緊張し、怯えているから上下関係ができてしまう
なぜ威圧的な人には下手に出て、
上下関係ができてしまうのか。
それは、その人の
「脳の緊張のスイッチ」が壊れていることで、
攻撃されないよう、相手に気を使ってしまうから。
「脳の緊張のスイッチ」が壊れて
緊張しっぱなしになってしまうと、
常に相手におびえて気を使って、
「支配される人」になります。
緊張度が高いとみんなと打ち解けられず、
常にビクビクして
「自分が攻撃されないように」とか
「嫌われないように」と
周囲に気を使ってしまうからです。
第2章”知らぬ間にできあがる力関係の正体” 61ページより
常に緊張のレベルが高く、怯えていると、
威圧的な相手に自己主張できなくなる。
その結果、相手の要求に応えるようになり、
振り回され、支配されてしまうという。
2.乳幼児期のネグレクトにより、人への安心感が育まれなかった
では、なぜ「脳の緊張のスイッチ」が
壊れてしまったのか。
大きな原因は
乳幼児期のネグレクトだという。
いちばん抱きしめてほしい時、
いちばん関心を寄せられ保護してほしい時に、
してもらえなかった。
守られているという安心感が育まれなかったため
「脳の緊張のスイッチ」が壊れてしまった。
それによって、他者への怯えが消えず、
いつも相手に気を使って支配されてしまう。
3.高い緊張によって逃げられず、戦えず、支配から脱せない
「威圧的な人に従う必要なんてない、
離れればいいじゃないか」
それでも、威圧的な人から
離れられないのはなぜか。
それは、
「緊張のホルモン」分泌がいつまでも止まらず、
逃げることも戦うこともできなくなるからだという。
普通の人は威圧的な人を見たときに、
警戒して緊張して「逃げる!」か「戦う!」
ということで自分を守ることができます。
一方、緊張のスイッチが壊れてしまった人は、
危ない人が近くに来ると逆に固まって動けなくなり、
相手にいいように利用されてしまう可能性が高くなります。
第2章”知らぬ間にできあがる力関係の正体” 64ページより
威圧的な人の支配から
脱することができないのは、
「意志が弱い」からでも
「勇気がない」からでもない。
常に緊張度が高く、
逃げたり戦ったりするべき時に
力をうまく発揮できないからだった。
4.まとめ:敵の正体、脳の仕組みを知り、自分を救う
たとえば、
家族やパートナーからのDVやモラハラで、
ひどいことをされても離れられない。
あるいは、
アルコールやドラッグ依存症のパートナーが
「この人には私がついていなければ」
と思い、離れられない。
威圧的な人に支配され、
上下関係ができてしまうのは、
脳の仕組みによって常に緊張し
怯えているからだった。
そして攻撃されないよう、相手に過度に気を使い、
相手がしてほしいことをしてしまう。
それは「脳の緊張のスイッチ」が壊れてしまったからで、
原因は「乳幼児期のネグレクト」。
「生まれた直後に育まれるはずだった安心感」
これはまさに愛着障害と深く結びついている。
現在進行形で威圧的な人に悩んでいる人は、
長い間ずっと、高い緊張をしてきた。
身体に染みついた緊張をほぐすのは
難しいかも知れない。
それでも、
敵の正体や脳の仕組みを知ることは、
自分を救うために大いに役立つ。
威圧的な人、支配的な人から自分を解放し、
苦しむ必要のない人生を送るために。
ーー合わせて読みたい『愛着障害』の本ーー
2021年04月27日
【おすすめ本】『スマホ依存から脳を守る』〜PART1 スマホゾンビが陥る”快楽と不快の無限ループ”〜。
街や駅を歩いていると、
背筋が伸びた人をほとんど見かけないことに気づく。
首を前に垂れ、背中を丸め、腰を突き出した、
極端なS字型の人であふれている。
彼らはその曲がった姿勢のまま、
片手に持った薄い機器に視線を集めている。
「歩きスマホ」が社会問題になって久しい。
そして僕はいつも、彼らスマホゾンビが
無言で街を徘徊する光景に不気味さと恐怖を覚える。
彼らは一体、何に憑りつかれているんだろう。
姿勢も視野も犠牲にしてまで、
スマホゲームやSNSから抜け出せないのは
一体なぜなんだろう。
それを知りたくて、僕はこの本を見つけた。
『スマホ依存から脳を守る』
彼らの首をあんなに垂れさせているものの正体は何か、
依存症とは何か、なぜスマホが依存物になるのか。
ー目次ー
酒、タバコ、ギャンブル、ドラッグ、etc。
人間は昔からずっと、
「やめられないもの」と戦い続けている。
こういう依存物に共通する特徴は、
そして現代、
これら依存物の中に「スマホ」が加わった。
スマホそのもの、というより、
スマホの中にある
ゲームや仮想現実から得られる快感
への依存と言える。
酒やギャンブルなど、依存物を使うのは
飽きない快楽を得るため。
しかし、その快楽を得るために
大変なお金や労力がかかるようでは、
手を伸ばさせることは難しい。
この「快楽へたどり着くまでの道のり」
という点で、スマホは群を抜いている。
取り出してタッチするだけで、
手軽に、確実に、格安に、
ケガのリスクもなく快楽の世界へ旅立てる。
疲れていても、悪天候の日でも、
深夜、早朝でも、いつでも簡単に。
ポケットからスマホを取り出すだけで、
飽きない快楽を手軽に得られる。
では、いくら快楽を得られるからといっても、
歩いている時も、自転車や車を運転していても
止められなくなるのはなぜか。
依存物から手軽な快楽を得続けると、
その快楽が止まないことが当たり前になる。
そして、依存物を使っていない時に不快になる。
人間は不快になると、その状態を解消しようとする。
なるべく手軽に、たとえば手元にあるスマホで。
快楽がなくなることの我慢はできても、
不快を長期間、我慢し続けることは難しい。
蚊に刺された「かゆみ」を、
一度も搔きむしることなく耐えるのが難しいように。
スマホゾンビたちが陥っているのは
「快楽と不快の無限ループ」だった。
依存症の特徴であるこのサイクルによって、
彼らの首はどんどん垂れ下がり、
彼らの背中はますます曲がっていく。
僕がいつも街中や駅で感じる、
不気味さや恐怖の正体。
この本は、それを”依存症の特徴”
という視点から理解させてくれた。
もはや生活必需品になったスマホを
手放すことは難しい。
それでも、
「依存症の危険」を知らないか知っているかで、
スマホとの付き合い方を変えることはできる。
背筋が伸びた人をほとんど見かけないことに気づく。
首を前に垂れ、背中を丸め、腰を突き出した、
極端なS字型の人であふれている。
彼らはその曲がった姿勢のまま、
片手に持った薄い機器に視線を集めている。
「歩きスマホ」が社会問題になって久しい。
そして僕はいつも、彼らスマホゾンビが
無言で街を徘徊する光景に不気味さと恐怖を覚える。
彼らは一体、何に憑りつかれているんだろう。
姿勢も視野も犠牲にしてまで、
スマホゲームやSNSから抜け出せないのは
一体なぜなんだろう。
それを知りたくて、僕はこの本を見つけた。
『スマホ依存から脳を守る』
彼らの首をあんなに垂れさせているものの正体は何か、
依存症とは何か、なぜスマホが依存物になるのか。
ー目次ー
- スマホからは”飽きない快楽”を得られる
- スマホからいつでも、手軽に、確実に”快楽の世界”へ行ける
- スマホを使わないと不快になり、止められなくなる
- 所感・スマホゾンビが陥る”快楽と不快の無限ループ”
1.スマホからは”飽きない快楽”を得られる
酒、タバコ、ギャンブル、ドラッグ、etc。
