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2023年01月29日

「不自惜身命」の正しい意味

衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山
創価学会教学部編. 妙法蓮華経並開結 (Kindle の位置No.13007-13013). 創価学会. Kindle 版.

「不自惜身命」とありますので、そのまま読めば、自らの命を惜しまないでという意味にとれますが、本当に命を惜しまないでという意味なのでしょうか。

気になりましたので、サンスクリット語からの翻訳を確認してみました。
それらの衆生たちが素直で、柔軟で、温和で、また愛欲を離れた状態になったとき、そこにおいて私は、声聞たちの集団(声聞僧伽)を形成して、グリドラクータ山(霊鷲山)に自身〔の姿〕を現わすのである。
植木雅俊訳『梵漢和対照・現代語訳 法華経』下 岩波書店 239頁

「不自惜身命」に該当すると思われる箇所は、「愛欲を離れた状態」のところですね。

単に命を惜しまないでという意味ではなく、愛欲にまみれた煩悩の命を離れた状態という意味なのですね。

自らの命そのものを捨てるのではなく、煩悩まみれの程度の低い命、愛欲だらけのみっともない命を捨てよというメッセージなのですね。

そうすると、仏と共に霊鷲山に至ることができるという。つまり、成仏できますよということですね。

「不自惜身命」という言葉だけに囚われますと、自らの命を大切にしないという間違った修行をする可能性がありますが、サンスクリット語からの翻訳も確認することで、正しく法華経を理解し、正しく修行することができます。自らの低い境涯を捨て、高い境涯を目指すという仏道修行ができるのですね。

確かに、「不自惜身命」は、力強い表現ですので、インパクトはあるのですが、インパクトがありすぎる分、誤解する人間も出てくると思われます。地道な研鑽を通した上で実践に至りませんと危険ですね。

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2023年01月01日

観心本尊抄の核心

今、本時の娑婆世界は、三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏、既に過去にも滅せず、未来にも生ぜず、所化もって同体なり。これは即ち己心の三千具足、三種の世間なり。
『日蓮大聖人御書全集』新版 136頁 (観心本尊抄)

この部分は、「四十五字法体段」といわれています。漢文で漢字四十五字からなっているのでそう呼ばれているのですね。確認してみましょう。

今本時娑婆世界離三災出四劫常住浄土 仏既過去不滅未来不生 所化以同体 此即己心三千具足三種世間也

確かに四十五字になっていますね。

この箇所は、観心本尊抄の核心部分ですね。我々が住むこの世界が浄土であると示した御文です。

そして、仏は、常住であり、また、我々も常住であるという。つまり、仏と我々が一体であることを示しているのですね。我々が成仏できることを明確にした御文といえるでしょう。

依正不二をもあらわしており、環境と我々とが切っても切れない関係であることを示しています。

我々の住む娑婆世界を浄土にするのは、我々の信仰、生き方、振る舞いにかかっています。いくら娑婆世界が浄土といっても、何もしなければ浄土にはなりません。やはり、我々がことを起こす必要があるのですね。その根本に信仰があり、その上で行動していけば、この世の中は浄土に近付いていきます。所詮は、我々次第であることを教えてくれる御文ということですね。

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2022年11月18日

宗教が絡むと変なことを言い始める傾向があるようです

 問うて云わく、如説修行の行者と申さんは、いかように信ずるを申し候べきや。
 答えて云わく、当世日本国中の諸人一同に、「如説修行の人と申し候は、諸乗一仏乗と開会しぬればいずれの法も皆法華経にして勝劣・浅深あることなし。念仏を申すも、真言を持つも、禅を修行するも、総じて一切の諸経ならびに仏菩薩の御名を持って唱うるも皆法華経なりと信ずるが、如説修行の人とは云われ候なり」等云々。
 予が云わく、しからず。詮ずるところ、仏法を修行せんには人の言を用いるべからず。ただ仰いで仏の金言をまぼるべきなり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』601頁(如説修行抄)

如説修行とは、文字通り、仏説の通りに修行することです。しかし、鎌倉時代の日本の人々は、仏説をほったらかしにして勝手なことを言っていたようですね。法華経が一番の経典であるとされたならば、その後は、その他の経典も法華経も同じと言い始めます。ここから間違っていますね。法華経は法華経であり、その他の経典はその他の経典であるという当たり前のことが無視されています。同じでないものを同じと言うことは滑稽でしかありません。念仏も真言も禅も法華経などと言うに至っては狂気の沙汰でしょう。

