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福井ケンシロウ
1978年生まれ、岐阜県在住です。コミュニケーションや同時並行作業をすることが苦手な性格です。これまで苦節に満ちた人生でした。浪人、留年、借金苦、詐欺・通り魔被害、ブラック企業就職、早期離職、ニート、転職先でパワハラ被害、うつ病で休職・・人生に失望し続けました。しかし、2018年40歳の年に大企業への転職を果たし、ようやく自分の居場所を見つけることができました。
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2022年04月02日

ついに英語の伸びが頭打ちに

高3の6月に全国模試を受けました。

英語の偏差値は60でした。

前回4月に受けた模試では65でしたので、
成績が下がってしまいました。

ここ数ヶ月英語だけを毎日5時間近く勉強していたので、
この結果はショックでした。

そして他の科目は相変わらず30台のまま。
全然手を付けてないから当然です・・

東大入試まであと8ヶ月。
それまでに全科目偏差値70台に到達させないと
現役合格は難しい。
しかし、一番得意としていた英語でさえ未達なのに、
残りの数学、国語、物理、化学の4科目を到達させなければならない・・

どう考えても不可能に思える状況です。
偏差値40前後の4科目を残り8ヶ月で
70台にさせなければならないのですから・・

「数学は明日からやろう・・」と心では思いつつ
何もしない毎日の繰り返しでした。








受験勉強は英語だけ・・

高3の5月。
受験勉強を始めてから7ヶ月が経過していました。

英語は、覚えた単語の数が増え、
徐々にですが辞書なしで英文を読めるようになってきました。

しかし、数学など他の科目は全く手つかずのままでした。

数学は、2次関数の途中で挫折したこともあり、
手を出すのが怖くなっていました。
物理、化学はまだ受験対策をしたことがなく、
一体何から手をつければいいのか全く分かりません。

それらの不安から現実逃避するため、
勉強し慣れている英語ばかりに取組む毎日でした。








高校時代の夢

私は高校の頃、天文学者になるのが夢でした。
小さい頃、父親が持っていた望遠鏡で
月や土星を見て感動したのがきっかけです。

天文学者になって毎日天文台で、
星の観察や研究をするのが憧れでした。

天文学者になるためには、
国立天文台に入ることが必要で、
そこに入るためには東大理学部を卒業するのが
最短ルートでした。

東大2次試験の科目は、
英語の他に数学、物理、化学、国語です。
合計5科目もあります。

高3の4月時点でようやく受験勉強の成果が出てきたのは
たった1科目英語のみ。
残り、4科目は全く手つかずでした。

Z会の問題用紙も、家の机の上に山積みの状況でした・・








英語に受験勉強の成果が!

高3の4月、全国模試を学校で受けました。
このとき、英語の偏差値が65になりました!

この2ヶ月間、毎日英文を読み込み、
和訳をノートに書き込み、
知らなかった単語をピックアップして暗記をしてきました。

その成果が出たのです。

その一方で、数学と化学の偏差値は30台のまま。
物理は40台でした。








高2の模試で偏差値30台

高2の2月、学校で全国模試を受けました。

英語が40、数学は35・・
散々な結果でした。

東大を目指すなら70、地元の東北大なら60は欲しいのですが・・
この程度の偏差値だと、
私の通う仙台二高では学年360人中、340番目くらいになります。

開始早々、解き方が分からない問題ばかりで
テキトーにちょこちょこ書いて
あとは寝ながらテスト終了を待つしかありませんでした。

学校のテストも同じような感じです。

本当にテストの時間が長く感じられて苦痛でした。

受験勉強を頑張っているのですが、
全然テストの成績が上がりません。

しかし、自分のやり方を疑うことはせず、
「頑張っているから、まあそのうちできるようになるだろう」
と楽観的に考えていました。








2次関数をマスターしようとしたが・・

東大現役合格という奇跡を目指し、受験勉強を開始した私。
まずは、高校数学で最初に習う2次関数をマスターすべく
学校配布の問題集から取りかかりました。

最初の何問かは解けるのですが・・
徐々に難易度が上がってくると途端に解けなくなりました。

解答集を見ても、解説がほとんど載っていないため
解き方が分からないのです。

私は完璧主義なため、分からない問題を飛ばすことができませんでした。

簡単な問題を何回も繰り返すうちに、難しい問題の解き方がひらめくことを信じて・・
2次関数の一番最初の問題から、解き直すやり方を毎日繰り返したのです。

受験勉強を開始して2ヶ月が経過した高2の12月。
私は苦しんでしました・・

2ヶ月前に解けなかった問題が、まだ解けないのです。
相変わらず毎日最初の問題からやり直していました。

一方で、行き詰まりの私なんか関係なく、
授業の方はどんどん前に進んでいきます。
この時期には微分積分が終わり、
そろそろ数VCに入ろうかという所まで進んでいました。

