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2016年05月27日

今江が打撃不振で2軍落ち

 今江は社会貢献活動もしており人間的にも素晴らしい選手である。梨田監督ならずとも、「早く立ち直ってほしい」
今季ロッテからFA移籍した今江は31試合に出場し、打率2割6分3厘、8打点にとどまっていた。

楽天 今江が打撃不振で2軍落ち、梨田監督「早く立ち直ってほしい」
スポニチアネックス 5月27日(金)15時47分配信
【楽天】今江が今季2度目の2軍落ち…梨田監督「責任を感じているのかも」
スポーツ報知 5月27日(金)20時30分配信

【関連記事】
釜田が抑えられたのは今江の声掛けもあったからだと思う
今江がロッテを退団、是非楽天に来てください!



今江 敏晃は、京都府向日市出身。 ≪出典≫ウィキペディア

生年月日
1983年8月26日

身長 180cm
体重 88kg

右投右打

守備位置
三塁手

プロ入り
2001年ドラフト3位

経歴

PL学園高等学校
千葉ロッテマリーンズ(2002年-2015年)
東北楽天ゴールデンイーグルス(2016年-)

 少年野球チームは向陽オックスに所属。中学3年生の時には、全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップで全国優勝を果たすと、ボーイズリーグの世界選抜として世界大会でも優勝。PL学園高で1年生時から4番に座り、2000年の夏の甲子園に出場するも、3回戦で敗退。当時の同級生には朝井秀樹、桜井広大、小斉祐輔らがいる。また1学年上に中尾敏浩がおり、二遊間を組んだ。高校通算本塁打は30本。

 2001年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3巡目指名を受け、入団。背番号は、PL学園高出身の先輩の得津高宏がかつて着けていた25。

 ポジションは三塁手だが初様の為に三塁手を譲って二塁手を守ったこともある。元々は遊撃手。三塁手の守備では日本トップクラスで守備範囲が広い上にエラーが少なく2005年〜2007年の3年連続三塁の守備率トップだった。

 2002年には、4月28日に、地元・関西の大阪ドームで開かれた対大阪近鉄バファローズ戦9回表に代打で一軍デビュー。同月30日の対福岡ダイエーホークス戦(千葉マリンスタジアム)では、遊撃手として一軍初のスタメン出場を果たした。その後に一時出場選手登録を抹消されるが、抹消後は二軍のレギュラーを獲得。後半戦に再び一軍へ登録されると、9月30日の対西武ライオンズ戦(西武ドーム)で一軍初安打。一軍公式戦全体には、15試合に出場。通算25打席で打率.200という成績ながら、2打点を記録したほか、5安打のう
ち3本が二塁打であった。

 2003年には、イースタン・リーグの選抜選手としてフレッシュオールスターに出場。1-3で迎えた8回裏1死満塁の打席で走者一掃の逆転三塁打を放ったことから、MVPに選出された。しかし、一軍公式戦には5試合の出場で、6打数2安打(打率.333、1二塁打)という成績にとどまった。

 2004年は遊撃手のレギュラーに小坂誠がいたため、強肩を生かして外野手へのコンバートを打診されたが、内野手をやりたいという自身の希望で三塁手にコンバート。6月から初芝清やマット・フランコらと三塁手のレギュラーを争う活躍を見せ、6月にはプロ初本塁打を記録。しかし、投球を手に受けたこと(スイングしていたため、判定はストライク)による故障により41試合の出場に留まる。

 2005年にミスターロッテ、有藤道世がつけていた背番号8に変更。レギュラーに定着し打率.310、二塁打はリーグトップの35本を放つ。日本シリーズでは第1,2戦における8打席連続安打と、シリーズ打率.667という二つの日本シリーズ新記録を樹立、MVPを獲得するお祭り男ぶりで、ロッテ31年ぶりの日本一に大きく貢献した。