当然、日蓮は、このような間違った見解、言動について、「しからず」と明快に否定します。仏道修行において、人の言葉はあてにならないというわけです。仏の金言ですから、経典に基づくべきであるというのですね。

宗教の世界では、訳の分からないことを言い始める人が一定数出てきます。勝手なことを言うのですね。経典や文献を無視して、文理解釈すら無視し、意味不明なことを言い、人々を混乱させます。新宗教団体に多い現象ですね。

世間的に新宗教は嫌われる傾向がありますが、このような変なことを言う人がいるからというのも理由のひとつでしょう。付き合いたくないわけですね。

宗教は、伝統があり、時代の荒波を乗り越えたものを軸とするのがよいですね。法華経などは、申し分がないものといえましょう。また、日蓮の遺文も十分信仰に耐えうる内容を持っています。

しかし、法華経、日蓮の遺文を根本としながらも、上記の如説修行抄で指摘されたように、教団には、変なことを言う人が出てくるのですね。そのような人が教団の中で重要な地位を占める場合があり、まともな人が教団から離れるのですね。

このような現象は、現代だけでなく、鎌倉時代も同様であったということが如説修行抄から読み取れます。人間は、訳の分からないことを言い始める悪い傾向がありますので、気を付けて信仰をする必要があります。まずは、法華経、御書に書いてあることを文理解釈でもって正しく理解することです。そこから、深く研鑽しながら法華経、御書の精髄を把握するよう読み込むことが肝要です。トンチンカンなことを言わないようにすることですね。

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2022年11月17日

『日蓮大聖人御書全集 新版』分冊版 第2巻が届く

御書新版分冊の第2巻の冒頭は、「如説修行抄」ですね。

日尊の古写本がありますので、日蓮の筆とみてよいでしょう。

「如説修行抄」は、勢いのある筆致であり、リズム感がある御書です。佐渡流罪中に書かれた情熱的な御書ですね。信仰をする上で重要な法門が散りばめられています。分量的にも、左程多くもなく、何度も読み返すことができる御書といえましょう。

最後には、
この書、御身を離さず常に御覧あるべく候。
『日蓮大聖人御書全集 新版』605頁(如説修行抄)

とあり、常に拝読すべき御書であることを日蓮自身が明確に指示しています。「如説修行抄」だけでなく、御書そのものを「この書、御身を離さず常に御覧あるべく候」との気概で常に読んでいきたいものです。

1年前に『日蓮大聖人御書全集 新版』と分冊版の第1巻が出版されました。その後、分冊版第3巻、分冊版第4巻と出版され、今回の分冊版第2巻に至り、これで分冊版御書がすべて揃いました。改めて、御書を研鑽したいと思う次第です。

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posted by lawful at 21:57| 御書

2022年11月01日

「我此土安穏 天人常充満」の現代語訳を読み比べる

我が此の土は安穏にして 天人は常に充満せり
創価学会教学部編. 妙法蓮華経並開結 (Kindle の位置No.32314-32316). 創価学会. Kindle 版.

「我此土安穏 天人常充満」の書き下し文は、上記のとおりですが、通解や現代語訳では、どのようになっているのでしょうか。確認してみましょう。
私の住むこの国土は安穏であり、つねに喜びの天界・人界の衆生で満ちている。
池田大作『新版 法華経 方便品・自我偈講義』聖教新聞社 414頁

わたくしのいるこの国土は安穏であって、天・ひとびとがつねに満ちみちている。
三枝 充悳『法華経現代語訳(全)』第三文明社 379頁

私が住するこの仏国土は安穏であり、天の諸神や清浄な人々で充ち満ちている。
日蓮正宗宗務院『日蓮正宗 勤行要典の解説』大日蓮出版 52頁

また、法華経のサンスクリット語からの翻訳も見てみましょう。
私のこのブッダの国土は、神々と人間たちで満たされているのだ。
植木雅俊訳『梵漢和対照・現代語訳 法華経』下 岩波書店 241頁

私のこの仏陀の国土は神々や人間で満たされている。
松濤誠廉/丹治昭義/桂紹隆 訳『大乗仏典5 法華経U』中央公論新社 116頁

漢文では、「此の土」となっており、仏の国土とは書いていませんが、サンスクリット語の翻訳では、「ブッダの国土」、「仏陀の国土」となっており、仏の国土であることが明確になっています。よって、日蓮正宗宗務院の訳では、「仏国土」となっているのですね。