当然、学校のテストは全然解けません・・赤点連発です。
受験勉強を頑張っているのですが、全然結果が出ません。

まあ、当然ですよね。
受験勉強をフルマラソンに例えたら、授業はもう35キロ地点。
なのに私はまだ5キロ地点のあたりでしたから。
なのに、スピードを上げるどころか、毎日毎日スタートからやり直してる。
これでは、他のみんなに追いつけませんよね。

家に帰れば、机の上に通信添削(Z会)の問題用紙が山積みになっている。
開けてみると眩暈がするような難しい問題ばかり。
東大入試レベルのコースを申し込んだのですが、
全く歯が立たなくて問題が解けず、どんどん溜まっていく一方だったのです。









文化祭

高校2年の中盤になっていました。

友人の誘いもあり、文化祭の実行委員を務めていました。
仙台二高の文化祭は毎年、夏休み明けに開催されます。

私の任務は、文化祭当日に高校の正門に展示するモニュメントの建造です。
その年のモニュメントはインドのタージマハルを造ることになりました。

秋の文化祭の2か月前から準備を始めました。
学校の図書館にある世界遺産の図鑑を閲覧して、
モニュメントの外観を決めました。

角材を集めて、各クラスの実行委員と協力しながら、
適当な長さに切り、骨組みを組み立てていきました。
夏休み中、毎日のようにこの作業をしました。

学業が不振な中、コツコツ取り組み
日に日にモニュメントができ上がっていく過程は
高校生活で初めて味わう充実感でした。

作業が終わると、気分転換に委員を集めて
広瀬川の河川敷でソフトボールをやりました。

そして日が暮れると、仙台の繁華街に繰り出し
居酒屋で飲み会です。
当然メンバーはみんな高校生ですが・・

そんなこんなで、モニュメントは夏休み明けに完成し、
無事に文化祭を終えることができました。










もう取り返しがつかなくなっていた

気づけば部活を辞めてから既に半年が経っていました。

授業には全くついて行けなくなってました。

40点未満の赤点を取るようになってました。

複素数、ドップラー効果、芳香族、ハーバーボッシュ法・・・
先生の口から出てくる単語が、外国語のように意味不明に聞こえます。
新たな知識に脳が拒否反応を示してました。
聞いても眠くなったり、耳に入ってこないのです。

もう完全に、高校生活で重要な勉強という分野から落ちこぼれつつありました。

放課後は繁華街のゲーセンに通う毎日。

しかしあることに気づくのです。
一緒に繁華街に繰り出すメンバーがいるものの、
彼らとは腹を割って話したことがないことを。

ただ一緒に暇つぶしをしてるだけ。
お互いどこか虚しさを覚えてたかもしれません。

勉強しなければと心のどこかで思うものの、
一体何から手を付ければいいのか・・

もう高校生活も折り返し地点に差し掛かっていました。









加速する堕落

もはや完全に勉強をする意欲も目的も失いました。

多感で充実した青春まっただ中の高校2年のはずが・・

無気力な毎日。
ただいたずらに時間だけが過ぎていく・・

放課後は悪友たちに行き先を任せながら、
ただ繁華街について行く。
夜遅くまで街を放浪し・・

帰宅しても勉強なんかすることなく、夜更かしの毎日でした。

深夜1時スタートのラジオ番組を聴くようになったのです。
オールナイトニッポンです。
松村邦洋や福山雅治やユーミンの大人のトークに夢中になってました。

この番組が終わるのは明け方3時です。
それから寝るのが日課でした。

当然ながら、朝起きるのがツライ。
遅刻の回数が増えていきました・・。

そして成績は下降線をたどる一方で、
気づくとクラスの周りから”落ちこぼれ”扱いされるようになっていたのです。









高校1年生で気づいたこと

高校1年の後半になって気づいたことがありました。

クラスを見渡すと、成績の良いヤツほど
あまり勉強しているように見えないのです。

一見チャラそうだし、授業中には居眠りしてたり、
ガリ勉とは程遠いタイプなんです。

今思えば、いつ勉強しているのか、どんなやり方で勉強しているのか
彼らに聞いておけばよかったなと思います。

しかし当時の私は、かつて優等生だった時のプライドが邪魔して
聞くことができませんでした。