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福井ケンシロウ
1978年生まれ、岐阜県在住です。コミュニケーションや同時並行作業をすることが苦手な性格です。これまで苦節に満ちた人生でした。浪人、留年、借金苦、詐欺・通り魔被害、ブラック企業就職、早期離職、ニート、転職先でパワハラ被害、うつ病で休職・・人生に失望し続けました。しかし、2018年40歳の年に大企業への転職を果たし、ようやく自分の居場所を見つけることができました。
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2022年04月02日

高校1年生 終盤

部活を辞め、とてつもない解放感を味わえました。
まるで刑務所で刑期を終えた囚人かのように。

さあ思う存分勉強するぞ!と意気込んだのですが・・

有り余るほど時間があるのです。
今までは授業が終わればすぐに部活が始まり、
日が暮れて真っ暗になるまでテニスボールを追っかけてました。

それが、授業が終わって、まだ日が高いうちから自由になるのです!
そして、一緒に街に繰り出そうと誘ってくるクラスメートがいます。

もう勉強なんていつでもできるし、いいや!
っていう気持ちになってしまいました。

思う存分勉強するという意思は、
もろくも崩れ去ってしまいました。









退部

2学期になる頃には、休みがない部活の過酷さに嫌気がさしてました。

ところで、私が通っていた高校は仙台の中心部にあり、
東北最大の繁華街・国分町や若者が集まる一番町には
自転車で10分の距離でした。

授業が終わると、帰宅部の連中は意気揚々と街に繰り出すのです。
その姿を見て、日に日に羨ましくなっていました。

この苦しい部活を続けた先には一体何があるのか・・
辞めてしまえば、思う存分遊べるし、いつでも勉強できるのではないか・・

部活を辞めれば全てが好転する気になっていました。

とある秋の日に、部活を辞めるべきか担任の先生に相談をしました。

答えはNO!
部活は続けるべき。辞めると成績が下がるゾ
と言われました。

そんなのウソだ、あり得ないと思いました。
辞めればいくらでも時間ができて、勉強時間が増える。
だから成績は上がるに決まっている。
私はとても担任の先生が言うことが信じられず、
その根拠を確認することはしませんでした。

そんな矢先、同じ部活のクラスメートが
「部活やめるわ。厳しすぎるもん」
と言って退部しました。
辞める際に顧問の先生には咎められなかったことを聞き、
私は安堵したのを憶えています。

私も辞めたいと思っていましたから。

そのクラスメートに釣られる形で、
結局、私は11月に退部しました。









高校1年生 夏休み

夏休みに3日間の休みを顧問の先生に申請しました。
理由を聞かれ、家族旅行だと伝えると激怒されました。
「そんなので休むなんてけしからん」と。

とりあえず休みはもらえましたが、
休み明けに部活に行くと、
練習をさせてもらえないペナルティーを受けました。
一日中炎天下で玉拾いをすることになりました。

この部活を続けていくためには、
あらゆることを犠牲にしなければならない・・
そう痛感するようになりました。

1994年の夏休みの出来事でした。












高校1年生

こうして高校での生活がスタートしたのですが・・

テニス部の活動に明け暮れる日々でした。
進学校でありながら、私が所属したテニス部は県内では有数の強豪でした。
顧問の先生がとにかく厳しかった。
土日も休みはありませんでした。
当時59歳の独身男性で、
家庭のことを考える必要がない人だったのでしょう。

勉強ができ、テニスも上手な先輩がおり憧れました。
しかし、自分は普段は全く勉強しませんでした。

当然、授業の内容は全く理解できず・・
とりあえずノートに板書を書き写してはいました。
定期テスト2週間前から部活が休みになるので、
その期間で必死に復習し、
なんとか学年360人中100番以内はキープしていました。

どうにか文武両道の生活を送っていましたが、
夏休みもない部活に嫌気がさしてくるようになったのです。













いきなりエンジン全開

クラスのビリレベルから東大に現役合格をするという奇跡を起こすために
全てを捧げる生活が始まりました。
今で言うビリギャルみたいなものでしょうか・・?

東大に受かるためには、どの科目のどの単元も完ペキでなければならない!

受験勉強を開始した高校2年の10月以降、
放課後は学校の図書室で午後5時の閉館まで勉強をしました。
その後は、2時間くらい学校の自習室で勉強をしてから帰宅しました。
今までとは全く別人格?の生活になりました。

数学の2次関数が完ペキになるまで、
問題集(学校配布のもの)を何度も何度も繰り返しました。

しかし、学校配布の問題集は解説が簡素でした。
答えは書いてあるのですが、なぜその答えに至るのかのプロセスが省かれているのです。
何回やり直しても、正解の出し方が分からない問題がどんどん増えて行くばかりなのです。

今思えば、その時は見切りをつけて先生や友人に
解き方を教えてもらうやり方もあったはずです・・
あるいは、おススメの参考書がないか友人に聞くべきでした。










しかし、頑張っている姿を知られたくなかったし、
自力で片づけなければならない、自力でできないはずはない
といったプライドが邪魔をして聞けずじまいでした。

17歳で味わった強烈な違和感

帰宅部なのに帰宅時刻は、毎日22時頃でした。
毎日放課後は遊び歩いてたのです。

悪びれることもなく、母が用意してくれた夕飯を食べながら
久米宏のニュースステーションを観るのが日課でした。

ニュース番組は連日、とある宗教団体が起こしたテロ事件の続報ばかりでした。
その中で気づいたことがあります。

この宗教団体は、東京の地下鉄でサリンを撒き、
何十名もの方々が亡くなるというテロ事件を起こしました。

この教団の幹部は皆、有名大学を卒業した精鋭たちばかりなのです。

ある者は化学の知識に長けサリンを精製し、
ある者は雄弁なスポークスマンとして教団の顔となり
連日の記者会見に臨んでいました。

出てくる人物は皆、学業優秀だったそうです。

私は強烈な違和感を覚えました。
確かに彼らは勉強はでき優秀なのに、
大量殺人事件を起こす宗教団体に入信してしまった人たちなのです。

勉強をして豊富な知識を持つようになれば、
誰からも尊敬される立派な人間になるのではなかったのか?
みんなが憧れるカッコいい人間になれるのではなかったのか?