「我」とは、釈尊のことですから、「我此土」で仏国土を表現できると鳩摩羅什は考えたのかもしれません。

この「我」ですが、私としては、釈尊一人に限定するのではなく、すべての人々を包含していると考えたいと思います。我々の仏国土と捉えながら信仰をするのが適切と思われるのですね。

「天人常充満」では、「天」と書かれていますので、漢文からの現代語訳では、「天界」、「天」と表現していますが、サンスクリット語からの翻訳では、「神々」となっています。よって、日蓮正宗宗務院の翻訳では、「天の諸神」としており、サンスクリット語を意識した翻訳となっています。

八百万の神と共に我々がいるという感覚が大切であることに気付きます。また、我々といっても、日蓮正宗宗務院の翻訳にあるように「清浄な人々」との解釈が妥当だと思われます。俗悪な人間は仏国土にいないと思うのですね。「天人常充満」は、麗しい人間関係、充実した人間関係のことといえるでしょう。

我々の住む地域が仏の国土であり,安穏、平安、安全であり、神々に守られながら、素晴らしい人々と共に生きていくことができるということが「我此土安穏 天人常充満」なのですね。素晴らしい経文であると思います。

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2022年07月02日

『論語』における人間の6条件(志学・而立・不惑・知命・耳順・従心)

子の曰わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

先生がいわれた、「わたしは十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」
『論語』金谷治訳注 岩波文庫 35頁〜36頁

孔子が各年代に応じて到達した境地を述べている部分です。十五歳で志学、三十歳で而立、四十歳で不惑、五十歳で知命、六十歳で耳順、七十歳で従心というふうに順序よく、ひとつひとつ得ていくという形になっています。

ただ、七十歳になるまで従心が得られないという意味ではないと思います。五十歳で従心を得てもいいわけです。

この『論語』の一節には、「志学・而立・不惑・知命・耳順・従心」の6つがありますが、これは、人間の6条件といってよいものでしょう。『論語』においては、各年代に配当されていますが、別々にせずとも、常にこの6条件を得るよう精進することが肝要と思えるのです。

人は、何歳であっても、常に学ぶ必要があり、独立自尊の精神が必要であり、惑わされることなく、人智を超えた天の計らいをも把握し、他者の意見を受け入れる度量が必要であり、物事を為すにあたって道を踏み外さないという振る舞いができるようになる必要があります。

「志学・而立・不惑・知命・耳順・従心」の6つの順序は、難易度の順序と考えた方がよいでしょうね。確かに、「従心」はなかなか得られる境地ではありませんが、別に七十歳になるまで待つ必要はなく、得られるならば何歳であってもよいですね。

この6つの条件を満たしてこそ、人間になれるということをあらわしたのが『論語』といえましょう。

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posted by lawful at 10:05| 生き方

2022年05月31日

ニーバーの言葉

ニーバー〖Reinhold Niebuhr〗
[1892〜1971]米国の神学者・倫理学者・牧師。「文明は宗教を必要とするか」「道徳的人間と非道徳的社会」など、近代社会とキリスト教倫理に関する著書を多数著した。
『デジタル大辞泉』 小学館

アメリカの神学者であるニーバーの言葉は、非常に示唆に富みます。
O God, give us serenity to accept what cannot be changed, courage to change what should be changed, and wisdom to distinguish the one from the other.

簡単に訳してみましょう。

神よ、
変えることができないことを受け入れる平静さを、
変えるべきことを変える勇気を、
そして、変えることができないことと変えるべきこととを識別する叡智を、
我々にお与えください。

変えることができないことは、他人や、自分ではどうすることもできない社会の制度、風習などですね。このようなことについては、そういうものなのかと受け入れる平静さが重要のようです。

しかし、愚人は、つい、このような変えることができないことに悩み、憤り、くよくよする傾向があるようです。一方、賢人は、まさに、ニーバーに言葉の通りの振る舞いになっていますね。見事なほどです。

変えるべきこととは、自分のことであり、勇気を持って変えていくことが肝要のようです。

愚人は、自分自身が行わなければならない改善行動をなかなか行いません。ああでもない、こうでもないと言い訳ばかりで、何もしないのですね。一方、賢人は、自分で行える改善行動をすぐにしています。