人間は昔からずっと、
「やめられないもの」と戦い続けている。
こういう依存物に共通する特徴は、
- 快楽をもたらす
- 飽きない、飽きにくい、続けられる
頼まれもしないのに、お金を払ってまで
自ら依存物を使用するのには、
「快楽」が得られるから、という共通事項があります。
”第1章 依存物は最高だ!” 23〜30ページ より
そして現代、
これら依存物の中に「スマホ」が加わった。
スマホそのもの、というより、
スマホの中にある
ゲームや仮想現実から得られる快感
への依存と言える。
2.スマホからいつでも、手軽に、確実に”快楽の世界”へ行ける
厳しい現実の世界よりも、
ゲームの世界の方がより簡単に
目標を達成できるのではないでしょうか。
多くの依存物には、
こうした「快楽」を得られる可能性が高い、
もしくは確実に「快楽」を得られるという
要素があります。
”第1章 依存物は最高だ!” 38ページ より
酒やギャンブルなど、依存物を使うのは
飽きない快楽を得るため。
しかし、その快楽を得るために
大変なお金や労力がかかるようでは、
手を伸ばさせることは難しい。
この「快楽へたどり着くまでの道のり」
という点で、スマホは群を抜いている。
取り出してタッチするだけで、
手軽に、確実に、格安に、
ケガのリスクもなく快楽の世界へ旅立てる。
疲れていても、悪天候の日でも、
深夜、早朝でも、いつでも簡単に。
3.スマホを使わないと不快になり、止められなくなる
ポケットからスマホを取り出すだけで、
飽きない快楽を手軽に得られる。
では、いくら快楽を得られるからといっても、
歩いている時も、自転車や車を運転していても
止められなくなるのはなぜか。
依存物から手軽な快楽を得続けると、
その快楽が止まないことが当たり前になる。
そして、依存物を使っていない時に不快になる。
人間は不快になると、その状態を解消しようとする。
なるべく手軽に、たとえば手元にあるスマホで。
人は「不快」になると
何とかそれを解消しようとして、
思考・視野が狭くなることがよくあります。
他の「不快」の解消手段もあるのに、
慣れ親しんだ依存物を使って、
「手軽」に「不快」を解消したくなります。
”第2章 脳内借金としてのスマホ依存症” 54ページ より
快楽がなくなることの我慢はできても、
不快を長期間、我慢し続けることは難しい。
蚊に刺された「かゆみ」を、
一度も搔きむしることなく耐えるのが難しいように。
4.所感・スマホゾンビが陥る”快楽と不快の無限ループ”
スマホゾンビたちが陥っているのは
「快楽と不快の無限ループ」だった。
- 快楽をいつでも手軽に、
安価に得られる - その快楽は飽きにくいため、
いつまでも続けられる - 快楽が終わると不快に耐えられないため
さらに手軽に”快楽の補充”を繰り返す
依存症の特徴であるこのサイクルによって、
彼らの首はどんどん垂れ下がり、
彼らの背中はますます曲がっていく。
僕がいつも街中や駅で感じる、
不気味さや恐怖の正体。
この本は、それを”依存症の特徴”
という視点から理解させてくれた。
もはや生活必需品になったスマホを
手放すことは難しい。
それでも、
「依存症の危険」を知らないか知っているかで、
スマホとの付き合い方を変えることはできる。
2021年04月24日
【おすすめ本】『「大人の引きこもり」見えない息子と暮らした母親たち』〜PART1 ”引きこもりの子を持つ母親の敵”〜。
「大人の引きこもり」
という言葉が一般化して久しい。
そして「大人の引きこもり」には、
「毒親」という言葉が力を得たこともあり、
こんなイメージが付いているように感じる。
『「大人の引きこもり」見えない息子と暮らした母親たち』
この本は、引きこもりとなった子ども側ではなく、
彼らの母親側の視点で書かれている。
彼女らは、
引きこもりの我が子への想いはもちろん、
「毒親」と一方的に叩かれる世間の風潮や、
母親としての義務感や責任感にも苦しんでいる。
引きこもり当事者だけでなく、
そんな子どもを見つめる母親の苦悩。
この本はそんな「母親側の気持ち」の理解に、
大いに役立った。
今回は、
「引きこもりの子を持つ母親の敵」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章:『第2章”母親にできることは何か”』
ー目次ー
引きこもり当事者は自信を失っている。
その自信を取り戻すため、こう願っている。
「失敗してもいいから
自分の力でやり遂げさせてほしい」
しかし、それを待てない母親は
心配のあまり口出しをしたり、
先回りして何でもやってしまう。
子どもは自分の力でやり遂げる機会を奪われ、
ますます自信を無くすという悪循環に陥る。
だから母親には
「黙って見守る」
「ピンチになったらいつでも話を聴く」
ことが求められる。
しかし、そうしたい思いを阻むように、
引きこもりの母親たちには多くの敵がいる。
彼らは長い人生で培った
理想の母親像を押し付ける。
「母親とはこうあるべき」
「子育てとはこうするべき」
引きこもりは、彼らにとって
「正しい子育ての結果」にふさわしくない。
そして、その結果を招いた母親を責める。
「どうしてあの子がこんなことになったのか」
「どうして学校へ行かせないのか」
「まだ働かないのか」
我が子が何か優れた成績を上げたなら、
それはしばしば「母親自身のすごさ」の
誇示に使われる。
「あの子を育てた母親である私はすごいでしょう。
あなたたちよりずっと。」
というように。
いわゆるマウントの取り合いだ。
常にマウントを取る機会を伺っている者に、
うかつに相談すると、このような言葉で傷つけられる。
「ウチの子より成績が良かったのに」
「いじめられたり引きこもったりする側にも問題がある」
現代でも、
「男性は仕事、女性は家事・育児」
という風潮は根強く残っている。
そして実際に、世の男性は
資本主義の終わらない競争と、
長時間労働に疲れ切っている。
家のことを気にかける余裕も余力もなく、
つい出てしまうこんな言葉が母親を苦しめる。
「自分は仕事で忙しいから、
家のことは任せておいたはず」
「いつも一緒にいる母親が
なぜ気づかなかったのか」
家庭はいわば「閉ざされた世界」。
だから引きこもりに限らず、
家庭問題への対策の締めくくりには
こんな言葉が飛び交う。
「外部に向けてSOSを出してほしい」
「周りの人に相談してほしい」
しかし、母親にはこんなに多くの敵がいる。
味方になってくれると助けを求めても、
無理解によって追い詰められる。
「親の口出しは子どもの自立心を摘み取る。
だから黙って見守ってほしい」
というように、
待てない親、口出しする親に対して
正論が展開される。
それはまさに、子ども側の気持ちを代弁している。
しかし、母親をそこまで焦らせ、
追い詰めているものは何なのか。
口出しし、先回りして失敗を回避させ、
自身の不安を拭い去ろうとするのはなぜなのか。
その背景には多くの敵がいることを理解すれば、
新しい視点で家庭問題を考えられる。
引きこもり当事者やその親だけでなく、
親子関係で悩む人にはぜひ一読をおすすめしたい一冊。
という言葉が一般化して久しい。
そして「大人の引きこもり」には、
「毒親」という言葉が力を得たこともあり、
こんなイメージが付いているように感じる。
- 母親が過保護・過干渉で自立を阻んだ
- 母親が子どもをに依存し支配したからだ
- 母親が毒親だったんでしょ?
