アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2024年04月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
福井ケンシロウさんの画像
福井ケンシロウ
1978年生まれ、岐阜県在住です。コミュニケーションや同時並行作業をすることが苦手な性格です。これまで苦節に満ちた人生でした。浪人、留年、借金苦、詐欺・通り魔被害、ブラック企業就職、早期離職、ニート、転職先でパワハラ被害、うつ病で休職・・人生に失望し続けました。しかし、2018年40歳の年に大企業への転職を果たし、ようやく自分の居場所を見つけることができました。
プロフィール

2022年04月02日

いざ受験勉強に取りかかってみた

文化祭が終わり、秋が深まってきた高校2年の10月。

意を決して勉強に取り組むことにしました。

志望大学は東京大学です。
中学時代の優等生プライドを消せなくて・・
実力が伴わない高望みをしていました。

この頃は既に授業の内容が理解不能となっていたので
1年生の単元から復習をすることにしました。

数学は2次関数から、英語は英単語帳(学校から配布されたもの)から
まずは始めてみました。
そして、東大合格者のほとんどが入会していたという
通信添削Z会に申し込み、添削を受けることにしたのです。








苦行の数学をあきらめ、英語に切り替え

もはや数学の勉強が苦行と化してました。
何ヶ月経っても全く前に進まないのです・・

膨大な時間をかけても遅々として進まぬ数学を一旦あきらめ、
英語の勉強を始めることにしました。
高2の1月のことです。

通信添削Z会の東大受験コースの
英語の添削問題から取りかかりました。

見たこともない長文です・・
出てくる単語の意味がことごとく分かりません。
最初の3行で絶望感に襲われました。

そこで、傍らに英和辞典を置き、
出てくる単語を片っ端から調べて、
その意味を傍に書き込んでいきました。

単語の意味は何となく分かったのですが、
今度は助詞の解釈に苦しみます。
例えば、「what」です。
この単語は疑問文の最初に出てくる印象なのですが、
文章の途中に突然出てきたり、
意味が「何を」なのか「~するところのもの」なのか
複数あったり・・
あとは「to」も。
1つの文章の中に2回も出てきたときは混乱しました。

結局、個々の単語の意味は辞書を使えば何となく分かるのですが、
助詞の意味がつかめないので、文章として読めませんでした。
ただ、何となく「ああ、社会問題のことを述べているんだな」というように
雰囲気で長文を捉えることしかできなかったのです。








中学の頃は優等生だったのだが・・

私は岩手県出身です。

中学1年の春に、宮城県仙台市に引っ越しました。

通うことになった中学校の生徒たちは、
当然ながら地元の小学校出身となります。

その中に、見知らぬ者がひとり・・
「誰だアイツは?」となりますよね。

やがて、私のお郷が田舎であることがみんなに分かってしまうわけです。
東北一の都会である仙台からすれば、
田舎者である自分をクラスメートは執拗にイジメてくるわけです。

そんな毎日が苦痛でした・・

ではどうしたらいいか?
田舎出身である事実は変えられない・・
「勉強を頑張って見返す!」ことにしました。

中学1年の夏休み。
遊びたい気持ちを抑えて、予備校の夏期講習に通いました。
連日テキストに必死に向き合って・・

夏休み明けのテストで学年200人中1位となりました!
とにかく舐められたくない一心で頑張った結果でした。

これをきっかけに私をバカにする人は誰もいなくなったのです。
私はこの地位をキープするため、踏ん張りました。
中学3年間なんとか学年で10番以内の成績をキープしたのです。

幸か不幸か、私は
とにかくがむしゃらに頑張れば結果はついてくる
と思い込んでしまうのです・・














高校1年生 最終盤

結局、勉強は明日からしようと過ごすうちに1年生が終わりました。

成績は、学年360人中100番程度。
地元の東北大学合格圏内を何とかキープ。

勉強してなくても、テスト直前の勉強でそこそこの成績でした。

「本気を出せばいつでもトップクラスになれる」という
根拠のない自信がこの頃はまだありました。

何の危機感もなく、高校1年の終わりを迎えました。









東大現役合格まであと1年

偏差値30台の模試の結果が出たとき、
東大入試まであと1年しかないことに気がつきました。

「奇跡を起こすためには、とにかくがむしゃらに頑張るしかない」
と気合を入れました。

まずは英語を何とかしよう。
英語の勉強が軌道に乗ったら、数学に取りかかろうと。

毎日、Z会の通信添削の英語長文に向き合いました。
辞書を使って読みながら、和訳をノートに全部書き込んでいくのです。
読んでいる途中で分からない単語が出てきたら、
メモ帳にその単語と意味を書き込んでいきました。
長文1つを読むたびに、30個くらいの単語をメモ帳に書いてたと思います。

