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2022年02月14日

法雨を受け取る信仰が肝要であること

一、「等雨法雨(等しく法の雨を雨らす)(等しき法の雨雨る)」の事
仰せに云わく、「等」とは、平等のことなり。善人・悪人、二乗・闡提、正見・邪見等の者にも、妙法の雨を惜しまず平等にふらすということなり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1152頁(御講聞書)

日蓮仏法の功徳は、雨が等しくすべてのものを潤すように、どのような人々にも平等に降り注ぎます。

ここに差はないのですね。邪見の者にも妙法の功徳が降り注ぐのですから、その余の人々に降り注ぐのは当然ですね。

仏法においては、まず、すべての人々に功徳の雨を降らせるのですね。ただ、その後、いつまでも邪見のままであるならば、無間地獄となります。まずは、功徳を与えるのが仏法のようです。この意味で平等なのですね。

ただ、その後が問題ですね。信仰をするのか、邪見のままであるのかという点において差が生じます。いくら仏が慈悲深かろうとも、信仰をしない人に対しても平等とするわけにはいきません。やはり、信仰のあるなしという差があるならば、然るべき報いで違いを出す必要があります。

信仰がある人には仏界の境涯、邪見の者には地獄界の境涯という風に差をつけるのですね。

仏は、常に平等に妙法の雨を降らしますが、そのチャンスをものにすることが肝要です。受け手である我々が信仰によって、その妙法の雨を自らのものにできるか、そこがポイントですね。

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2022年02月13日

日蓮仏法は平等の法門

今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、男女・貴賤共に「無上宝聚 不求自得(無上の宝聚は、求めざるに自ずから得たり)」の金言を持つ者なり。智者・愚者をきらわず、ともに即身成仏なり云々。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1140頁(御講聞書)

日蓮仏法を信仰する人は、男であろうと女であろうと、また、貴い立場の人も賤しい立場の人も共に仏法の宝を得ることができるといいます。

差別のない平等な世界観が示されています。また、智慧のある人だけでなく、愚か者であっても、信仰によって即身成仏できると言っています。確かに、智慧、知識が重要ですが、やはり、根本は信仰なのですね。そうでなければ、愚者が即身成仏できるという法門にはなりません。

人はそれぞれ個性がありますが、それは、言葉を変えると男女の差、貧富の差、才能の差といえます。この差によって、成仏できるか否かが決まるとするならば、差別の法門になってしまします。やはり、日蓮仏法は平等の法門であり、信仰さえあれば、どの立場、どのような能力であろうと成仏が可能とする法門です。この点に根本的な救いがあるといえましょう。

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2022年02月12日

簡単に仏になれる?

今、日蓮等の類いは、題目の法音を信受する故に、疑網さらに無し。「如我等無異(我がごとく等しくして異なることなし)」とて、釈尊と同等の仏にやすやすとならんこと疑いなきなり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1135頁(御講聞書)

日蓮仏法の信仰をすると釈尊と同等の仏にやすやすとなれるという御文です。簡単に仏になれると言っています。

本来、仏になることは、自らの中にある仏性を顕現化させることですから、難しいことではないのかもしれませんね。しかし、我々には、疑う気持ちがあります。この御文では、「疑網」と表現していますが、このような自分は仏になれないのではという疑いがあると仏になれなくなります。「疑網」がなければ簡単に仏になれるが、「疑網」があると仏になれないということですね。

簡単に仏になれますよと言われ、「そんなわけはない」と反応することは、まさに「疑網」の状態であり、その「疑網」に基づき、仏になれないという結果になります。

いかに「疑網」を取り除くか。ここに我々の信仰があるように思えてなりません。

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2022年02月11日

礼儀は人のためでもあり、自分のためでもあること

鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり云々。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1071頁(御義口伝)

人に頭を下げることを異常に嫌う人は、礼儀は人のためにするものだと思い、礼などするものかと思い上がっていますが、この考え方が誤りであることを示している御文です。

確かに礼儀は人のためですが、同時に自分のためでもあるのですね。鏡の譬えを使って分かりやすく説明されている御文です。

このことから考えますと、人に頭を下げることを異常に嫌う人は、実は自分に対する礼を失しているといえるでしょう。ある意味、自己肯定感が低いことのあらわれともいえましょう。自分は偉いのだと自己肯定したいにも関わらず、実は、自己肯定感が低いという歪な状態ですね。

やはり、礼儀のない人はおかしいということです。自己分裂の状態の人ですからね。

我々としては、本尊に向かい礼拝をしますが、本尊がまさに我々であるわけですから、自分に礼拝をしていることになります。自分自身を絶対的に肯定する法門が日蓮の法門です。日々、礼拝をしていきたいものですね。

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2022年02月10日

功徳とは何か

詮ずるところ、今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「六根清浄」なり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1062頁(御義口伝)