『「大人の引きこもり」見えない息子と暮らした母親たち』
この本は、引きこもりとなった子ども側ではなく、
彼らの母親側の視点で書かれている。
彼女らは、
引きこもりの我が子への想いはもちろん、
「毒親」と一方的に叩かれる世間の風潮や、
母親としての義務感や責任感にも苦しんでいる。
引きこもり当事者だけでなく、
そんな子どもを見つめる母親の苦悩。
この本はそんな「母親側の気持ち」の理解に、
大いに役立った。
今回は、
「引きこもりの子を持つ母親の敵」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章:『第2章”母親にできることは何か”』
ー目次ー
- ”黙って見守る”を許さない、母親の敵たち
- 【母親の敵1:舅、姑】”べき論の押し付け”
- 【母親の敵2:女友達・ママ友】”ウチの子との比較”
- 【母親の敵3:夫】”子育てへの無関心と丸投げ”
- 待てない親、口出しする親の敵を理解する
1.”黙って見守る”を許さない、母親の敵たち
「静かに見守る」ことが母親としての一番の仕事、
しかし、そうさせてくれない事情もある。
引きこもりの子を持つ母親たちには、
大きな敵がいるからだ。
それは、
「理解のない周囲の人たち」の存在だ。
第2章”母親にできることは何か” 184ページより
引きこもり当事者は自信を失っている。
その自信を取り戻すため、こう願っている。
「失敗してもいいから
自分の力でやり遂げさせてほしい」
しかし、それを待てない母親は
心配のあまり口出しをしたり、
先回りして何でもやってしまう。
子どもは自分の力でやり遂げる機会を奪われ、
ますます自信を無くすという悪循環に陥る。
だから母親には
「黙って見守る」
「ピンチになったらいつでも話を聴く」
ことが求められる。
しかし、そうしたい思いを阻むように、
引きこもりの母親たちには多くの敵がいる。
2.【母親の敵1:舅、姑】”べき論の押し付け”
彼らは長い人生で培った
理想の母親像を押し付ける。
「母親とはこうあるべき」
「子育てとはこうするべき」
引きこもりは、彼らにとって
「正しい子育ての結果」にふさわしくない。
そして、その結果を招いた母親を責める。
「どうしてあの子がこんなことになったのか」
「どうして学校へ行かせないのか」
「まだ働かないのか」
3.【母親の敵2:女友達・ママ友】”ウチの子との比較”
我が子が何か優れた成績を上げたなら、
それはしばしば「母親自身のすごさ」の
誇示に使われる。
「あの子を育てた母親である私はすごいでしょう。
あなたたちよりずっと。」
というように。
いわゆるマウントの取り合いだ。
常にマウントを取る機会を伺っている者に、
うかつに相談すると、このような言葉で傷つけられる。
「ウチの子より成績が良かったのに」
「いじめられたり引きこもったりする側にも問題がある」
4.【母親の敵3:夫】”子育てへの無関心と丸投げ”
現代でも、
「男性は仕事、女性は家事・育児」
という風潮は根強く残っている。
そして実際に、世の男性は
資本主義の終わらない競争と、
長時間労働に疲れ切っている。
家のことを気にかける余裕も余力もなく、
つい出てしまうこんな言葉が母親を苦しめる。
「自分は仕事で忙しいから、
家のことは任せておいたはず」
「いつも一緒にいる母親が
なぜ気づかなかったのか」
5.待てない親、口出しする親の敵を理解する
家庭はいわば「閉ざされた世界」。
だから引きこもりに限らず、
家庭問題への対策の締めくくりには
こんな言葉が飛び交う。
「外部に向けてSOSを出してほしい」
「周りの人に相談してほしい」
しかし、母親にはこんなに多くの敵がいる。
味方になってくれると助けを求めても、
無理解によって追い詰められる。
「親の口出しは子どもの自立心を摘み取る。
だから黙って見守ってほしい」
というように、
待てない親、口出しする親に対して
正論が展開される。
それはまさに、子ども側の気持ちを代弁している。
しかし、母親をそこまで焦らせ、
追い詰めているものは何なのか。
口出しし、先回りして失敗を回避させ、
自身の不安を拭い去ろうとするのはなぜなのか。
その背景には多くの敵がいることを理解すれば、
新しい視点で家庭問題を考えられる。
引きこもり当事者やその親だけでなく、
親子関係で悩む人にはぜひ一読をおすすめしたい一冊。
2021年04月07日
【おすすめ本】『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』〜PART5 ”農耕と文字はどうやって生まれたのか”〜。
経済学の本というと、
「おカネ」についての専門用語や、
横文字がびっしり書かれているのを想像する。
そんな、とっつきにくいイメージとは真逆で、
ギリシャ神話や映画のエピソードを交えて
経済の歴史を教えてくれる本。
『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』
今回は、
「農耕と文字はどうやって生まれたのか」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章
『第1章 なぜ、こんなに「格差」があるのか?』
ー目次ー
なぜ農耕が発明されたのか。
それは食べ物が足りなくなったから。
いつの間にか人口が増え、
周囲の獲物を狩り尽くしてしまった。
だから土地を耕し、
食べ物を作らないと生き残れなかった。
農耕が始まったことで、
多く収穫できる者と、そうでない者が現れた。
この
「多く収穫できた作物の蓄え=余剰」の差が
「格差」の原型になっていった。
しかし、
農耕を発明した当時の人たちは、
「蓄えを貯めて儲けよう」
などとは思っていなかった。
ただ、食べ物を確保するのに必死だった。
なぜ農耕が発達した地域と、
狩猟採集を続けた地域が出てきたのか。
なぜ農耕はユーラシア大陸で発展したのか。
それは、
ユーラシア大陸が東西に長く、
気候の違いが小さいから。
ユーラシア大陸では、
どこかで農耕技術が発明されれば、
あっという間に東西に広まった。
そして気候の違いが小さいため、
どの地域でも応用できた。
特に小麦は寒冷地にも強く、
どこでも育てることができた。
では、なぜ
アフリカやオーストラリアでは
農耕が発達しなかったのか。
アフリカ大陸は、
農耕に適した大陸の気候や形ではなかったから。
オーストラリア大陸は、
農耕をするまでもなく食べ物を確保できたから。
アフリカ大陸は南北に長い。
熱帯や砂漠など、作物が育たない気候も多い。
だから、
どこかで農耕技術が発明されても、
気候の違いが大きすぎて、
その技術が使えなかった。
農耕に適した一部の地域で発達しても、
大陸全土には広がらなかった。
オーストラリア大陸は、
広大な土地に対して人口が少なかった。
そして自然の恵みが豊かだった。
だから、わざわざ土地を耕して
食べ物を作る必要がなかった。
それでは、なぜ文字が生まれた地域と
生まれなかった地域があったのか。
そもそも、文字が生まれたのは、
農民が共有の倉庫に預けた
農作物の量を記録するため。
だから、
農耕をしない地域では、
文字は生まれなかった。
農耕をしないということは、
作物の蓄え=余剰が生まれない。
食べ物はすべてその場で調達、
その場で消費する。
だから、余った作物=余剰の量を
記録する必要がなかった。
数万年前、
農耕をしないと生き残れない人たちと、
農耕をする必要のなかった人たちがいた。
数万年後、
農耕をしないと生き残れない人たちの子孫は、
農耕をする必要のなかった人たちの子孫を殺し、支配した。
「どの大陸に住んでいるか」
ただそれだけで、
支配される人、貧困に苦しむ人は
確定していたのだろうか。
それでも、
先人が農耕と文字を発明してくれたおかげで、
僕らは食べ物にありつくことができている。
この本に出逢い、おもしろいと感じ、
こうして記事を書けている。
世界にある格差の仕組みに怒りながら、
自分が受けている恩恵にも気づかせてくれる。
「おカネ」についての専門用語や、
横文字がびっしり書かれているのを想像する。
そんな、とっつきにくいイメージとは真逆で、
ギリシャ神話や映画のエピソードを交えて
経済の歴史を教えてくれる本。
『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』
今回は、
「農耕と文字はどうやって生まれたのか」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章
『第1章 なぜ、こんなに「格差」があるのか?』
ー目次ー
- 農耕は、飢えて死にそうになったから発明された
- ユーラシア大陸は、農耕に適した気候と形
- アフリカ、オーストラリアでは農耕が不要だった
- 文字は、農作物の量を記録するために生まれた
- 所感・格差の仕組みに怒り、自分が受けている恩恵に気づく
1.農耕は、飢えて死にそうになったから発明された
なぜ農耕が発明されたのか。
それは食べ物が足りなくなったから。
いつの間にか人口が増え、
周囲の獲物を狩り尽くしてしまった。
だから土地を耕し、
食べ物を作らないと生き残れなかった。