 2006年はWBCに出場。世界大会であるために短期間ではあったがイチローとチームメイトになった。ところがその後の2006年、2007年は不調・ケガに見舞われ打率3割を大きく下回る苦しいシーズンとなった。

 2008年は9月7日までに117試合で打率.309、12本塁打と3年ぶりの3割と自身初の2桁本塁打と順調にきていたが、死球によるケガ(右尺骨骨折)で離脱。フルシーズンの成績とはならなかったものの、復調を感じさせるシーズンだった。しかし、2009年は再び成績を落とす。60打点を挙げたが、打率は.247と前年を大きく下回った。

 2010年も9番で開幕を迎えたが、荻野貴司の離脱もあり2番を任され、打撃が好調であったことからシーズン後半は5番や6番での出場も増えた。最終的にリーグ3位の打率.331、3年ぶりの二桁となる10本塁打をマークし、完全復活となった。2005年同様日本シリーズで打ちまくり、2度目のシリーズMVPを獲得。

 2011年は統一球の影響もあり打率.269、8本、21打点と成績を落とした。

 2012年はキャプテンに就任。前半戦は好調だったものの持病の腰痛の悪化もあり、徐々に成績を下げ、8月以降はルーキーの鈴木大地との併用になることもあった。最終的には 打率.253、6本、47打点とさらに成績を下げた。

 2013年も開幕当初は.250辺りをさまよい相変わらずの低空飛行だったが、他の選手を置くとなぜか成績が落ちてしまっていた魔の4番に今江を抜擢。すると別人のように打撃が絶好調となり、1か月もたたずに3割を超え、そのまま好調をキープ。ペナントレース終了間際でもロケットダッシュをかけ、最終的には.325でまさかの打率2位。本塁打も3年ぶりの二桁に10本に乗せ、3年ぶりに復活。

 2014年は故障に悩まされ、打率.270、54打点と数字を落とした。

 2015年は本塁打こそなかなか出なかったが、開幕から4番に座って3割前後の打率を残た。7月には調子を徐々に上げていたが、7月14日のオリックス・バファローズ戦の8回の打席で左手首に死球を受け、左尺骨骨折、左橈骨剥離骨折という重傷を負って登録を抹消され、復帰までにおよそ2ヶ月を要した。
9月10日に復帰を果たすが、復帰後の打率は.225と調子を落とし、本塁打も前半戦に記録した1本にとどまった。CSファーストステージでは第1戦で大谷翔平の159km/hの直球をはじき返してタイムリーを記録した。オフにFA権を行使し、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した。背番号8。


 イチローの大ファンで、WBCでは川崎宗則とどっちがイチロー好きかを勝負したり、イチローの隣の席を奪い合ったりした。

 そのWBCの韓国戦では三塁への送球を落球、決勝点の原因を作ってしまい「もう日本に帰っても生きていけない」と思ったという。しかし決勝では2点タイムリーヒットを放ち名誉挽回、WBC初代王者に貢献した。(5試合に出場し4打点)

 PL学園時代部内で暴力事件を告発され、1年間の対外試合禁止処分で最後の夏を迎えられず引退したが、後に被害者は「今江先輩も同じに扱われるのは可哀想。今江先輩はいい先輩であり、全く事件には加担していなかった」と語っている。

 まだ一軍レギュラーに定着できていない2004年に20歳で結婚、若者が勢いで結婚したのかと思われたが、奥さんは三十路で結婚適齢期だった(つまり10歳年上の姉さん女房)。野球界では年上夫人は良いとされている。

実際、結婚した翌年に今江はブレイクしている。

 今江夫人は「ジャンクSPORTS」にプロ野球選手の妻として出演。今江がチャンスで打てずに帰宅した後、一人部屋で泣いていると語った。


<打撃>

 広角にライナー性の強い打球を放つ打撃を持ち味とする。2008年にはボール球スイング率36.6パーセント、翌2009年には同43.2パーセントを記録するなど、ボール球でも強引に振りにいく積極的な打撃を見せ、それ故に四球は少ない。

