詮ずるところ、今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「六根清浄」なり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』1062頁(御義口伝)
六根とは、「眼根」、「耳根」、「鼻根」、「舌根」、「身根」、「意根」の6つのことですね。この六根が清浄になるとは、眼、耳、鼻、舌、身、意の煩悩のけがれが落ちて清らかになることです。身も心も清々しい状態になることですね。南無妙法蓮華経と唱えると六根清浄になるという。唱えないわけにはいきません。
「功徳」とは、即身成仏なり。また「六根清浄」なり。
同書 同頁
六根清浄とは、功徳なのですね。即身成仏が功徳というのはその通りと思いますが、六根清浄も功徳という点は見逃してはなりません。身も心も清らかになることそれ自体が功徳ということです。自分の外から、なにがしらの利益を得ることが功徳と考えてしまいがちですが、自分の外に求めなくとも、自分の身と心に功徳の源泉があるのですね。
この御文からも南無妙法蓮華経と唱える意義が明確になります。