農耕が始まったことで、
多く収穫できる者と、そうでない者が現れた。
この
「多く収穫できた作物の蓄え=余剰」の差が
「格差」の原型になっていった。
しかし、
農耕を発明した当時の人たちは、
「蓄えを貯めて儲けよう」
などとは思っていなかった。
ただ、食べ物を確保するのに必死だった。
2.ユーラシア大陸は、農耕に適した気候と形
なぜ農耕が発達した地域と、
狩猟採集を続けた地域が出てきたのか。
なぜ農耕はユーラシア大陸で発展したのか。
それは、
ユーラシア大陸が東西に長く、
気候の違いが小さいから。
ユーラシア大陸では、
どこかで農耕技術が発明されれば、
あっという間に東西に広まった。
そして気候の違いが小さいため、
どの地域でも応用できた。
特に小麦は寒冷地にも強く、
どこでも育てることができた。
3.アフリカ、オーストラリアでは農耕が不要だった
では、なぜ
アフリカやオーストラリアでは
農耕が発達しなかったのか。
アフリカ大陸は、
農耕に適した大陸の気候や形ではなかったから。
オーストラリア大陸は、
農耕をするまでもなく食べ物を確保できたから。
アフリカ大陸は南北に長い。
熱帯や砂漠など、作物が育たない気候も多い。
だから、
どこかで農耕技術が発明されても、
気候の違いが大きすぎて、
その技術が使えなかった。
農耕に適した一部の地域で発達しても、
大陸全土には広がらなかった。
オーストラリア大陸は、
広大な土地に対して人口が少なかった。
そして自然の恵みが豊かだった。
だから、わざわざ土地を耕して
食べ物を作る必要がなかった。
4.文字は、農作物の量を記録するために生まれた
それでは、なぜ文字が生まれた地域と
生まれなかった地域があったのか。
そもそも、文字が生まれたのは、
農民が共有の倉庫に預けた
農作物の量を記録するため。
だから、
農耕をしない地域では、
文字は生まれなかった。
農耕をしないということは、
作物の蓄え=余剰が生まれない。
食べ物はすべてその場で調達、
その場で消費する。
だから、余った作物=余剰の量を
記録する必要がなかった。
5.所感・格差の仕組みに怒り、自分が受けている恩恵に気づく
アフリカとオーストラリアと南北アメリカが
ヨーロッパ人の植民地になったのは、
もとをたどると地理的な環境が理由だった。
DNAや、性格や、知性とは何の関係もない。
大陸の形と場所がすべてを決めたとも言える。
40ページ より
数万年前、
農耕をしないと生き残れない人たちと、
農耕をする必要のなかった人たちがいた。
数万年後、
農耕をしないと生き残れない人たちの子孫は、
農耕をする必要のなかった人たちの子孫を殺し、支配した。
「どの大陸に住んでいるか」
ただそれだけで、
支配される人、貧困に苦しむ人は
確定していたのだろうか。
それでも、
先人が農耕と文字を発明してくれたおかげで、
僕らは食べ物にありつくことができている。
この本に出逢い、おもしろいと感じ、
こうして記事を書けている。
世界にある格差の仕組みに怒りながら、
自分が受けている恩恵にも気づかせてくれる。
2021年04月06日
【おすすめ本】『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』〜PART4 ”産業革命の原動力は借金だった”〜。
経済学の本というと、
「おカネ」についての専門用語や、
横文字がびっしり書かれているのを想像する。
そんな、とっつきにくいイメージとは真逆で、
ギリシャ神話や映画のエピソードを交えて
経済の歴史を教えてくれる本。
『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』
今回は、
「産業革命の原動力は借金だった」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章
『第2章 「市場社会」の誕生』
『第3章 「利益」と「借金」のウエディングマーチ』
ー目次ー
なぜ産業革命が起きたのか。
「石炭を燃料にした
蒸気機関が発明されたから。
それによって、工場で大量のモノを
効率的に生産できるようになったからでは?」
筆者によると、
「産業革命の原動力は石炭ではない」という。
石炭の利用
蒸気機関の発明
それらは原動力というよりも、
加速装置だった。
では、産業革命につながっていった大本は何か。
それは
「モノを作る前に借金するようになったこと」
「事業をするため、最初に借金をする」
現代では当たり前のように思える。
モノを作るには、原料の仕入れや、
専用の設備の用意が必要だ。
そのための費用を借りて、
モノが売れた利益から返していくものじゃないか。
しかし筆者によれば、この生産プロセスは
ここ数百年で登場したものだという。
このような最初に借金をする概念は、
領主がいて、それに仕える農奴がいた時代には、
なかったという。
封建領主が多数の農奴を抱えていた時代は、
いわゆる
「自家栽培の作物を家族で分ける」
という方法で回っていた。
農奴が作物を生産し、領主に納める。
領主は余った作物を売ったり貸したりする。
作物を作るためにカネを借りる必要はなかった。
それが大航海時代の到来によって一変した。
世界中で商売できるようになり、
羊毛が世界的に価値があるとわかった。
領主たちは、農奴に作物を作らせるより
羊毛が取れる羊を飼った方が儲かると気づいた。
そこで、領主は農奴を追い出して羊を飼う、
「囲い込み」が起きた。
追い出された農奴たちは、
ある領主にこう頼んだ。
「羊毛を作るために働くから、土地を貸してほしい」
そして別の領主や高利貸しに、こう頼んだ。
「領主に土地を借りるためのカネを貸してほしい」
「羊を飼うためのカネを貸してほしい」
⇒「羊毛が売れたら、土地代や羊を仕入れた代金を返すから」
こうして、「最初に借金をする」概念が生まれた。
世界的に価値のあるモノを
より安く、より多く作る流れは加速した。
そして、その準備に必要な借金の額も
どんどん膨らんでいった。
作ったモノが売れなければ借金が返せなくなり、
家族ともども路頭に迷う。
借金をして
モノを作る準備をした者たちはみな、
そんな思いで必死に競走した。
その舞台はいつしか、羊を飼う牧場から、
無機質な工場へ移っていった。
そして、その工場をより効率的に
稼働させるエンジンが熱望された。
ここで、満を持して、
石炭で動く蒸気機関が登場した。
「もっと利益を、もっと富を」
産業革命は、
利益の追求が加熱する中で起きた。
しかし、裏を返せば、
産業革命とは、
借金を返すために必死になった結果、起きたもの
という捉え方もできる。
借金をして土地を借り、
羊を仕入れ、働いていた人たちは、
どんな思いだったんだろう。
「これでまた大儲けだ」
そう言って、高笑いしていただろうか。
それとも、
「お願いだ、売れてくれ。でないと借金が返せないんだ」
そう言って、
抜け出せない自転車操業に嘆いていただろうか。
産業革命は、人類の偉業だろうか。
それとも、
仕事も家も失う恐怖との、戦いの歴史だろうか。
「おカネ」についての専門用語や、
横文字がびっしり書かれているのを想像する。
そんな、とっつきにくいイメージとは真逆で、
ギリシャ神話や映画のエピソードを交えて
経済の歴史を教えてくれる本。
『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』
今回は、
「産業革命の原動力は借金だった」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章
『第2章 「市場社会」の誕生』
『第3章 「利益」と「借金」のウエディングマーチ』
ー目次ー
- 産業革命の原動力は、石炭でも蒸気機関でもない
- 事業のため最初に借金をするのは、新しい考え方
- 農奴を追い出せ、羊毛を作り、世界中に売れ
- ”生産⇒分配⇒借金”から、”借金⇒生産⇒分配”へ
- 借金した者たちの競走、満を持しての蒸気機関の登場
- 所感・産業革命は”借金返済に必死になった結果、起きたもの”
1.産業革命の原動力は、石炭でも蒸気機関でもない
なぜ産業革命が起きたのか。
「石炭を燃料にした
蒸気機関が発明されたから。
それによって、工場で大量のモノを
効率的に生産できるようになったからでは?」
筆者によると、
「産業革命の原動力は石炭ではない」という。
石炭の利用
蒸気機関の発明
それらは原動力というよりも、
加速装置だった。
では、産業革命につながっていった大本は何か。
それは
「モノを作る前に借金するようになったこと」
2.事業のため最初に借金をするのは、新しい考え方
「事業をするため、最初に借金をする」
現代では当たり前のように思える。
モノを作るには、原料の仕入れや、
専用の設備の用意が必要だ。
そのための費用を借りて、
モノが売れた利益から返していくものじゃないか。
しかし筆者によれば、この生産プロセスは
ここ数百年で登場したものだという。
- 借金する
- 生産する
- モノが売れたら利益を分配し借金を返す
このような最初に借金をする概念は、
領主がいて、それに仕える農奴がいた時代には、
