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2016年06月12日

藤田のサヨナラ打で、5月17日以来の5位に浮上。

 延長11回。2死から枡田が四球で歩き、代打後藤の右前打で一、二塁の場面でサヨナラ打!

<藤田選手のヒーローインタビュー>
記者:延長に入ってのサヨナラ勝ち、今どんなお気持ちですか。
藤田選手:そうですね…何も覚えてないです。

記者:ツーアウトランナー無しからサヨナラ勝ちとなりました。あの場面はどのように待っていたのでしょう。
藤田選手:慎太郎がフォアボールで繋いでくれて、後藤さんがしっかりヒットで繋いでくれたので、このチャンスは絶対モノにしたいなという気持ちで打席に入りました。

記者:初球厳しいボールが来ました。どのように待っていたのでしょう。
藤田選手:一球目が良いボールだったので、次はそこには来ないという気持ちで、逆方向に狙って行って、良い所に打てたんですけど、慎太郎がセカンドからホームまで凄い遅かったので、どうなるかなという気持ちだったんですけど、良く走ってくれました(笑)

記者:今日は途中出場になりましたが、最初はどのように見ていたのですか。
藤田選手:若い選手が3点を追いついてくれたので、自分の出番が来た時には、しっかり自分の仕事ができるように、たまにしか打たないですけど、期待してください!

記者:今日もたくさんのお客さんが声をかけてくれました。その声はどのように聞こえていましたか。
藤田選手:チームがこうやって苦しい中でも、ファンの方がこれだけ大勢スタジアムに足を運んでくれて、僕らの背中を押してくれるので、選手は本当に勇気づけられています。

記者:この広島戦は最初の一戦を取られて、そこから連勝になりました。何が大きかったですか。
藤田選手:昨日も若い選手が凄い頑張ってくれて、必死に後藤さんが、ベテラン組が活躍して、そして今日も若い選手が頑張ってくれて、もうそろそろベテランになる藤田が決めたって感じです(笑)

記者:若い選手にはまだまだ負けられないのではないですか。
藤田選手:そうですね。こうやって切磋琢磨したら、チーム力もどんどん上がって行くと思うので、これからの楽天を期待してください。

記者:この交流戦、次は巨人戦になるわけですが、次に向けて一言お願いします。
藤田選手:良い戦いが続いているので、あと交流戦2カードしっかり勝ち越して帰って来ます。

出身地 徳島県鳴門市
生年月日 1982年7月3日

(経歴)
徳島県立鳴門第一高等学校
近畿大学
横浜ベイスターズ
横浜DeNAベイスターズ(2005年-2012年6月)
東北楽天ゴールデンイーグルス(2012年6月-)

小学生の頃は父親が庭に設置した鉄板に朝6時半から約30分間、壁当てをしていた。「近所の親戚にとっては球が当たる『ボーン』という音が目覚まし時計代わり。聞こえないと、僕が体調を壊したのかと心配したそうです」と藤田は話している。

2004年ドラフト4位で横浜ベイスターズに入団。

2005年は二軍で遊撃手のレギュラーを獲得し、イースタン2位の打率.329、盗塁16の成績を残した。

一軍では2007年に仁志敏久が加入したため、ポスト石井琢朗として遊撃手の定位置を石川雄洋と争う。守備には定評があったが、打撃が力不足でなかなか定位置確保とはならなかった。

2009年は仁志の不振もあり、二塁手のレギュラーとして起用された。自己最多の120試合に出場、課題とされていた打撃も克服し石川を超える打率を記録、守備でも失策はわずか6だった。

2010年はホセ・カスティーヨの加入によりスタメンの機会が大幅に減る。106試合に出場し打率は3割を超えたが、打席数は大幅に減った。

2011年はカスティーヨが解雇されたためレギュラー獲得かと思われたが、渡辺直人が入団し二塁手にコンバート。やはり控えに留まるが、2年連続で規定打席未満ながら打率3割をマーク。

2012年は三塁・遊撃の準レギュラーとして起用されていたが、6月24日に内村賢介とのトレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍することになった。Kスタに不慣れなためか当初はらしからぬエラーが目立った。

2013年は副キャプテンに任命され、ケガで出遅れるものの復帰後は二塁手のレギュラーに完全に定着。
打順は最終的に2番に固定され、高いバント成功率とチャンスでの勝負強さを発揮、初の規定打席到達で打率.275、打点48と成績を残し、優勝と日本一に貢献した。
守備では松井稼頭央と鉄壁の二遊間を結成し日々ファインプレーを連発。ゴールデングラブ賞&ベストナインを獲得するまでに至る飛躍の年となった。

2014年は選手会長に任命された。プロ入り10年目にして初めて全試合に出場した。オフに2年連続でゴールデングラブ賞&ベストナインに選出された。

2015年は他の打者達が打撃不振に陥る中で好調を維持し、2番、3番、5番といったなどクリーンアップを任されることもあった。6月20日のロッテ戦で肉離れを起こし、翌日に登録を抹消され、7月31日に復帰した後は三塁で起用されることも増えたが、9月29日のソフトバンク戦にて第一打席に死球を受け途中交代。この試合がシーズン最後の出場試合となった。シーズンでは満塁本塁打を2本放つなど、低調な打線の中で勝負強い打撃で一人奮闘した。

・・・「ウィキペディア」「ニコニコ大百科」より引用
タグ:藤田
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