人は何か相手に対し過ちを犯した時、「水に流して」と、依頼懇願する。
昔は日本に限らず世界中いたるところでゴミから死体迄、何でも川に流してきた。
所謂、水に流してしまう行いが、平気でなされてきていたのである。
目の前から流れ去ってしまうと、人は落ち着くようである。
川から海に流れ去れば、自然の浄化作用で処理されてきたようである。
人口の増加に伴いこの無責任な行いは、悪行になってきたのである。
そもそも川は、巨大なゴミ捨て場であったと思われる。また文明の発祥地でもあったのである。
エジプト文明のナイル川、メソポタミア文明のチグリス・ユーフラテス川、インダス文明のインダス川、
黄河文明の中国の黄河である。日本でいえば京都の鴨川、江戸の隅田川であろうか。
京都では死体を鴨川に流していたという。
所謂水葬である。
この水葬を最近までインドにおいて、聖なる川ガンジス川で行われていたのである。
川へ流し、神のもとへ送ろうという信仰心から川へ死体を捨てる人が多いらしい。
しかもその脇で沐浴すらしている光景をテレビで見た記憶がある。
但し、最近では川の汚染が進みすぎたため死体投棄は法律で禁止されてきているようだ。
日本でも、江戸時代までは多くのゴミは川に流されていたようであるが、自然の浄化作用の許容量を上回る
廃棄物が汚濁を極め始め、時の幕府は川に紙一枚も流してはならないと、触れを出したらしい。
流して良いものは何故かネズミの死体は良かったらしい。
しかし、禁止されても人の行いが止まるはずはないのは、今も昔も同じことである。
近代に入ると、川は今迄にない大きなゴミ捨て場になり、川の浄化作用能力を超える程のどうすることも出来
ない物量が流され、人害が公害にかわってきたのである。
公害が新聞マスコミで大々的に取り上げられ始め、世間で漸く対策に乗り出し今日に至っているのである。
2020年10月24日
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