なかったという。
3.農奴を追い出せ、羊毛を作り、世界中に売れ
封建領主が多数の農奴を抱えていた時代は、
いわゆる
「自家栽培の作物を家族で分ける」
という方法で回っていた。
農奴が作物を生産し、領主に納める。
領主は余った作物を売ったり貸したりする。
作物を作るためにカネを借りる必要はなかった。
それが大航海時代の到来によって一変した。
世界中で商売できるようになり、
羊毛が世界的に価値があるとわかった。
領主たちは、農奴に作物を作らせるより
羊毛が取れる羊を飼った方が儲かると気づいた。
そこで、領主は農奴を追い出して羊を飼う、
「囲い込み」が起きた。
4.”生産⇒分配⇒借金”から、”借金⇒生産⇒分配”へ
追い出された農奴たちは、
ある領主にこう頼んだ。
「羊毛を作るために働くから、土地を貸してほしい」
そして別の領主や高利貸しに、こう頼んだ。
「領主に土地を借りるためのカネを貸してほしい」
「羊を飼うためのカネを貸してほしい」
⇒「羊毛が売れたら、土地代や羊を仕入れた代金を返すから」
こうして、「最初に借金をする」概念が生まれた。
5.借金した者たちの競走、満を持しての蒸気機関の登場
世界的に価値のあるモノを
より安く、より多く作る流れは加速した。
そして、その準備に必要な借金の額も
どんどん膨らんでいった。
作ったモノが売れなければ借金が返せなくなり、
家族ともども路頭に迷う。
借金をして
モノを作る準備をした者たちはみな、
そんな思いで必死に競走した。
その舞台はいつしか、羊を飼う牧場から、
無機質な工場へ移っていった。
そして、その工場をより効率的に
稼働させるエンジンが熱望された。
ここで、満を持して、
石炭で動く蒸気機関が登場した。
6.所感・産業革命は”借金返済に必死になった結果、起きたもの”
「もっと利益を、もっと富を」
産業革命は、
利益の追求が加熱する中で起きた。
しかし、裏を返せば、
産業革命とは、
借金を返すために必死になった結果、起きたもの
という捉え方もできる。
借金をして土地を借り、
羊を仕入れ、働いていた人たちは、
どんな思いだったんだろう。
「これでまた大儲けだ」
そう言って、高笑いしていただろうか。
それとも、
「お願いだ、売れてくれ。でないと借金が返せないんだ」
そう言って、
抜け出せない自転車操業に嘆いていただろうか。
産業革命は、人類の偉業だろうか。
それとも、
仕事も家も失う恐怖との、戦いの歴史だろうか。
2021年03月28日
【おすすめ本】『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』〜PART3 ”労働力はどうやって商品になったのか”〜。
経済学の本というと、
「おカネ」についての専門用語や、
横文字がびっしり書かれているのを想像する。
そんな、とっつきにくいイメージとは真逆で、
ギリシャ神話や映画のエピソードを交えて
経済の歴史を教えてくれる本。
『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』
今回は、
「労働力はどうやって商品になったのか」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章
『第2章 「市場社会」の誕生』
ー目次ー
封建制度が一般的だった時代まで、
労働力を売り物にするという発想はなかった。
領主がいて、
領主に仕える農民と奴隷がいる。
領主は収穫のほとんどを
当たり前に独り占めする。
農民と奴隷は、
領主が治める土地で当たり前に働く。
領地内の職人が作った道具や
奴隷が作った食糧の交換はあった。
しかし、それはあくまで
「家の中での貸し借り」に過ぎなかった。
大航海時代の到来が、
「家の中での貸し借り」に終止符を打った。
船で世界中を回れるようになったことで、
ヨーロッパでは手に入らない貴重品が
手に入ることを知った。
そして、自分たちの特産品と、
それらの貴重品との交換を繰り返せば、
今までよりはるかに儲かることを知った。
その結果、こんなサイクルが生まれた。
最初に用意した羊毛を、
何倍にも増やす方法が見つかった。
それによって、貿易商人たちは
みるみるうちに大金持ちになった。
そして、その様子を
恨めしく思っていた封建領主たちは、
ついに気づいてしまった。
こうして、
英国では7割以上の農民と奴隷が
突如として路頭に迷う「囲い込み」が起きた。
労働力が売り物になる時代は、
この「囲い込み」によって始まった。
突然、家を追い出された英国の農民たち。
それでも生き残るためにどうしたか。
彼らは絶望に打ちひしがれる間もなく、
隣村まで歩き、こう頼み込んだ。
のちに毛織物を作る工場ができるまで、
労働力の買い手はほとんどいなかった。
仕事も家も失った農民があふれ、
飢餓に疫病、貧困が蔓延する
悲惨な状況だったという。
労働力を売るとは、
自分の人生の時間を切り売りすること。
16世紀当時の英国では、
土地も道具も持たない者は
本当にそれしか選択肢がなかった。
持たざる者が商品にできるのは労働力だけ、
それは現代も変わらない。
道具はともかく、土地を持つことは
現代でも容易ではない。
ただ、現代社会には幸運なところがある。
それは、
「時間の切り売り」以外の方法で
価値を生み出す手段が増えたこと。
知識やスキルを身につけることで、
土地や道具に劣らない武器を持てること。
僕たちは、あらゆるものが
「売れるかどうか」で
計られる時代に生きている。
その中で、労働力だけを売って
生きていくのも自由な選択。
もし、貴重な人生の残り時間を
切り売りしたくないのなら。
学ぶこと、発信すること。
新しいことに挑戦し、失敗を繰り返すこと。
それが、労働市場から抜け出すための方法だ。
「おカネ」についての専門用語や、
横文字がびっしり書かれているのを想像する。
そんな、とっつきにくいイメージとは真逆で、
ギリシャ神話や映画のエピソードを交えて
経済の歴史を教えてくれる本。
『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』
今回は、
「労働力はどうやって商品になったのか」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章
『第2章 「市場社会」の誕生』
ー目次ー
- 封建時代は”家の中での貸し借り”
- 大航海時代が”労働力の商品化”のきっかけ
- 英国での農地囲い込み”羊が人間を食べている”
- 路頭に迷った農民たちが始めた”労働力の売り出し”
- 所感・労働力を売るとは”人生の残り時間の切り売り”
1.封建時代は”家の中での貸し借り”
封建制度が一般的だった時代まで、
労働力を売り物にするという発想はなかった。
領主がいて、
領主に仕える農民と奴隷がいる。
領主は収穫のほとんどを
当たり前に独り占めする。
農民と奴隷は、
領主が治める土地で当たり前に働く。
領地内の職人が作った道具や
奴隷が作った食糧の交換はあった。
しかし、それはあくまで
「家の中での貸し借り」に過ぎなかった。
2.大航海時代が”労働力の商品化”のきっかけ
大航海時代の到来が、
「家の中での貸し借り」に終止符を打った。
船で世界中を回れるようになったことで、
ヨーロッパでは手に入らない貴重品が
手に入ることを知った。
そして、自分たちの特産品と、
それらの貴重品との交換を繰り返せば、
今までよりはるかに儲かることを知った。
その結果、こんなサイクルが生まれた。
- 英国で、船に羊毛を積んで出航
- 中国で羊毛を絹と交換
- 絹を日本で刀と交換
- 刀をインドで香辛料に交換
- 英国に戻り、香辛料を
出航時に積んだ量の何倍もの羊毛と交換
1〜5を繰り返す
3.英国での農地囲い込み”羊が人間を食べている”
最初に用意した羊毛を、
何倍にも増やす方法が見つかった。
それによって、貿易商人たちは
みるみるうちに大金持ちになった。
そして、その様子を
恨めしく思っていた封建領主たちは、
ついに気づいてしまった。
領地内で
農民や奴隷に作らせる玉ねぎやビーツは、
中国で絹と交換してもらえないじゃないか。
ならば、世界で売れる羊毛の方が価値がある。
よし、農民と奴隷を追い出して、羊を飼おう
こうして、
英国では7割以上の農民と奴隷が
突如として路頭に迷う「囲い込み」が起きた。
4.路頭に迷った農民たちが始めた”労働力の売り出し”
労働力が売り物になる時代は、
この「囲い込み」によって始まった。
突然、家を追い出された英国の農民たち。
それでも生き残るためにどうしたか。
彼らは絶望に打ちひしがれる間もなく、
隣村まで歩き、こう頼み込んだ。
「何でもやりますから、
食べ物と家をお借りできませんか?」
これが労働市場のはじまりだ。
土地も道具も持たない人間は、
労働力を売って生きていくしかない。
苦役を商品にするというわけだ。
第2章 63ページより
のちに毛織物を作る工場ができるまで、
労働力の買い手はほとんどいなかった。
仕事も家も失った農民があふれ、
飢餓に疫病、貧困が蔓延する
悲惨な状況だったという。
5.所感・労働力を売るとは”人生の残り時間の切り売り”
労働力を売るとは、
