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福井ケンシロウ
1978年生まれ、岐阜県在住です。コミュニケーションや同時並行作業をすることが苦手な性格です。これまで苦節に満ちた人生でした。浪人、留年、借金苦、詐欺・通り魔被害、ブラック企業就職、早期離職、ニート、転職先でパワハラ被害、うつ病で休職・・人生に失望し続けました。しかし、2018年40歳の年に大企業への転職を果たし、ようやく自分の居場所を見つけることができました。
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2022年04月02日

もう取り返しがつかなくなっていた

気づけば部活を辞めてから既に半年が経っていました。

授業には全くついて行けなくなってました。

40点未満の赤点を取るようになってました。

複素数、ドップラー効果、芳香族、ハーバーボッシュ法・・・
先生の口から出てくる単語が、外国語のように意味不明に聞こえます。
新たな知識に脳が拒否反応を示してました。
聞いても眠くなったり、耳に入ってこないのです。

もう完全に、高校生活で重要な勉強という分野から落ちこぼれつつありました。

放課後は繁華街のゲーセンに通う毎日。

しかしあることに気づくのです。
一緒に繁華街に繰り出すメンバーがいるものの、
彼らとは腹を割って話したことがないことを。

ただ一緒に暇つぶしをしてるだけ。
お互いどこか虚しさを覚えてたかもしれません。

勉強しなければと心のどこかで思うものの、
一体何から手を付ければいいのか・・

もう高校生活も折り返し地点に差し掛かっていました。









加速する堕落

もはや完全に勉強をする意欲も目的も失いました。

多感で充実した青春まっただ中の高校2年のはずが・・

無気力な毎日。
ただいたずらに時間だけが過ぎていく・・

放課後は悪友たちに行き先を任せながら、
ただ繁華街について行く。
夜遅くまで街を放浪し・・

帰宅しても勉強なんかすることなく、夜更かしの毎日でした。

深夜1時スタートのラジオ番組を聴くようになったのです。
オールナイトニッポンです。
松村邦洋や福山雅治やユーミンの大人のトークに夢中になってました。

この番組が終わるのは明け方3時です。
それから寝るのが日課でした。

当然ながら、朝起きるのがツライ。
遅刻の回数が増えていきました・・。

そして成績は下降線をたどる一方で、
気づくとクラスの周りから”落ちこぼれ”扱いされるようになっていたのです。









高校1年生で気づいたこと

高校1年の後半になって気づいたことがありました。

クラスを見渡すと、成績の良いヤツほど
あまり勉強しているように見えないのです。

一見チャラそうだし、授業中には居眠りしてたり、
ガリ勉とは程遠いタイプなんです。

今思えば、いつ勉強しているのか、どんなやり方で勉強しているのか
彼らに聞いておけばよかったなと思います。

しかし当時の私は、かつて優等生だった時のプライドが邪魔して
聞くことができませんでした。









高校1年生 終盤

部活を辞め、とてつもない解放感を味わえました。
まるで刑務所で刑期を終えた囚人かのように。

さあ思う存分勉強するぞ!と意気込んだのですが・・

有り余るほど時間があるのです。
今までは授業が終わればすぐに部活が始まり、
日が暮れて真っ暗になるまでテニスボールを追っかけてました。

それが、授業が終わって、まだ日が高いうちから自由になるのです!
そして、一緒に街に繰り出そうと誘ってくるクラスメートがいます。

もう勉強なんていつでもできるし、いいや!
っていう気持ちになってしまいました。

思う存分勉強するという意思は、
もろくも崩れ去ってしまいました。









退部

2学期になる頃には、休みがない部活の過酷さに嫌気がさしてました。

ところで、私が通っていた高校は仙台の中心部にあり、
東北最大の繁華街・国分町や若者が集まる一番町には
自転車で10分の距離でした。

授業が終わると、帰宅部の連中は意気揚々と街に繰り出すのです。
その姿を見て、日に日に羨ましくなっていました。

この苦しい部活を続けた先には一体何があるのか・・
辞めてしまえば、思う存分遊べるし、いつでも勉強できるのではないか・・

部活を辞めれば全てが好転する気になっていました。

とある秋の日に、部活を辞めるべきか担任の先生に相談をしました。

答えはNO!
部活は続けるべき。辞めると成績が下がるゾ
と言われました。

そんなのウソだ、あり得ないと思いました。
辞めればいくらでも時間ができて、勉強時間が増える。
だから成績は上がるに決まっている。
私はとても担任の先生が言うことが信じられず、
その根拠を確認することはしませんでした。

そんな矢先、同じ部活のクラスメートが
「部活やめるわ。厳しすぎるもん」
と言って退部しました。
辞める際に顧問の先生には咎められなかったことを聞き、
私は安堵したのを憶えています。