勉強をして有名な大学に行けば、将来が約束される。
と、それまで自分が信じてきたものが、もろくも崩れ去ったのです。

毎日、黒板に向かう授業がたまらなく苦痛になってきました。
黒板に書いてあることや、教科書に書いてあることを覚えたところで、
そして、テストで良い点数を取ったところで一体何になるのか?と。

もう授業が、勉強が、死ぬほどつまらないのです。

そうして、授業中に居眠りしたり学校をサボったりするようになっていきました。










時は高校2年生へ

阪神大震災や、地下鉄サリン事件関連の報道を
テレビが連日伝えている時期でした。

その春に、高校2年生になりました。

クラスが変わったことで心機一転!ということもなく・・
1年生からの付き合いの悪友たち?と連日街に繰り出してました。

先回も述べましたが、通っていた高校は仙台市の中心部にあり
東北最大の繁華街・国分町や一番町まで自転車で10分の距離です。

当然ながら誘惑はいっぱいあります。

街に行けば、年頃の女子高生がいっぱいいますし、
ゲーセンやビリヤード、ボーリング場もあります。
映画館もあります。

放課後は気づけばいつも繁華街で遊んでしました。

その春には、飲酒デビューしました。
学校近くにある西公園で満開の桜の下で
深夜まで宴会をやったのです。
その後は、友人が所属する部活の部室で
夜が明けるまで騒いでました。

1995年当時は、携帯電話がまだ普及していない時代です。
帰りが遅くなることを親に連絡もせず、夜通し遊んでました。

とんでもない高校生ですよね・・









いざ受験勉強に取りかかってみた

文化祭が終わり、秋が深まってきた高校2年の10月。

意を決して勉強に取り組むことにしました。

志望大学は東京大学です。
中学時代の優等生プライドを消せなくて・・
実力が伴わない高望みをしていました。

この頃は既に授業の内容が理解不能となっていたので
1年生の単元から復習をすることにしました。

数学は2次関数から、英語は英単語帳(学校から配布されたもの)から
まずは始めてみました。
そして、東大合格者のほとんどが入会していたという
通信添削Z会に申し込み、添削を受けることにしたのです。








苦行の数学をあきらめ、英語に切り替え

もはや数学の勉強が苦行と化してました。
何ヶ月経っても全く前に進まないのです・・

膨大な時間をかけても遅々として進まぬ数学を一旦あきらめ、
英語の勉強を始めることにしました。
高2の1月のことです。

通信添削Z会の東大受験コースの
英語の添削問題から取りかかりました。

見たこともない長文です・・
出てくる単語の意味がことごとく分かりません。
最初の3行で絶望感に襲われました。

そこで、傍らに英和辞典を置き、
出てくる単語を片っ端から調べて、
その意味を傍に書き込んでいきました。

単語の意味は何となく分かったのですが、
今度は助詞の解釈に苦しみます。
例えば、「what」です。
この単語は疑問文の最初に出てくる印象なのですが、
文章の途中に突然出てきたり、
意味が「何を」なのか「~するところのもの」なのか
複数あったり・・
あとは「to」も。
1つの文章の中に2回も出てきたときは混乱しました。

結局、個々の単語の意味は辞書を使えば何となく分かるのですが、
助詞の意味がつかめないので、文章として読めませんでした。
ただ、何となく「ああ、社会問題のことを述べているんだな」というように
雰囲気で長文を捉えることしかできなかったのです。








中学の頃は優等生だったのだが・・

私は岩手県出身です。

中学1年の春に、宮城県仙台市に引っ越しました。

通うことになった中学校の生徒たちは、
当然ながら地元の小学校出身となります。

その中に、見知らぬ者がひとり・・
「誰だアイツは?」となりますよね。

やがて、私のお郷が田舎であることがみんなに分かってしまうわけです。
東北一の都会である仙台からすれば、
田舎者である自分をクラスメートは執拗にイジメてくるわけです。

そんな毎日が苦痛でした・・

ではどうしたらいいか?
田舎出身である事実は変えられない・・
「勉強を頑張って見返す!」ことにしました。

中学1年の夏休み。
遊びたい気持ちを抑えて、予備校の夏期講習に通いました。
連日テキストに必死に向き合って・・

夏休み明けのテストで学年200人中1位となりました!
とにかく舐められたくない一心で頑張った結果でした。

これをきっかけに私をバカにする人は誰もいなくなったのです。
私はこの地位をキープするため、踏ん張りました。
中学3年間なんとか学年で10番以内の成績をキープしたのです。

幸か不幸か、私は
とにかくがむしゃらに頑張れば結果はついてくる
と思い込んでしまうのです・・