自分の人生の時間を切り売りすること。
16世紀当時の英国では、
土地も道具も持たない者は
本当にそれしか選択肢がなかった。
持たざる者が商品にできるのは労働力だけ、
それは現代も変わらない。
道具はともかく、土地を持つことは
現代でも容易ではない。
ただ、現代社会には幸運なところがある。
それは、
「時間の切り売り」以外の方法で
価値を生み出す手段が増えたこと。
知識やスキルを身につけることで、
土地や道具に劣らない武器を持てること。
僕たちは、あらゆるものが
「売れるかどうか」で
計られる時代に生きている。
その中で、労働力だけを売って
生きていくのも自由な選択。
もし、貴重な人生の残り時間を
切り売りしたくないのなら。
学ぶこと、発信すること。
新しいことに挑戦し、失敗を繰り返すこと。
それが、労働市場から抜け出すための方法だ。
2021年03月27日
【おすすめ本】『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』〜PART2 ”支配者が支配し続けるために必要なもの”〜。
経済学の本というと、
「おカネ」についての専門用語や、
横文字がびっしり書かれているのを想像する。
そんな、とっつきにくいイメージとは真逆で、
ギリシャ神話や映画のエピソードを交えて
経済の歴史を教えてくれる本。
『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』
今回は、
「支配者が支配し続けるために必要なもの」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章
『第1章 なぜ、こんなに「格差」があるのか』
ー目次ー
格差はどうやって生まれたのか。
それは人類が農耕を始めたため。
農耕を始めた人類は、
作物の蓄えることを覚えた。
とはいえ、その蓄えは、
当時は全員に行き渡るほど多くなかった。
だから、蓄え=「余剰」を多く持つ者は、
あまり持たない者たちを従えることができた。
その規模がどんどん大きくなり、
やがて国家となり、支配者が生まれた。
一握りの支配者となった者は、
どうやって支配者であり続けているのか。
それは、大量の「余剰」を対価にして、
官僚・軍隊・宗教(聖職者)を動かしているから。
官僚には、国家の運営を任せる。
軍隊には、自分たちの「余剰」の
所有権を守ってもらう。
そして、宗教(聖職者)には
「支配者を正当化する思想」を守ってもらう。
支配者だけが余剰(穀物の蓄え)を
独り占めしている。
だから大半の国民は
食べ物を少ししかもらえない。
このままでは、
国民の不満が爆発するのは時間の問題だ。
いくら支配者が強い軍隊を持っていても、
反乱が起これば倒されてしまう。
ならば、反乱を起こさせないために、
支配者を正当化する思想を、
「制度」にすればいい。
そのための儀式を行ったのが
宗教に仕える者・聖職者というわけだ。
官僚を使い、巧みに国家を操る。
軍隊を使い、独り占めした「余剰」を
独り占めしたままにする。
聖職者を使い、
支配者であり続けることを正当化する。
1万2000年前、人類が農耕を始めた時、
すでに勝負はついてしまったんだろうか。
支配者はますます余剰を増やし、
その他大勢はますます貧しくなるんだろうか。
そんな、暗い気持ちになる一方で、
格差によって守られた命もある。
貧しい国民の反乱が抑えられたのは、
「大量の余剰を持つ支配者は正しい」と、
信じさせられていたからだ。
皮肉なことに、正当化された格差が、
流れる血の量、失われる命を減らしてきた。
格差の構造、支配の構造、
それは経済を知れば見えてくると教えてくれた。
「おカネ」についての専門用語や、
横文字がびっしり書かれているのを想像する。
そんな、とっつきにくいイメージとは真逆で、
ギリシャ神話や映画のエピソードを交えて
経済の歴史を教えてくれる本。
『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』
今回は、
「支配者が支配し続けるために必要なもの」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章
『第1章 なぜ、こんなに「格差」があるのか』
ー目次ー
- 格差は人類が農耕を始めた時に生まれた
- 大量の余剰で官僚・軍隊・宗教を動かす
- 宗教は支配者を正当化するための思想
- 経済を知れば、格差・支配の構造が見える
1.格差は人類が農耕を始めた時に生まれた
格差はどうやって生まれたのか。
それは人類が農耕を始めたため。
農耕を始めた人類は、
作物の蓄えることを覚えた。
とはいえ、その蓄えは、
当時は全員に行き渡るほど多くなかった。
だから、蓄え=「余剰」を多く持つ者は、
あまり持たない者たちを従えることができた。
その規模がどんどん大きくなり、
やがて国家となり、支配者が生まれた。
2.大量の余剰で官僚・軍隊・宗教を動かす
一握りの支配者となった者は、
どうやって支配者であり続けているのか。
それは、大量の「余剰」を対価にして、
官僚・軍隊・宗教(聖職者)を動かしているから。
官僚には、国家の運営を任せる。
軍隊には、自分たちの「余剰」の
所有権を守ってもらう。
そして、宗教(聖職者)には
「支配者を正当化する思想」を守ってもらう。
3.宗教は支配者を正当化するための思想
支配者だけが余剰(穀物の蓄え)を
独り占めしている。
だから大半の国民は
食べ物を少ししかもらえない。
このままでは、
国民の不満が爆発するのは時間の問題だ。
いくら支配者が強い軍隊を持っていても、
反乱が起これば倒されてしまう。
ならば、反乱を起こさせないために、
「支配者だけが国を維持する権利を持っている」と
庶民に固く信じさせればいい。
自分たちが生きている世界こそが
最高なのだという考えを植えつければいい。
すべてが運命によって決まっているのだと
思わせればいい。
庶民の暮らしは、天からの授かりものだと
信じさせればいい。
第1章 34ページ より
支配者を正当化する思想を、
「制度」にすればいい。
そのための儀式を行ったのが
宗教に仕える者・聖職者というわけだ。
4.経済を知れば、格差・支配の構造が見える
官僚を使い、巧みに国家を操る。
軍隊を使い、独り占めした「余剰」を
独り占めしたままにする。
聖職者を使い、
支配者であり続けることを正当化する。
1万2000年前、人類が農耕を始めた時、
すでに勝負はついてしまったんだろうか。
支配者はますます余剰を増やし、
その他大勢はますます貧しくなるんだろうか。
そんな、暗い気持ちになる一方で、
格差によって守られた命もある。
貧しい国民の反乱が抑えられたのは、
「大量の余剰を持つ支配者は正しい」と、
信じさせられていたからだ。
皮肉なことに、正当化された格差が、
流れる血の量、失われる命を減らしてきた。
格差の構造、支配の構造、
それは経済を知れば見えてくると教えてくれた。
2021年03月15日
【おすすめ本】『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』〜PART1 ”選ばなければ仕事はある”は正しいか〜。
経済学の本というと、
「おカネ」についての専門用語や、
横文字がびっしり書かれているのを想像する。
そんな、とっつきにくいイメージとは真逆で、
ギリシャ神話や映画のエピソードを交えて
経済の歴史を教えてくれる本。
『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』
今回は、
「”選ばなければ仕事はある”は正しいか」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章
『第5章 世にも奇妙な「労働力」と「マネー」の世界』
ー目次ー
「選ばなければ仕事はある」
こう言う人たちのことを、筆者は
「失業否定派」と呼んでいる。
そして、失業否定派の主張は
次のようなものだという。
労働者が働いて
何らかの価値を生み出せれば、
雇い主はその労働に対して
何らかの報酬を支払うはずだ。
賃金が低くても、環境が劣悪でも、
世界にはもっと少ない収入で
生活している人たちがいる。
自分が望む給料の仕事がないだけだ、
高望みするな。
とても辛辣で、
「自己責任だ」と言わんばかりの圧力を感じる。
失業者が失業したままなのは、
失業者が選り好みしているからか。
失業否定派に対して、筆者は
「それは間違っている」と主張する。
労働者が希望をどんどん下げて、
低い給料で働こうとすればするほど、
逆に仕事が見つけにくくなるという。
そして、
仕事が見つかるかどうかは、
雇い主たちが経済全体の先行きに対して、
楽観的か悲観的かで決まると主張する。
労働者がどうこうという話ではない、というのだ。
「先行きを楽観的に見るか、悲観的に見るか」
たとえ話として、
冷蔵庫メーカーの話が紹介されている。
ある人を雇うことで
冷蔵庫を今よりも5台多く生産できるとする。
そして5台すべて売れれば、
その人を雇うコスト以上に利益が出るとする。
この時、雇い主が