ニーバーの言葉を実践している人は誰なのかと思い返してみますと、田中角栄がその実践者であったことを思い出しました。
くよくよしても仕方のないことは、くよくよしない。やらなければならないことは、万難を排してもやる。これが田中のオヤジです。
早坂茂三『田中角栄 頂点をきわめた男の物語 オヤジとわたし』

我々もニーバーの言葉の実践者となるべきですね。
posted by lawful at 06:00| 生き方

2022年05月30日

時間を迹門、本門で考える

妙法蓮華経28品の内、前半14品を迹門、後半14品を本門といいます。勝劣派からすると迹門よりも本門の方が重要と考えますが、この迹門、本門を時間に当てはめて考えると面白いのではないかと思います。

過ぎ去った時間は迹門、これからくる時間は本門、つまり、人生はこれからだという感覚を常に持ち続けることができるのではないでしょうか。

もちろん、勝劣派の立場をとっても迹門は重要であるのと同様、過去も重要です。しかし、もっと重要なのは、これからの時間です。過去よりも未来が良くあるべきという感覚が大切です。

常にこれからが本門であるという姿勢が好ましいですね。

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posted by lawful at 06:00| 雑感

2022年05月29日

まずは、本尊に大書されている文字を読むこと

南無妙法蓮華経とは、文字通り、妙法蓮華経に南無すること、帰命することです。妙法蓮華経の通り生きていくことといえるでしょう。

では、その妙法蓮華経とは何なのか。鳩摩羅什が翻訳した経典である妙法蓮華経ですね。妙法蓮華経には、どのようなことが説かれているのか。端的に言うと成仏できますよということ言っているのですね。舎利弗は華光如来、迦葉は光明如来、目連は多摩羅跋栴檀香如来、阿難は山海慧自在通王如来というふうに仏から記別を受けています。

妙法蓮華経に南無するとは、自らが仏に成ることなのですね。南無妙法蓮華経とは、衆生が仏になれることをあわらした名号であり、日蓮の文字曼荼羅本尊には、真ん中に大書されています。この本尊に向かい、南無妙法蓮華経と唱えることは、自らが仏の境涯に至りますと言っていることと同義ですね。

よって、南無妙法蓮華経と唱えながら地獄界、餓鬼界、畜生界の三悪道の境涯に留まることは、あり得ないことです。万一、三悪道に留まっているとするならば、その人の唱えているのは、南無妙法蓮華経ではなく、何か得体の知れない名号といえるでしょう。

実際、そのような人は、南無妙法蓮華経とは言っていないですね。よく聞き取れませんし、文字にもできないような変なことを言っています。本尊には、南無妙法蓮華経と書いているのですから、それをそのまま読んで発音すればよいものを、全く違うことを言うのですから意味不明といったところです。

結局、目の前にある本尊の文字を見ていないということなのですね。このようなことでは、信仰になりませんので、我々としては、本尊に書いている通り、南無妙法蓮華経と唱え、自らを仏の境涯にすべく精進することですね。

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posted by lawful at 09:34| 雑感

2022年05月04日

悪口に対処する方法

たとい敵人等悪口を吐くといえども、各々当身のこと、一・二度までは聞かざるがごとくすべし。三度に及ぶの時、顔貌を変ぜず、麤言を出ださず、軟語をもって申すべし。「各々は一処の同輩なり。私においては全く遺恨無し」の由これを申さるべきか。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1271頁(問注得意抄)

悪口を言う人に絡まれることがありますが、その際、こちらも同じく悪口で対処しますと袋小路に入り、収拾がつかなくなり、結局、こちらも悪いという評価になりやすくなります。いいことがひとつもないのですね。

日蓮の書を見ますと、悪口に対処する方法が書かれていました。

まず、悪口を言われても、一度、二度は、聞かないようにしておくべきであるといいます。

そして、悪口が三度に及んではじめて、対処すべきとするのですが、この際、顔色を変えてはいけないと指摘します。また、粗暴な言葉を使うべきではないといいます。穏やかな優しい言葉遣いでもって、「私は、あなた方に対し、恨みは一切ありません」という旨を述べておけばよいといいます。

要は、悪口に対し、まともに相手をするなということですね。相手のペースに合わせるのではなく、こちらのペースで物事を進めていけばいいということです。そして、相手を恨むことなく堂々としておけばよいのですね。

そもそも悪口を言っている方が悪いわけで、こちらも一緒に悪くなる必要性は全くありません。ほっておけばよいのですね。

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