<守備・走塁>

 守備では三塁手として起用され、2005年シーズン中盤まで、半身に構える独特のスタンスで守備に就いていた。三塁守備は打球反応や出足の速さ、グラブ捌き、スローイングのいずれも高いレベルにあり、ライナー性の打球やフライに強く、2005年から4年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。

 走塁面では盗塁の試行数は多くないものの、右打者ながら一塁到達まで3.85秒を記録するなど全力疾走を怠らない。

<社会貢献活動>

 ロッテ時代の2006年に『24時間テレビ 「愛は地球を救う」29』(日本テレビ)で「群馬アトム」(群馬県の障がい者野球チーム)に所属する投手の練習映像を偶然見たことをきっかけに、同年11月から「群馬アトム」との交流を開始。自身が出場する試合に関係者を定期的に招待したり、シーズン終了後に練習へ参加したりするなど、現在まで交流を続けている。

 また、東日本大震災(2011年)では、当時住んでいた千葉県浦安市内の自宅が液状化現象の被害を受けた。この経験に加えて、ロッテ球団の職員に被災地・福島県いわき市の出身者がいることから、現地の小・中学校を定期的に訪問。現在では、「今江スマイルプロジェクト」と称して、以下の活動も長期にわたって続けている。このような活動が評価されたことから、2015年のシーズン終了後には、第17回ゴールデンスピリット賞を受賞した。
 
 ペットボトルのキャップの選別作業で生計を立てている障がい者の社会進出を支援する目的で、キャップの収集を呼び掛けるとともに、集まったキャップを選別作業所へ随時届けている。

 ロッテ時代には、千葉マリンスタジアム(QVCマリンフィールド)での主催公式戦に、県内の児童養護施設の関係者を定期的に招待。シーズン終了後も、施設を訪問することによって、施設で暮らす子どもたちと定期的に交流している。2015年9月には、白血病を患う少年と、その家族を試合に招いたこともあった。

 「ミルフィーユ小児がんフロンティアーズ」(小児がん患者を支援するNPO法人)の理事を、夫婦で務めている。2010年からは、「公式戦1打点につき1万円」という単位で、同法人への寄付を開始。2015年までに、総額で303万円の寄付金を贈呈した。また、同法人を通じて、小児がんや脳性まひを抱える少年少女と交流する機会を定期的に設けている。

 2015年11月26日のゴールデンスピリット賞授賞式では、副賞の200万円を寄付することを表明するとともに、(当時未発表だった)楽天への入団が決まった場合にも活動を継続することを示唆。楽天への入団発表直後(同年12月15日)には、ロッテ時代に続いていわき市を訪れるとともに、現役を引退してからも同市との交流を続ける意向を示している。

<その他>

 ゴリという愛称からかファンからバナナをプレゼントされたことがある。しかし、今江の好物はソーセージであり、公式サイトの好きな食べ物の欄にソーセージと書くほどである(千葉マリンスタジアムで販売されるマッチカードプログラムの4コマ漫画でもネタにされた)。 2008年シーズンは故障でファーム調整に入った後、“クライマックスシリーズに一緒に行こう!”と、本人と同じ背番号のユニフォーム・同じリストバンドを着けさせ、サングラスを掛けさせたゴリラのぬいぐるみが“本人代理”としてベンチに同席した。

 元横浜DeNAの神内靖投手とは同級生で京都のリトル・リーグ時代から対戦しており現在も交友がある。プロ野球選手として初めての対戦となった試合で、今江は当時福岡ダイエー所属の神内からプロ入り一号本塁打を放っている。この時、今江は骨折からの復帰戦で放った本塁打であり、当時交際していた現在の夫人へとそのボールを渡そうとしていた為、様々な手を尽くしてそのボールを得たという。
 
 2006年ワールド・ベースボール・クラシックの二次予選・韓国戦でセンター金城龍彦からの返球を落としてしまい、さらに「落としていない」とアピールする間にバッターランナーに二塁への進塁を許してしまった(記録にはエラーはついていない)。結果的にこのアピールによって決勝点を挙げられ、「もう日本に帰っても生きていけない」と考えるほどに思いつめたという。しかし決勝では2点タイムリーを放った。