このやり方は、とにかく時間がかかりました。
1つの長文問題に7、8時間はかかったのではないでしょうか。
メモ帳に書き込んだ単語を暗記するために、
わら半紙に何回も何回も鉛筆で書きました。

これをひたすら毎日繰り返していったのです。








高校生活スタート

県内トップ進学校での生活が始まりました。

中学でトップクラスだった自分なら、
例えトップ高校であってもそれなりに頑張れば、
余裕でやっていけると思っていました。

自分は努力家であり、とにかく努力さえすれば成功すると思っていたからです。

部活は中学時代と同じく、テニス部に入部しました。
中学のままのやり方で過ごせば、万事うまく行くと思っていたのです。

しかし、新学年早々の実力テストで、
その希望は無残にも打ち砕かれることになります。

テスト問題を見ると、見たことがない難易度!
数学の問題は、複雑な数式の因数分解など、明らかに高校レベルでした。
どう解けばいいのか途方に暮れるばかりでした・・

何も手ごたえがないまま、テスト終了。
後日、結果が渡されました。
360人中200番位。

仙台市の精鋭が集まる学校とはいえ、
これまで優等生で走ってきた自分には受け入れがたい順位でした。

入学早々、大きな挫折を味わいました。
優等生だった自分のプライドが深く傷ついてしまったのです。












40歳の年に大企業に転職し、年収が200万円アップしました

皆さん、こんにちは!
福井ケンシロウと申します。

1978年生まれの43歳です。

私は3ヶ月の転職活動の末、
40歳になる年に大企業に転職できました!

これにより、年収が200万円もアップしました!

その年齢で大企業から内定をもらえるなんて、
「高学歴だったり、実績がスゴかったりするのでは?」
と思われるかもしれません。
きっと、これまで順風満帆の人生だったと思われるかもしれませんね・・

しかし、私の場合は全く違うのです!

大学受験に失敗し、2年間の浪人・・
やっと受かった大学は、全国的に無名の非一流大学・・。
将来の目標が何もなく、留年を経験・・
どこにも就職が決まらず、唯一内定をもらったのが超絶ブラック企業・・
やっと入れた会社で壮絶パワハラ受け、4ヶ月で早期離職・・
数ヶ月のニート生活・・
転職して7年の派遣社員生活・・
中小企業に転職したが、またパワハラ受け4ヶ月の休職・・

数えきれないほどの挫折を繰り返してきました

こんな私がなぜ中年になって大企業に転職できたのか?

そのノウハウを公開していきたいと思います!














2021年11月03日

高校受験

高校は宮城県でトップの公立高校を受験しました。
仙台二高という学校です。

毎年、東大には約15名、地元の東北大学にいたっては
約120名の合格者を輩出する進学校でした。

この高校に合格できる目安とされる
学年10位以内に私は常に入っていましたので、
合格できる自信はありました。

滑り止めとして私立高校も受験しましたが、
トップ高校に合格できる自信があったので、
私立高校に入学一時金は納付しませんでした。

つまり、背水の陣でトップ高校を受験することにしたのです。
いくら自信があるとはいえ、さすがに受験前日はあまり眠れませんでした。

当日は眠い目をこすりながらも、難なく試験問題を解くことができました。
手ごたえはありましたので、4日後の合格発表も見に行くことはしませんでした。

結果は、合格。
私の代わりに合格発表を見に行った母から聞かされました。
私としては特別な感激もなく、とりあえずホッとしたのを覚えています。

そして、合格発表から10日後。
仙台二高の体育館に合格者と父兄を集め、
学校説明会が開催されました。

入学早々、実力テストをすること。
出題範囲は中学で習った全範囲の応用問題に加え、
これから配布する高校の教科書からも一部出すとのこと。

そして、仙台二高の応援歌を収録したCDを渡されました。
全部で10曲ほどあったでしょうか。

学校創立は1900年で、歴史ある伝統校です。
そして、市内に同じくらい歴史ある仙台一高という学校があり、
毎年5月に野球部の定期戦を行うのです。

その試合を応援するため、全員が動員されるのです。
そしてそこで応援歌を絶叫するのです。

新学期早々、毎日放課後の応援練習を開始すると説明されました。
一人ずつ覚えてきた応援歌を披露させるので
それまでに応援歌をマスターしてくるようにと言われました。

ああー、合格して長い受験勉強からやっと解放され
15歳の春休みは思いっきり遊ぶぞ!と意気込んでたのですが・・

入学早々の実力テストの準備だけでも大変なのに、
意味不明な歌詞の応援歌を丸暗記なんて・・

意気消沈してしまいました。