冷蔵庫を買ってくれるお客さんが
今よりも5人増えるだろう
と、先行きを楽観的に考えていれば、
人を雇うことを考える。
逆に、
冷蔵庫を買えるくらい余裕のあるお客さんを
今より5人増やすことは難しいだろう
と、先行きを悲観的に考えていれば、
たとえ低賃金でも人を雇うことをためらう。
失業否定派は、
労働者の賃金が下がることは、
雇い主にとって「ありがたいこと」と考える。
賃金が下がれば、雇い主の負担は減り、
安い労働力を確保できるからだ。
ただし、賃金が下がるということは、
労働者の生活が苦しくなることでもある。
収入が下がり、生活が苦しくなれば、
冷蔵庫を買う余裕のない人が増える。
そうなれば、
人を雇って生産台数を増やしても、
売れる未来が見えない。
雇い主は雇用の「門戸」を開かなくなるので、
低賃金だとしても狭き門になっていく。
例えば車を売りたい、家を売りたい場合、
値段をどんどん下げていけば、
いつか買う人が見つかる。
買う人の目的は
車や家を買って得られる経験そのものだからだ。
労働者を雇うことは、
車や家を売ることとはまったく違う。
雇い主の目的は、
労働力そのものを買うことではなく、
労働者を雇うコストをかけて
生産したモノを売ることだからだ。
「選ばなければ仕事はある」かどうかは、
賃金を下げれば雇用が生まれる
労働の価値を提供できれば報酬を払う人はいる
という単純な話ではなかった。
雇い主が
「今、ウチの製品は売れそうか」について、
どう考えているか。楽観的か、悲観的か。
その点を見落とさないようにと、教えてくれた。
「おカネ」についての専門用語や、
横文字がびっしり書かれているのを想像する。
そんな、とっつきにくいイメージとは真逆で、
ギリシャ神話や映画のエピソードを交えて
経済の歴史を教えてくれる本。
『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』
今回は、
「”選ばなければ仕事はある”は正しいか」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章
『第5章 世にも奇妙な「労働力」と「マネー」の世界』
ー目次ー
- 失業否定派の主張”高望みするな”
- 雇用は先行きへの楽観と悲観で決まる
- 冷蔵庫を買える余裕のある人は増えるか
- 賃金低下は雇い主にとって”ありがたいこと”か
- 大切な視点”今ウチの製品は売れそうか”
1.失業否定派の主張”高望みするな”
「選ばなければ仕事はある」
こう言う人たちのことを、筆者は
「失業否定派」と呼んでいる。
そして、失業否定派の主張は
次のようなものだという。
労働者が働いて
何らかの価値を生み出せれば、
雇い主はその労働に対して
何らかの報酬を支払うはずだ。
賃金が低くても、環境が劣悪でも、
世界にはもっと少ない収入で
生活している人たちがいる。
自分が望む給料の仕事がないだけだ、
高望みするな。
とても辛辣で、
「自己責任だ」と言わんばかりの圧力を感じる。
2.雇用は先行きへの楽観と悲観で決まる
失業者が失業したままなのは、
失業者が選り好みしているからか。
失業否定派に対して、筆者は
「それは間違っている」と主張する。
労働者が希望をどんどん下げて、
低い給料で働こうとすればするほど、
逆に仕事が見つけにくくなるという。
そして、
仕事が見つかるかどうかは、
雇い主たちが経済全体の先行きに対して、
楽観的か悲観的かで決まると主張する。
労働者がどうこうという話ではない、というのだ。
3.冷蔵庫を買える余裕のある人は増えるか
「先行きを楽観的に見るか、悲観的に見るか」
たとえ話として、
冷蔵庫メーカーの話が紹介されている。
ある人を雇うことで
冷蔵庫を今よりも5台多く生産できるとする。
そして5台すべて売れれば、
その人を雇うコスト以上に利益が出るとする。
この時、雇い主が
冷蔵庫を買ってくれるお客さんが
今よりも5人増えるだろう
と、先行きを楽観的に考えていれば、
人を雇うことを考える。
逆に、
冷蔵庫を買えるくらい余裕のあるお客さんを
今より5人増やすことは難しいだろう
と、先行きを悲観的に考えていれば、
たとえ低賃金でも人を雇うことをためらう。
4.賃金低下は雇い主にとって”ありがたいこと”か
失業否定派は、
労働者の賃金が下がることは、
雇い主にとって「ありがたいこと」と考える。
賃金が下がれば、雇い主の負担は減り、
安い労働力を確保できるからだ。
ただし、賃金が下がるということは、
労働者の生活が苦しくなることでもある。
収入が下がり、生活が苦しくなれば、
冷蔵庫を買う余裕のない人が増える。
そうなれば、
人を雇って生産台数を増やしても、
売れる未来が見えない。
雇い主は雇用の「門戸」を開かなくなるので、
低賃金だとしても狭き門になっていく。
5.大切な視点”今ウチの製品は売れそうか”
例えば車を売りたい、家を売りたい場合、
値段をどんどん下げていけば、
いつか買う人が見つかる。
買う人の目的は
車や家を買って得られる経験そのものだからだ。
労働者を雇うことは、
車や家を売ることとはまったく違う。
雇い主の目的は、
労働力そのものを買うことではなく、
労働者を雇うコストをかけて
生産したモノを売ることだからだ。
「選ばなければ仕事はある」かどうかは、
賃金を下げれば雇用が生まれる
労働の価値を提供できれば報酬を払う人はいる
という単純な話ではなかった。
雇い主が
「今、ウチの製品は売れそうか」について、
どう考えているか。楽観的か、悲観的か。
その点を見落とさないようにと、教えてくれた。
2021年03月08日
【おすすめ本】『「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法』〜PART1 心に残る一節を4つ紹介 ”振り回す人が抱く不安と恐怖”〜。
「私はいつも人の感情に振り回される」
そう悩むメカニズムを、
専門用語を使わず嚙み砕いて伝えてくれる本。
『「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法』
今回は、
”振り回す人が抱く不安と恐怖”
という視点から、
著作中で心に残った一節を紹介したい。
ー目次ー
なぜ常識はずれな人にイライラするのか。
それは自分の価値観とは違うから。
「常識ある人であるべき」
それに逸脱している相手が許せない。
なぜ価値観が違うことが許せないのか。
それは安心できないから。
同じ価値観の人だけの、
安心できる世界を求めているから。
これも、
「相手を自分の思い通りに変えたい」
というコントロールの一種。
自分の正しさを問われて怒るのは、
正しさにすがりついているから。
本当は何もない自分、自信がない自分を
さらけ出すのが怖い。
その恐怖を、不安を和らげるために、
正しさという後ろ盾が必要。
だから、その人の怒りの強さは、
その人の不安の大きさでもある。
男性は
「勝ちたい、ほめられたい」生き物だ。
夫婦間に限らず、
男性はその優位性が脅かされた時に、
攻撃という「防衛」に走る。
自分の立場が、居場所が、拠り所が
奪われるのが怖くてたまらないから。
甘えてくる人は、
見捨てられることも、
自分で考えて行動することも恐れている。
それを心の底ではわかっている。
触れられたくない”地雷”として。
甘えてくる人の甘えが強くなるのは、
「あなたは自分で考えて行動できない」と
相手に思われたかも知れない時。
誰かを振り回す人は、
その攻撃性の奥に大きな不安と恐怖を抱えている。
自分の居場所、優位性、存在意義を守ろうと、
必死で”強いフリ”をしている。
誰かに振り回される人は、
そんな人たちの「弱さを隠すための攻撃」を
必要以上にまともに受ける。
誰かを振り回す人の深層心理を知ると、
そんな構図が思い浮かんでくる。
安心する世界で生きたい
不安と恐怖を拭い去りたい
振り回す人も、振り回される人も、
同じようにそう願っているはず。
なのに、その方法を
「勝つこと」「優位に立つこと」に求め、
結局はどちらも苦しんでいる。
「手段が違うだけ、願うことはみんな同じ」
それがわかってから、
誰かを振り回す人のことを、
一歩引いた視点から見れそうだ。
そう悩むメカニズムを、
専門用語を使わず嚙み砕いて伝えてくれる本。
『「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法』
今回は、
”振り回す人が抱く不安と恐怖”
という視点から、
著作中で心に残った一節を紹介したい。
ー目次ー
- 同じ価値観の世界で安心したい
- 相手の正しさを問うと敵視される
- 男性は勝ちたくてほめられたい生き物
- 甘えは年齢相応の成長の欠如
- 所感
1.同じ価値観の世界で安心したい
「なんでこの人はこんな常識はずれなことをするんだろう?」
と思っているときは
「相手を私のように常識のある人間に変えたい!」
という意識が働いています。
『「間違っているのをわからせたい!」の裏にある本音』162ページ より
なぜ常識はずれな人にイライラするのか。
それは自分の価値観とは違うから。
「常識ある人であるべき」
それに逸脱している相手が許せない。