六根とは、「眼根」、「耳根」、「鼻根」、「舌根」、「身根」、「意根」の6つのことですね。この六根が清浄になるとは、眼、耳、鼻、舌、身、意の煩悩のけがれが落ちて清らかになることです。身も心も清々しい状態になることですね。南無妙法蓮華経と唱えると六根清浄になるという。唱えないわけにはいきません。
「功徳」とは、即身成仏なり。また「六根清浄」なり。
同書 同頁

六根清浄とは、功徳なのですね。即身成仏が功徳というのはその通りと思いますが、六根清浄も功徳という点は見逃してはなりません。身も心も清らかになることそれ自体が功徳ということです。自分の外から、なにがしらの利益を得ることが功徳と考えてしまいがちですが、自分の外に求めなくとも、自分の身と心に功徳の源泉があるのですね。

この御文からも南無妙法蓮華経と唱える意義が明確になります。

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2022年02月09日

我が身が本尊となるような信仰

本尊とは、法華経の行者の一身の当体なり云々。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1059頁(御義口伝)

本尊とは何なのか。非常に大きいテーマです。日蓮仏法でいえば、大曼荼羅が本尊ですが、その本尊とは、法華経の行者の一身の当体であるという。信仰心が透徹している法華経の行者は、その身そのまま本尊であるというのですね。

本尊といえば、自分の外にあると思いがちですが、そうではないのが日蓮仏法なのですね。我々としては、我が身が本尊であるといえるほどの信仰心を持ち、法華経の行者たるべきでしょうね。

日々の勤行は、まさに我が身が本尊であることを確認する作業といってよいでしょう。また、法華経研鑽、御書研鑽も我が身が本尊であることを確信するために行うことといえましょう。

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2022年02月08日

妙法の大良薬を服用すればよいこと

妙法の大良薬を服する者は、貪・瞋・癡の三毒の煩悩の病患を除くなり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1052頁〜1053頁(御義口伝)

煩悩の根本は、貪、瞋、癡です。合わせて三毒といわれていますね。貪は、むさぼることであり、瞋は、いかりの状態であり、癡は、愚か者の状態ですね。

十界論でいえば、地獄(瞋)、餓鬼(貪)、畜生(癡)となりますね。この三毒、三悪道の煩悩という病を治す薬が妙法といっています。

我々が為すべきことは、「妙法の大良薬を服する」ことです。そうしますと、貪、瞋、癡が除かれます。非常に結構な話と思います。ただただ、妙法を自分の中に取り入れるだけでいいのですから、これほど簡単なことはありません。

しかし、妙法を服する人は非常に少ない。宗教なんか、仏教なんかという感覚が現代人にあるようで、大した科学的知見があるわけでもない割には、科学的にどうのこうのと能書きを垂れます。要は信仰心がないだけなのですが、この信仰心がないという点は、由々しき点でしょうね。

我々は、法華経信仰、御書信仰で生きていきたいですね。

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2022年02月07日

変なことを言う人を避けましょう

成仏するより外の「神通」と「秘密」とはこれ無きなり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1049頁(御義口伝)

仏法の根本義は、成仏することにあります。ここを外して仏法はないですね。

宗教の世界では、神通力、秘密ということを強調する人々がいます。超能力的なものを強調してみたり、秘された法門があると言ってみたり、所謂、怪しいことを言い出す人々がいます。しかし、これらは、偽物ですね。

日蓮からすると成仏すること以外に「神通」も「秘密」もないわけで、自分だけが特別の能力を持っていると触れ回る人間は、相手にしないことですね。特に宗教の世界では、このような人が多いので注意する必要があります。

変な教義に囚われることなく、法華経、御書を読みながら信仰していくのがよいですね。

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2022年02月06日

如来とは誰か

今、日蓮等の類いの意は、総じては「如来」とは一切衆生なり、別しては日蓮の弟子檀那なり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1048頁(御義口伝)

「如来」は仏の十号のひとつです。よって、仏と考えてよいですね。この「如来」とは誰のことなのか。日蓮によると一切衆生なのですね。個別にいうと日蓮の弟子檀那となります。

如来となるために信仰をしているわけですね。この一節は御義口伝の寿量品二十七箇の大事の中にある御文です。寿量品といっても正式には、如来寿量品であり、如来が付いています。如来の意義を踏まえながら寿量品を読むことが肝要ですね。

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2022年02月05日

自分以外に仏を求めないこと

仏身を持つとは、我が身の外に仏無しと持つを云うなり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1035頁(御義口伝)

仏というと自分の外にあるものであり、縁遠いもの、雲の上のものと思いがちです。しかし、日蓮は、我が身が仏であるといいます。

仏法を信仰するわけですから、仏になることが最重要課題です。その仏が自分の中になければ、仏になることなどできません。また、仏法を説く必要性もないでしょう。こう考えれば、当たり前のことなのですが、いざ、信仰をはじめますと、仏という崇高なものは自分とかけ離れたものと思うのですね。常に、仏とは我が身にあるという信仰を持ち続けるようにすることが大切ですね。

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