私も辞めたいと思っていましたから。

そのクラスメートに釣られる形で、
結局、私は11月に退部しました。









高校1年生 夏休み

夏休みに3日間の休みを顧問の先生に申請しました。
理由を聞かれ、家族旅行だと伝えると激怒されました。
「そんなので休むなんてけしからん」と。

とりあえず休みはもらえましたが、
休み明けに部活に行くと、
練習をさせてもらえないペナルティーを受けました。
一日中炎天下で玉拾いをすることになりました。

この部活を続けていくためには、
あらゆることを犠牲にしなければならない・・
そう痛感するようになりました。

1994年の夏休みの出来事でした。












高校1年生

こうして高校での生活がスタートしたのですが・・

テニス部の活動に明け暮れる日々でした。
進学校でありながら、私が所属したテニス部は県内では有数の強豪でした。
顧問の先生がとにかく厳しかった。
土日も休みはありませんでした。
当時59歳の独身男性で、
家庭のことを考える必要がない人だったのでしょう。

勉強ができ、テニスも上手な先輩がおり憧れました。
しかし、自分は普段は全く勉強しませんでした。

当然、授業の内容は全く理解できず・・
とりあえずノートに板書を書き写してはいました。
定期テスト2週間前から部活が休みになるので、
その期間で必死に復習し、
なんとか学年360人中100番以内はキープしていました。

どうにか文武両道の生活を送っていましたが、
夏休みもない部活に嫌気がさしてくるようになったのです。













いきなりエンジン全開

クラスのビリレベルから東大に現役合格をするという奇跡を起こすために
全てを捧げる生活が始まりました。
今で言うビリギャルみたいなものでしょうか・・?

東大に受かるためには、どの科目のどの単元も完ペキでなければならない!

受験勉強を開始した高校2年の10月以降、
放課後は学校の図書室で午後5時の閉館まで勉強をしました。
その後は、2時間くらい学校の自習室で勉強をしてから帰宅しました。
今までとは全く別人格?の生活になりました。

数学の2次関数が完ペキになるまで、
問題集(学校配布のもの)を何度も何度も繰り返しました。

しかし、学校配布の問題集は解説が簡素でした。
答えは書いてあるのですが、なぜその答えに至るのかのプロセスが省かれているのです。
何回やり直しても、正解の出し方が分からない問題がどんどん増えて行くばかりなのです。

今思えば、その時は見切りをつけて先生や友人に
解き方を教えてもらうやり方もあったはずです・・
あるいは、おススメの参考書がないか友人に聞くべきでした。










しかし、頑張っている姿を知られたくなかったし、
自力で片づけなければならない、自力でできないはずはない
といったプライドが邪魔をして聞けずじまいでした。

17歳で味わった強烈な違和感

帰宅部なのに帰宅時刻は、毎日22時頃でした。
毎日放課後は遊び歩いてたのです。

悪びれることもなく、母が用意してくれた夕飯を食べながら
久米宏のニュースステーションを観るのが日課でした。

ニュース番組は連日、とある宗教団体が起こしたテロ事件の続報ばかりでした。
その中で気づいたことがあります。

この宗教団体は、東京の地下鉄でサリンを撒き、
何十名もの方々が亡くなるというテロ事件を起こしました。

この教団の幹部は皆、有名大学を卒業した精鋭たちばかりなのです。

ある者は化学の知識に長けサリンを精製し、
ある者は雄弁なスポークスマンとして教団の顔となり
連日の記者会見に臨んでいました。

出てくる人物は皆、学業優秀だったそうです。

私は強烈な違和感を覚えました。
確かに彼らは勉強はでき優秀なのに、
大量殺人事件を起こす宗教団体に入信してしまった人たちなのです。

勉強をして豊富な知識を持つようになれば、
誰からも尊敬される立派な人間になるのではなかったのか?
みんなが憧れるカッコいい人間になれるのではなかったのか?

勉強をして有名な大学に行けば、将来が約束される。
と、それまで自分が信じてきたものが、もろくも崩れ去ったのです。

毎日、黒板に向かう授業がたまらなく苦痛になってきました。
黒板に書いてあることや、教科書に書いてあることを覚えたところで、
そして、テストで良い点数を取ったところで一体何になるのか?と。

もう授業が、勉強が、死ぬほどつまらないのです。

そうして、授業中に居眠りしたり学校をサボったりするようになっていきました。










時は高校2年生へ

阪神大震災や、地下鉄サリン事件関連の報道を
テレビが連日伝えている時期でした。

その春に、高校2年生になりました。

クラスが変わったことで心機一転!ということもなく・・
1年生からの付き合いの悪友たち?と連日街に繰り出してました。

先回も述べましたが、通っていた高校は仙台市の中心部にあり
東北最大の繁華街・国分町や一番町まで自転車で10分の距離です。

当然ながら誘惑はいっぱいあります。

街に行けば、年頃の女子高生がいっぱいいますし、
ゲーセンやビリヤード、ボーリング場もあります。
映画館もあります。

放課後は気づけばいつも繁華街で遊んでしました。

その春には、飲酒デビューしました。
学校近くにある西公園で満開の桜の下で
深夜まで宴会をやったのです。
その後は、友人が所属する部活の部室で
夜が明けるまで騒いでました。

1995年当時は、携帯電話がまだ普及していない時代です。
帰りが遅くなることを親に連絡もせず、夜通し遊んでました。

とんでもない高校生ですよね・・









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