なぜ価値観が違うことが許せないのか。
それは安心できないから。
同じ価値観の人だけの、
安心できる世界を求めているから。
これも、
「相手を自分の思い通りに変えたい」
というコントロールの一種。
2.相手の正しさを問うと敵視される
「自分が一番正しい!」と思っている人に、
「あなたの正しさは本物ですか?」と
その人の良心や正義を問うと、
相手から敵視され、攻撃されてしまう。
『相手をモンスターにしない、とっておきの方法』168ページ より
自分の正しさを問われて怒るのは、
正しさにすがりついているから。
本当は何もない自分、自信がない自分を
さらけ出すのが怖い。
その恐怖を、不安を和らげるために、
正しさという後ろ盾が必要。
だから、その人の怒りの強さは、
その人の不安の大きさでもある。
3.男性は勝ちたくてほめられたい生き物
旦那さんが上から目線で偉そうにふるまうのは、
「男じゃなくなるのがこわい」ので、
暴力的(男性的)になって
男性性を誇示しようとしているからです。
『モラハラ男性の胸のうち』171ページ より
男性は
「勝ちたい、ほめられたい」生き物だ。
夫婦間に限らず、
男性はその優位性が脅かされた時に、
攻撃という「防衛」に走る。
自分の立場が、居場所が、拠り所が
奪われるのが怖くてたまらないから。
4.甘えは年齢相応の成長の欠如
セクハラ、モラハラの原因が
「男性性の欠如」だったら、
ウザったく甘えてくる人は
「年齢相応の成長の欠如」
になるのかもしれません。
『甘える人には「頼もしいですね」』173ページ より
甘えてくる人は、
見捨てられることも、
自分で考えて行動することも恐れている。
それを心の底ではわかっている。
触れられたくない”地雷”として。
甘えてくる人の甘えが強くなるのは、
「あなたは自分で考えて行動できない」と
相手に思われたかも知れない時。
5.所感
誰かを振り回す人は、
その攻撃性の奥に大きな不安と恐怖を抱えている。
自分の居場所、優位性、存在意義を守ろうと、
必死で”強いフリ”をしている。
誰かに振り回される人は、
そんな人たちの「弱さを隠すための攻撃」を
必要以上にまともに受ける。
誰かを振り回す人の深層心理を知ると、
そんな構図が思い浮かんでくる。
安心する世界で生きたい
不安と恐怖を拭い去りたい
振り回す人も、振り回される人も、
同じようにそう願っているはず。
なのに、その方法を
「勝つこと」「優位に立つこと」に求め、
結局はどちらも苦しんでいる。
「手段が違うだけ、願うことはみんな同じ」
それがわかってから、
誰かを振り回す人のことを、
一歩引いた視点から見れそうだ。
2021年03月02日
【おすすめ本】『人間は素晴らしい 〜手塚治虫 愛と生命の言葉〜』〜PART1 心に残る一節を5つ紹介 ”人間の愚かさと正義”〜。
手塚治虫氏の作品から、
人間の本質を突き詰めた言葉を
選りすぐった本。
『人間は素晴らしい 〜手塚治虫 愛と生命の言葉〜』
今回は
”人間の愚かさと正義”
という視点から、
著作中で心に残った一節を紹介したい。
ー目次ー
人の心を救うはずの宗教が、
人を殺すための正当な理由に使われる。
人の生活を豊かにするはずの科学が、
兵器を作るために使われる。
素晴らしい知識も、革新的な発見も、
人間の欲が無限である限り悪用は絶えない。
カタキと呼び合い、
戦った者たちがいなくなれば、
本来は子孫には関係ない話。
にもかかわらず、”憎しみ”1つで
関係ない者たちまでカタキに仕立て上げられる。
一体いつから始まったのかわからない、
カタキの関係。
”憎しみ”は目に見えず、実態もないのに、
増幅され伝わる不思議。
人がもっとも残虐になるのは、
自分が正しいと確信した時。
人がもっとも弱くなるのは、
自分の行動に罪を感じた時。
自分が正しいと思い込みたい、
でないと不安と恐怖でつぶれてしまいそう。
正義という「大義名分」はいつだって、
弱った心へ手を差し伸べるフリをする。
「独り占めしてやろう」
「奪い取ってやろう」
「蹴落としてやろう」
ほんの少しの”出来心”が、
いつの間にか欲望や嫉妬の大火になる。
「皆が平等な社会を作る」
そんな正義を掲げたレーニンは、スターリンは、
貧困と強制労働、恐怖政治へ突き進んでいった。
「ドイツの経済を復興する」
そんな正義を掲げたヒトラーは、
第二次世界大戦へ突き進んでいった。
正義はいつだって、見た目と耳ざわりの良い言葉だ。
正義とは何か、
正義とは本当に存在するのか。
正義とは、
欲望のために他者を利用するための道具か。
正義とは、
弱い心がすがりつくための御柱か。
正義とは、自己正当化のためにあるのか。
正義とは、人を殺すためにあるのか。
正義とは、安心と後ろ盾のためにあるか。
正義とは、生きるための支えなのか。
正義を利用し、正義に利用され、
憎み合い、殺し合う。
正義にすがりつき、正義に励まされ、
団結し、心の支えにする。
正義に殺された人がいて、
正義に支えられて生きた人がいる。
それは”愚かなこと”なのか。
誰から見て”愚か”なのか。
人間は愚かだから正義を作り出したのか。
人間が生きるために正義が必要だったのか。
正義とは何か、愚かとは何か。
人間の本質を突き詰めた言葉を
選りすぐった本。
『人間は素晴らしい 〜手塚治虫 愛と生命の言葉〜』
今回は
”人間の愚かさと正義”
という視点から、
著作中で心に残った一節を紹介したい。
ー目次ー
- 素晴らしい知識も道徳も、必ず悪用される
- 人間は世代を超えて憎しみあう生きものだ
- 心の弱みにつけ込む、正義という”大義名分”
- 少しの悪い考えが、地獄の入り口になる
- 正義はいつだって、見た目と耳ざわりの良い言葉
- 所感
1.素晴らしい知識も道徳も、必ず悪用される
”人間”
人間という動物は
どんな素晴らしい知識や道徳をもっていても、
必ず誰かがそれを無視して
愚かな行動へ突っ走るものなのだ。
千年、二千年経っても、
この点では人間はちっとも進歩はしないであろう。
55ページ より
人の心を救うはずの宗教が、
人を殺すための正当な理由に使われる。
人の生活を豊かにするはずの科学が、
兵器を作るために使われる。
素晴らしい知識も、革新的な発見も、
人間の欲が無限である限り悪用は絶えない。
2.人間は世代を超えて憎しみあう生きものだ
”憎しみの連鎖”
人間とは憎しみあう生きものだ。
お互いにカタキと呼び、敵として必ず戦う。
そして、どっちか倒れ、倒れた側の近親がまた相手を憎む。
58ページ より
カタキと呼び合い、
戦った者たちがいなくなれば、
本来は子孫には関係ない話。
にもかかわらず、”憎しみ”1つで
関係ない者たちまでカタキに仕立て上げられる。
一体いつから始まったのかわからない、
カタキの関係。
”憎しみ”は目に見えず、実態もないのに、
増幅され伝わる不思議。
3.心の弱みにつけ込む、正義という”大義名分”
”正義の愚かさ”
俺の人生は一体なんだったんだろう。
あちこちの国で正義というやつにつきあって、
そしてなにもかも失った。
肉親も、友情も、俺自身まで…。
俺は愚かな人間なんだ。
だが、愚かな人間がゴマンといるから、
国は正義をふりかざせるんだろうな。
65ページ より
人がもっとも残虐になるのは、
自分が正しいと確信した時。
人がもっとも弱くなるのは、
自分の行動に罪を感じた時。
自分が正しいと思い込みたい、
でないと不安と恐怖でつぶれてしまいそう。
正義という「大義名分」はいつだって、
弱った心へ手を差し伸べるフリをする。
4.少しの悪い考えが、地獄の入り口になる
”地獄の入り口”
地獄なんてどこにだって入り口があるんだぜ。
人間がちょっと悪い考えを起こしたりしたら、
そこが地獄の入り口になるんだよ。
234ページ より
「独り占めしてやろう」
「奪い取ってやろう」
「蹴落としてやろう」
ほんの少しの”出来心”が、
いつの間にか欲望や嫉妬の大火になる。
5.正義はいつだって、見た目と耳ざわりの良い言葉
”見た目”
ガキや大衆はな、
正義なんてのは見た目がよけりゃ信じちまう。
そういう連中だ。
240ページ より
「皆が平等な社会を作る」
そんな正義を掲げたレーニンは、スターリンは、
貧困と強制労働、恐怖政治へ突き進んでいった。
「ドイツの経済を復興する」
そんな正義を掲げたヒトラーは、
第二次世界大戦へ突き進んでいった。
正義はいつだって、見た目と耳ざわりの良い言葉だ。
6.所感
正義とは何か、
正義とは本当に存在するのか。
正義とは、
欲望のために他者を利用するための道具か。
正義とは、
弱い心がすがりつくための御柱か。
正義とは、自己正当化のためにあるのか。
正義とは、人を殺すためにあるのか。
正義とは、安心と後ろ盾のためにあるか。
正義とは、生きるための支えなのか。
正義を利用し、正義に利用され、
憎み合い、殺し合う。
正義にすがりつき、正義に励まされ、
団結し、心の支えにする。
正義に殺された人がいて、
正義に支えられて生きた人がいる。
それは”愚かなこと”なのか。
誰から見て”愚か”なのか。
人間は愚かだから正義を作り出したのか。
人間が生きるために正義が必要だったのか。
正義とは何か、愚かとは何か。