 そのWBCでチームメイトだった岩村明憲がメジャーリーグに移籍する際、アメリカの公式サイトにて写真が岩村ではなく今江だった、という事件が起きた。偶然にも、マリーンズの三塁手の前任者・初芝清にも同様の事件が起きている(アメリカのスポーツニュース番組でイチローの紹介があった時の顔写真が初芝だった)。

 2006年12月28日の契約更改時、当初は「推定300万増の年俸5800万円」と報道された。しかし翌日、今江自身が「300万アップではなく、1000万アップ」と異例の修正コメントを提出。増額公開の理由は「これだけ貰う選手である、というプライドがある。そして球団に評価して貰ったということを伝えたかった」と表明した。

 京成バスの幕張本郷駅―千葉マリンスタジアム間路線でのロッテ選手音声による自動放送車内アナウンスが流されており、そのうち今江は「皆が気持ちよく利用出来るよう、空き缶、新聞・雑誌は車内に置き去らず、持ち帰って」といった内容を担当している。

 ピアノが上手で、母校の卒業式に訪れてピアノを演奏したことがある。

 ロッテ時代の2006年6月11日には、千葉マリンスタジアムの対読売ジャイアンツ(巨人)戦3回表2死1塁で、かつてのチームメイトであった李承Yがロッテ先発の渡辺俊介からライトスタンドへ本塁打を放った。しかし、一塁から本塁へ生還した小関竜也が三塁を踏み忘れていたことを、三塁手の今江が三塁塁審の西本欣司にアピール。さらに、西本が小関の得点の取り消しを宣告されたことによって、スリーアウトチェンジで巨人の攻撃が終了した。ちなみに、公式記録では、李承Yの一打が単打として扱われている。

 ロッテ時代の2015年には、佐藤健、加藤茶、マーくん(球団公式マスコットキャラクター)などと共に、親会社の製品(アイスクリーム)である「爽」のミュージックビデオ「爽だ♪いい湯だな♪2015」へ出演。同年4月13日からは、この動画が同製品のスペシャルサイトで配信された。7月12日の対福岡ソフトバンクホークス戦(QVCマリンフィールド)の試合前には、チームメイトの角中勝也・香月良仁と共に、親会社の製品である冷菓を球場のゲート付近で数量限定販売。今江は、「クーリッシュ」の売り子を務めた。

 2015年5月8日には、QVCマリンフィールドの対西武戦6回表1死2・3塁で、三塁手として栗山巧のファウルフライを追っていた今江が西武の三塁コーチ・奈良原浩と衝突。今江が左手に付けていたグラブが弾かれるほどの激しい衝突だったが、三塁塁審の敷田直人は、奈良原に対して守備妨害を宣告した。

 2015年6月3日の対阪神戦(前述)では、4回表の第2打席で二塁打を放ったものの、チームは6回裏終了の時点で8点差を付けられていた。しかし、7回表に先頭打者として第3打席で三塁打を放つと、2死1・2塁で迎えた第4打席に松田遼馬からシーズン初本塁打(3点本塁打)を記録。この本塁打でチームを同点に導いたばかりか、今江自身にもサイクルヒット達成の可能性が残った。しかし今江は、9回表2死3塁で迎えた最終打席に、安打性のレフトフライで凡退。チームも延長10回裏に、鳥谷敬の犠牲フライでサヨナラ負けを喫して
いる。
 
 楽天移籍後の2016年3月29日には、古巣・QVCマリンフィールドでのロッテ戦に、「5番・三塁手」としてスタメンで出場。楽天の一員として初めて同球場での公式戦へ登場したにもかかわらず、古巣のロッテファンからブーイングを浴びせられるどころか、大きな歓声と温かい拍手で迎えられた。
タグ:今江敏晃
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